第20話 酒と泪と男と女

 茅野中学校を出てから、訪れた一軒の飲み屋。

 せっかく普段は来ない町まで来たのだから、どうせならこの町の店に行ってみようってなったのだけど。


 楽しく飲むどころか、ジョッキに入ったビールを一杯、また一杯と喉に流し込む度に、あたしはだんだんと荒れていった。


「あー、ヤダヤダ! なんなのあの嘘ついて人の気を引こうとする尻軽女はーっ!」


 店の角にあるテーブル席で、人目も憚らず愚痴をぶちまける。

 あの沢渡鞠江とかいう教師、やっぱムカつく! 御堂君の友達だというから堪えていたけど、酔いが回るにつれて抑えがきかなくなり、もはや愚痴祭状態だ。


 一方向かい合って座っている御堂君はお酒を飲む手を止めて、酔ったあたしを宥め続けていた。


「そう怒らないでくださいよ。マリちゃんも別に、悪気があったわけじゃないんですから」


 御堂君はフォローしようと頑張っているけど、彼のこぼした『マリちゃん』に、何故か無性にカチーンときた。


「御堂君さぁ、どうしてあの子の肩持つのよ。やっぱり惚れた弱味~?」

「そう言うわけでは。だいたい彼女を好きだったのは、もう昔の話です」

「それじゃあ、沢渡さんが美人だから味方してるの? あーヤダヤダ、男ってどうして、美人に弱いんだろうねえ? はっ、胸はあたしの方があるっての!」

「火村さん、お願いですからそういうことは、大きな声で言わないでください!」


 泣きそうな顔で懇願されてしまった。

 あたしもさ、自分が面倒くさい女になっていることは分かってるよ。だけどそれでも、ムカムカした気持ちは抑えられなかった。

 だいたいねえ、あたしは沢渡さんにだけ怒ってるわけじゃないんだからね!


「御堂君さあ、あたしがどうして怒ってるか分かる?」


 ジョッキを片手に、『男が女からされたくない、面倒くさい質問トップ5』に入るであろう意地悪な問題を出す。

 すると御堂君は、困った顔をしながらおずおずと答える。


「マリちゃ……沢渡さんが失礼な態度をとったからですよね。幽霊が見えるなんてイタいとか恥ずかしいとか、祓い屋をバカにするようなことを言ってしまって、申し訳ありません」

「それもある! だけどもう一つ。どうして君は怒らないの? 君だってオカルト雑誌作ってるじゃない。なのにあんな事言われて、悔しくないの!?」

「悔しいですけど、そういう人もいるって分かっていますから。見えないものを信じろという方が、難しいですからね。全ての人が理解してくれる訳じゃないって割りきらないと、この仕事はやっていけませんよ」


 ぬう、大人な答えを返してくれる。これじゃあ腹を立ててるあたしが、子供みたいじゃん。

 けど、言いたいことはまだあるよ。


「それじゃあ、嘘つかれてたのは? 幽霊が見えるっていう沢渡さんの言葉を信じるようなピュアピュアボーイだったのに、彼女はそれを裏切ったんだよ! ここは怒るところでしょうが!」


 なのに肩持っちゃってさ。そんなにマリちゃんの事が大事か? 大好きなのか!?

 すると御堂君は「まあまあ」と宥めながら、グラスに入ったお酒を口にする。


「それも子供の頃の、小さなイタズラですよ。今さら怒るのは可哀想です。それに……」

「それに、なによ?」

「実は薄々、そうじゃないかって思ってたんです。本当は彼女、幽霊なんて見えていなかったんじゃないかって」

「…………はい?」


 ん、んん~!? なんだそれは。初耳だぞ。

 グラスを置きながら、寂しそうな目をする御堂君を食い入るように見る。


「じゃあなに? 御堂君は元々、沢渡先生の言ってたことを疑ってたってこと?」

「最初からというわけではありませんけどね。小学生の頃は、本当に信じていました」


 あれ、やっぱり信じてたんじゃない。

 すると御堂君はグラスに入ったお酒を一口飲んでから、「でも」と続ける。


「疑念を抱いたのは、大人になってから。今の仕事について、霊感のある人や心霊体験をした人の話を、たくさん聞くようになってからです」


 彼は眉を下げ、一つ一つ思い出すように語っていく。


「この仕事をしていると、色んな人と会って話を聞きます。けど出会った人全てが、本当のことを話してくれるわけではありません。目立ちたいからそれっぽいことを言う人もいますし、取材料目当てで嘘をつく人もいます。理由は様々ですが、そういった人を何人も見てきました」

