居場所

小さな子ドラゴンは、スコッティと名付けられた。ピートはスコッティの為に、こっそり森に入り、日々食べ物を探すようになった。


「うわっ、やめろひっつくなぁ!」


服にとまった蛾がなかなか離れてくれなかった。叩き落とすわけにいかないので、服をばたばたさせてせめてもの抵抗をした。


餌を探すためには、必然的に虫が多い場所に行かなければならない。

何度も帰ろうと思った。しかし、そのたびにスコッティの悲しそうな鳴き声が蘇るので、ピートはため息をついて森の中を進むのだった。



「ただいまぁ……」


ピートは満身創痍で帰宅した。体はずっしりと重い。早くベッドに横になりたかった。

音に気付いて、スコッティが待ち遠しそうに玄関までやって来た。


スコッティにはなるべく寝床から出ず、隠れているように教えている。だが餌の時は我慢できないようで、何度言っても玄関まで出てきてしまうのだ。まったくもう、とピートは思いながらも、出迎えてくれるのは嬉しかった。


食卓の上に虫の死骸を入れた袋を置き、ピンセットで一匹ずつ取り出す。

スコッティは虫を、それはそれはすごい勢いで食べ尽してしまう。もう入ってないのに、袋に顔を突っ込んで探したりしている。


嬉しそうなスコッティを見ていると、達成感が満たされる、とピートは思った。

スコッティは舌で口の周りをぺろぺろと舐めると、満足げな顔をした。眠そうにあくびをする。


「寝ようか」


スコッティの寝床はベッドの下だが、一緒に眠るときはいそいそとベッドに上がろうとする。上がれずにずり落ちているのを見かねて、持ち上げてやると、枕の真ん中に陣取って丸くなる。何度どかしても、何度も枕に上がってくる。

そんな攻防に飽きたころ、一人と一匹はそろって眠りにつくのだった。


■■


ある日、ピートは村でリーダーに声を掛けられた。


「なあ、もう狩猟には来る気はないのか?」

「ええ……あの、ご迷惑おかけしてすみませんでした」


あの日以来、ピートは狩猟に行くのを辞めた。今は、アミーカの食料を栽培するのを手伝っている。


「そうか、残念だ。もしまたチャレンジしようと思ったら、いつでも言ってくれ。諦めないでくれよ。きっと克服できると思うんだ。俺たちは、アミーカと共に生きる民族なんだから」

「……ありがとうございます」


ピートは頭を下げた。



家に帰ると、スコッティが本を見ながら、なにやらうなっていた。

出かける前に開きっぱなしにしていた本のページには、大きなドラゴンと、その背に乗る勇者の大きな挿絵が載っていた。


「これ見てたのか? これは、ドラゴンに乗った勇者が世界を救う話さ」


ピートが一番好きなドラゴンの話である。

スコッティが背中の突起をぱたぱたさせた。


「乗れって?」


スコッティが得意げに鼻を鳴らした。ピートは苦笑しながらスコッティを撫でた。


「はは、つぶれちゃうだろ」


スコッティは不貞腐れてしまって、しばらく目を合わせてくれなかった。


■■


虫の死骸に躊躇なく触れるようになったころ、ピートは森で年中ゼミを見つけた。

ひっくり返って地面に落ちていたので、ピートはそっと近寄った。手を叩いてみたり、地面を踏み鳴らしてみたが、一向に動く気配はない。


そろそろと近寄って、つついてみる。……動かない。うん、動かない。そう思い、ピートはセミを掴んだ。


瞬間、ジジジッ!!と激しく羽がばたついた。腹部がうねうねと動き、逃げ出そうともがいている。


「ああああああ!!」


どうにでもなれ!と思いながら、袋に突っ込む。袋の中でも抵抗していたが、やがておとなしくなった。


(い、今、触れたぞ……!)


