第17話 毒をくらわば〈毒抵抗〉

 7


 赤い粘液はおどろくほど早く揮発して、雷の全身を包んだ。むせ返るような生臭さが鼻をつくのと同時に、四肢から力がぬけていく。毒の噴霧が気道にはいるや否や、触れた場所から粘膜が灼けていくようだった。ゆっくりと内側が焼かれていくような熱さは発熱に似て非なるもので、二日酔い確実の性質たちの悪い酩酊に近いようにおもえた。

 まったく動けなくなるものではない。支えもなく、自力で立っていることができる。猛烈な気分の悪さに上手く頭が働かないが、スタミナが底を尽きそうな疲労困憊状態よりかは、体に無理がききそうなので幾分かはましだった。かといって好き好んで耐えたいものではない。


(《浄水クリーンウォーター》!)


 雷はあわてて自身に解毒魔法をほどこす。

 実体のない水に不快なものを洗い落とされる感覚があった。ゆっくりとせせらぎのような水が全身を流れて、何処かにおちていく。

 体を蝕んでいた熱が急速に散り、靄がかかったような曖昧な思考回路が晴れる。

 ほんのわずかな間に、ぎょっとするくらいの脂汗をかいていた。全身には未だ倦怠感が残っていて、手で汗をぬぐうだけなのに、体がやや重く些細な動作が億劫だ。

 

「きっもちわる。ゲームのキャラはよくもまあこんな状態で動けるもんだよ」


 命を削りながら動かないと死ぬような状況だからか。だからあんなにも動き回れるか。雷は架空の存在にふかく敬意を抱く。作り物だからといってしまえばそれまでだし、むだな尊敬かもしれないが。

 

「大丈夫か雷? まさか毒喰らったのかよ」


 ほとんどの鼠を蹴散らし終えた旭日が、雷を案じてくる。


「すぐに魔法で解毒したから平気だ。酒飲みすぎた感じに似てて、めちゃくちゃ気持ち悪かったけどな。

 旭日は大丈夫か?」


 雷はおえ、とわざとらしく吐くふりをしておどけてから尋ねる。

 毒を撒き散らした鼠は、雷の蹴りで絶命していた。レベルアップと料理で攻撃力が上がったとはいえたかだか子供の蹴りの二発で死ぬのだから、ほんとうに犬よりも弱い。だが、あの不調にみまわれた状態で何匹にも襲いかかられたら、まさに袋のネズミだ。回復魔法を使う暇すらなく、逃げることすらできず袋叩きにあう。

 予想していたとおり、耐久力がいくら低かろうと犬よりも怖い。

 対峙する際、低レベルの今の自分たちはことさら慎重にならなければならない厄介な魔物だ。それをつくづくおもい知らされた。


「俺は毒攻撃されてないから問題ない。

 しかし毒喰らうとそんな感じになるんだな、悪酔いかよ」


 雷の問いかけに答えながら、旭日はあっさりと最後の鼠を斬り殺していた。


「うん、アルコール度数強い酒飲んで酔っ払うのを、凶悪にした感じだった。機会があったら旭日も毒くらってみろよ。命の危機とまではいかない、ただひらすら最悪な気分の悪さを味わえるから」

「いや、んな機会いらねーよ。それにふつうに命の危機だろ。鼠の毒くらったらHP減ってただろ」

「ここにはHPなんて項目ないし、大丈夫大丈夫」


 雷はからかうように笑ってみせた。

 

「全然大丈夫じゃねーよ。てか、冗談でも仲間を毒状態にさせようとすんなよな」


 旭日は軽くご立腹だ。


「ともかく、回復ちゃんとしとけよ。目に見えてわかる数値がねーから、はっきりと把握できないだけで、もしかしたら体に異常が残ってるかもしれないだろ」

「それもそうだな。解毒はしたけど、《小回復スモールヒール》もしとかないとな」


 念には念をいれるべきだろう。雷は回復魔法で自身を癒す。そうすると、体の怠さがましになった。

 数値で示されることのない目減りした生命力が、癒されたのだろうか。スタミナポイントが大幅に減ってから体力が徐々に回復していくのとはまた別の感覚だった。

 

