森の中の村

第13話 暴食ネズミ

 1


 雷が目覚めた日は一緒にいたが、翌日旭日はゴブリンを狩るためにひとり森に向かった。

 毎日の山歩きはともかく、獲物を見つけるのに時間がかかり、なかなか大変だという。

 斥候職がいれば別なんだろうな、とぼやいていた。

 旭日曰く、


「スライムならかなり見つけられるんだがな。

 ゴブリンの住処はこのあたりの森のかなり奥地にあるらしいが、さすがに今のレベルじゃ群を潰すのは無理だし、村のほうも群そのものを潰すのまでは求めてねえから、村から日帰りできる距離のところで狩りや巡回してるゴブリンを見つけては倒してる」


 とのことだ。


 魔物を倒した後、特定地点に自動で復活するゲームと違い、現実世界だと日があるうちにせっせと歩いても目当ての魔物を見つけるのはなかなか難しいらしい。


 村に滞在するようになってから、一日で最大の成果はゴブリン六体、犬六匹。スライムはけっこうな数を見つけられるが、スライムは庶民の生活に根ざした有用な生物(排泄物の処理のほか、なんでも洗剤や石鹸かわりに使うらしい)なので、倒さずに袋につめて持って帰る。

 毒鼠は毒が怖いから、今まで戦わなかった。毒消し魔法を持っている雷ですら毒が怖いのだから、懸命な判断だとおもう。


 しかし、これからは違うと旭日は張り切っていた。

 旭日は雷が解毒できる《浄水クリアウォーター》を使えると知っていた。よって、これからは討伐対象に加えられると旭日は意気揚々としている。

 圧倒的な数の暴力によってゲームオーバーになった苦い記憶がある雷は、すこしだけげんなりした。これから旭日には世話になるのだし、負けた記憶があるから毒鼠はいやだとわがままなど言えるわけないから、できるだけおくびにも出さないよう努めたが。

 しかし旭日に訝しげな顔をされていたあたり、無駄な努力だったのかもしれない。


 2


 旭日が森に向かったあと、ゲームの記憶をまとめつつゆっくりとした時間を過ごそうかと思ったがそうは問屋がおろさなかった。

 雷の安寧をやぶったのは、女村長の亡き夫との一粒種である娘、マリィシアだ。

 マリィシアは十歳くらいの闊達そうな女の子だ。金髪碧眼で、ソバカスがある。

 彼女は外からあらかじめ声をかけるでもなく、前触れもなく扉を開けるや否や、小屋の土間に足を踏み入れた。


 仮に自分の家族が所有する物件だとしても、借家人に対する配慮はすべきだろうと雷は嫌悪感と驚きをまぜた忌避感を抱くが、世界単位で余所者である雷の常識などはなから通用しないのだから仕方ないという諦念によって、苛立ちを押し流した。


「暴食ネズミをつかまえるの手伝って」


 小屋の準備された藁ベットの上でぼうっとしていた雷に、マリィシアは一方的に自分の要望をのたまった。 


(暴食鼠? 名前からして普通の鼠とは違うのか? 魔物かなにかか?)

 

 名前からして、大量の食事をしそうな鼠だ。大きさももしかしたら通常の鼠などお話にならないくらい大きな恐ろしげな生き物かもしれない。


「暴食鼠って?」


 聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥というし、知ったかぶりをして大失態をするよりはと判断し、雷は疑問をすぐに口にした。

 そんなことも知らないの? と言いたげな馬鹿にする顔をして、マリィシアは意気揚々と説明してくれる。


「村で食べられる、大事なお肉よ。ご飯をあげればあげるほど食べて大きくなるの。でも、すばしっこくて、なかなか捕まらないのよ。村の外にある小屋にいるんだけど……話を聞くより見た方が早いわ。来て」


 有無をいわさずマリィシアは雷の手をつかみ、小屋の外へと連れ出した。

 とっさに振り解きたくなるが、乱暴な振る舞いを雷はこらえた。 

 これが現代日本であれば、押しの強い女が年齢問わず苦手な雷はのらりくらりとかわして逃げた。

 しかし、見知らぬ世界で悪目立ちする二人組が世話になっている村の、一番偉いひとの子供だ。子供の手伝い程度の細事であろうと、すこしでも恩を返しておくのが無難だと判断し、不満を飲み込む。


