第19話 マリちゃんの真実

 思考がピタリと止まった。


 ちょっと待て。この女今、何て言った?

 だけどそれを確かめるよりも早く、更なる追撃が飛ぶ。


「だいたい、幽霊なんているわけないでしょ。もう子供じゃないんだから、いい歳してそんな事言ったって、イタいだけよ」


 おいこのクソ女ーっ! 


 つい反射的にぶん殴ってやりたくなったけど、手を振り上げる寸前、察した御堂君が慌てたように手を掴んで阻止してくる。


 ええい放せ! 放さないか!


「気持ちはわかりますけど、どうか落ち着いて。暴力はまずいですって」


 腕を掴んだまま、小声で訴えてくる。

 余計なことをするな! と言いたいところだけど、悔しいことに彼の言う通り。


 仕方がない。あたしがバカをしないよう、このまま抑えておいてくれ。


 沢渡先生は状況が分かっていないのか、キョトンとした様子だけど、それがまたムカつく。


 幽霊なんているわけない。いい歳してそんな事を言うのはイタいだとー!

 あたしは祓い屋。御堂君だってオカルト雑誌の編集者。あんたの言うで、こっちは飯食ってるんですけどー!


「りゅ、竜ちゃん。そちらの方、様子が変と言うか、顔真っ赤になってない? 大丈夫なの?」

「平気です。彼女、いつもこうなので」


 怒りを堪えるあたしを怪訝な表情を見せる沢渡先生と、必死に繕う御堂君。

 頼むからこれ以上、あたしを刺激しないでくれよ。


 しかし直後、その願いは脆くも崩れ去る。


「それにしても、黒歴史をつつかれるとは思わなかったわ。けど仕方ないか。私にとっては昔の事でも、竜ちゃんはその頃の私しか知らないんだものね」

「まあ。あの頃沢渡さん、毎日のように『そこに幽霊がいる』って、言っていましたからね」

「皆の気を引きたいからって、バカなことやってたわね。そのせいでクラスで浮いちゃったけど、竜ちゃんはいつも話を合わせてくれてたっけ。あの頃はごめんね、嘘に付き合わせちゃって」

「気にしないでください。あれはあれで、楽しかったですから」


 そうは言うけど、笑顔はどこかぎこちない。

 当然だ。御堂君はその嘘がきっかけでオカルトに興味を持ち、仕事にまでしたんだ。あの頃の出来事は、大切な思い出のはずだ。


 なのになんだ。その道に引きずり込んだ等の本人が、忘れたいだの黒歴史だの。

 オマケに御堂君が、話を合わせてくれていただって? 彼はねえ、本気であんたの話を信じてくれてたピュアボーイだったんだぞ!


 霊を見ることのできない彼女にとって、そんな与太話を信じる方がおかしいと言うのは、認めたくはないけど一応分かる。

 子供の頃ならまだしも、今はいい歳した大人なのだから尚更だ。


 けど、けどさあ。思い出を踏みにじるような言い方は、どうにかならないかなあ!


 けどそんなあたしの心情なんて知らない沢渡先生は、ふと何かを思い出したように言う。


「そういえばさっき話に出た、幽霊が見えるって言ってた子。あの子もよく見えるふりをしてたっけ。何も無い所に向かって一人で声をあげたり、逃げるようにして急に走り出したりしてたわ。中学生にもなって幽霊ごっこなんてって、当時の担任の先生は困っていわねえ」


 沢渡先生はそう言ったけど、その子はあんたと違って、本当に見えていたんじゃないの?

 見えるふりをしていたと決めつけてる彼女に、ますます苛立ちを覚える。


「だけど私も昔同じことしてたから、その子の気持ち分かったの。バカなことをしてでも、誰かの気を引きたいのよね」

「ソウカモシレマセンネー」

「だけど経験者だからこそ、それじゃあダメだってのも分かってるから。前に一度、その子に言ってあげたことがあるの。もう見えるふりをするのは止めなさい。皆と仲良くしたいなら、嘘をついて気を引こうとしちゃいけないって」

「…………はい?」


 言ったの? その子に、嘘をついちゃいけないって?


