第16話 役立たず

 4


 茂みをかきわけあらわれたのは、見慣れた黒い毛並みの小さな犬二匹であった。旭日は「雑魚かあ」と残念そうにぼやき、難なく撃破する。


 旭日は、道を再び進みはじめた。彼についていきながら、雷はその背を見つめる。


 僻むなといわれても、僻みたくなるのは仕方ないではなかろうか? 雷は自身の負の感情を正当化させて、旭日をおもいきり羨む。雷は旭日の筋骨隆々の肉体を苦い顔でひと睨みし、右腕をぐっと直角に折り曲げた。細くやわい腕がただ曲がっただけで、雷が望む力瘤などできるわけがない。現実を直視して、雷は気落ちする。


 あそこまでのでかい体が欲しいとはおもわないが(いっそでかすぎて日常生活が不便そうだ)、せめて成人男性の体躯があれば、現状よりもだいぶ苦労は減っていたと断言できる。

 見知らぬ者たちに子供扱いされて誘拐される危険性もないから、今よりもずっと我が身を守りやすかろう。それに、犬との初戦であそこまで苦労しなかったはずだ。小さな体は、人間相手には舐められやすくて危険で、魔物相手にはあまりにも非力で危険だ。いいところがない。

 なにより男性としての証の喪失が悲しい。唯一無二の分身の不在が、雷の胸に冷たい風を渦巻かせる。朝も夜も静かな股座がひどく寂しい。


 ないものねだりをしても意味はないので、雷は諦める。諦めたくもないのに不承不承諦めて、陰鬱とした雷とは真逆の溌溂とした生気に溢れた旭日の背を追う。


 ゴブリンとは未だ会えず。

 先日旭日がいっていたように、いざ魔物と遭遇しようと思うとなかなか見つからないもので、犬の群れと二回、毒鼠と一回出会って以降、スライムを何匹か見つけただけだった。往路で荷物を増やしたくないが、帰路で見つけられるとも限らないので、一応捕獲して旭日は自身のもつ布袋にスライムを放り込んだ。

 魔物が強くなる森の奥に進んでいるため、体が徐々に蝕まれるように緊張するが、変化がないとその張り詰めた気持ちが緩んで退屈の感情が顔を出してくる。

 なにより、頼もしい仲間いるのがいけない。己が無警戒に気を抜いてしまうのを旭日のせいにする。


「今はゴブリンをよく見かける泉に向かってるんだよな。今まで出会した魔物とゴブリン以外にこの森で何かでるのか? 人里から遠いところにでかい犬とそれとは別の狼っぽいのがいるのと、一番弱いトレントが村の近くにいるのは知ってるんだけどさ」


 などとついうっかり呑気に口を開いてしまう。


 森の中でさまよっているときに犬や狼を見つけ、慌てて引き返したのは雷の記憶に新しい。

 雷の問いに、先を歩いていた旭日が軽く振り向く。


「村の近くにレベルが低いうちだと経験値がうまい鏡兎がいるらしいぞ。警戒心が強くて、なかなか見つからねーけど。そこは、ゲームと同じだな。

 あと、猪とか猿の魔物がいたな。猪はいいぞお。持って帰ると村から大歓待される。牡丹鍋っぽいのがうまいし、酒も出た。この酒がこれまたうまい」


「猪……牡丹鍋……猪肉……鍋……

 いや、持って帰ったって、まさかまるまる一頭運んだのか? 大人になってたやつを? それとも瓜坊?」


 鉄火鍋にぐつぐつと野菜とともに煮えた猪肉の妄想が一瞬思考をさえぎったが、聞き捨てならない発言に我に帰る。雷が知るとおりの大きさの猪ならば、人力で運搬した労力をおもうと声もでない。


「そこそこでかいのを、肩に担いで帰った。さして苦でもなかったな」


 強がりでもなく気楽に言い放つものだから、雷はあらためて旭日の頑健な肉体をねめつけた。この男、本当に頑丈で力が強く、体力がある。その筋肉の半分とはいわないが4分の1よこせとねだりたい。

 

 無駄話をしているうちに、旭日が目指していた森の中の泉についた。

 雷が遭難中に使っていた泉よりも、ひとまわり小さいものだ。最近の戦いの痕跡によって木々が薙ぎ倒されていて、周囲はかなり開けている。

 

「最初、俺が〈刻印ルーン魔法〉の《停止ストップ》を使うから、成功失敗にかかわらずそれから動いてくれないか。あと、まだ命中率が低いから外れるとおもっておいてくれたほうが間違いがない」