「まあ、そうだね。あたしも時々そういう、エセ霊能者に会うことはあるよ」


 中には霊をバカにしたような態度を取る奴もいて、キックでぶっ飛ばしてやったこともあったっけ。

 ちょっと乱暴だったとは思うけど、本物の霊を怒らせて命を狙われるよりはマシだろう。


「小学生の頃と違ってもう大人ですから、聞いたことを全て鵜呑みにするわけではありません。そして話をたくさん聞いていると、嘘をついている人というのが、何となく分かるようになるんですよ。例えば『あそこに霊がいる』って頻繁に言う人。いくらなんでも鳥や虫じゃあるまいし、幽霊がその辺にホイホイいたりはしませんよね。他にも、言ってることに矛盾があったりして。嘘をついている人の特徴が、何となく掴めてくるのですよ」

「嘘を見抜く、か。何だか刑事みたいだね」

「聞き込みをして真実を見つけ出すと言う点では、刑事と似てるかもしれません。そして沢渡さんですが、思い返してみると彼女の言っていた霊が見えると言う話には、辻褄の合わない箇所があったように思えて。それでもしかしたら、本当は彼女は見えていなかったのかもって気がしていました。あまり考えないようにしていたので、確信をもったのはさっきでしたけど」


 そう言ってハハハと寂しそうに笑ったけど、あたしは笑う気にはなれなかった。


 考えないようにしていたのは、騙されていたのが恥ずかしかったから?

 いや違う。きっと彼女を、信じてあげたかったのだ。疑うことを知らなかった幼い頃の自分に大きな影響を与えた、初恋の相手のことを。


 あたしは御堂君のことを何でも知ってるわけじゃないけど、彼がそういう人だと言うことくらいは分かるよ。

 御堂君は笑っているけど、やっぱり残念だったんだろうね。その目はまるで、迷子になったゴールデンレトリバーのように寂しげで、あたしまで切なさが込み上げてくる。


「だからってさあ。少しは怒ったっていいんだよー。何で全部、有耶無耶にしようとするのさー!」

「そう言われましても。……って、火村さん。泣いているんですか?」


 言われて初めて、ボロボロと涙を流していることに気がついた。

 言っておくけどあたしは、ちょっと悲しい話を聞いたくらいで泣くような女じゃない。ただ今回はお酒のせいで、涙もろくなっちゃったみたい。


 涙を誤魔化すために、ジョッキをテーブルに叩きつけて怒鳴る。


「御堂君は許しても、あたしは許さないから! あの女は純情な君を弄んだ、男の敵だ! 別に仕返ししようなんて思わないけど、これだけは譲れないよ!」

「ええ。火村さんなら、そう言うと思いましたよ。けどこれだけは分かってください。僕は沢渡さんのことを、恨んじゃいません。だって経緯はどうあれ、おかげで夢中になれるものを見つけられたのですから。それに……」


 彼は表情を緩ませると、澄んだ目であたしを見る。


「僕のために怒ったり泣いたりしてくれる人とも、出会うことができました。素敵な出会いをくれたのですから、感謝していますよ」


 ん? それって。

 最初は何を言っているのかわからなかったけど、誰のことを言っているのか理解するにつれ、頭が沸騰しそうになる。


「平気なのはきっと、火村さんがいてくれたおかげです。僕の代わりに怒ってくれて、ありがとうございます」

「―—っ! こ、この天然ゴールデンレトリバー! こっ恥ずかしいことをサラッと言うなー!」

「痛っ!」


 清々しいくらいのパァンという音が店内に響き、近くの席にいた客が何事かとこっちを見る。

 御堂君は叩かれた頭を痛そうに押さえているけど、もう知らない。今日はとことん飲んでやる!


「すみませーん。ビールおかわりー!」


 不思議と沸き上がってくる体の火照りと照れ臭さを忘れるために、あたしはどんどん飲むのだった。


 ……素敵な出会いなんて言われたのは、ちょっと嬉しかったけどね。


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