 大事をとって少しだけ休憩をいれ、それから村へ向かう。毒鼠との一戦以降、魔物と出会うことなく無事に村に辿りついた。


 8


 村長の家に今日の成果を報告するさい、顔を合わせたマリィシアが口を開くなり「なんか、臭いわね。変に嫌な臭いがする」と暴言を吐いてきた。毒鼠の赤い飛沫は血液とは違うのか、服にほとんど残らず汚れにならなかったが、臭いがこびりついて残っていたらしい。

 雷は率直な罵倒に少し泣きたくなった。それが事実であるだけに、端的な言葉が余計に胸を抉る。雷も自身の体からただよって鼻をかすめる臭いに辟易していたのだ。


「ちょっときなさい」


 顔をおもいきり顰めた少女にぐいぐいと手を引かれ、理由がわからないのとは別に、その強引さに内心嫌だなと辟易しつつ雷は従った。

 

 村長の家は大きく、個別に部屋がある。寝室らしきその部屋に通されると、マリィシアは衣装棚を漁り服を取り出し、雷に渡してきた。


「これ着なさいよ、あげるわ。私が昔着てた服よ」


 長く使われて色褪せているが、大事に着古されていたことが伝わる子供服だった。継ぎ目のない地味な色合いのシャツとズボンの上下と、渋い暗色のポンチョのような上着だ。

 パステルカラーのいかにも女の子っぽい色ではないことは正直助かるが、マリィシアのような女の子が好んで着る色合いともおもえない。


「あ、ありがとう」


 昨日の朝あった子供たちも、雷と似たりよったりな服装だった。小綺麗な格好をしている子供は、今のところマリィシアしか見ていない。

 この村では継ぎ接ぎのボロ服でも金銭的価値が発生するのだから、古着とはいえ綺麗な状態の服は高価なものだと雷は察した。


「服の替えがないんでしょ? あたしにしっかり感謝しなさいよ、イカズチ」


 わざとらしく意気高にふるまうも、マリィシアはすぐに肩をすくめた。


「ま、アサヒがいつも働いてくれているお礼でもあるんだけどね。母さんも、アサヒの働きぶりには感謝してるって言ってたわ。ゴブリンを毎日着実に倒してくれるから、安心して暮らせるって」


 アサヒへの謝礼の気持ちを雷への物品として渡されるのは彼に引き目を感じるが、着替えは欲しいとおもっていたので遠慮せずにいただくことにした。


「正直、助かる。本当にありがとう」

「それ着て、今着ている服はしっかり洗って干しておきなさい」

「そうする。でも、それとは別に旭日にもさっきの言葉を言ってほしいな。あいつ、絶対喜ぶから」

「言ってもいいけど。……言ったあとの喜びかたがなんかその辺のおじさんくさくて、なんかヤなのよね」


 いいぶりからすると、一度感謝を告げたことがあるのだろう。

 しみじみとした言い方に多少の照れ隠しが混ざりつつも、うんざりした表情に嘘はなかった。雷はその様子にうっかり吹き出してしまう。


「なんだそれ」

「あの人、顔はこう……とっつきにくくて怖そうだけど、それでも年をとってても見た目が格好いいのに、中身が大分がさつさで外見を裏切ってるし、せっかくの格好よさをかなり損なってるわ。そのぶん、見た目の割りにかなり話しやすくて、人当たりがいいのは確かなんだけど。でも、やっぱりあの怖いくらいに整った顔をしておきながら、どこにでもいるおじさんみたいにしてると、もったいないなっておもうわ。

 アサヒって、黙ってれば、物語にでも出てきそうな威厳のあるおじいさんよね。黙ってれば」


 黙ってればと強調して、二度言った。


「イカズチも、そういうところはアサヒに似てるわ。よく見れば綺麗なのに、滲み出る性格のせいで髪が長いのに男の子に見えるときがある」


 男の子のようだといわれ、雷はほっとする。マリィシアとしたは褒めているつもりなど欠片もないだろうが、雷からしてみればどんな美辞麗句よりもうれしい。


「髪を切ったら、もっとちゃんと男に見えるようになるかな」


 雷は弾んだ声でマリィシアにたずねた。


「それは……そうね。見えるとおもうけど、髪を切ってしまうの? もったいないわね。黒い髪ってとても綺麗じゃない。あなたの髪、光があたると緑色の艶が輝いて神秘的にも見えるのよ。やめたほうがいいわ、絶対にやめたほうがいい。せっかくの綺麗な髪なのよ」