 雷は最初から自信をすっぱりと捨てて、旭日に宣言する。


「わかった。しっかし、清々しい顔でずいぶん情けないこというなあ」


 旭日は苦笑いだ。


「事実だからな。〈刻印ルーン魔法〉、はっきりいってゲームよりも使いにくくなってる。なんでこんな仕様になったものだか」


 ぼやきながら、雷は旭日とともに茂みの陰に身をひそめる。すぐに対応できるようスライムのはいった袋はすこし離れた場所に草木で隠しておく。あとは、ゴブリンが現れるのをじっと待つだけだ。

 何度も仲間が交戦したとおぼしき場所を、ゴブリンが警戒するという場合はないのだろうかと雷は気にしたが、そういった不穏や危険をゴブリンが感じているかというと今のところ「否」であるらしい。

 泉にくるゴブリンの数がいなくなるとか、警戒を強めてこの泉にくるゴブリンがいるとかはないそうだ。


 よって、闇雲に探し回るよりはここで待つのがゴブリンを見つける確率が高い、というのが経験者旭日の言だ。


 黙ったまま、雷は掌の中で刻印ルーンを描いた石をもてあそぶ。

 これを投げて、ぶじ当たってくれればいいのだが。雷は忌々しげにちいさくため息をつく。

 〈神聖魔法〉と同じように、使うと決めた意思ひとつで発生するプロセスでいいだろうに。非常にまどろっこしい。


 魔法を使っているのに、他の技能が必要とされるのはこのうえなく理不尽だ。


 しばらくじっとして、ときおり毒鼠や小犬がおとずれる程度で、目当ての不在に待ちくたびれたころやっと獣道から物音が聞こえた。


 雷がはっとすると、不気味な肌色をした二足歩行のゴブリンが視線の先にいた。

 

(当たってくれよ!)

 

 力一杯の願掛けをして雷は手に持った石を投げた。


(《停止ストップ》!)


 放物線を描きながら雷の手から放たれた石は、無様に音をたてて泉に落ちる。

 騒々しくさざなみが広がる泉にはっとした顔でゴブリンはふりかえる。あわてて周囲を探るそぶりをみせたのは一瞬、即座に招かれざる客の存在に気づく。雷たちが身をひそませた薮にむかって、猛獣が唸るような警戒を見せたのだ。

  

 5


「え、なんだよ今のは?」

「命中率がクソ低い《停止ストップ》の魔法」


 胡乱なようすの旭日に、真剣な顔で雷は返す。

 数打てば当たると第二投の構えをした雷は、頭上からおちてきた爆笑に出鼻をおもいきり挫かれる。


「あっははははっはっは! おま! 先にいえよ! 魔法なのに手動で投げるとかおもしろすぎんだろーが! 」


 剣も抜かずに、旭日は大笑いだ。 


「あぁ? 言っただろうが!? だいたい笑ってる場合かよ!」

「いや、いってねーよ! 命中率が悪くて使いにくいってしかいってねーし!」


 焦る雷をよそに、よほど笑いのつぼに嵌ったのか旭日はヒィヒィと引きつった呼吸をしている。

 緊張感のない大男をよそめに、吹き出すような殺意をまとったゴブリンが棍棒を持って突進してくる。雷は心臓が圧迫される恐怖に、反射的に後ずさった。

  

「いやあ、笑った笑った」


 声は安穏としているのに、動きを目で捉えるのが困難なくらい旭日は機敏であった。

 雷を庇うように一歩前に踏み出し、瞬時に腰に下げた剣を抜き払う。白刃が閃いたのは、文字通り瞬きの間。呼吸すらできない間隙だ。首と胴は断ち切られ、別れ落ちる。吹き上がる血潮は勢いがよすぎで逆に作り物めいていた。最後に音をたてて首のない体が倒れた。

 

 雷は、凄技を目の当たりにして冷や汗を流しながら息をつく。


(やっぱ、ふざけてても強いよな。いや、強くて余裕があるからこんな状況でも馬鹿いってられるのか)