達成感で興奮状態のピートは、ちょうど頭の上に、枝に擬態しているエダヒャクフシを見つけた。

ピートは「これは枝だ……!」と念じながら、ヒャクフシをひっつかんだ。そして、うごめく足を見ないようにしながら、ポケットに入れたのであった。



生き餌をあげるようになってから、スコッティは狩りの動きをするようになった。


餌を見て、間合いを取りながら口から粘膜状の液体を吐き出す。当たると、粘膜がそこを覆って、虫の動きが鈍くなる。この液体のことは、図鑑にも載っていなかった。

虫によって攻撃場所が違った。ある虫には頭、ある虫には前足の付け根、ある虫には腹部を狙っている。


ピートはそれを不思議に思い、リンのもとを訪ねた。

リンは西の養虫場でアミーカの世話をしていた。カーターが近くにいたが、ピートを見るとそそくさとどこかへ行ってしまった。


リンと一緒にいたアミーカはジゾウコオロギだった。大きなあごに、真っ黒い瞳。羽はひどく短く、後ろ脚はひどく長い。


「コオロギの前足の……そう、これって、何?」

「ああ、これはこまくよ。この子は前足にこまくがあるの。すごく耳がいいのよ」

「へえ……」


リンは、ピートが虫に躊躇なく接していることに驚いたようだが、すぐに張り切って、


「面白いでしょ?! もっと見せてあげる!!」


と、ピートを引っ張り、養虫場を歩き回り始めた。

広い養虫場では、アミーカたちが自由に過ごしていた。区分けしなくても、自分たちでなわばりを決めて、争わないように過ごすらしい。


「あの子の頭に出てる飾りみたいなの、あれは目でね……」

「この子は腹部が……」


リンがあるアミーカの前で止まった。

四角い外形をした緑色のアミーカだ。立てばピートより大きそうだ。背中の模様が、ちょっととぼけた人間の顔に見える。

ピートはそのアミーカに近づいた。


「腹部?」

「あっ、そこ触っちゃだめよ!」


そこはどうやら臭腺だったらしい。近くにいたアミーカたちが、鳴きながら一斉に逃げていった。



これ以上、仕事を邪魔するわけにはいかないので、ピートは切り上げることにした。


「今日はありがとう。……俺、アミーカのことちゃんと知らなかったのかもしれない」


そう伝えると、リンは目を見開いて、それから嬉しそうに笑った。


帰りに手は洗ったものの、ピートには匂いが残っていたようだ。

家に帰ると、よだれを垂らしたスコッティに手をかまれてしまった。


■■


スコッティと出会って3か月ほどたったころ、ピートはスコッティを連れて夜の森にやって来た。飛ぶ練習をするためだ。明日は仕事が休みなので、森で一泊してみっちり教えようと思っていた。