 雷のおもいつきは、マリィシアは賛同しかねるらしい。

 言葉を重ねて説得してくるが、雷はそれに首を横に振った。


「女の子っておもわれるだけで、危ないことが世の中にいろいろあるんだ。

 マリィシアも気をつけろ」


 雷が情感をたっぷりこめてしみじみと言うと、いろいろと察したのか雷の断髪をおもいとどまらせるのをやめた。

 上から下までとっくりと眺めると、マリィシアはなにかに納得してあきらめたようにため息をついた。


「まあ、そうね。自衛は必要よね……たしかに、切ったほうがいいかもしれないわ。その顔で、この人目を引く黒髪だものね。うん、もったいないけれど、それが正解かもしれないわ。

 それでも、切るのはちょっと待ったほうがいいわよ。せっかくなら、街で鬘屋に売るべきよ。お金になるわ。雷の黒髪は珍しいし、高く売れるんじゃないかしら」


「へえ、鬘屋」


 古典小説でも時折見かけた気がする。この世界にも、髪の売買はあるらしい。自力で金を稼ぐ手段など今の雷にはないから、いらないものが金になるのは助かる。


 着替えてから部屋を出ると、旭日は女村長から金を受け取っているところだった。


「どう。似合うでしょ。」


 自分のことのように得意げなマリィシアが、旭日と彼女の母親に貫頭衣姿の雷を披露する。


(髪が黒いから、この色味の服の組み合わせだと暗くて陰気そうなやつに見えないか)


 顔がいくら小綺麗に整っていても、内面というのは表情に出る。

 鏡がないから水面に映る顔立ちを確認したが、暗色系の色合いの服だと雷がつい浮かべてしまう気難しげな表情な表情と相まって、陰険さが増して見えたりしないだろうか。この服装が似合っているということは、なんだか余計に自身の根暗な性格が浮き彫りにされそうである。


 雷は訝しみ、旭日の眼差しから似たような感想を読み取ったが、


「おう、似合う似合う。見間違えた」


 彼は空気を読んで、雷の新しい衣装を手放しに褒めた。

 女性の意見を否定すると、あとが面倒になるので賢明な判断である。


 その後夕飯に誘われ、女村長と、その舅と姑、そしてマリィシアの四人家族の食卓のご相伴にあずかった。

 美味い飯に舌鼓をうてたのは最初だけで、老夫妻からは余所者を忌み嫌う棘のような嫌味をねちねちと刺されて途中から味を感じなくなった。余所者としては荒波たてるわけにもいかず、押し黙って聞き流す二人にかわり村長とマリィシアが親娘が倍にし言い返し、それに逆上した老夫妻の攻撃の矛先が親娘二人に向かうも言葉の暴虐に叩き返される。


 短い時間で四人の家族関係がわかる居心地の悪い食事だった。


 やれ「男を産めない役立たずの女腹だ」だとか「真面目な息子をたぶらかした毒婦」だの「村長面して偉ぶっている恥知らず」だとか、余所者である雷たちに聞かれているというのに外聞や体裁も考えずに悪様に罵る。

 こんな品性のない罵倒を身内にぶつけていた、と雷たちが言いふらす懸念を考えないのだろか。

 あるいは彼らは、雷たちのことを置物にしかおもっていないのかもしれない。口がないから、都合の悪いことを外では漏らさないなどと軽く見積もっている。ただただ一方的に自分たちが気分良く叩ける置物で、反撃されることなど露とも考えもしないのだろう。そんなふうに軽んじられるのは甚だ不快だった。


 雷自身のことは、まだ許せる。雷が役に立たない木偶の棒で愚図なのは悲しいかな今日の失態で確定的な事実だ。こんな自分が他の誰かから吹けば飛ぶような扱いをされるのはまあ仕方がない、と耐えられる。


 だが、旭日の存在がこんな下劣な口ぶりのやつらから下に見られているのは耐え難く、屈辱だ。


 それに自分たちに良くしてくれている女性たちが悪様に罵られるのは、気分がよくない。


 雷が苛立ちのまま考えなしに口を開く前に、気が強い女性陣が立板に水とばかりに叩きのめしていなければ、後先考えずに村の権力者一族に相当酷い言葉をぶつけていただろう。

 

