第32話 祓い屋、火村悟里

「はははっ、逃げた逃げた。あいつ、本性を見せたな。そうだよなあ、やっぱり我が身が一番大事だよなあ。どうだ、仲間に見捨てられた気分は?」


 煙鬼め。戦っている最中だってのに馬鹿笑いして、ずいぶん余裕じゃないか。


 こいつの言っていることは間違っちゃいない。誰だって自分の事が一番大事だし、雅ちゃんを置いていった事はともかく、逃げる事自体は悪い判断じゃない。

 けど、ね。御堂君のことを分かったような口を叩かれるのは、なんかムカつく!


「暢気に笑ってる場合? 気を抜いてると、痛い目みるよ。心に風、空に唄、響き——」

「はっ、気が抜けてるのはどっちだ! 呪!」

「しまっ……」


 逃げた御堂君に気をとられたせいか、隙が生まれてしまっていた。

 それはほんの一瞬の遅れだったけど、その一瞬はあまりに大きかった。


「しまった」と言い終わらないうちに、煙鬼の放った呪詛の弾丸が叩き込まれ、あたしは、後ろへと倒れこむ。


 ふ、不覚。

 雅ちゃんと交戦した時に続いて、本日二度目の転倒。さ、さすがにダメージがデカイ。早く、早く体勢を整えないと。


 だけどそんな暇を与えてくれるほど、煙鬼は甘くはなかった。

 倒れたあたしに近づくと、容赦なく手を踏みつけられる。


「痛っ!」

「どうした祓い屋、もう終わりか? それじゃあ、そろそろトドメといくか」


 手をかざし、鋭い爪を見せてくる煙鬼。

 コイツは人の恐怖をくらうって言っていたから、きっとこれもあたしを怖がらせるためのパフォーマンスなんだろうね。大方恐怖に染まったあたしの魂を、食らうつもりなのだろう。


 本当に悪趣味。けど、おあいにく様。

 こっちだって意地ってものがある。誰が怖がってなんてやるもんか。


「……お前、生意気な目をしてるなあ。少しは怖がれっての。なんなら、命乞いでもしたらどうだ? そうしたら、見逃してやっても良いぞ」

「冗談じゃない。そんなの死んでもごめんだね」

「そうか。それじゃあ、せいぜいあの世で後悔しな!」


 残念そうに溜息をついた後、煙鬼は手を振り上げる。

 やられる。だけどそう思ったその時。


「待って煙鬼くん!」


 声を上げたのは、床に座り込んでいた雅ちゃん。

 まさか今更友達の言う事を聞いたってわけじゃないだろうけど、煙鬼は手を止めて彼女を見た。


「なんだ雅。もしかしてコイツの事を、助けてって言いたいのか? 言っとくがこんな事になったのは、コイツ等のせいなんだぜ。コイツ等さえ来なかったら、俺達は今でも仲良くやれてたんだ」


 ふざけるな。仲のいいふりをした、友達ごっこをしてただけだろう。


「お願い、その人には手を出さないで。ご飯が欲しいなら、私を食べていいから」

「おい待て、君はいったい何を考えているんだ⁉」

「た、だって元々私が、煙鬼くんの封印を解いちゃったからこんなことになっちゃったんだもの。あの筒を開けさえしなければ、こんな事にはならなかったのに」


 雅ちゃんの顔は涙でぐしょぐしょ。

 だけどそんな彼女の叫びも、煙鬼には届かなかった。


「はっ、バカ言ってんじゃねーよ。裏切り者のお前の言う事なんて、誰が聞くか!」


 もはや本性を隠す気は無いらしい。

 この野郎、裏切り者はどっちだ。


「まあ安心しな。お前も後で始末してやるよ。けどまずはこの女からだ!」


 あたしの頭を鷲掴みにして、無理やり起き上がらせる。

 この、髪を引っ張るなっての。女の髪を、なんだと思ってるんだ。



「―—っ! ま、待って! お願いだから、もう少しだけ」

「うるせえ! 待ったからって、どうなるって言うんだよ?」

「そ、それは……」


 煙鬼の意地悪な問に、雅ちゃんは何も返せない。

 いや、違う。聞こえるか聞こえないか分からないくらいの、か細い声でポツリ。


「……御堂さんが、戻って来る」


 え、御堂く——


 瞬間、風を切って飛んできた何かが、あたしの目の前に突き刺さった。

 目の前にあった、煙鬼の胸に。


「ギ……ギャアアアアアアァァァァァァッ⁉」


 耳をつくような絶叫が響いた瞬間、頭を掴んでいた手は放され、解放されたあたしはドサリと床に落ちる。


 た、助かったのか? だけど、あの矢はいったい?


「ヴアアアアアアァァァァァァッ⁉」


 止まない咆哮。さっきまでの嫌味ったらしい態度はどこへやら。煙鬼は痛みに苦しみながら、胸に刺さった矢を引っこ抜こうとしているけど、いくら引っ張っても抜けてはくれない。


 何なんだあの矢は? いったい、誰が放った?

 苦しむ煙鬼を警戒しつつ、矢が飛んできた方向に目を向けると。




「間に合った。火村さん、無事ですか!」

「え、御堂君?」


 蔵の奥。棚の影から姿を現したのは、逃げたと思っていた御堂君。そして彼の左手には、一張の弓が握られていた。

 もしかして今の矢は、君が射ったのか⁉


「御堂君、逃げたんじゃなかったの? つーかあの矢はいったい?」

「ただの矢じゃありません。あれは雅さんのご先祖様が使っていた、破魔の矢です」


 破魔の矢……あっ、ご先祖様が残したっていうあれか! 

