第12話 これから

 3


 雷は記憶の彼方の中であったが、旭日はゲーム開始年が1218年春だとしっかりと覚えていた。

 時間経過の条件を満たすごとに1218年春・1218年夏・1218年秋・1218年冬と時間軸が進み、年を越す。ゲームの期間は1222年冬まである。


 雷は旭日との会話で、今の時間軸がゲームの開始時期よりも半年ほど早いということを知った。

 現在、再生歴1217年精霊の節88日であるらしい。

 まったく馴染みのない暦で、それが日本でいう何月あたりなのかすぐに把握できなかった。

 なんでもこの大陸における暦は創世の節七日間からはじまり、女神の節、精霊の節、世界樹の節、双神の節と呼ばれるものが四節続く。これは地球の一ヶ月に相当するもので、一つの節は90日にごとに区切られる。

 すなわちこの地の一年間は、367日となる。地球よりも二日だけ一年間が長い。

 しかし四年に一度だけ、創世の節の七日間がないという。この年を眠り年という。閏年のようなものなのだろうと雷は判断した。

 このことから、四年あわせて1461日となり、公転周期が地球とほぼ同じという結論が出る。


「どうしてこういう手合いって、地球と似たような時間の進み方になるんだろうな」

「お約束ってやつなんじゃねえの? まったく別物よりも、わかりやすくていいんじゃね?」

「ま、それもそうか」


 雷は深く考えることを放棄した。


「それにしても、精霊の節か……

 ゲームでは創世の節にあたる期間がなくて、春が女神の節、夏が精霊の節、秋が世界樹の節、冬が双神の節にあてはまると考えると、今は夏になるのか?

 日本みたいな四季ごとに一年間がおおまかに区切られてるって仮定すると、暦上では、まだ夏なのか。それにしたって涼しいな」


 森の中はすっかり秋めいた雰囲気であったことを思いだしながら、雷は意外そうにもらす。


「ここでは地球みたいな温暖化はないし、気候の変動の仕方も違うんじゃねえの? 大陸でも北のほうだし、冬が来るのも早いんだろう」

「ゲームの地理情報的にも、北半球っぽいもんな。南にいくごとに暖かい地域が多かったし」 

 

 旭日のもっともな推測に雷は納得する。環境汚染とは無縁そうな世界なのだから、夏が無駄に長いということはないのだろう。


「ともかくだ。俺は、ターニングポイントになる1218年の春……念の為に今年の冬が終わる前までには物語の始まるコハンの街に行こうとおもっている。

 これといって、やるべきことはない。だが、ここがゲーム通りに進む世界なら気にかかることはいろいろある。やってみたいこともな。

 差し当たって、大きな街に行って情報収集、旅路のための装備を整えて今以上に稼げる仕事に就いて路銀稼ぎを目標にしてる」

「こんな大陸の端からコハンに行くのか? わざわざそうするってことは、まさか最初のボス戦に参戦でもするつもりなのかよ」


 琥珀色の瞳は好奇心で輝いていて、自信と活力が見てとれる。旭日の様子から傍観のためだけに行くようではなかった。


 『精霊の贈り物』はフリーシナリオなので、ボス戦に参加しなくてもゲームの時間軸を進めることが可能。

 再序盤のコハンで発生するイベントは、単発ではなく続き物のメインクエスト。しかし全く関わらないままでいることも可能だ。時間経過させるポイントを加算させて夏に移行すると、NPCだけで最初のメインクエストを解決している。

 介入しなくても解決する事件に旭日は関わるつもりだと判断し、信じられない面持ちで雷はいう。


 雷は、世界を守るような行為をする義理も義務もないと、今後世界に起こるであろう悲劇を他人事のようにとらえていた。

 ゲーム主人公と同等の初期能力を持っているが、自分は世界を救う役割をもった大層な人物ではない。その役割を担う人物は、きっと他にいる。よって雷はストーリーをなぞって大陸各地のひとびとを助けようなどと一切考えていなかった。


