あなたの全てが大好きだ

 さむっ。


 呼吸をすれば息が白くなって、思わず腕をさする。


 紗衣先輩が将来の夢を決めた日から、もう1年ちょっと経つのか。


 雪がちらつく中、昇降口で彼女を待ちながら、去年の雨の日を思い出す。


 もうすぐ、卒業か。


 あの日から、紗衣先輩がよく笑うようになって、さらに仲も良くなって。でもそれ以上の関係になれないまま、時間だけが過ぎていった。


 なんでこの身長で止まるかな。


 俺の背は165センチまで伸びた。これってすごい事なんだ。でもあと少し足りない。来年なら紗衣先輩を追い越せたかもしれないが、その時にはもう、彼女はいない。


 紗衣先輩より背が高くなったら玉砕覚悟で告白しようと思ってたけど、無理か。


 連絡先は知ってる。だけど、新しい環境がきっと彼女を放っておかない。今ですら、紗衣先輩を狙うやつがいるのに。


 そういえば雨の日に、好きな人はいないって言ってたな。


 どんな人なら好きになるのか想像しようとした俺の肩に、そっと誰かが触れてきた。

 

「お待たせ」

「声、かけてよ」

「今かけたでしょ?」


 思わずビクッとした事が恥ずかしくて、俺はちょっとだけふてくされて。だから、いたずらが成功したような得意げな顔の、紗衣先輩を睨んだ。


「背も伸びたし声も変わったし、男の子の成長は早いね」

「俺の親と一緒の事言ってる」


 俺の言葉に軽く笑って、紗衣先輩の白い吐息がふわりと舞う。


「だーれも、いないね」

「この時間だからね」


 よくわからないが、遅く帰ろうと指定してきたのは紗衣先輩で。なにかあったのかなと思ったけれど、元気そうだし。彼女の気まぐれだったのだろうと考えて、俺は傘を差そうとした。


「去年の雨の日みたいだね。あのさ、そのまま行かない?」

「いいよ」


 紗衣先輩の口から、さっき思い出していた日を言われて、それが嬉しくて、心臓が跳ねた。

 でもそんなの悟られないように、俺は折りたたみ傘をカバンにしまう。

 その役目を終えた俺の手を、紗衣先輩が掴んできた。


「えっ?」

「前は湊くんが引っ張ってくれたから、今日は私の番」


 目を細めて笑う紗衣先輩に手を引かれ、俺も自然と歩き出す。


「なんだか、くすぐったいね」


 頬についた雪を、手袋をした手でポフポフ触りながら、紗衣先輩がふっと笑う。


 あー、やっぱり、可愛いな。


 紗衣先輩の行動に、俺はまた彼女を好きになる。

 どれだけ好きになっても、好きが増えていく。

 

 なんで、年上なんだろ。


 縮まらない距離は背だけじゃなくて。

 俺は初めて、置いていかれる寂しさを実感した。


「さてと」


 そんな卑屈な考えに気を取られていた俺は、急に立ち止まった紗衣先輩に引っ張られるように、彼女と向き合った。


「どうしたの?」

「そっちの手も、ちょうだい?」

「……はい」


 雨の日のように手を取り合って、誰もいない白い世界で、紗衣先輩が柔らかな笑みを向けてきた。


「あの雨の日から、私は毎日が楽しくなった。全部、湊くんのおかげ。湊くんは、初めて出会った時から私の本音を引き出してくれた、特別な人」


 紗衣先輩の口から出るふわふわの白い吐息に包まれながら、たまらなく嬉しい言葉が耳に届いて、俺は思わず彼女の手を強く握った。


「嫌っていたはずの湊くんを目で追っていたのも、きっとそれがあったから。だから、湊くんのかっこいい姿を見る事ができた時、私はとっても嬉しかったんだって、今ならちゃんと伝えられる」

