2. 青き血の姫②
フェイラエール=ソル=バレ=ド=リレッタ。
彼女は、数日後に十七歳の成人を迎える、リレッタ皇国第三皇女である。
リレッタ皇国の皇帝アテルオンが、中原を平定する過程で滅ぼした、聖王国の王女を母に持つ。
聖王国の王女は、神の予言を授かりし聖王女として民や古参の貴族に尊ばれている。彼らの反発を防ぐための政略結婚で生まれたのがフェイラエールである。
皇家の血筋を持つ無害な男と結婚して子を為すのはほぼ既定路線だ。
(でも、結婚して子供を産んで。それだけじゃ、人生つまらないと思うのよね)
皇国では女性は、家に入り子供を産み育てることが最大の役割とされている。政治家や軍人、貴族の当主に女性はいないし、シリルが騎士と名乗ることを許されているのも、フェイラエールの専属という立場故の特別扱いだ。
でも、フェイラエールは、そんな普通の女性の生き方だけでは物足りなく感じてしまうのだ。
フェイラエールは、人生を楽しみたかった。
世界には、彼女の知らないことがたくさんある。
それを自分の目で見て、手で触れて楽しみ、謳歌したかった。
(この厄介な血を持った私がそんな風に自由に楽しく生きるには、目立ったり、期待されたりしちゃいけないと思うのよ)
だから、フェイラエールは、愚か者の振りをしている。
色狂いの愚かな王女。
ただし、青い血筋に、意図せぬ血が混じる懸念があれば、自由は大幅に制御されてしまうから、
お気に入りの騎士を囲って色事を繰り返す愚かな聖王家の末裔を見て、皇国の新参の貴族達は、古き聖王家の濁った血筋だと鼻で笑った。
聖王家を支持していた古参の貴族達は、皇帝の血が聖王家を穢したのだと嘆いた。
いずれにしろ、滅びた王国の復興を夢見る聖王国の残党は、直系の聖王女を旗印にすることをあきらめたのだった。
愚かな姫は、聖王国の血の価値を貶めることに成功したのだ。
(私の血と、私自身に利用価値がなくなれば、今みたいな監視も弱くなるだろうし、もっと自由に、楽しく過ごせると思うのよね)
そんなことを取りとめもなく考えながら、フェイラエールは、中庭から別館に続く、使用人向けの日の当たらない回廊を、足早に歩く。
別館の書庫はここ最近フェイラエールが気に入っている場所で、シリルに留守を任せて頻繁に訪れている。父が発禁にした一部の兵法書が唯一保管されている場所なのだ。
もちろん正規に入るためには、いくつもの申請書類が必要となるが、そんな面倒な方法はとらない。
フェイラエールは、建物の隠し扉からそっと書庫へと忍び込んだ。
この書庫での気に入りはもちろん発禁になった兵法書だ。
慣れた手際で読み終わったものと借り出す予定のものを入れ替えて、フェイラエールはすぐに書庫を後にした。
シリルの待つ部屋にすぐに戻る予定だったが、あまりの清々しい陽気にふと気が変わる。
(こういう気晴らしも必要よね)
そして、少し屋外での読書を楽しむことにしたのだった。
書庫の裏の誰も来ない池の縁で、兵法書を広げると思わず没頭してしまった。
ふと、人の気配を感じて顔を上げると、池を挟んで向かい側に二人の人影が見えた。
片側に独特の編み込みをした黒髪、健康的な肌色。
切れ長の彫りの深い風貌が印象的な彼らは、立ち襟に裾と袖の長い、体の横で布を合わせる民族衣装を着ていた。
(騎馬の民だわ)
茂みがあるせいで、あちらからはこちらの様子が見えないはずだ。
フェイラエールは、初めて見る騎馬の民の姿に興味を惹かれて、じっとその姿を見つめた。
書物では猛々しい特性が強調されている一族だが、フェイラエールから見える側にいる青年には、そんな様子は全く感じられない。
そう言えば、西でおきた戦の戦果を祝う祝勝会がフェイラエールの成人の式典の前に開催され、騎馬の民はその功労者として皇都入りしていたはずだった。
指導者である二十歳の若き英雄の名は、確か──。
(タキス=トゥーセ)
本来王子という立場であった彼は、その肩書を名乗ることを許されない。
騎馬の民は黒髪と黒瞳が普通なのに、タキスは先祖返り故の金の瞳をしているという話だから、彼にまず間違いないだろう。
ただそこに立っているだけなのに、不思議と目が離せなかった。
隙のない佇まいは、戦地で戦慣れしているからこそなのだろう。
なんとなく硬い表情の彼らの口の動きをじっと見ていると、中原の共通語ではなく、騎馬の民の民族語を使っているのがわかった。
が、純粋な好奇心だけで見ていられたのは、そこまでだった。
(えっ、ちょっと……。ああ、もうっ、なんてこと)
フェイラエールは、心の中で大きくため息をついた。
こういう時、自分の優秀さが嫌になってしまう。
声は聞こえないが、唇の動きで、発音が分かってしまったのだ。
そして、騎馬の民の言葉は、書物で学んで知っていた。
『決行は、明後日、大広間。皇女へ成人の祝辞を述べる時──』
それは、皇帝の暗殺計画に他ならなかった。
そして、悪いことはさらに重なる。
いつの間にか身を乗り出すようにタキスの口に動きを追っていたフェイラエールの膝の上から、分厚い兵法書が落ちてしまった。
「誰だ!」
金の目がぐっと細められた。
──フェイラエールとタキスの、それが初めての
◇◇◇◇◇◇◇
薄暗い地下の牢獄に、女の悲鳴と鞭が肉を裂く音が響いていた。
悲鳴は徐々に小さくなり、うめき声すら聞こえなくなると、女には水がかけられ、強制的に意識を引き戻された。
「おゆる……しを」
ランプの灯りの下で掠れる声を発するのは、老婆だった。両の手を鎖で壁につながれたまま、必死で顔を上げて訴える。
鞭を持つ男は、酷薄な眼差しを老婆に向けたまま、心を動かされた様子もなく、淡々と続けた。
「真実を語れ」
「誓って……真実を申し上げております。フェイラエール姫は、第二皇妃レキシス様と、アテルオン陛下の実のお子でございます」
「っぐっ……」
鞭の音が再度響く。
「『真実』を、言えと言っている。……このまま真実が明らかにならない場合は、第二皇妃に同様に真実を問うことになる。この痛みに皇妃はどれだけ耐えられるかな」
「お……おやめくださいっ」
「私も鬼ではない。皇妃の乳母であるお前の口から真実が語られれれば、皇妃に拷問が課せられることはないだろう。皇妃は聖王家の末裔だ。罪が明らかになっても、離宮に幽閉される程度だ……お前の仕える皇妃にとって、どちらが幸せか分かるだろう?」
打って変わって優しい声音で囁く男の声に、老婆の、痛みと疲れで朦朧とした思考は引きずられていく。
「フェイラエール姫は、陛下のお子ではないな」
「……はい」
「言は得られた」
男は鞭を投げ捨てると、老婆に背を向けた。
「第二妃は、旧聖王国の貴族と密通していた……至急調書を作り、陛下へ奏上する」
冷えた地下牢の床に、力尽きた老婆の躯はうち捨てられた。
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