「その、『まさか』のとおりだよ」


 旭日はひどく好戦的な笑みを浮かべた。まるで獲物を目の前にした熟練の狩人のごとしだ。


「せっかく日本ではありえないことができる世界に来たんだ。生きるためだけに、生きたくはない。

 今はレベル2しかないが、俺がおもっている通りの可能性をこの体が秘めているなら、それを遺憾無く発揮したい。

 そのための”場”が欲しい。そして、俺は自分が必要とする”場”があることを予め知っている。指を加えて傍観するようなつまらなねえ真似をするのはもったいないだろ」


 英雄譚に憧れる少年といよりは、飢えた獣にも似た凄みを声にひそませて告げる。

 それだけのことにただならぬ胆力がある。雷は冷や汗をにじませながらおもわず真顔で息を呑んだ。

 気圧されたのではない。

 

(うわ。クレイジーだ。馬鹿だ。調子のった挙句、ダウナー系の主人公のかませ犬にされそうな言動だ)


 暴言をうっかり口にしないように懸命に喉の奥に嚥下したのだ。


「くっそ真剣そうな顔の裏で俺のこと馬鹿にしてるだろ、雷」

「ひとの努力をあっさりと見破るなよな、旭日」

「お前のことだからやられ役っぽい台詞だな、ぐらいにおもってるだろ」


 どうやら、本音は隠しきれなかったらしい。

 胡乱な顔をむける旭日に、雷は愁傷そうな顔を貼り付けた。


「いや、そんなことはない。絶対にないな。

 うん、ご立派。俺はそこまで自分の可能性とやらを信じられないから、その前向きさと自信は心底尊敬する。嘘じゃないぞ。煽りでもないからな。

 お前はお前。俺は俺。考え方はひとそれぞれだ。旭日は旭日のやりたいように好きに生きればいい」

 

 そう言って、自分が言ったことだというのに何故か胸の奥でしこりが生まれた。唇を引き結び、うつくむ。口にしたことは、雷の嘘偽りのないおもいのはずなのに、後悔に似た胸苦しさを覚える。

 軽口のような応酬をしている旭日本人が、雷のことばを一切気にとめた様子がないのが、なぜか不安になる。

 旭日は雷との別離など、なんら痛痒を得ないことのだろう。突き放す台詞に対して、さも当然のように受け止めていた。雷はさきほどのやり取りをおもいかえし、勝手に傷ついた。傷ついたことに驚き、自分の身勝手さに吐き気がする。

 どうしてなのだろうか。

 この違和感はなんなんだ。なぜ、息苦しさがあるのか。

 その疑問を解きほぐすために、雷は自身の望みをまとめる。

 

「俺は今までと全く違う場所だからっていって、そんなふうには思えない」


 動揺のせいで、おもいがけず暗い声になる。


「これからはただ……ただ、普通の生活がしたい。

 ちゃんとした飯が食えて、暖かい寝床があって、清潔な服が着れて、風呂にはいれて、身の危険もない。そう言う生活がしたいよ」


 切実な、心の底からの願いであったはずだ。

 日本で死んで、二度と帰れないのならば、せめて傷つくことのない安寧な毎日を送りたい。

 明確な形にして、はたと気づく。その生き方は旭日が選んだものとは完全に剥離している。

 

 こうなると自らの望みを叶えるためには、互いの選んだ道の違いから、遠からず雷と旭日の人生は分たれるであろう。

 はっきりとそれを認識し、雷はうろたえた。

 いやだ、と全身が沸騰するような強い感情に脳がゆさぶられる気がした。

 激情の生まれる理由がわからず、雷は困惑する。 


(今、俺が頼れるのはこいつだけだ。

 同郷で、この世界で俺の名前を唯一知っていて、俺がほんとうはこんなガキじゃなくて、二十三歳の男だっていうことを理解してる。

 これから、この場所で出会うひとたちは俺を見た目相応に扱うんだろう。

 自分が、自分じゃないような扱いをされることに、俺はきっと我慢できない。

 耐えられない。耐えたとしても、ずっとムカつく気持ちを抱えたままになる。

 誰一人、本当の俺を知らない環境なんて、想像もできない。 

 なにより、今の俺がこいつから離れて、まともに生きていくことができるのか?

