虫と生きる村で、虫食いドラゴンを育てようと思う
ガブロサンド
孤独
人の身長ほどもある大きな甲虫たちが、空気を裂いて飛んでいく。
目指すのはスライムの群れだ。シカのような姿をした、四足歩行のスライムである。
迫りくる真っ黒い外装に気付き、群れのリーダーが逃げ出した。続いて、群れ全体がリーダーを追い掛ける。軟らかい身体をぶるぶるぶるぶる揺らしながら、猛スピードで森の中を駆けていく。
虫たちも陣形を保ったまま、負けじと追従する。
突き離せそうだとスライムたちが思ったその時―――先の草陰に、武器を構えた人間達が待ち伏せしていることに気付いた。
包囲されている、とリーダーがざわめいた。急に一匹の虫が陣形を抜け、スピードを上げて群れに突っ込んだ。
群れはパニックに陥り、散り散りになった。おのおのが四方八方好きな所に逃げていく。人間たちが焦って、分散してスライムを仕留めに掛かった。
しかし、一匹残らず逃げられてしまった。
残った人間たちは茫然とした。そして、怒声が上がった。
「またか、ピート!」
彼らはエゾモ村の一員である。エゾモ村は50名ほどの集落で、虫と意思疎通をし、狩りや生活を協力して行っている。狩りに出る狩猟虫は、メンバーが手ずから育てた、大切なバディだ。メンバーは村にいくつかある狩猟隊の一つに所属しており、みなが狩猟虫の扱いに長けた精鋭たちだった。
ただ一人を除いて。
ピートと呼ばれた少年はおずおずと進み出た。みなの視線が集中する。
片耳の耳飾りが不安げに揺れる。これはエゾモ村の村人全員がつけているもので、花びらの形をしていた。
「ちゃんと指示出せよ!」
「せっかくの獲物だったのに!」
あちこちからヤジが飛んだ。
陣形を乱した狩猟虫は、ピートのバディだった。今回の獲物は群れで動く。狩猟虫に遠隔で指示魔法を出し、獲物を誘導し、待ち伏せているメンバーで挟み撃ちにする。そういう作戦だった。
ピートはきちんとバディを制御できなかった。その為、狩猟虫が好きに動き、猟が失敗してしまったのだ。
「なあ、もういいんじゃないか?」
「これ以上獲物を逃がすわけにいかねえよ」
こうなった原因はよく分かっていた。ピートは、虫が苦手だったのだ。
14年間、生まれてからずっと克服できていなかった。コバエのような小さい種類は大丈夫だが、それ以上のサイズは全部駄目。だからバディの虫がおらず、他所から借りた狩猟虫と組んでいた。苦手意識は虫にも伝わっているようで、指示魔法が阻害されるのである。
それは、ノイズがのって雑音だけが頭に響くような感じだ。
今日狩りに連れてきてもらえたのだって、リーダーの優しさ故だった。沢山実戦を積めば大丈夫だ、とメンバーを説得してくれたのである。
でも、ピートは上手くいかなかった。自分のせいで獲物を逃すのは3回目だ。収穫がなければ、村のみなが飢えてしまう。
「ピート、悪いけど今日は抜けてくれないかな?」
リーダーが言いにくそうに言葉を発した。ピートは黙って頷いた。そして、肩を落として一人、帰路についた。
とぼとぼと歩いていると、嫌なことばかり思い出してしまう。
みなの呆れた目。怒った目。疲れた目。投げ出したい気持ちと、申し訳ない気持ちが次々浮かんでくる。
今日のメンバーには、同い年のカーターもいた。カーターは、あのメンバーの中で一番虫の扱いが上手い、将来有望な奴だった。ピートはいつも、一人で劣等感を味わっていた。
「俺だって克服したいよ……」
俯いて涙を堪えていると、地面に死んだ年中セミが転がっていた。
年中セミは、年中鳴いているセミである。どうやらひっくり返って死んでいるようだ。ピートはセミを横目に見ながら、そっと横を抜けようとした。
「さ、触ろうと思えば、触れるし……」
ヴヴヴヴ!!!!
セミが急に動き出した。羽をバタつかせ、ひっくり返ったまま地面を動き回る。
ピートは絶句して声も出せず、走って逃げた。
(やっぱり、無理だ!!!)
