1. 青き血の姫①

  この者選びし者

  覇王と為りて中原ちゅうげんに降り立たん


  れどこの者奪いし者

  その身に破滅を導かん



◇◇◇◇◇◇◇



 リレッタ皇国、皇都ネバカ。

 冬でも雨が多く温暖なこの皇都は、清々しい初夏の季節を迎えようとしていた。

 皇都の中心にある白亜の尖塔せんとうが美しい王宮には、優美な彫刻がそこかしこに施された美しい建物が立ち並ぶ。

 その一角、心地よい風が吹き抜ける豪華な一室で一組の男女が戯れていた。


 一人は騎士服姿の青年。

 銀糸の刺繍ししゅうで縁取られた紺のジャケットに身を包んだ、男というには線の細い美貌の若者だ。

 肩の上で結んだプラチナブロンドの長髪に切れ長の青い瞳は、少女たちがこぞって読みふけるラブロマンスの王子を連想させる。


 そしてもう一人は、ゆったりとしたシフォンのドレスに身を包んだ、十代後半の少女。

 深い藍色の髪に抜けるように白い肌の少女は、印象的な大きなアメジストの瞳を潤ませて若者の顔を見上げている。

 少女は、ソファにくつろぐ彼女の騎士の首に手を回した。


「ねえ、シリル、お願い」

「姫。日はまだ中天にすら達していない。いくら何でも早すぎるでしょう」


 やんわりと拒絶の言葉を告げながらも、騎士は愛しげに少女の頬に手を滑らせる。

 男にしては高い声と線の細さから、その騎士は女騎士だということが知れた。


「だって、我慢できないんだもの」


 騎士の膝の上にあがり込み、姫と呼ばれた少女──フェイラエールは、上目遣いにシリルの顔をのぞき込む。


「いいのよ。みんな私のことをなんてうわさしているか知ってるもの──なんたって私は、この聖王家が誇る、青き血の姫君なんだから」


 青き血──その言葉は、中原に連綿と続く聖王家の高貴な血筋を示す。

 その一方で「青」とは市井では「色」を示す言葉でもあった。

 色事好きのあばずれ姫という裏の意味で自らを揶揄やゆする姫に、騎士は眉をひそめる。


「姫。姫の青き血の価値が分からぬ者の戯言を気にする必要はありません――でも、そうですね。価値の分からぬ者が作った常識にとらわれるなど、私の方が愚かだったようです」


 そう言うと、女騎士シリルはフェイラエールの背中に手を回し、彼女を横抱きにして立ち上がった。

 女性にしては高い上背、男性にしては細い体躯たいくだが、体幹はしっかりしており不安定さはない。


「ふふっ。だからシリル、大好きよ」


 フェイラエールは、嬉しそうにシリルの首筋に頬をすりよせる。

 そして、声を潜めてささやいた。


『ねえ、これいつまで続けるわけ? まだいなくなんないの?』

『残念ながら』


 お互いの耳元でささやきあう二人は、そのまま、すぐ隣の薄暗い寝室へと足を踏み入れる。

 自重で閉まる扉の音を背に、シリルは、フェイラエールをベッドの上にそっと下ろした。


「……」

「……もういいわよね!」

「はい、お疲れさまでした、姫。ご無礼をお許しください」


 投げやりにベッドの上に体を投げ出したフェイラエールの傍らに、シリルはひざまずく。


「もー、今回の密偵は、なっかなか出て行かなかったわね。とんだ出歯亀でばがめ変態野郎だわっ」

「姫様。お言葉が乱れすぎです。まあ、天井裏の位置取りも悪かったですし、あまり手慣れた密偵ではなかったのでしょう。大方、姫の成人祝い式典に訪れた地方貴族の影でしょう。それにしても姫も気配を追うのがなかなかうまくなりましたね」

「あたりまえよっ。シリルにさんざん仕込まれたものっ。っと、こんなことしてたら時間なくなっちゃう。別館の書庫に行くから、いつも通りにお願いね」

「はい、いつも通り寝室に籠って、情事にふけるわがまま姫のお相手をさせて頂きます……姫?」


 ひざまずいた女騎士の首元へいそいそと手を伸ばすフェイラエールに、シリルはけげんな目を向ける。

 フェイラエールは、そんな視線を意に介さず、そのまま騎士の襟をぐっと引き寄せると、シリルの首筋に顔をうずめた。

 そのままちろりと赤い舌をはわせる。


「っ、何をやってるんですか、あなたは……っつ」

「最近本で読んだの。このぐらいあった方が説得力あっていいでしょ」

「っっ」

「うん、なかなかうまくできたんじゃないかしら?」


 そう言うと、フェイラエールは隠し棚からメイドのお仕着せを取り出して手早く身に付けた。

 髪を結わえてメガネをかけると、返却する本を抱えて、くるりとスカートの裾を翻えす。


「じゃ、よろしくねっ」


 にっこり笑ってそう告げると、その勢いのまま、隠し扉から外へと飛び出していってしまった。


「全く、あの方は余計なことばかり覚えて。ほんとうに仕方のない」


 寝室に残された女騎士は、首元に赤く残ったうっ血痕を愛しげになでながら、そっと鏡に向かってつぶやいた。

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