しかし、問題があった。


「飛べるのかなあ……」


図鑑の大きな羽とは、似ても似つかないスコッティの羽を見ながら、ピートはため息をついた。

生まれたころに比べれば、スコッティの体は大きくなった。尻尾も太ってきたし、背中の突起も羽の形になった。しかし、飛ぶほどの力があるのかは疑問だった。


そしてもう一つ問題がある。そもそも人間は飛び方を知らないのだ。


「見本を探すか」


餅は餅屋である。ピートは消音魔法をかけて、ドラゴンの巣に向かった。

今はドラゴンの繁殖期らしく、見本を見つけるのは難しくなかった。ちょうどよく、一匹のドラゴンが子供を連れている。


親ドラゴンは子供を咥えて、とことこと崖の端に来ると、子供をぽいっと放り投げた。

ピートは遠くから崖の下を覗き込んだ。子供の姿と声が、あっという間に小さくなっていく。

ほどなく、子供が背中の羽で飛んで戻ってきた。

よろよろしながら着地した子供に、親ドラゴンが餌を与える。


「ス、スコッティ…」


少し離れた場所で、スコッティがピートをジト目でにらんでいた。



スコッティがピートの腕を警戒するようになったので、なだめていたら、雨が降り出した。遠くから、ゴロゴロと嫌な音がしている。

スコッティはすぐにピートの胸元に隠れてしまった。防水魔法で濡れないようにしてから、ピートはどうするか考える。


帰るべきだろうか。しかし、森で悪天候なんて日常茶飯事だ。スコッティに慣れてもらうため、ピートは雨宿りすることにした。

手ごろな洞窟に入り、乾燥魔法で乾かした木を並べる。


「スコッティ、火は出せる?」


スコッティが胸を張ってがぱっと口を開いた。しかしそこからは黒い煙しか出ず、スコッティはぱちぱちと目を瞬いた。


「こっちも練習しなきゃいけないな」


頬を膨らませたスコッティの頭を撫でて、ピートは火をつけた。


「ちゃんと出来るようになるまで教えるから」


スコッティは火のそばで丸くなると、安心したようにすやすやと眠り始めた。


岩肌から染み出す地下水が、ぽちゃん、ぽちゃん、と規則正しい音を鳴らしている。

奥に歩いていくと、そこには水たまりがあった。

ピートは、ぼんやり水面を眺めた。濁りのない澄んだ水の上に、花びらが落ちている。


「ああ、落としたっけ……」


そういえば、こんな雨の日だった。両親が亡くなったのは。

孤独な悲しみの中で、村人に助けてもらった。だから、みなの役に立ちたくて、虫を克服しようとした。

ピートは花びらをすくい上げようとして、手を止めた。


頑張ってるつもりだった。

でも、村のみなの大切なものを何も知らなかったし、知ろうとしなかった。

結局克服できたのは、スコッティがいたからだ。


「俺、ここにいていいのかな」

小さな声は、水に落ちて消えていった。


■■


次の日の夜、ピートたちは帰宅した。ピートが夕食を用意していると、家のドアがノックされた。

訪ねてきたのはカーターで、ピートは驚いた。


「や、やあカーター! 元気?」

「上がるぞ」

「ちょっ、ちょっと待って!」


慌てて振り返り、スコッティを探す。どうやらちゃんと隠れたらしい。ピートはカーターを招き入れた。

カーターはどこかぎこちなく、そわそわと落ち着かないようだった。ピートはお茶を入れて、座るように促した。


「……この前、リンに会いに来てたのか?」


深刻な話かと思ったらリンの話だったので、ピートはほっとした。


「ああ、養虫場で? 会いにというか、聞きたいことがあって……」

「会いに言ったんだろ?! 虫苦手なくせにわざわざ養虫場に行くわけない!」


急にカーターが声を荒らげた。

カーターを不思議そうに見ていると、見慣れた緑色が視界の端に入った。


(スコッティ?!)

スコッティが後ろの棚の上をうろちょろしている。ピートは背筋が凍った。

カーターがお茶を一口のんだ。スコッティが鼻をぴくぴく動かし、それを上から見つめている。


「さ、最近、触れるようになったんだ。だから」


カーターがガタリと立ち上がった。花びらの耳飾りが揺れる。


「お前を狩猟メンバーに復活させたりしないからな!」

びしりと指をさされた

スコッティがびっくりして、棚からずり落ちそうになったから、ピートは心臓が縮まる思いがした。


(戻れ! 気付かれる前に戻れー!)

「俺は絶対にお前を認めない。お前の両親は凄い人だったんだ! お前は両親から何も受け継がなかっただろ! それなのにみんながお前を気にかけてる! そんなのおかしい! だから、みんなの前で証明してやる」


生前、ピートの両親は狩猟の主要メンバーで、だれよりもアミーカの扱いが上手く、だれよりも成果を上げていた。バディのアミーカとの絆は深く、両親が死んだ日、アミーカが火に飛び込んで死んでしまうほどだった。

カーターもその姿を知っているのだろう。息子の無様な姿を見れば、失望してもおかしくはない。


しかし、今はそんな感傷に浸っている場合ではなかった。


動揺したスコッティがせわしなく動き回っている。カーターが振り返れば、すぐにばれる位置だ。

しかもさっきから、棚に移動させたマダラ像が、グラグラして倒れそうになっているのだ。


ピートはスコッティに念を送りながら言った。

「カーター、君の気持ちはよく分かる!! もう要件済んだよね?!」

「そうか、分かるか。なら、勝負受けてくれるよな。今度のマダラ祭りで、アミーカレースが行われる。俺はそれで優勝するつもりだ。お前もそれに参加しろ」

「ああうん、うんうん」

(こら!怒るぞスコッティ!)


マダラ祭りは、年一回行われる伝統行事だ。マダラに、感謝と祈りを捧げることが趣旨である。いろいろな出し物が催される中に、アミーカとの友好性を示すためのレースがあった。

 

内容は、森の奥の祠に置かれた宝物を探し、村に持ち帰る、というものだ。宝物を持って帰れると、一年間怪我無く狩猟できるといわれている。また、一番早く帰ってきた村人とアミーカは、優勝者として名が残り、村の誇りとして祝福されるのである。


 ピートの念に、さすがにまずいと思ったのか、スコッティが戻ろうとした。その時、銅像がぐらりと傾いた。

ピートは焦ってガタリと立ち上がった。カーターが目を見開く。


 銅像は真っ逆さまに床に落ち――なかった。スコッティが尻尾で掴み、間一髪止めていたのである。


「やる気満々ってわけか。こっちも手加減しないからな」


ピートの鬼気迫る顔を見て、カーターが言った。ピートを見る目の奥に、闘志が燃えている。


「はっ?え?なんだって?」


ピートは目を丸くした。半分も話を聞いていなかったのである。

カーターはもう帰ろうとしていた。


「俺は絶対にお前に負けない。お前なんか何の役にも立たないことを証明してやる。エントリーしとくからな、逃げるなよ!」

「ちょっ、カーター待って…いや待たないで! 外で待って!」


カーターはさっさと帰ってしまった。

ピートは呆然とした。スコッティが机に降り、残ったお茶をペロペロし始めたので、睨んでやった。


■■


「レース用のアミーカを貸してほしいって?」

「そうなんだよ」


東の養虫場で、ピートは主任の堅物親父――ビリーと交渉していた。

ピートがここに来たのは、カーターとの勝負に乗り気になったわけではない。飛ぼうとしないスコッティに、飛ぶ感じを掴んでもらおうと思ったのである。実は、スコッティを胸元に隠して連れてきていた。