 だが安堵したのも束の間、耳障りな警鐘じみたゴブリンの鳴き声が聞こえてくる。聞こえてくる数からして、一体や二体ではない。

 仲間を探しているのか、はたまた仲間を呼んでいるのか。どちらにしろ良い予感がしなかった。


「ああ。ほらみろ、旭日が騒ぐから魔物が寄ってきた」

「おっしゃ。もしかして団体さんのおでましか? 雑魚でも腕がなるな!」


 雷は悪い顔でさきほど揶揄られた意趣返しをするが、旭日はまったく気にとめない。むしろ楽しげだった。


「皮肉ったんだからちょっとは気にしろよ!」


 相手にされない嫌味ほど悲しいものはない。

 雷のひっしの訴えもむなしく、現れたゴブリンに向かっていった旭日に右から左に流された。


「せいやっ!」


 威勢のいい掛け声をあげて、ゴブリンを一体切り捨てる。


 粗野な口ぶりとは裏腹に、踊り子ダンサーの所持スキル〈剣舞〉の効果なのかその剣戟は舞のような華麗さがある。

 剣を手繰る指先のひとつまで計算しつくしたように繊細に。

 踏み込むつま先の足運びは本人の賑やかさを裏切るように静謐に。

 振り切った剣を返す動きにいっさいの無駄なく、優雅な円を描く。

 ゴブリンを斬っているのではなく、宙に舞い踊る剣筋の通り道に、偶然邪魔な肉壁があっただけといわんばかりの動きだった。


 本来、通常攻撃は攻撃力という数値のみが物理攻撃に反映されるが、〈剣舞〉スキル持ちの通常攻撃は攻撃力の半分の数値に敏捷の数値を加算したものが反映される。攻撃力が高くても敏捷が異様に低いとただの死にスキルと化すが、そのような無様を冒すキャラメイクを旭日がするわけがない。

 

(制作者の意図としては、敏捷が高くて攻撃力が低い軽戦士向けのスキルとして設定したんだろうけど。

 でも、スキル取得に制限がないなら攻撃力と敏捷のステータスどっちも高くして〈剣舞〉スキル使うよな。そのほうが強いし)


 旭日がもう一体斬り倒したところで、ゴブリンが次々とあらわれる。あっという間に雷たちは四体のゴブリンに囲まれていた。

 おそろしく攻撃的な声をあげ、こちらを威嚇してくる。

 体長にあわない大盾を構えたゴブリンが旭日のまえに素早く陣取る。黒く鈍く輝く四角い盾は、石製のように見えた。発達した筋肉によって重そうな盾をものともせずに持ち運び、大盾で全身をすっぽりと覆い隠す。まるで動く黒い岩だ。並の攻撃ではびくともしなさそうな威容をほこっている。下手に剣で打ち付けたら、剣のほうが叩き折れてしまいそうだ。


 一番大きな体をした獣皮の服を着たものが細い枝を、石っぽい胸当てをつけたものは刃こぼれが目立つ剣を、革鎧をまとったものはいびつな弓を構えている。


 雷とやや離れたところにいる旭日と最接近しているのが盾持ち、その後方に剣を持ったゴブリン。弓使いが左手側に。雷よりも大きなゴブリンが右手側に。

 タンク役に、近・遠攻撃、指揮官の四体パーティだ。見るからに手強い相手だったが、雷は冷静だった。これがひとりで出くわしたものであったなら尻尾を巻いて遁走していたが、旭日の存在が雷の心を強くした。目の前に立つは一切動揺せず、四体のゴブリンに対峙してもものともしない豪胆さを見せつけている。これで雷にびくびくと怯えろというのが無理な話だ。気分は完全に虎の威を借る狐である。

 

「ギィ! ギュガグ!」


 息をつく暇なく細い枝をまるで指揮棒のように振り回して大きなゴブリンが喚くと、弓使いが矢を放った。

 それは回避行動をとるまでもなく、雷の下手な投石のごとく明後日の方向に放物線を描き、木にぶつかり弾かれて地に落ちる。


(うーん、ノーコン。それに、わざわざ姿を見せてから矢を射る必要性はあるのか? 自信のあらわれなのかもしれんが)


 存在は察知しても、攻撃が来る正確な方向がわからないのは驚異である。そのメリットを捨てて弓使いはどうして姿を見せてしまったのか。それに助かっているのは事実だが、首をひねりたくなるのが正直なところだ。

 すくなくとも最初に出くわしたゴブリンはそれが成功していたかはさておき、身を潜めて不意打ちを企む知能はあった。でも、隠れていないことに気づいていないあたり、種族全体の頭の出来がうかがいしれるのかもしれない。


(やっぱり、馬鹿なんだな) 


 適当に結論づけて、雷は行動にでる。

 知性の高低はともかく、数打てば当たるとばかりに射られるてはたまらない。それに、このまま旭日に任せきりでいたら、雷は戦闘にいっさい貢献せずに終わってしまう。雷はさまざまな焦りを持って、さきほど投げ損ねた石を今度こそという意気込みをこめて弓使いに投げた。