どれくらい走っただろうか。慌てていたせいか、躓いて頭から地面に突っ込んだ。
「いって・・・」
頭をさすりながら立ち上がる。地面に落ちていた何かに、足を引っかけたらしい。
それはどうやら卵だった。両手の平ほどの大きさの卵には、特徴的な縞模様があった。
「ドラゴンの卵だ!」
この辺りを縄張りにしているドラゴンはいなかったはずだ。あたりを見回したが、巣らしきものも親ドラゴンも見当たらない。卵泥棒する生物が盗み、途中で置いていったのかもしれない、とピートは見当を付けた。
ピートは卵を拾い上げた。持って帰って、家で孵化させようと思ったのだ。
虫が苦手なら、別の生き物をパートナーにすればいいのだ。ピートは少し、やけになっていた。
■■
村は、森に囲まれている。深い森には小型の魔法生物から大型の神獣まで、多様な生物が暮らしており、村ではそれらを狩って分け合うことで生活を維持していた。
村で育てた虫は、アミーカと呼ばれている。卵を森から採取し、魔力を注ぎ込んで人より大きく育てるのである。様々な種類がおり、仕事を手伝ったり、服の材料を作ったり、土壌を浄化したりできる。村には養虫場や調教場があり、またアミーカの食料を管理する農場もあった。
家に着くと、ピートは部屋を暖めて、卵を毛布にくるんだ。室内に備え付けられた釜戸のそばに場所を作り、そっと置く。
それから、本棚から大量のドラゴン図鑑を引っ張り出し、机に積み上げた。亡くなった両親が、ドラゴン好きなピートの為に買い与えてくれた本だった。
読み古された本を、夢中になって読んでいく。温度は、環境は、食べ物は、などと調べていると、外がすっかり暗くなっていた。
からから、と村の入り口にある鐘が鳴った。村人が狩猟から帰ってきた知らせだ。
獲物は解体され、決められた比率で村人全員に配られる。ピートが貰うことはおかしくはないが、罪悪感があり、受け取る気にはなれなかった。
空腹を誤魔化すためにまた本に没頭していると、家の扉がノックされた。
「ピート! 狩猟隊がドラゴンを狩ってきたそうよ!」
訪ねてきたのはリンだった。ピートと同い年の女の子で、魔力量の高さを生かして養虫場で養務員として働いている。両親が死んでから、ピートをよく気にかけてくれる相手だった。
出てきたピートを見て、リンがにっこり笑った。赤毛の長髪と、花びらの耳飾りが揺れる。
「一緒に見に行こうよ。他の獲物もいるから、お肉がもらえるわ」
「いや、でも……」
「村で決まってるでしょ?獲物はみんなで分けるのよ」
今日ピートが狩りに行っていたことは、リンも知っているはずだ。今家に居ることについても何か察しているのだろうが、何も聞かれなかった。
ピートはリンに流されるまま、外に出た。成果を讃えるため、村のみなが外にいた。
広場には、3つに解体されたドラゴンの肉が横たわっていた。運ぶのに不便だからすぐに解体したのだろう。村長がニコニコしながらリーダーと話している。
リンが、もっと近づこうよ、とピートに言ったとき、足音と声が聞こえてきた。
「やっぱりピートがいない方が上手くいくな」
「あいつ、別の隊に押し付けてくれよ」
「リーダーに言ってみるか」
笑い声から逃げるように、ピートは踵を返した。
「ピート! 待って!」
去っていく背に、リンが声を張り上げた。
そんな二人の姿を、遠くでカーターが見ていた。
家に逃げ帰って本に没頭していると、家の扉が控えめにノックされた。なぜか、いい匂いも漂ってくる。
空腹に負けて扉を開けると、鍋を持ったリンが立っていた。
「その……母さんが、作りすぎちゃったから。一緒にどう?」
「……ありがとう」
ピートはリンを家に招き入れた。
食卓を片付け、皿を準備する。リンが鍋のスープを取り分けてくれた。二人で向き合って机に座り、食卓の真ん中に鎮座する花の銅像に手を合わせた。
この銅像は、村の守護神クレオメマダラである。村のはずれの洞窟に住んでいる、花びらのような姿に擬態した肉食の虫だ。村では朝と夜、そして食事の前に、祈りと感謝を捧げるのが掟だった。