 蔵に入った時、雅ちゃんが紹介してくれたんだっけ。御堂君はそれを、覚えていたんだ。


 木札と同じように、霊力が込められた矢なら御堂君のような力の無い人間でも、煙鬼にダメージを与えることができる。

 それじゃあいなくなったのは逃げたんじゃなくて、そいつを取りに行っていたから?

 ナイス! 逃げたなんて勘違いして悪かった!


「高校時代、弓道をやっていたのが役に立ちました。火村さん、まだ戦えますか?」


 当たり前でしょ。御堂君が頑張ってくれたんだ。あたしだっていつまでも寝てるわけにはいかないよ。

 急いで立ち上がると、苦しむ煙鬼に蹴りを食らわせる。


「ガッ!?」


 蹴飛ばされた煙鬼が、後ろへとのけぞる。

 このまま一気に決めたいところだけど、さてどうするか。相手は手負いとは言えあたしも消耗しているし、下手に仕掛けて失敗したら今度こそ終わりだ。

 

 すると御堂君。矢を放って終わりと思いきや、こっちに駆けよってきて手にしていた何かを突き出してくる。


「雅さんに言われて探したのですが、これが何なのかわかりますか?」

「え。これって……」


 差し出されたのは、黒い筒のような物。

 なんだこれ。どこかで見たような……って、ああーっ!

 こ、これはさっき頭に流れてきた映像の中で見た、煙鬼が封印されていた筒じゃないかー!


 卒業式の賞状が入っていそうな形の黒い筒で、蓋を開けてみると中身は空っぽ。

 だけど中身はなくても、霊力を感じる。きっとこれも、雅ちゃんの先祖が残した道具。煙鬼を封印するためのアイテムだ。

 これを探すよう言われたって事は。


 雅ちゃんに目をやると、彼女は訴えかけるような目で頷いた。


「お願いです、それで煙鬼くんを封印してください!」

「雅!?」


 のたうち回っていた煙鬼が、信じられないと言った様子で叫んだ。


「お前、友達を裏切りやがって! 許さねえ、殺してやる!」

「ひっ!?」


 激昂した煙鬼は、あたし達を完全に無視。怒りに満ちた目を雅ちゃんに向け、刺さっていた矢を引っこ抜いて彼女に雅ちゃんに飛びかかって行く。

 けど、させるか!


「心に風、空に唄、響きたまえ——滅!」

「がっ!?」


 渾身の一撃が、煙鬼を襲う。

 矢を受けて怪我をしていたところに、これは効いたでしょう。このまま決めさせてもらうよ!


 地面を駆け、御堂君から渡された筒を高々と上げると、煙鬼目掛けて振り下ろした。


「心に風、空に唄、響きたまえ——心に風、空に唄、響きたまえ——心に風、空に唄、響きたまえ——封!」

「うああああああぁぁぁぁぁぁっ!?」


 まるでアラジンと魔法のランプの、ランプに吸い込まれる魔神のよう。煙鬼の体は筒へと吸い込まれて行く。

 ジタバタともがいて抵抗しているけど、吸い込む力が大きすぎて逆らえない。


「こ、この三流祓い屋がぁーっ!」

「三流とは言ってくれるね。けどあんたはその三流にやられるんだ。覚えておきな、迷える霊あらば即参上。妖怪、悪霊、地縛霊何でも来いの祓い屋、火村悟里ってのはあたしの事だー!」

「うわああああぁぁぁぁっ!」


 煙鬼はみるみるうちに筒へと吸い込まれていき、完全に中に消えたところで、あたしは蓋を閉じた。

 封印、完了。


「お、終わったーっ!」


 途端に全身の力が抜けて、床に仰向けになる。

 こんな埃っぽい所で寝るなって? 固いこと言わない。疲れたんだから、ちょっとは休ませてよ。


 煙鬼は本当に、手強い相手だった。もしもあたし一人だったら、勝てたかどうか。

 破魔矢を射ってくれた御堂君、それに、煙鬼の気を反らして時間を稼いでくれた雅ちゃんに感謝。本当に助かったよ。


「二人ともありがとう。おかげで勝つことができ……」


 言いかけて、ハッと口を閉じる。

 視線の先には、雅ちゃんがぐったりと横たわっていた。


「雅ちゃん!?」


 急いで起き上がり、駆け寄って頬を軽く叩いてみたけど、雅ちゃんは目を閉じたまま。

 その代わり蚊の鳴くような小さな声が、微かに聞こえた。


「ごめん……ごめんね、煙鬼くん……」


 ——っ! こんな心身ともにボロボロにされといて、煙鬼に謝るのか。

 

 あたしにとっちゃ信じられない話だけど、きっとこの子は本当に煙鬼のことが好きで、利用されてただけだって頭ではわかっても、心が追い付いていないのかもしれない。

 

 無理もないか。人間そんな簡単に、気持ちを切り替えられるわけじゃないもの。

 裏切られたとはいえ、ずっと友達だと思っていた煙鬼を封印することに、心を痛めなかったはずがない。


 雅ちゃん、あたしこそごめん。辛い思いをさせてしまったね。

 

「救急車を呼びます。あと、保護者にも連絡しないと」

「頼んだよ。雅ちゃん! 雅ちゃん聞こえる!? もうしばらくの辛抱だからね!」


 御堂君が電話を掛ける横で、あたしは何度も雅ちゃんの名前を呼ぶのだった。

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