 拒否せず黙りこくってされるままになる。

 小屋の外には数人の子供たちがふたりを待っていた。


「早くいこうぜ。さっさとネズミを捕まえて、残った時間で遊びてえよ」


 やんちゃそうな少年が、不機嫌な表情で雷たちを急かす。マリィシアはそれを意にもかけず

「わかってるわよ」と強気に返事をした。


 旭日の身長よりも背の高い柵の外側に鼠小屋があるらしく、こどもたちにまじって村の居住区をおおう柵の外を目指す。

 雷が歩くのは、砂利で舗装されたわけでもなく、人の足で長年踏み固められることでできた道だ。

 その短い道のりのなか、簡単に名のりあう。村の外から来た雷に対する子供たちの態度は彼らなりに取り繕ってはいるが、明らかによそよそしい。

 雷に対する悪意とか嫌悪感があるのではなく異質になものに困惑し、どういった対応をすればいいのかはかりかねているようであった。雷のような外から来た子供を相手にするのは、彼らにとって初めての経験なのかもしれない。純朴でじつにかわいげのある反応だと雷は思う。


 いずれ去る身であっても、排斥の目を向けられるのは苦しいし、好奇心いっぱいに関わりにこられても面倒なので、彼らの距離感はちょうどよかった。

 雷にとっては比較的楽な関係性を作ることに成功した。ちなみに、マリィシアに関してはそこから除外する。

 

 小さな村であるが、村の出入り口には門番が控えている。その脇を賑やかにとおりすぎたあと、畦道を行きながら村を覆う木柵よりも背の低い柵に囲まれた建物に向かった。

 雷たちが借り受けている家よりも小さく、造りの荒い小屋というよりも荒屋と呼ぶのがふさわしい建物の前で立ち止まる。


「よくもまあ、中の鼠が逃げないな」


 小学生時代にあった鶏小屋と同じで、中にいる生き物の様子を外から見られるようにしてある。雷の知る鶏小屋は目の細かいワイヤーネットを使っていたが、こちらは切り揃えた板を大雑把に格子状にしたものだった。

 しかしよくよく中をうかがって見れば、雷が想像したものよりもずっと大きな姿をした生き物が数匹集まり積み重なるように固まっていた。暴食ネズミはうさぎくらいの体長で、それにあわせて尾が長い。かたまりの中から伸びている尾は、まるで木の枝のように硬そうだ。


「何いってんの。何もしなくてもご飯が出てくるのよ? 暴食ネズミが逃げるわけないじゃない」


 雷がそんなふうに思いもかけないことだったらしく、やけに不思議そうに少女がいう。それが彼女のなかのごくごく自然な常識なのだ。


「そういうものなのか……」


 大きな鼠に合わせた格子の檻であること以外にも、鼠が逃げ出さない確たる理由が存在した。食いしん坊な鼠は、雷が知る現代の生き物よりも怠惰で生命の危機感がなさそうだった。

 

 呼吸にあわせてわずかに動くいくつもある鼠のかたまりを見ながら、雷はすこしだけ遠くにおもいを馳せる。


(鼠、鼠かあ。鼠を食べるのか。もしかして、スープに入ってた肉って……ファンタジーだしな。しょうがない。仕方がない。鼠の肉がなんだっていうんだ。不味くなかったし、むしろ、美味かったし。餓死するよりは、いいな。問題ない)


 口にしたものは鶏の胸肉のようだった。哺乳類なぶんだけ、蛙肉よりはゲテモノの度合いが薄くてましだ。

 鼠の肉と聞くと、肉の管理の衛生度合いは気になる。

 だが飢餓の経験が、雷の食の垣根を広げさせた。

 雷の培った食文化が一切通用しない世界で、あれも嫌だこれもいやだなどと言ってはいられない。気にしたら負けだ。惨敗なのだ。深く考えてはならないのだ。

 不味くなければ、毒がなければ、ちゃんと調理されていれば……それでも虫食は想像するだけで吐き気がするが、鼠の肉でも調理してあれば許容範囲だと雷は間口が広くなった心でおおらかに受け入れた。