 村長はゴミを見下し蔑む目で「その役立たず以下の能無しがなにをいっているのやら」とぴしゃりと痛烈に罵っていた。


「貴方たちがそうやって性格悪く嫁をいびるのが目に見えてわかっていたから、あの人は私を選ぶしかなかった。私にもあの人にも他に結ばれたいひとはいたけれど、村の今後を考えるとこうするのが一番だった」

 感情なく淡々とつげる様は、いっそ凄みがあった。不利益を覚悟して結婚を決断した女性の強さというものがふつふつと静かな威圧から感じ取れる。


「私が村長をしていることに文句があるのなら、村のまとめ役として私を後継者として指名した領主様にいいなさい」


「いい加減やめてくれない、おじいちゃん、おばあちゃん。だいたい、領主様からも全然信用されてなくて、一代飛ばされてひいおじいちゃんからお父さんに村長になってるんだから、なにを言っても黒爪犬の唸り声よ」


 負け犬の遠吠えと同じニュアンスの異世界の慣用句をつかって実に楽しげにマリィシアは二人に嫌味を言う。


 会話の一部のやりとりを切り取っただけでもこの有様で、始終こういった冷や冷やする舌戦を繰り返していたから雷たちは空気に徹する他なかった。

 雷や旭日がよく世話になっている女性たちが、家で一方的に嬲られいびられて泣きを見ているわけではないのは幸いかもしれない。針の筵に座らされるようなことさら居心地の悪い時間の中で、そんなほんのわずかな救いをみつけ、どこか見当違いのなぐさめとすることでなんとかやりすごした。


 9


 口の中にかきこんで腹におさめるだけの妙に疲れる食事を終え、二人は家路についた。

 マリィシアが見えなくなってから旭日がぼそりと告げた。


「その服、いかにもファンタジー世界の住人っぽくて似合ってるっちゃ似合ってるんだが、雷の陰気さが一割増しに見えるな」

「それな」


 雷は怒るでもなく、むしろ力強く同意した。


 聞いているほうの気が重くなる赤裸々な身内同士の会話は、とにかく聞かなかったことにした。

 小屋についたあとは夕飯時のことは何事もなかったようにまったく触れず、せっせと一日の汚れをおとした。

 体がさっぱりとすると気持ちがいい。

 洗濯も終え、とりあえず今夜のうちにやるべきことを終えた雷は、藁の寝床に体を横たえ大の字になった。


「ベッドで寝れるって幸せだ……」


 胸の中ではおさまりきれない幸せが、自然とうっとりとした声となってこぼれおちる。

 深く噛み締める雷の声に、旭日は吹き出した。


「何笑ってんだよ。失礼なやつだな」


 余人の耳目があることも忘れてすこし気を抜きすぎた自身の非を棚に上げ、雷はつい旭日を責めてしまった。


「悪い悪い」


 旭日は軽い調子で平謝りをした。雷も本気で怒っているわけではないので、真剣味のない謝罪をあっさりとうけいれる。


「まあ、いいけどな。そもそもこうやってベッドで寝れてるのは、旭日のおかげだし」


 一日森を歩いた疲労感ごと寝台に身を投げ出していると、会話していてもうとうとと眠くなってくる。雷は重く閉じそうになる瞼を気怠げに押し上げ、緩慢に体を起こした。どうやら雷の意思とは裏腹に、四肢はすっかりと眠る準備にはいっていたようで、眠気に逆らい指先ひとつ動かすのすら、かなり億劫だった。


「今日は疲れただろ」


 旭日は労りのこもったやわい声で雷に問う。 


「……それなりにな。

 でも、森の中でひとりで歩いていたときより、だいぶましだからたいしたことないな。

 あの時はどこまで歩けばいいのか、いつまで歩けばいいのか、なにをすればいいのか、どうすれば自分が助かるのか全然わからないからしんどかった。

 それに比べれば、帰れる場所があって、目的地とやるべきことはっきりしてるのは、楽だ」


 言葉にすると、過去の絶望と寂寥が身を食い破っていくような閉塞感が胸中にぶりかえした。

 自分の命がいっとう大事で、死にたくない一心で我が身を守ってきた。まずいものを吐き気をこらえて食べ切って、必死に乏しい知恵を絞って魔物と相対するすべを考え戦ってなんとか生き残った。自分の位置の把握のために歩き回りながら試行錯誤して痕跡を残し、ひととして生きていける場所を懸命に探し回った。