「かっこいい姿?」


 やらかしてる俺しか見てないはずの紗衣先輩の言葉が理解できなくて、返事を催促するように見つめる。


「湊くんが見た目の事でからかわれてた時、私も同じ事をしたひどい人間だって自覚して。そのひどい言葉を吐く人間に対して、湊くんはどんな反応をするんだろうって思った」


 小首を傾げ、切なそうに笑って、彼女がとても綺麗な声で囁く。


「怒ったっていいのに、無視したっていいのに。それでも湊くんは笑って、自分以外が傷付かない言葉を使って、ちゃんと返事をしてた。その姿が、本当にかっこよかった」


 去年、クラスのやつから絡まれた時の、『湊くん、かっこよかったよ』の理由がわかって、俺の顔がカッと熱くなるのがわかった。


「でもね、笑ってる顔が笑ってないように見えて、つい、立ち止まった」


 好きだ。


「あの時、私でも、湊くんになにかできないかなって思って。それなのに、湊くんが私の名前を呼んでくれた事に胸がいっぱいになって。結局、かっこよかったとしか伝えられなかった」


 好きなんだ。


「私、湊くんになにも返せないまま卒業しちゃうけど」


 背が低くても、それでも、俺は……。


「私はいつだって、湊くんの味方だから」


 横山紗衣が大好きなんだ!


 大好きな人が大好きな笑顔で俺の事ばかり話すから、もう耐えられなかった。


「好きだ」

「……えっ?」

「初めて会った時から、ずっと、好きなんだ」

「嘘……」


 大きく目を開いて、紗衣先輩の笑顔が固まって。だから失恋したなってわかった。それでも俺の気持ちは伝えられたから、手を離して終わらそうとした。

 それなのに、彼女が手を掴んできて、動けなくなった。


「本当に?」

「本当だよ」

「なんでもっと早く、言ってくれなかったの?」

「なんで振られるのわかってて、言わなきゃいけないんだよ……」

「なに言ってるの?」


 急に怒った顔になった紗衣先輩に動揺して、言葉に詰まる。


「湊くんがかっこよすぎて、どんなに頑張っても手が届かない人で。でも、諦めきれなくて。だから今日、私、気持ちを伝えようって、決めてて」


 繋いだ手が震え出して、彼女がどれだけ勇気を出してくれたのかが、わかった。

 でもその言葉を信じきれない俺が、顔を出した。


「俺、紗衣先輩が言うほど、かっこよくない」

「私がかっこいいって思ってるんだから、かっこいいんだよ」

「あの、さ。自分より背の低い男を、なんで好きになるの?」


 最悪のタイミングで最高に格好悪い俺が出てきた事を、すぐに後悔した。


「湊くんは湊くんでしょ」


 それなのに、俺の言葉なんて些細な事のように、紗衣先輩が不思議そうな顔で言い切った。


「どういう事?」

「じゃあ逆に聞くけど、湊くんは背の高い私は好きじゃない?」

「いや、そんなの関係ない」

「ほら。私だって一緒だよ」

「でもさ、男が小さいって――」


 急に思いっきり手を引っ張られ、紗衣先輩の顔が近くにあって、彼女の匂いに包まれて。

 グダグダな俺の口が、一瞬だけ、柔らかなものに塞がれた。


「湊くんが教えてくれたんだよ?」


 真っ赤な顔をした紗衣先輩が、それでも俺から視線を逸らさずに見つめてくる。


「そっち側とかこっち側とか、関係ないって」


 紗衣先輩の手がこれでもかって、俺の手を握ってきて、今この瞬間が現実なんだって事を伝えてくる。


「背が低いとか高いとか、関係ない。私は青山湊の全てが大好き。以上です!」


 きっと全身が真っ赤になってるんじゃないかって思うぐらい、鮮やかに染まった紗衣先輩の顔が、ものすごい勢いで下を向く。でもそれをもっと見たくて、思わず覗き込んだ。


「すごく嬉しい。ありがとう」

「今は、ちょっと、見ないで……」

「やだよ。まだ言ってない事があるし」

「……なに?」


 しぶしぶ顔を上げた紗衣先輩の可愛さに、俺がまた恋をしたなんて、きっと彼女は気付いてない。

 でもこれからは、それをちゃんと伝えていける関係になる。そう想いを込めて、俺は彼女へ返事をした。


「俺も、横山紗衣の全てが大好きだ。だから、俺の彼女になってくれますか?」


 困った顔が驚いた顔になって、それから、白い世界に赤い花が咲くように、彼女が微笑んだ。


「はい。これからもずっとお互いの手を引っ張って、たくさんのキラキラを見つけていこうね」


 俺達にしかわからない言葉で、そう返事をする彼女が可愛すぎて。

 だから俺は、これからもずっと恋に落ち続けるんだって、横山紗衣に対して敗北を悟った。




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ないものねだりの2人 ソラノ ヒナ @soranohina

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