その昔、人間はドラゴンに住処を奪われ、苦しんでいた。その時、人間の見方をしたのが、天界に咲く花だったという。その花のおかげで、人間はドラゴンを退け平和を取り戻した。しかし、下界に干渉しないという掟を破った花は、虫の姿に変えられて下界に落とされてしまう。それがクレオメマダラで、今は薄暗い洞窟に隠れ住んでいるのだ、というのが言い伝えである。
洞窟はマダラ洞と呼ばれ、神聖な場所として立ち入り禁止になっている。
食べ始めた二人の間に言葉はなく、気まずい空気が流れた。リンが誤魔化すように口を開いた。
「ドラゴンの肉が洞窟に捧げられていたわ」
「喜んでくれるといいね」
ドラゴンの肉には魔力が宿っているといわれている。村ではドラゴンを狩ると、自分たちの強さの印として収穫の一部をマダラに捧げていた。
(なんだっけ、ドラゴンは共食いして強くなる……肉には魔力強化の作用があるんだったよな)
ピートはスプーンを動かしながら、図鑑の表記を思い出していた。
リンは視線をさまよわせ、またピートに話しかけた。
「ねえ、ピート、虫が苦手でも大丈夫よ。きっと頑張ればなんとかなるわ」
「……虫が苦手な奴なんてこの村には俺だけだろ。子供だってみんな触れるし、意思疎通ができるのに。俺は何も……」
リンが俯いたのをみて、ピートははっとした。
「あ……ごめん、ネガティブなこと言って……」
「ううん……どう? スープおいしい?」
「あ、えっと……その」
スープはリンの母親の味とは違ったから、ピートは恥ずかしくて感想が言えなかった。
■■
夜中、ピートは物音で目を覚ました。音はどうやら釜戸の方からしているらしい。アミーカが忍び込んで悪戯していたらどうしようか、とピートは震えた。
アミーカも普通の虫も、傷つけたり殺したりすることは禁止されている。どちらも村と共に生きる仲間であるからだ。武器を構えることはできなかった。
ピートは足音に気を付けながら、月明かりを頼りに闇を進む。そうっと物陰から釜戸の方を覗いた。
――卵が動いている。
ピートは卵の元にすっ飛んでいった。間違いなく動いている!と気分が高揚する。そして、首を長くしながら子ドラゴンが出てくるのを待った。
細いひびが入って、少しずつ卵が割れていく。夜明け近くにやっと割れて、ピートは目を瞬いた。
出てきたのが、あまりにも小さなドラゴンだったのだ。
体長は卵のサイズの半分もない。よく出てこられたと感心しそうなほどひ弱な体だ。
ピートは子ドラゴンを手のひらに乗せて、上から下まで全身眺めた。全身は薄い緑と深い緑の斑模様。翼であろうものは小さなでっぱりにしか見えなくて、尻尾は枯れたミミズのようだった。
かろうじてドラゴンと分かるのは、頭の特徴的な
「これ、グリーンドラゴンだ…」
ピートは子ドラゴンをタオルに包んでおき、図鑑を広げた。
「ここだ。ドラゴンの食べ物は種類によって違って…」
レッドドラゴンは肉を食べ、ブルードラゴンは魚を食べる。そして、グリーンドラゴンは――
「虫を食べる……」
子ドラゴンがピイと鳴いて、目を開いた。黒い大きな瞳に、ピートが映る。ひくひくと鼻を動かし、起き上がってちょこちょこと動く。
村では、グリーンドラゴンは忌避されている。村の近くで見つけたら追い払い、子を殺し、巣を燃やす。それがアミーカを守るための掟だった。
ドラゴンは、生まれたらしばらくは親と暮らして虫の取り方や飛び方を学ぶらしい。子ドラゴンをここで育てることはできないが、放置すれば死んでしまうだろう。
「見つかる前に、親を探さなきゃ」
子ドラゴンを、床にあった手のひらサイズの木箱に入れる。
それからピートは食卓の上の銅像を、棚の上に、後ろ向きにしてそっと置いた。
■■
早朝の森はしんとしていた。
グリーンドラゴンの最大の生息地は森の中心、樹齢1000年を超える大木の近くだ。その大木には、春から秋にかけて沢山の虫が集まってくるので、食べ物に困らないのだろう。