 成長ともいえるが、正しくは諦観かもしれない。腹が減っては戦ができぬどころか、生きることすらできないのだから。


 3


 雷たちが足を踏み入れると、それぞれ一塊になっていた鼠が髭や耳をわずかに反応させ、すぐに散開して小屋の中を走り周りはじめた。

 差し出される餌に甘んじている怠惰な鼠でも、命の危機には聡い。


 鼠の捕獲に集まった子供五人が荒屋にはいると、だいぶ窮屈だ。その足元を大きな鼠が弾丸が飛ぶように駆け回っている。

 二十を数えることができる大きな鼠が、我先にと逃げまどっている。

 小さな山が波をつくりうごめくような、ひしめくようなその様相は、見ていて気持ちが悪い。

 毒鼠を見つけたときの恐怖感とはまた別の忌避感が、雷の胸の奥を重くする。

 息が詰まるというか、息苦しくなるというか、森で遭難して犬を探して殺して回った経験を持っていても、怖気がたつ光景だ。少し前の雷なら、いや日本に住んでた雷ならば、情けない声をあげてなりふり構わず逃げていた。


 ごわついた毛の感触や、見た目通りに硬い尻尾が足元をかすめていく。布越しに触れてくるものであっても、生理的な嫌悪感で背筋に冷えたものがびりびりと走る。

  

「噛まれると痛いから、気をつけてね。まだ食べられる部分が少ないから、小ネズミは放っておいていいから。お腹は蹴らないで、頭を狙って!」

 

 雷の抱える不快感などどれほど訴えたところで一部たりとも理解できないであろう平然とした顔で、子供たちは鼠を狙って足を振っている。

 うすら気味の悪いおぞましい光景に一瞬愕然としたあと、何事もないような顔で鼠を相手取る子供たちを見て、雷は意識を切り替える。

 

 どうやら、この鼠は手や網を使って捕獲するのではなく、足で蹴り飛ばしたり踏んだりして動きをふうじてとらえるようだ。


(効率悪くないか?)


 おもいはすれど、少しの間滞在する部外者の身でしかない。これが本当にいいのかという考えがよぎっても素晴らしい代案が浮かべるわけでもないし、いわれるまま大人しく鼠を足で狙うのが賢い選択だ。

 あらかじめ教えられていたとおり、鼠は俊敏だった。小さな鼠の比率そのまま大きくしたような鼠は、その姿からは想像もつかない驚異的な跳躍を見せた。


(兎かよ)


 大きさもあって、雷はおどろきをにじませながらぼやく。

 動きそのものも早いし、この跳躍力で子供たちのゆるい蹴りをやすやすと躱している。

 気合いのはいった声とともに鼠を狙っているが、周りの子供たちの中に鼠に上手く足を当ててたものはまだいない。

 

「そのうち疲れて、動きがにぶくなるの。そうなると当てるのは簡単よ」


 雷の視線に気づいたマリィシアが得意げに教えてくれる。


「そうなるまえにさっさと捕まえて、俺は遊びたいんだよー」


 少年はうんざりしたように訴えた。


「それは、そうだけど。でも、暴食ネズミがそうなる前に捕まえるのは、難しいのよね」


 マリィシアは少年に同調しつつも、諦めたようにいった。


(ここは、ティタン神族の速さの見せ所だな)

 

 男二人と追いかけっこしたときは結局発揮できなかった素早さのステータスの、面目躍如といったところか。


 鼠はたしかに見た目を裏切る優れた俊敏性を持つが、雷は目で動きを追いながら蹴りを当てることが可能だと判断した。幾度も繰り広げた小犬との戦い(あるいは不意打ちによる撲殺)によって、雷は自らの運動能力を理解している。

