第5話 ゴースト・カーアクション
うわー。これ正真正銘、ガチのやつじゃん。
逆さまになってフロントガラスから顔を覗かせる女を見た後、視線を運転席へと移す。
「御堂君さあ。このトンネルに出るかもしれないって分かってたなら、真っ先に祓い屋に報告するべきだったわ。あたし達もさあ、幽霊に関する情報を全部持ってるわけじゃないんだから。一般人からの情報提供がないと、祓いに行けないわけよ」
「すみません。ええと、要するに今、この車に霊が取り憑いてるってことで良いんですよね」
「そういうこと。良かったね、心霊体験ができたよ」
霊感の無い人でも取り憑かれた状態なら、霊を感じることだってある。
御堂君があの赤い手形が見えているのはそのためだもっとも、本体であるあの逆さ女は見えていないみたいだけど。
何がどこまで見えるようになるかは、個人差があるのだ。
「それで。ど、どうすれば良いでしょう? スピードを上げて、振りきりましょうか?」
運転しながら、手形のついた窓とあたしを交互に見る。
けど、その必要は無いから。
「あのねえ、君の隣にいるのは祓い屋だよ。安全運転で頼むわ。幸い、相手の力はそう強いものじゃないし、これくらいなら走りながらでも除霊できるもの」
「除霊って、今からするのですか!?」
「そ。まあ任せておきなって。ついでに、念願だった幽霊の姿も、拝ませてあげるよ」
そう言うと、あたしはシートベルトの前で両手を合わせる。
そして左右の手の指を絡めて、印を結んだ。
印を結ぶことで、あたし達祓い屋は手に霊力を集めることができる。
そしてその霊力を使って、術を行使するのだ。
「心に風、空に唄、響きたまえ——現!」
口にしたそれは、術を解き放つ時に紡ぐ詠唱。
別に唱えなくても術を使うことはできるんだけど、これを言った方が術の効果が上がるのだ。
そして今使った『現』は、霊力を持たない人にも一時的に、幽霊の姿が見えるようになる術。
これで御堂君にも、アイツの姿が見えるようになるはずだ。
逆さまになってフロントガラスに張り付いている、血まみれの女の姿が。
「うわあぁぁぁぁっ!?」
突然悲鳴が上がり、車が大きく左右に揺れた。
ハンドルが大きく切られて、車が反対斜線に飛び出した。
危なっ! もし対向車が来てたら、絶対に事故ってたよ!
「ちょっとー、安全運転でって言ったじゃん」
「す、すみません。それより、何なんですかあれは!?」
「何って、さっき話してた幽霊だよ。あたしの術で、君にも見えるようにしておいたから」
「それならそうと、やる前に言ってくださいよ。突然見えるようになったもんだから、驚きましたよ」
うーむ。いきなり目の前に血まみれの女は、ビックリさせちゃったかな?
状況が分かった方が良いかと思ったけど、余計なことしたかも。
一方女はフロントガラスの向こうから鋭い目であたし達を睨んでいて、いかにも危険って感じ。
こりゃあ次に何をするか、分かんないね。
「い、いったんどこかに止めないと。こんなんじゃ走れませんよ」
「いや、それは止めておいた方がいい。止めたらコイツが、車の中に乗り込んでくるかもしれないからねえ。こういう時は安全運転で走るのが、一番良いんだよ」
「そう言われても。フロントに張り付いてたんじゃ、前もろくに見えないのですけど」
「まあ落ち着きなって。何も視界がゼロになったわけじゃないでしょ。根性で何とかする!」
「は、はい!」
猫背になって視線を下げて、ハンドルを動かしていく。
おそらく女をあまり見ないようにしているのだろうけど、意外と走りは安定している。
なんだ、やればできるじゃないか。
一方血まみれ女は必死に運転する彼のことがおかしいのか、ニイッと口角を上げた。
「キャハハハハハハハハッ!」
不気味な笑いは車内にまで聞こえてきて、御堂君はダラダラと冷や汗を流している。
「くっ、やっぱり運転しにくい。そもそも彼女は、何の怨みがあってこんなことを?」
「たぶんだけどあれは、何らかの事故で死んじゃった人の霊だと思うな。一人でいると寂しいから仲間を求めて、無差別に向こう側に引きずり込もうとする、通り魔タイプの悪霊だよ」
「そんなことまでわかるんですか!?」
「ただの経験則。けど残念、狙った相手が悪かったね」
あたしは右手を握った状態から人差し指だけを開いて、ピストルの形を作った。
そして指先をフロントガラスの先、血まみれ女に向けた。
「火村さん、いったい何を?」
「まあ見てなって。迷惑な悪霊は、ここで祓わせてもらうよ。心に風、空に唄、響きたまえ——滅!」
叫んだ瞬間、つき出していた人差し指の先がボウッと輝く。そしてそこから、光の弾が発射された。
「ギャアアアアァァァァァッ!?」
放たれた光の弾はフロントガラスを突き抜けて、女に命中。すると彼女の体は弾き飛ばされて、前方の地面へと叩きつけられた。