ピートは大木の近くまで来ると、気配を消す魔法を自身にかけた。虫よ飛ばないでくれ、と願いながら巣を探す。
崖を上がって、川を越え、草むらかき分け、木を上る。そうしていくつかの大きな巣を見つけたが、卵の模様や子供の特徴が一致しなかった。ピートは毎回ため息をついた。
ふと滝の方を見ると、若草色をしたグリーンドラゴンが、ちょうど滝の中から出てくるところだった。おそらく、滝の向こうに洞窟か何かあるのだろう。
ピートはドラゴンの顔を見て、走り出した。
ドラゴンの頭に、子ドラゴンと同じ形の、とさかがあったのだ。
滝の裏の洞窟は広かった。魔力でどうにか濡れずに入れたので、ピートは少し安心した。
洞窟の中には巣があった。卵が1つと、子ドラゴンの倍の大きさをしたドラゴンの子供が1匹いる。
子供は眠っているようなので、ピートは小さな子ドラゴンを箱から出し、巣に置いた。子ドラゴンは、状況がよく分からない、というような顔して首をひねっていた。ピートは人差し指を口に当てて大人しくするように示すと、防御魔法と消音魔法を自身に厳重にかけ、岩陰に隠れた。
少しして、親ドラゴンが返ってきた。
どしんどしんと床を踏み鳴らす音が近づくたび、地面が揺れた。グウウと親ドラゴンが鳴くと、寝ていた子供が首を上げて親ドラゴンを見た。口にくわえている虫に気付き、立ち上がって催促する。
(ふ、踏まれそう……!)
親子は子ドラゴンに全く意識を向けない。あまりにも小さい子ドラゴンは、ヒイイと鳴きながら、背中の
その姿が親ドラゴンの瞳に移ることは、一度もなかった。
お腹いっぱいになった子供が眠り始めると、親ドラゴンは子供の頭をぺろぺろ舐めて、また飛び立っていった。ピートが岩陰から出ると、子ドラゴンに非難めいた視線を向けられた。
子ドラゴンはぷいっと顔を背けると、とぼとぼと洞窟の外に向かって歩いて行った。そして――意を決したように、飛び降りた。
ピートは叫びながら走った。子供が何事かと目を覚ましたが、構っていられない。滝の下を覗き込み、魔法をかけ、ピートも飛び降りた。
滝つぼに落ち、浮かび上がって探知魔法で子ドラゴンを探す。離れたところでぐったりしたように水に浮いているのを見つけた。泳いで行って、そっと手に包む。
岸に上がると、物陰に隠れ乾燥魔法をかけて、体を乾かしてやった。
ピートは子ドラゴンを見ながら、しばらく何事か考えていた。
子ドラゴンは目を覚ました。辺りを見回して、またため息をつく。
そばの草むらでがさがさ音がした。子ドラゴンは怯えながら、息を殺してそちらを見た。
出てきたのはピートだった。頭の葉や枝を払い落として、子ドラゴンの隣に腰掛ける。
ピートは重い口を開いた。
「考えたんだ、お前のこと。……これはきっと、悪いことで、危ないことなんだと思う……そうだろ。みんなを、裏切って、お前、お前もバレたら殺される……。でも俺は、見捨てたくないんだ。だから、お前が約束してくれるなら、アミーカを傷つけないって約束してくれるなら……」
ひどく複雑そうな顔をしながら、ポケットに手を突っ込んだ。あー、とかうー、とか言いながら、やがて中の“それ”を取り出し、子ドラゴンに差し出した。
ピートの震える手に、小さな甲虫の死骸が乗っていた。
「今はまだ……」
ピートは言葉を濁した。
子ドラゴンはピートと死骸を見比べたあと、ぱくりと死骸を食べた。そのまま喉を鳴らして呑み込む。
子ドラゴンは嬉しそうにピョンピョン飛んで、ピートの腕に乗った。ピートがほっとしたように笑う。
「お前が大きくなって森で生きられるまで、一緒に居よう」
子ドラゴンがギャウ!と鳴いた。ピートは人差し指で、子ドラゴンの頭を撫でた。
「さ、帰って寝床を作ろうか」
ふと、ピートは花びらの耳飾りを失くしたことに気付いた。滝に飛び込んだ時に落としたのだろう。きっと見つからないから、また今度作ろう。
そう考えて、ピートは子ドラゴンをポケットに隠し、帰宅した。
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