 俺は旭日から離れるのが不安なんだ。旭日と別れたあと、自分の面倒を見きれる展望がぜんぜんもてない。あのときみたいに、俺は自分の身を守ることもできないかもしれない。

 だから、いやなんだ。きっと。

 恐ろしいから、離れるのが、いやだ……)


 考えを突き詰めれば突き詰めるほど、自身の情けなさに落ち込んだため息がもれそうになる。


「雷……」


 憐れみを感じ取り、雷は慌てて顔をあげた。

 何かを言われるまえに、雷から口をひらいた。


「でも、確実に今の状況だと俺一人では無理だ。情けないくらいに確実に無理な自信がある。嫌だっていっても、しばらくは旭日と一緒にいさせてもらう。頼むから、見捨てないでくれよ。

 いや、見捨てられても、しがみついてついてくからな。一人で生きていけって今この状況でお前に放り出されたら、俺は死ぬ自信がある!」


 やや高さがある寝床から転げ落ちる勢いで、雷は懇願し、訴えた。


「お、おう」


 勢いに呑まれたかのように、旭日は引き気味に了承する。


「見捨てるなって言わなくても、そもそもお前を放り出すつもりはないんだから安心しろ。野垂れ死にでもしたら、化けてでてきそうだしな」

「いや、俺は化けてでるほど根性はない。それは保証する。ただ、死ぬまで延々と恨言は吐き連ねる。これに関しても自信はある。なにせ、実際俺は意識が消える瞬間まで悪態ばっか吐いてたからな」

「妙なところで自信持つのやめろよ。聞いてるこっちが恥ずかしくなる。

 お前、社会人になって五年もたってんだろ。もうちぃっとばかり大人の男になって、内実はどうあれ見た目と言動はそれっぽく取り繕えるようになろう、な?」


 雷は可哀想なものを見る目で旭日に説き伏せられる。屈辱ではあったが、旭日の口ぶりが軽い気が抜けたものであることに、雷は心底ほっとした。


 深刻な雰囲気のまま旭日の同情を引き、彼から雷のこれからを保証させるような約束をさせたくなかった。

 雷から頼まなくても、性善説の塊のような旭日は雷の生活の面倒を引き受けてくれただろう。けれども、あの流れで旭日のほうが言い出すのを待つのは、とても卑怯でずるい話の運び方だ。なにより、気持ち悪い。

 

(これからどうするのかっていう話の時、わざとらしく不安がって。何してんだよ俺。)


 とんだ察してちゃんだ。面倒なタイプの人間が使う手口である。

 そういったいやらしいやり口を使いそうになった自分があまりにも痛々しく、雷は猛省した。


 4


 四十ほどの女村長が持ってきた暖かいまともな食事をご馳走になり、えぐみや苦味のない薄味ながらも旨味のあるそれに泣きながら時間をかけてゆっくりと平らげた雷は、話を切り出した。

 

「世話になりっぱなしは嫌だし、お前が村から請け負ってる仕事、手伝う。レベルもあげたいしな。これから似たような連中に絡まれる可能性は、0じゃないだろ。レベルをあげて、逃げ足くらいは鍛えたい」

  

(旭日には借りっぱなしで、返し切れるか分からないが、すくなくとも少しづつ返す努力はするべきだろう。貰いっぱなしっては、人としてだめだしな)


 正直、あの恐ろしげなゴブリンと相対するのはごめんだが、だからといって何もしないわけにはいかなかった。

 そして、これからずっとスライムや犬などの小物しか相手取れないのも危険だった。

 時がたてばたつほど、大陸には恐ろしい魔物が徘徊するようになる。

 安全な街中にずっと引きこもってやりすごす……という手段で完全に身を守れるともおもえない。

 基本的に魔物が人里に襲いかかってこないといっても、例外の種類の魔物の襲撃はある。それは年を追うごとに大陸各地で増え、その犠牲者が出てくるのだ。作中では語られなかった名もなき被害者のひとりにはなりたくない。