「い、今のはいったい?」
「攻撃術だよ。悪さをする悪霊を、懲らしめるためのね。まあまだダメージを与えただけだから、成仏しちゃいないけど。お、立ち上がってきた」
見れば道路に転がった女は足をふらつかせながらも、よろよろと起き上がっている。
そして弱っていてもその目は怒りに燃えていて、ギロリとこっちを睨んでくる。
どうやら今の攻撃で怯むどころか、闘争心に火をつけてしまったらしい。根性あるじゃないの。
「どうします? いったんUターンして、逃げましょうか?」
「何言ってるの。このまま前進! アイツを撥ね飛ばすくらいの勢いで、突っ走ってちょうだい」
「ですが」
「大丈夫だって。あたしを信じなさい!」
ポンポンと方を叩くと、御堂君は躊躇ったようにあたしと女を見比べる。
だけどすぐに覚悟を決めたように、ハンドルを強く握りしめた。
「分かりました。彼女のことは、火村さんにお任せします」
「任せといて。全速前進ー!」
車はスピードを上げて血まみれ女に迫って行き、そしてあたしは彼女めがけて、手をかざす。
さっきはピストルの形を作ったけど、今度は違う。手の平を付き出して、さっきと同じ詠唱を紡いだ。
「心に風、空に唄、響きたまえ。心に風、空に唄、響きたまえ……」
詠唱をしている間、女は黙って待っているわけじゃない。迫る車目掛けて地面を駆けた。
コイツ、また車に飛び付く気か。
一瞬、御堂君はビビってないかと思って目を向けたけど、どうやらもう覚悟を決めているらしい。
女のことは見えているはずなのに、動じずにアクセルを踏み続けている。
なんだ、こっちも根性あるじゃないか。肝が据わってる男は、嫌いじゃないよ。
「ギャギャギャギャギャギャッ!」
女はまるで獣のような声をあげながら、車に飛び乗ろうと地面を蹴った。
けど、そんなことはさせない。彼女が飛び乗るよりも早く、あたしの術が発動した。
「心に風、空に唄、響きたまえ——浄!」
「アァーーーーっ!?」
あたしの手の平から広がった光が、車を突き抜けて女を包み込む。
さっきの一直線に飛ぶ弾丸のような光とは違う。これは悪しき汚れを祓い、迷える霊を成仏させる、浄化の光だ。
あんたはこれで、あの世へと行くんだ。だけどそれは、怖いことじゃない。
もう誰かを道づれにすることも、当てもなくこの世をさ迷うこともないんだ。あんたは向こうで、穏やかに過ごすんだよ。
「バイバイ、安らかに眠りなよ」
放たれた光が、徐々に薄くなっていく。同時に光に包まれた女の気配も薄くなり、最後は「アァ」と言う小さな声を残す。
そして光が消えた時には、彼女の姿も消えて無くなっていた。
どうやら成功したみたいね。
「浄化完了。もうあの子は成仏したから、安心していいわ。御堂君もお疲れ」
運転席を見ると、今見た光景が信じられないのか。御堂君は唖然とした顔でハンドルを握っている。
初めて霊を見るにしては、ちょっとショックが強かったかな。
「気分悪い? 何だったら今日はもう行くのやめて、このまま帰ろうか?」
あたしは慣れてるからいいけど、彼に無理をさせるのはよくない。
だけど御堂君はハッとしたように我に返り、慌てて首を横にふった。
「いいえ、行きます。本題はまだ、何も進展してないんですから。まさかその前に、あんな体験をするとは思いませんでしたけど」
疲れたように、大きく息をつく。どうやらかなり刺激が強かったみたいだけど、本当に大丈夫かな?
「行くって言うなら止めはしないけどさ。もしも本当にキツくなったら、その時は無理はしないでね。で、図らずも初めて幽霊を見たわけだけど、何か感想はある?」
「感想、ですか。……幽霊って、本当にいたんですね」
疲れたような、だけどどこか嬉しそうな笑みを浮かべる。
今までだって霊は信じていたのだろうけど、やっぱり直に見ると見ないとでは違うのだろう。いきなりあんなものを見せられた恐怖や、念願だった霊を見たという満足感。そんな色んな思いが、彼の中で渦巻いているのだと思う。
そして御堂君は、もう一つ付け加えた。
「助けてくれてありがとうございます。お祓いをする姿、格好良かったです」
「ま、まああたしもプロだからね。あれくらいどうってことないよ」
「謙遜なさらないでください。本当に凛々しくて素敵でしたもの」
「もう、誉めても何も出ないよ!」
不意打ちの誉め言葉が照れ臭くて、運転中の御堂君の肩をバンバン叩く。
簡単に素敵とか、言うんじゃないよ。背中が変に、むずむずしてくるじゃないか。
まあ、嫌じゃないけどね。
一緒にいると変に調子狂っちゃうけど、御堂竜二君。案外悪い奴じゃなさそうだ。
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