 これからどうなってしまうんだというしくしくと精神を蝕み腐食させていく怖さと、だれにたいしてぶつければいいのかわからない理不尽への怒り、どうしてこんなことにという答えが返ってこない疑問、そんなものをひとりきりで抱えて、耐えて耐えて、ときにいろんなものを諦め、見ないふりをして、がむしゃらに進んだ。


 そんな自分に、よくやったと自分だけが褒めてやれる。誇らしいといってやれる。今、雷が生きのびているのは、過去の自分のがんばりがあるからなのだ。


 そしてその決死の努力が報われたのは、旭日がいてくれたからだ。あの日、旭日に出会わなければ、全てが愚か者の努力としてうたかたの水の泡にでもなっていたに違いない。

 

「だから」


 おもわず湿っぽい声が混じりそうになって、雷はぐ、とこみあげてくるものを一旦飲み込んだ。


「旭日には感謝してる。あの時よりはるかにましな環境にいられるのは旭日のおかげだ」


 できるだけさっぱりとした声音で、雷は告げる。しかし、一度は飲み込めたものがまた喉を突き上げて競り上がってきた。どんどんとこの語調はしどろもどろになっていく。


「それで、だ。感謝してるお前に対してちょっとは役には立ちたかったんだけど、全然なにもできなかったから……その、なんというかごめん」


 細い足を窮屈なくらいに折り曲げて、腕の中で膝を抱えて額をおしつけた。


「今日、俺は後ろにただ突っ立ってるだけで何もしていない」


 悔し涙がまじる声はちゃんとごまかせただろうか。


 暖かい飯を食べて、体を洗い、綺麗な服を着れる。闇雲にさまよっていたときに望んでいたことが叶った。直接的な命の危機から守ってくれた。すべてを投げ出そうしていた自暴自棄な自分を、生きている側に引き止めてくれた。なによりひとりきりの孤独から掬い上げてくれた。そうやって欲しいものを手に入れることができたのだから、恩返しくらいはしたかったのだ。それなのになにもできない自分が情けなかった。


「適材適所だろ、後衛に前に出てこられたほうが困るし、気にすんなよ」


 ちいさく苦笑する気配があって、それから旭日は雷になぐさめの言葉をかけた。


 彼の鷹揚さには雷は絶句する心地になる。

 旭日のことだからその場を穏当に切り抜ける嘘などではないのだろう。見返りを求めないやさしさが雷の繊細な部分を慰撫した。たまらず人目も憚らず泣きたくなるような切なさが胸に迫ってきて、雷は思わず首をふった。


「聖人かよ」


 平素とかわらぬ声を絞りだせたおもう。

 雷はわざとらしく軽い口調で続ける。


「俺だったら、嫌味のひとつくらい投げている」


 なんてことないようにふるまうことができた。冗談じみた軽口を叩くことで、露呈させてしまった泣き言をすこしは薄れさせられただろうか。


(本音を無理矢理飲み込ませて、許してやらなきゃいけないようなことはさせたくないんだ。

 俺のことに腹が立つなら、そう言っていいし、俺は言ってほしい。

 一方的に俺が利を得て救われて、旭日が損をしたり苛立ったりするのは、違うだろう)


「俺と雷とじゃ、ひととしてのできが違うからな」


 雷がとりつくろった軽口に、旭日はいつもと変わらぬ様子で応じた。


 それは本音なのかと問いただしたいような。不満があるならいってくれと詰りたいような。身勝手な不安が湧くが、食い下がるのは旭日に鬱陶しがられるだけかもしれないと雷はわだかまるものを嚥下する。