 それでも、臆病な自分が真っ向から魔物を迎え撃つのははなから諦めている。旭日に語った言葉に偽りはなく、せめて身を守りながら逃げ切れるだけのレベルは欲しい。


 雷の申し出に、旭日はそれもそうだなと二つ返事で了承した。


「面倒を見るのことになんのは、別に気にすんなって。だが、ここが物騒なのは確かだから、鍛えておいたほうがいいのは同意する。今日明日は体を休めて、明後日から同行してくれ」


 方針が決まり、今日はとりあえず村の案内と住人と雷との顔あわせをすることとなった。



 旭日が世話になっているという村は、よく言えば牧歌的な、悪く言えばなにもない村だった。飲み込むような深い森の中に、ぽっかりと穴を開けたように村がある。物々しい木柵に囲われていて、三十件ほどの家がそのなかに詰め込むように立っていた。畑や放牧地が柵の外側にあり、そこでひとびとがせっせと仕事をしている。

 その中にある旭日が借り受けた一件の空き家は、作りでいえばプレハブ倉庫のようなものだ。

 屋根と壁にかこまれているだけましといった塩梅で、風呂はなく、トイレもなくもよおしたら村の公共トイレまで行かなかければならない。トイレにはスライムがいて、排泄物を処理するのだとか。

 土間造りの小さな台所はあったが、竈門という馴染みない調理器具と作業場がある簡素なものだ。家の中に仕切りはなく、ワンルームである。

 窓にカーテンはなく、ましてや窓ガラスなんてなく、木の板でできた窓の扉を開け閉めするだけのものだ。

 この空き家がひときわ貧相な作りというわけではなく、住人の数によって家の大きさは変わるが、大概は似たようなものだという。


 雷がもともと着ていた服はボロボロであったため、村の者から格安で売ってもらったという継ぎ接ぎの多い古着を着ている。村の幼児と大差ないいでたちで、雷は村を眺めていた。

 村の余所者の旭日の隣に立つ、さらに見慣れない雷に訝しむ視線や好奇の視線が突き刺さる。そういった者たちに旭日は鷹揚な笑みを向け、「森ではぐれていた友人の子どもだ」と屈託なく雷を紹介した。友人そのものだと紹介するには、見た目の年齢が離れてすぎていたのだから仕方ないが、ちょっとひっかかった。


 村の住人は二百人いかない規模。

 皆西洋風の顔立ちで、金髪や薄い色合いの茶髪が多い。灰色の髪や、白髪に近い旭日の銀髪とは似ても似つかないきらきらした銀髪もいた。

 雷のような黒髪はいない。

 大陸の東側は明るい色合いの髪色の人間や、エルフ、ドワーフが多く住む。中央は赤毛の人間を中心に東西にいるいろんな種族が混じり合ってくらす。濃い髪色は、西側に多く住む。ゲーム同様、大陸東では黒髪は珍しいようだ。

 

 人間の中に、ときおりエルフの姿もまじっている。耳の先が尖っていて、風景から浮き出るように際立って美しく目を引く。そんな彼らも被り物をして、慣れた手つきで農作業をしていた。案外、村の光景に馴染む……とは全く思えず、似合わないなと雷は半ば愕然としながらエルフたちを眺めた。


 

 村には職人のドワーフも住んでいるという。

 種族の違いによって仲が悪いということはなく、土地の利権で争うことはあっても、種族が原因で戦争が起きたことは大陸の歴史にはほとんど存在しない。少なくとも、雷の知るゲーム知識ではそうであった。

 人間もエルフも関係なく一緒に暮らしているのが当たり前の姿を見ると、知識通りだと思っていいのかもしれない。 


 ただ、大陸南東に位置する帝国は人間至上主義国家で、人間以外の種族は暮らしにくい。

 かつては大陸の四割ほどの領土を支配下においていたが、大陸では神の次に尊いとされる神族にまでその牙を向けたことで他国どころか自国民の怒りすら買い、大規模な反乱が発生し国の規模が全盛期よりも縮小している。

 帝国ではない地域で帝国語が使われている理由は、過去に帝国に支配されていた名残なのかな、とゆっくりと物事を考えられるようになったのでとるに足らないことを雷は推測できるようになった。

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