西ではなく東の養虫場を選んだのは、カーターに悪いと思ったからだ。多分、カーターはリンが好きなんだろうから。


「しかしな、お前虫ダメだったんじゃないのか?」

「最近、克服して…」


ビリーはけげんな顔をした。信じてくれないよな、とピートが思った時、肩を全力で掴まれた。


「そうか、そうか! ああ、あいつらが聞いたら喜ぶだろうなあ。もちろん協力するぜ!」

「きょ、協力?」


ビリーの勢いに、ピートは驚いた。スコッティもびっくりしたらしい。胸元がほんのり湿っている気がして、ピートはげんなりした。


「優勝狙いだろ?! 俺に任せろ! お前の父ちゃん母ちゃんに負けないぐらい鍛えてやるぜ!」


ビリーが嬉しそうに手を差し出してきた。少しだけ後ろめたさを感じながら、ピートは手を握り返した。


先に操縦服に着替え、ピートはアミーカのいる奥に来た。

ビリーは他の村人に呼ばれてどこかに行ってしまったので、これ幸いとスコッティに選ばせることにした。


「……出ておいで」

「ギャウ」


ぴょん、とスコッティが胸元から飛び出した。瞬間、小屋の中が幾分冷える。アミーカたちが、じっとスコッティを見ていた。


「スコッティを怖がらない奴じゃないと……」


虫食いドラゴンの足が動くたび、波のように緊張が広がっていく。スコッティは気に留めずに歩き、あるアミーカの前で止まった。


「こいつか・・・」


それは、黒い甲虫だった。サイズはピートより少し大きい程度。楕円の細長い体をしていて、短い触角と大きな顎を持っている。なんというか、実に普通な形だった。他の甲虫と混ざれば、見分けがつかないような平凡な姿である。

それに、この個体はあまりにも弱弱しく見える。スコッティが近くに来ても、目を開けて眺めるだけだ。


「だって、俺を乗せて飛べるかもわからないのに……」


スコッティがふんと鼻を鳴らした。聞く耳を持たなそうなので、ピートは諦めることにした。


アミーカの背に鞍を付け、外に連れ出す。

放牧場には誰もいなかった。さっそく、ピートは鞍の上に乗ってアミーカに指示を出す。しかし、アミーカはじっとしたまま動かなかった。


「困ったな……」


スコッティがぴょんと地面に下りて、アミーカに何かを差し出した。アミーカはじろりとそれを見た後、大きな顎でそれをむさぼり始めた。


「なに食べさせてるんだ?!」

「ギャウ」


ピートは鞍から降りてアミーカに近寄った。アミーカの口の周りに、きらきらした緑の粉末がついている。どうやら、スコッティの鱗を与えたらしい。


慌ててアミーカの体をさする。何事もないようだった。むしろ、さっきよりも目が輝いているようにも見える。


「なんかあったら堅物親父になんて言われるか……」


それからスコッティの体を見る。鱗を取った部分に血がにじんでいる。傷薬用の薬はまだあっただろうか、とピートは考えた。


スコッティをしまって鞍にもう一度乗ると、アミーカのやる気を感じた。意思疎通魔法も問題なく、クリアな気持ちが流れ込んでくる。眠い、とかだるい、とかあまりいい気持ちではなかったが。

ピートは指示魔法で、アミーカに飛ぶように伝えた。すると、アミーカが羽を動かし、浮かび上がった。


アミーカに乗って飛んだのは初めてだった。ピートが感動していると、ビリーが放牧場にやって来た。


「おお、そいつを飛ばすなんてなかなかやるな」


ビリーの手に餌があるのを見て、アミーカが地面に下りた。


「そいつはコメって名前なんだ」

「コメ?」

「米が大好きで、米しか食べないんだ。あげると離れなくなるぞ」


ビリーがピートに米粒を渡した。ピートがコメに米を差し出すと、一粒ずつ咥えて、ポリポリと食べていた。

米は商人と物々交換で手に入れられるお高い穀物である。米が尽きると何も食べなくなるようで、その間はあまり動かなくなるらしい。


「珍しくやる気に満ちた顔してやがる。この種類はやる気にムラがあるから主流じゃないが、いいんじゃねえか。それに、必殺技があるからな」

「必殺技?」

「起死回生の一発さ。連発させると嫌われるから内容は秘密だ」


それから、ビリーのスパルタ特訓が始まった。早朝に起きて乗る練習をし、村の仕事が終わってから夜まで、また練習をする。その合間にスコッティの餌を捕まえなければならず、ピートは疲れる間もないほど忙しかった。


スコッティが毎日鱗をあげるのを止めようとした。しかし、スコッティは譲らなかった。毎日鱗を食べたコメはどんどんと大きくなり、つやつやとし始めた。

ドラゴンの魔力強化は虫にも効くのかもしれない、とピートは思った。



二ヶ月後、祭りの日がやってきた。

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