 もうこの人の話なんて聞き流そうと思っていたけど、これを無視するなんてできなかった。


「結局分かってもらえなくて、最後まで見えるふりを続けてたけどね。少しでも力になってあげたかったんだけど、教育って難しいわね」


 沢渡先生は切なそうにため息をついたけど、あたしは先生よりも、その子がどんな気持ちになったかの方が気になった。


 その子が、本当に見える子だったとしたら。

 味方面して近づいてきた先生に、『もう幽霊が見えるふりをするのは止めなさい』って、自分を否定するようなことを言われたら。それって、相当ショックだったんじゃないだろうか。


 奇異な目で見てバカにするクラスメイトの悪意も、先生の善意も、みんな自分を否定する。

 そんな居場所がない学校に、彼女はどんな気持ちで通っていたのだろう。


 沢渡先生はその子の気持ちが分かるなんて言ってたけど、分かってない。あんた何にも分かってないよ。


 そういえばここに来る前に見た動画で、仮死魔霊子が言っていたっけ。悪魔は息をするように、他人を傷つけるって。

 言っちゃ悪いけどあたしにはこの先生が、そんな悪魔に思えてくるね。

 自分の言葉がその子のことを傷つけたのかもしれないのに、無自覚なのが余計に質悪いよ。


 善人面をして、能天気に語る彼女に苛立ちを覚え、ガリッと奥歯を噛み締める。

 これ以上、話を聞いても無駄みたい。と言うかそろそろ、我慢するのも限界だ。


「先生の話はよーく分かりました。それはそうと、玲美ちゃんからも事情を聞きたいんですけど。保健室に入って、話聞いてもいい?」


 元々そのために待っていたのだ。

 だけど沢渡先生はそれを聞いて、思い出したように言う。


「そうだったわ、ごめんなさい。実は玲美ちゃんのお母さんがこれから迎えに来て、連れて帰るそうです。かなりショックが強いと思うので、話を聞くのはまた今度と言うことでよろしいでしょうか?」


 はぁっ!? こっちは話を聞くために、今まで待ってたってのに!


 とはいえ、無理をさせるのは確かに良くない。

 だったらもっと早く言ってほしいとは思ったけど、文句を言ったところで後の祭り。舌打ちしたくなるのをこらえて、怒りを静める。


「そういうことなら、玲美ちゃんへの聴取はまた後日行います。それじゃああたしたちはこれで。ご協力ありがとうございました」


 ペコリと頭を下げ、相手の返事も聞かずに踵を返した。


 暗くなった廊下に、カツカツと足音を響かせながら歩く。


 まったく。なんだあれは、なんだあれは、なんだあれは!

 さっきの沢渡先生の、幽霊やそれを見える人を全否定するような態度。思い出しても腹が立つ。

 自分が見えてる世界が全てじゃないんだってことを、少しは分かれっての!


 そんなことを考えていると、後ろからもう一つ、足音が近づいてきた。


「待ってくださいよ火村さん。すみません、マリちゃ……沢渡さんがあんなことを言って」


 追い付くなり謝ってきたけど、『マリちゃん』と言いかけたのを聞いて、何故か余計にムカついてきた。


 なーにがマリちゃんだ! あんな無神経な嘘つき女と、仲良くしちゃってさ。

 御堂君にとって彼女は、初恋の相手だったみたいだけどさ。聞いてた話と、実際会ってみたのでは大違い。あんなのが好きだったなんて、趣味悪い……ん、まてよ。


 ピタリと足を止めて、御堂君を見る。

 考えてみたら彼は、その好きだった人にずっと嘘をつかれていたんだよね。それっていったい、どんな気持ちなんだろう?


「御堂君は、嫌じゃなかった? ずっと嘘つかれてて」


 ポロッと口にして、すぐにしまったと後悔する。

 しまった。デリカシーの無い質問をしてしまった。


 御堂君は眼鏡の上の眉をピクリと動かして反応を見せたけど、返事はしてくれない。

 やっぱり、聞いたのは良くなかったかも。

 だけどそう思った時、彼はふうっと息をついて、明るい声で言った。


「とりあえず、気分転換に飲みに行きませんか? 事件の捜査はしなくちゃいけませんけど、少しくらいは」

「……行く」


 コクンと頷いて答える。

 結局質問の答えははぐらかされてしまったけど、まあいいや。

 何よりあたしも、無性に飲みたい気分だった。


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