 雷の筋肉がもたらす瞬発力であれば、さして苦労しない案件に思えた。


 雷は蹴りから跳躍で逃げた鼠を狙い、無言で蹴り上げる。思ったとおり、空中で逃げ場のない鼠はあっけないほど簡単に吹き飛んだ。

 ほかの鼠にぶつかって止まった鼠は、その後ぴくりともしない。


 大変だとことごとくこぼすとなりで、こともなげに鼠を蹴り飛ばした雷に、皆一様に目を丸くする。


「すごいわね」

「運がよかったんだろ。まぐれ当たり」

「運のよさついでにもっと鼠仕留めてー」


 ほうぼう好きに言ってくるのに適当に肯き、涼しい顔で雷は問う。


「あと、何匹捕まえればいいんだ?」


「えー、と。五匹かな」


 マリィシアが答えた。そして、慌てて強い口調で付け加える。


「お腹、蹴らないでね。内臓潰れるから。それと、できるだけ大きいネズミを狙って」

 

「あー、わかった。善処する」


 一番大きい的である胴体に当てるのは簡単だが、特定の部位指定となるとすこし難しい気がした。

 しかし、それが要望ならなるべく応えるべきである。

 雷は荒屋の床にひしめく鼠たちを見極めるように鋭い眼差しを向け、鼠を次々に蹴ったり踏み抜いたりした。


 4


 気絶していた鼠はそのまま、死んだ鼠は速やかに血抜きした。大きな鼠六匹をそれぞれ抱え、帰路についた。さっさと遊びたいと常々訴えていた少年は、とても機嫌がいい。

 皆すごいすごいとお世辞でもなく素直に褒めてくるものだから、捻くれている雷であってもおもはゆさで憎まれ口ひとつとて出せなくなった。勝手に紅潮する顔を隠すため、雷はうつむいて子供たちの絶賛をやり過ごす。


 ほぼほぼ無言になった雷は、一方的に話を聞いていた。

 暴食ネズミは草食で、よっぽど腹が減らない限り肉食はしない。野菜の切れ端や、毒のない山菜、豆、木の実などを食する。

 村で管理する鼠小屋はほかに三箇所あり、毎日日替わりで鼠を数匹捕まえ、決められた順番ごとに数件の家庭に肉が配られ鼠肉が食卓にのぼる。

 繁殖力が高く、三、四ヶ月ごとに雌は五、六匹の子供を産み、また生まれてきた鼠は三、四ヶ月でうさぎほどに大きくなる。


「暴食ネズミは食べれば食べるほど大きくなるから、あんまり大きくなりすぎないうちに捕まえて食べるの。犬くらい大きくなると、捕まえるのが危なくなるんだって」

「そんくらい大きくなったネズミなんて、見たことないけどな」

「おっきいネズミは、いつもお腹を空かせているから、お腹いっぱいになるためにお肉も食べるなるようになるらしいよ」


 昔、大きくなりすぎた暴食鼠が逃げ出して畑を荒らしたとか、畑の作物では我慢できなくなった鼠がひとを襲っただとか、大人たちからの伝聞をとりとめなく雷に教えてくれる。

 

 村を囲む柵の中にはいると、その後は各々の自宅に帰るために解散となった。

 雷は手にかかえた鼠を村長の家にまでとどける役目を仰せつかったので、すでに鼠を二匹を重そうにかかえているマリィシアとともに歩いている。


「今日はありがと。私はこれから肉の解体をするけれど、あなたはこのあとどうするの?」


 自ら肉を捌くという少女に雷は内心ぎょっとするが、専門の業者など村にいそうにもないのだから、それはそうだろうとすぐに納得する。血抜きなども慣れた様子であったし、この村の住人にとってはごくごく普通の慣れたことなのだ。

 すこし考えてから、雷はおずおずとためらいがちに申し出る。


「迷惑じゃなければ、鼠の解体作業、見させてもらえないか? 俺、動物の解体なんて、やったことがないんだ」


 今までとは違い、発泡トレーに包装された肉なんて買えないのだ。もしかしたら、自ら肉の解体をすることが必要な状況におちいるかもしれない。そうなった時のために、知識や経験は必要だ。

 森の中でサバイバルしていたときだって、獣の解体の知識があればすこしはましな食事にありつけたかもしれないと思い返せば、雷は必死になる。無知で苦しいひもじさを味わうのはもうごめんだった。


「ふーん。まあ、あなたくらい小さいと、そうよね。刃物なんて持たせてもらえないもの。別に、いいわよ。

 それなら家にはいって。エプロンも貸してあげるから」


 マリィシアは快く了承し、雷を家に招き入れた。

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