 だが残念なことにやる気とはうらはらに、刻印ルーンが書かれた魔力がこめられた石は、雷の狙いとはやや外れた方向に飛んでいく。


 弓使いゴブリンは横を通り過ぎて行った石を眺めたあと、雷に向き直り鼻でわらった。完全に雷を馬鹿にしている。

 初手の遠距離攻撃合戦、互いの致命的な命中力な低さであまりにも無様すぎる引き分けである。


 全く役に立たない雷を背後に庇いながら、旭日は早々に大盾持ちのゴブリンを攻略した。旭日は目の前にある大盾の上部をおもいきり蹴りつけると、バランスを崩して盾が浮く。旭日はその浮いた一瞬を見逃さず、わずかに天に向けて傾いた盾に片足をのせて、全体重をかけるように踏みつけた。

 勢いよくというには、ゆっくりと時間をかけてどこか情けなく聞こえる断末魔と、肉と骨が潰れるくぐもった音が大盾の下から漏れ聞こえた。

 潰されたゴブリンからしてみたら、全くおもいもよらない死因に違いあるまい。生半な剣など弾く頑丈で頼りになる岩盾が簡単にひっくり返されて、それによって押しつぶされてからの圧死である。何がおこったのかなど、わからないまま死んだだろう。


 盾によって視界から遮られていた剣ゴブリンの姿が間抜けなくらいにあらわになり、手に持った剣を振る間もなく旭日の一撃で地に沈む。

 二射目をつがえようとしていた弓持ちに、風を切る俊敏な踏み込みで距離を詰める。

 その間も雷は獣皮の服を来た大きなゴブリンに《停止ストップ》の魔法を試みたが、命中率という厳然たる数値を前にあえなく敗北した。なにひとつ戦いに貢献できていない雷をよそに、旭日は弓持ちの首を造作なく掻き切った。血飛沫をあげるゴブリンに視線をやることなく、身を翻し指揮役とおぼしき大柄なゴブリンの前に躍り出る。


 とん、と地に足がつくわざとらしい着地音。なにかの韻でも踏むかのように、ととん、と軽快な音を立ててさらに踏み込む。

 ゆらりと剣が孤を描く。

 それと同時にぽん、と景気良くゴブリンの首が飛んだ。


 6


 旭日は解体用の短剣で、耳を剥ぎ取り、心臓の位置にあるゴブリンの魔核を手早く取り除く。二足歩行のこの魔物はシルエットが人間の姿と近いこともあり、鼠を食肉にする過程よりもおどろおどろしく見るにたえない。


「ゲームみたいに、魔核だけぽろっと落ちないもんかな。他の部分はふわって消えればいいのに」

 

 雷は吐き気を堪えながら旭日の作業をおっかなびっくり見守っていた。不満を口にする雷の台詞に、時折えずきそうなものが混じる。旭日は耳障りな汚い音におもいきり顔を歪めた。


「雷、俺はつられゲロしたくねえから、絶対に吐くなよ。見るのいやならこっち向いてねーで後ろ警戒してろ」


 優しさなのか、ぼうっとしてないで周囲に気を払えという諫言なのか。

(まあ、こいつのことだから表向きちょっと口が悪いだけで、ほんとは優しさだろうな) 

 と旭日の言葉に関して早々に結論づけ、雷は情けなさを抱きつつ彼の言葉にこの場は甘えることにした。安全とは言えない場所で嘔吐するすほど気分を悪くしてもいられない。


 村に討伐証明として提出する部位を確保し、今日の探索は終了である。これ以上の成果を得ようとここで待っていては、帰るころには日が暮れてしまう。


「今日だけで七体も仕留めたからな。これまでで一番の成果だ」


 解体を終えた旭日は機嫌がいい。

 逆に、ほぼというか完全に空気だった雷の肩は重い。足を引っ張り荷物にならなかっただけましだが、ここまでなにもできないのは予想外だった。旭日だけで事足りるのは最初からわかっていたが、それにしたって酷い結果だ。

 旭日について歩いて無駄口を叩いていただけである。


 せめて解体でもできればよかったのだが、解体用の短剣は一本だけであり、手伝うに手伝えなかった。最後の面倒な汚れ仕事をやってやると自信を持っていえる胆力と実力があれば旭日の代わりに解体できたが、はっきり言って雷がたどたどしく刃物を使うよりも、最初から彼ひとりに任せたほうが早い。できないことを申し出ても逆に旭日の手間をかけさせるだけだろうから、雷は今日は何もいわなかった。


(可及的速やかにいろんなことに慣れて、できること増やしたい。これからは、解体くらいは手伝えるようにならなきゃ。今日は課題がいろいろ見えたな。はあ)


 内心でため息をつく。自らのふがいなさは、己をどれだけ責めてもたりない。


 いざというときに〈神聖魔法〉が使えるのは雷の強みだが、旭日が強すぎてこのあたりの雑魚では怪我をしないから無用の長物なのだ。

 せめて、〈刻印ルーン魔法〉の《遅滞スロウ》や《停止ストップ》を高い精度で使いこなせたら、と強くおもう。


(《遅滞スロウ》のために近距離攻撃当てにいくのは、逆に旭日の邪魔になりそうだから置いておくとして、《停止ストップ》はちゃんと使えなきゃだめだろ)


 手投げのあまりにも外れの多さの抱える問題を、早々に解決したい。


(〈投擲〉スキルを取得したら命中率があがるか?