「違いない」


 小さく笑って(それが成功していたかは雷は自信がない)雷は同意した。


「いいたいことは言ったから、寝る。おやすみ」


 そっけなく告げて、雷は旭日のほうに目を向けないまま、毛布の中にくるまった。獣のようにぐるりと身を丸めて、ぎゅっと目をつぶる。


「ああ、おやすみ」


 森の中で、やけに明朗闊達に戦闘を楽しんでいた旭日とは打って変わって優しい声だった。

 それが、今の雷には少しだけ辛い。


 さきほどたった一瞬で眠りおちそうになったのだから、すぐに寝落ちるかとおもったが、胸苦しさが渦巻いて落ち着かず、結局あれこれと考えてしまう。


(体が子供になったからって、中身がいい大人の俺がなんにもできないってのは、悔しいな)


 なけなしの矜持がいちじるしく傷ついた。


(ほんとうに、まったく……くそ)


 自身を責める悪態ばかりが頭の中を巡って苛々する。


 義務感とか責任感だとかが、雷の中にあった。

 旭日に負担をかけ世話になる以上、最低限の仕事して何かしらの形で返すべきだという意識。それは保身にもつながっていて、彼に倦厭されて追いやられないようにするための処世術めいたものでもあった。


 そうでなければならない、今よりも低い場所に落ちないためにそうしなけらばならない、と自らに課したものが果たされないのは、雷の中に常に横たわる劣等感を異様に刺激する。目を閉じても、耳を塞いでも、自らの内側にいる負の塊からは、雷は逃げられない。


 本当に、自分はどうしようもないやつだと、毒づいた。


(どうしようもないやつなりに、頑張るしかないな。俺は、こうやつで、今更そうそう変われない。うん、俺はこういうやつなんだ。でも、旭日は優しいし、よっぽどの失態でも犯さないかぎり俺を見捨てたりしないだろう。俺だって、本当にろくでもないやつであるけど、そこまでの失敗をするほど、馬鹿じゃないはずだ)


 雷は深いところで泥の渦をまくような黒い感情を意識して切り替えて、建設的に今後のことを考えることにした。


 今日の一番の問題は、まず毒状態になったことだろう。

 毒にならないように立ち回るのが一番だが、もしなってしまったときのことを考える。

 

(めちゃくちゃ気持ち悪くて、周りのことも見れなかった。

 今回はなんともなかったけど、次似たような状況になったときに、俺が毒で動けないせいで、回復すべきやつに魔法をかけられないとなったらお話にならない。

 回復魔法しかまともにできないやつが、毒になってたからってそれをできないような状況になるのは問題だな)


 じゃあ、どうする? と雷は自身に問う。


 自分にできることをする。自分がすべきことをできる状態に保っておく。そうするためには?

 今回は毒の状態異常が問題であった。同じ過ちを繰り返さないためにはどうすればいい?


(〈毒耐性〉のスキルがあったよな。毒攻撃を全部くらわないようにするのが無理なら、最初から毒に強い体があればいいのか?)


 雷はぱっとひらめいた。

 ゲームでは毒状態に陥っていた時間の合計が一定をこすと、〈毒耐性〉のスキルを取得することができた。


(毒鼠の攻撃をわざと喰らうか……でも、なあ)


 毒鼠と戦うということは、旭日も一緒にいるということで、今日のような大群でもこないかぎり毒鼠など雷に近寄る間もなく倒してしまうだろう。不測の事態に陥ったときの、保険のようなスキルを入手するのは無理な気がした。


(毒消し草、そのまま食べると毒があったよな‥…

 あれ食べ続けたら、毒耐性がつくかな?)


 雷はおもいついて、ついで嫌なものを堪える顔になる。

 それでも、すぐに覚悟を決めた表情に変えた。


 毒状態の苦しみと、毒に侵され命が脅かされる恐怖、何もできない悔しさと無力感、同じようなことになった際に雷自身の無能のせいで今度こそ取り返しのつかないことになったらという不安感。

 それらを全て秤にかけた雷は、迷わなかった。


 自らの忍耐と我慢と努力でどうにかできるものならば一応試すだけ試してみたほうがいい。

 それが今後、自分が旭日と共に行動するうえで、必要なこころがけなのだと雷はつよくおもった。自分にとってだけ都合のいい楽なほうにだけ流されるなんて、あってはならない。 


(明日から、毒、食べよう)


 長期戦になっても、いざというときに必要とされるかもしれないものならば、手に入れるための気概を捨ててはならない。たとえ結果として実らなくても、その心がけだけは愚かで無能な自分をほんのすこしだけいいほうに変えてくれる、誇りになってくれるはずだ。

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