戦錠の食卓/Battle Lock's Lunch
ウツユリン
とある昼食時のこと。
「――いっただきま~すっ」
差しむかいの椅子に腰掛けていたリエリーは、そう軽く手のひらを合わせると、目の前の丸テーブルへ――そこに載る、昼食へと手を伸ばした。
「はい、召しあがれ。って、ワタシが作ったんじゃないけどね」
その横、ちょうど三人がテーブルを囲んで三角形になるもう一つの角で、ぷかぷかと目線と同じ高さに浮遊する雪色の正十二面体——サッカーボールに似た
その感情表現は、チームアルゴリズムである彼女——ルヴリエイトの、人間で言うところの"肩をすくめる"仕草にちかい。そうしてルヴリエイトも、器用に立体ピクセルで"合掌"のパターンを浮かび上がらせると、テーブルに内蔵された無線給電器から
食事の前にはそうやって"合掌"するのだと、セオークが教わってから、早十年ちかくが経つ。ということは、じき十六歳を迎えるリエリーがこの習慣を身につけたのも、それくらいになる計算だ。月日が流れるのは速い、とセオークは年甲斐もなく思う。
その習慣は、極東にある小さな島国での救助活動中、セオークが偶然に教わった"感謝の言葉"だった。
その年、進行した気象災害が世界各地に猛威を振るい、極東の島国もまた例に漏れず、多くの人々が災害に苦しめられていた。
数多くの〈国際災害救助機構〉
救命率が著しく低下するとされる七十二時間まで数時間を残し、負傷者・行方不明者の捜索が完了、セオークら
これから救助艇へ帰還、というところだったセオークへ声が掛かったのは、そんなときだった。
——少し、あがっていかんかね?
声の主は、セオークが救助活動していた集落に一人で住む、腰をほぼ直角まで曲げた年配女性だった。
当然、女性も被害に遭った身だ。
幸い、救助体の到着が間に合い、女性は無傷で救助。が、曾祖父の代から続くという奥ゆかしい家屋は浸水し、ことによると住み慣れた土地を離れなければならない。そういった話を、土砂の撤去などにあたっていたセオークは、作業の傍らで年配女性から聞いていた。
礼に茶を振る舞いたい、というその女性の好意はありがたかったが、のんびりしている時間がセオークには、あまりない。他の地域での救助活動が控えていたからだ。
そんなセオークの逡巡を尻目に、相棒は「人の厚意を
結局、茶のみならず、菓子、ライスボール、塩漬け野菜、ミソスープまで振る舞われて、セオークは自分が仕事ではなく、年配女性の貴重な食料を削りに来たのではないかと、申し訳が立たなかった。かと言って、嬉しそうにセオークたちをもてなす女性の好意を無理に断る選択はあり得ない。
"合掌"の習わしを教わったのは、そのもてなしの最中だった。
早い話、セオークにとっての食事は、『身体活動を維持する補給行為』、いわばバッテリを充電するイメージにちかい。
だから、その習慣は不要と、忘れてしまうこともできた代物だ。
――が、なぜか、食とその材料となる作物、家畜、さらには気象に関する経験則から迷信に至るまで、女性の話を聞くうち、それが極めて大切なことに思えてきた。
——"いただきます"は、大自然と家族へ感謝の気持ちを伝える、愛の言葉なのだと。
帰国したセオークは、六歳になり、手が掛かる年頃になってきたリエリーに早速、習ったばかりのその習慣を、根気よく教えていった。
セオークの苦労のおかげか、はたまた、いい加減リエリーもあの手この手で合掌させようとするセオークに飽きてきたからなのか、一年も過ぎた頃からリエリーは自然と、食事の前に合掌するようになっていた。ややおざなりな、粗野と言えなくもないその投げやりな感じは、セオーク自身の根負けによるものが大きいが。
そして四年ほど前、そのときの女性、正確にはその年配女性の親族から、セオークへファンメールが届けられた。——母は、安らかに草原へ還りました、と。
——そのメールには、あのときセオークが振る舞われた、ミソスープの作り方が丁寧に手書きで記されたメモが
「——くぅー! ロカのスープは
——そんな、たわいのないやり取りが、突き出た鼻の奥を妙にじーんとさせて。
「ロカ?」
そうして大皿に盛り付けられた、やたらボリューミーな白米の握りのひとつを手に取ると、リエリーはこちらにそのブルーの瞳を向け、聞きなれた愛称で呼んでくる。
「――――」
「うそー。なんでもないって顔してないし」
「たしかにそうね。エリーちゃんもそう思った?」
「うんうん。ロカってさ、顔に出やすいんだもん」
と、本人を置いてセオーク談義に花を咲かせる、リエリーとルヴリエイト。
そんな三人で囲う食卓が、セオークには一番落ちつける場所だ。
口に出すのは気恥ずかしいし、そもそも、物理的な困難も伴う。
――が、いつかは言葉にしなければ伝わらない。
家族だからといって――否、家族だからこそ、言わなければ伝わらないものがあると、セオークはあのとき教わったのだから。
「――――」
黒く染まり、かぎ爪さえ生やした自分の手を見下ろして、セオークはその分厚い手のひらを静かに合わせる。
――いただきます。
そう、心の中で言ったのだった。
《了》
戦錠の食卓/Battle Lock's Lunch ウツユリン @lin_utsuyu1992
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