 いや、〈投擲〉スキルを覚えるのもいいけど、パチンコはないかな。距離や、速度も手で投げるより、断然いいだろ。その場合は、〈狙撃〉スキルになるのか……? それとも弓スキル?)


 村に帰ったら、スリングで遊びそうな少年たちに聞いて探してみるのがいいかもしれない。

 それと、石に刻印ルーンを描くときの、違和感の解決方法も見つけなければ。


 今後についてあれこれと考えながら帰路につく途中、毒鼠にふたたび出くわした。

 鼠なら大丈夫だろう、と最初の戦いの経験で雷も旭日も気をやや抜いていたところがあった。毒の厄介ささえなければ、小犬よりも弱い魔物だ。

 数で襲ってくるしか芸がない、だが逆にいえば数で襲いかかる猛威を高確率にふるってくる。


 雷があ、とおもったときには、即座に数を把握できないほどの頭を赤く照らつかせた大きな鼠が、四方八方から押し寄せてきていた。

 旭日は毒の付着をおそれて、犬よりもよほど慎重に剣を使って鼠を絶命させる。一撃一撃は目にも止まらぬ速さで確実に一振りで鼠を殺すが、内心に焦りがあるのか乱れた心情をあらわすように剣筋はやや精細を欠いていた。

 

 特に武芸者というわけでもない素人の雷にすらわかる旭日の動きの落差に、ぞっとした。息をのみこんだのか、吐いたのか、はたまた止まったのか。一瞬迷子にでもなったかのような途方にくれた感覚に、怖さに怯えるだとかどうしようと混乱するだとかよりも先に、なぜか頭が急に冷えたのは確かだった。


 なにかあったら、解毒のための《浄水クリーンウォーター》をすぐに使えるように。


 その一念が強く胸の中にあった。やるべきことがわかっているのだから、見苦しく慌てる必要はない。それくらいできなければ、雷がここに立つ価値も意味もない。なにより、ぼうっとしているだけの雷が動転していいほど、圧されているわけでも危機なわけでもない。それくらいの状況の把握はできている。今は鼠が面倒なくらい湧いているから、旭日でも多少手をこまねいているだけだ。


 旭日では捌ききれなかった毒鼠が、雷に体当たりをしてきた。飯の材料になった暴食ネズミよりも鋭く早い攻撃的な動きだが、かたわらの旭日のみのこなしに比べれば、欠伸がでる程度のものだ。

 鼠の動きは不測の事態ではなく、想定の範囲内。雷は一瞬のうちに反撃するか回避するかをしっかりと判断し、反撃を選んだ。ここで逃げ回るよりも、魔物の一匹くらいは倒したいという意地が雷の中にあった。


 真正面から蹴りをいれる。肉食の鼠よりもよほど固い感触で、致命傷となる一撃を与えた手応えがない。わずかに距離が離れる程度に後ろに飛んだだけで、衝撃によろめいてもすぐに体勢をととのえ立ち向かってくる。雷は冷静に対面する。一回の攻撃で駄目なら、もう一回攻撃すればいい。


 二回のレベルアップのおかげか、この毒鼠の動きなら翻弄されずに立ち回れる自信があった。


 飛びかかってきた赤い頭の鼠の鼻面を潰すように爪先をのめりこませると、何かが潰れる感触が返ってきた。同時に赤い毒の粘膜が、血潮を吹きあげるように飛散する。赤い飛沫は、血液よりも生臭い強烈な臭気をまとって迫ってくる。血が一気に冷えるような危機感が全身を突いた。脇に避けよう、と考える間もなく反射的に足に力がはいる。

 しかし、雷がよけてそれを旭日がくらったらどうする? 旭日は毒に十分に気を払い、鼠を仕留めていた。それができずに軽率に攻撃した雷のせいで、旭日がこのよくないものを浴びたらと考えると、雷の足は動けなくなった。


(それはだめだし、いやだ)


 迷っていたら、雷は赤い粘液に体を濡らしていた。

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