あなたはすごいんだ
昇降口まで戻って、「なんだか子犬みたいだね」とか、訳のわからない事を紗衣先輩から言われながら、体を拭いた。
「ごめん、思ったより濡れたね。寒くない?」
「楽しかったからいいよ。それにね、今は全然、寒くない」
ふふっと笑う紗衣先輩がスマホを取り出して、写真を見せてきた。
「ちょっとね、恥ずかしいんだけど、これが趣味」
「……え、ちょ、これ、すごいんだけど!」
なにが恥ずかしいか俺にはわからなかったが、目の前の写真には宝石かって思うぐらい、綺麗な付け爪が並んでいた。
「すごい? もっとすごい人はたくさんいて、私のなんて、人に見せるの恥ずかしくて」
「……あのさ、これ、紗衣先輩が作ったんだよね?」
「ネイルチップにいろんなデザインをしただけだよ」
なんでこの人、こんなにすごいもの作ってるのに、自覚ないんだ?
そんな疑問が浮かんで、俺はある考えにたどり着く。
「紗衣先輩、あのさ、テストとか、大体何点なの?」
「なんでそんな事、急に?」
「ちょっと、気になって」
「……言わなきゃ、だめ?」
「い、いや、言いにくいなら……」
「まぁ、いっか。湊くんになら、教えてあげる」
なんでいちいち可愛い仕草すんの!?
覗き込むように言われて、俺の心臓が騒ぎだす。
でもそれは紗衣先輩の言葉によって、すぐに落ち着いた。
「どの教科も大体80点ぐらい……。これ、内緒ね」
あー、やっぱりだ。
この人、自分に対してのハードルめっちゃ高いな。
上を見ればすごい人はたくさんいる。
だからって、紗衣先輩が努力してないわけじゃない。
そりゃ毎日がつまらなくなるわけだ。
彼女の辛さの原因を知り、俺はまっすぐ紗衣先輩を見つめた。
「あのさ、すごいから」
「なにが?」
「紗衣先輩がしてる事、全部すごいから」
「でも他の人は――」
「他の人はどーでもいい。紗衣先輩はすごい。わかった?」
頑なに認めないから、押しつけるように俺の意見を伝える。彼女が褒めないなら俺が褒めればいい。ただその気持ちだけを、言葉に込めた。
「……ありがとう」
ぽつりと呟く彼女の瞳が潤んで、俺はうろたえる。
「ご、ごめん。ちょっときつい言い方だったかも」
「ううん。違う。嬉しかった。ちゃんと私だけを、見てくれて」
まばたきをした紗衣先輩の長い睫毛が、涙を含んで濡れた。
「親からね、『みんなもっと努力してる』って言われて。先生からも、『みんな頑張ってるのにお前は頑張らないのか?』って言われて。私はみんなじゃないから、どうしたらいいのか、わからなくて……」
ここで本当なら抱きしめてあげたいのに、俺の背が低いせいで顔を隠してあげられない。だから仕方なく、ハンドタオルでその涙を拭う。
「ありがとう」
「こんな事しかできなくて、ごめん」
「違うよ。こんな事ができちゃう湊くんは、すごいんだよ」
ハンドタオルをどけると、紗衣先輩が嬉しそうに、そんな言葉を言ってくれた。
そしてそのまま、彼女は話し出した。
「私、この趣味が、ネイルをしている間は何も考えなくていいから続けてるって、勘違いしてた。私、ネイルが好きなんだ。キラキラしてるみんなに憧れて、それを形にしてみたくて、ネイルを始めたんだと思う」
「紗衣先輩には、みんながあんな風に見えてるんだね」
彼女の口から好きを見つけた事を聞けて、思わず胸が熱くなって。
すごく細かな飾りが施された、輝く付け爪の意味もわかって、俺が幸せな気分になった。
「やりたい事がないなら取りあえず大学に行った方がいいって、親からも先生からも言われてて。今からもっと頑張ればいい大学に行けて、就職にも有利になるって言われてるけど……」
スマホをぐっと握りしめた紗衣先輩の目に、強い光が宿ったように見えた。
「決めた。私、ネイルをちゃんと学ぶ。それで好きを仕事にする」
なんの迷いもなくなったような紗衣先輩の笑顔が眩しくて、思わず見惚れた。
「湊くん、私がずっと行きたかった世界に連れてきてくれて、ありがとう」
「違うから。紗衣先輩はずっと、いつの間にか掛けてたサングラスで気付いてなかっただけ。初めから、紗衣先輩の世界はキラキラしてたんだよ」
お互い、顔を見合わせて笑って。このまま時が止まればいいなんて、柄にもない事を考えて。でも、雨に濡れた体が冷えてきたのがわかったから、一緒に帰路についた。
けれど、思わぬ収穫が。
次の日、その収穫が役立った。
『紗衣先輩、朝より具合良くなった?』
『まだ熱あるけど、寝てるから大丈夫。湊くんは?』
『俺も同じ。本当にすみません』
『謝らなくていいよ。 なんだか2人だけの世界にいるみたいで、嬉しいから』
文字だけなのにこの破壊力。
こんな遠距離攻撃、今の俺には刺激が強すぎる……!
仲良く風邪を引いて、学校を休んだ。
そして昨日、ようやく手に入れた紗衣先輩の連絡先。それをまさか、早々に駆使する事になるなんて。
俺はこんなに幸せで大丈夫なんだろうかと考えた瞬間、さらに熱が上がった気がした。
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