当面の目標
第11話 差
1
目を覚ましたときいまだに森の中を彷徨っている感覚があって、壁と天井に囲まれていることに雷は一瞬気づかなかった。
(あー、ここは……?)
雷は呆然として天井を眺める。
いまだ夢の延長にいるのか、と訝しんだくらいだった。
着の身着のままで寒さに震えて身を丸めて寝ていた日々とは違い、古ぼけくたびれてはいるが毛布に包まれている。
そして雷が寝ているのは、ふつうのベッドでも布団でもなかった。
かさかさとした感触のものの上にシーツが敷いてある。鼻をつくにおいは独特だった。これはもしかして中に詰まっているのは藁であろうかと雷は考えた。
藁の寝床など現代人である雷には一切馴染みないが、文化をもつ人間らしい寝床に眠っている。それがまず雷には信じられなかった。都合が良すぎて、現実のほうが疑わしかったくらいだ。
安っぽいなどという表現では済まされない古めかしい簡易の寝床であったが、寒空で着の身着のまま寝ていた五日間と比べると上等な寝具で、雷はこのうえなく幸せであった。
天井を眺めたまま、まぶたをしばたく。一拍置いて、我が身に降りかかった災難をようやくおもい出した。
「ここ、どこだ?」
反射的に疑問が口をついてでていた。
「俺が世話になってる村の空き家だよ」
深みのある男の声が返ってきて、雷はすぐに声の発生源に首を向ける。
ゲームのアバターの姿をした旭日が、雷が横になった寝床の脇にいた。
剥き出しになった皮膚のところどころに鱗が見える大柄な竜人な姿だ。銀髪を大雑把に後ろになでつけた精悍な強面の顔立ちと相まって、一見すると野獣の如き剣呑な雰囲気がある。
そんな見てくれには不釣り合いな窮屈に見える椅子に座り、腕を組みこちらをうかがっている。顔色がやや悪く、うっすらと隈が見えた。
雷は無意識のうちに緊張で強張っていた体の力を抜く。ここがどこかはわからないが、旭日がそばにいるのならば大丈夫だろう。そんな根拠のない安心感があった。
(俺と同じようにここにいるってことは、こいつも、もしかしなくても死んだのか。こいつが死んで泣いてるやつがたくさんいるんだろうな……)
不意に雷のなかによぎったのは彼と、彼の周囲に対する憐憫である。
長身で弛んだところのない引き締まった肢体。うらやましいくらいの長身。清潔感があって好感の持てる笑顔をたやさない。会社でも女性にもてていた。
天は二物を与えずという言葉をかっ飛ばすような男だった。
モデルみたいな両親を持つ、かなりの不動産を有する裕福な家の生まれ、らしい。そんな男が地方の小さな飲料企業に就職したのはわりと謎だ。
雷よりも一回り年上で、性格は悪くなくひとあたりもいい。年長者の鷹揚さと少年のようなやんちゃさを持っていた。人見知りでわりと面倒なところがある雷ともプライベートで遊べるくらい仲良くなれるのだから、人格者といっていいだろう。
(ひととしての出来が違いすぎて、初対面のときはこんなに仲良くなるとは思ってなかったな)
同じゲームをプレイしていると知り、フレンドコードを交換してネット上で協力プレイをするようになった。マルチプレイ用のダンジョンの強敵を倒したり、必要なアイテムを交換しあったり。
最高レベルにまで育てた強キャラの旭日には、マルチ用の難易度の高いダンジョンでアイテム集めやレベリングをいろいろと手伝ってもらったものだ。
(下の名前を呼ぶとキレるんだよなー。ふざけてたまに呼んだりしてたが……命の恩人だしな。これからは、やめておこう)
旭日は自身の下の名前を呼ばれるのを嫌っていた。上司ならば嫌そうな表情を見せつつもかろうじて対応するが、同僚であったならば、そうとう乱暴なあしらいをする。
本当は陽太(それでも苗字と名前の字面の組み合わせが眩しいなと雷はおもう)と名付けられるはずだったらしいが、漢字を覚えたばかりの彼の幼い姉が出生届の意味もわからず「あ、太陽って字が逆になってる! なおしてあげよう!」という余計な親切心を起こした。書き直されたことに気づかないまま両親が出生届を提出し、旭日の名前は太陽となった次第らしい。
気心知れているせいかついつい舐めた態度を取ってしまいがちだったが、命の恩人相手の逆鱗に触れるような真似は二度とすまいと雷は誓う。
「よ、おはよう。旭日……」
(いや、かけるべき言葉はそうじゃないだろう)
開口一番にうっかりでてきたのは凡百な挨拶である。
「体調悪そうだけど、どうだ? あー、最初に言わなきゃいけないことが違うな、助けてくれてありがとう。本当に、助かった。俺は、お前に救われた。旭日に助けられたから、今、生きてる」
仕切り直して改めて感謝を告げると胸がいっぱいになって、言いたいことのほとんどがつっかえてうまく喉から出てこなかった。
形にできないものをそれでも伝えたくて、ベッドから急いでおりる。
体に痛みはなく、しっかりと自分の足で立ち上がることができた。
あれだけ酷く痛めつけられたのに、それを忘れたように体が動くのが不思議だ。ありがたくはあったが、不可解だ。魔法の効果? 回復薬の効能? それともゲームと同じようにきちんとした寝床を使うとHP0が一晩で治るのだろうか? もしそれが当然のようにまかりとおるのならばどのような理屈なのだろうかと雷は内心首をひねった。
そんな不可解な事象の探究は、ともかく後回しだ。
今の雷にはやらなければならないことがある。
雷は万感をこめて、旭日の前で深く頭をさげた。
「……どういたしまして。つか、礼ならお前が寝落ちする前に散々きいたからな。もう十分だ」
ため息のような安堵を滲ませた息を吐いてから、旭日は目尻の皺を深くさせながら笑む。そうすると、すこしだけ顔色がましになったように見えた。
「そうだったか? 散々っていわれるほど礼を言った記憶がほとんどない」
男に奮われた理不尽な暴力によって身のうちから沸いた憎悪の感覚は鮮明に残っている。しかし、過ぎた暴力のせいで意識が朦朧としていたせいか仔細の記憶の前後はもはやあやふやだ。
もうひとりの男は、気づけば姿がなかったことはかろうじて頭の隅に残っている。旭日に恐れをなして逃げたのだろう。
そのときは男どころではなく、雷は自身の治療が急務だった。《
それから、旭日に背負われたのまでは覚えている。
「あの様子じゃあ、仕方ないな。
体は大丈夫か?」
「あんだけ痛かったのが嘘みたいに、違和感のあるところはないな。
現実じゃ、ありえないだろ、こんなの」
最後は不思議がるというよりは、不気味がる面持ちで雷は吐き捨てる。
「俺たちの当たり前だった現実とは違う現実だから、ありえちまうことなのかもな」
対して旭日は、今までの自分たちの常識を覆す”ゲーム的”な現象を面白がっている節があった。
たったそれだけの態度であったが、旭日はこの状況を雷よりも前向きに捉えていると感じた。
すくなくとも、表面上は。
(俺と違って、こいつは家族がいるんだから未練は俺よりもあってもおかしくなさそうだけどな。家族仲は悪いっては聞いてないし、むしろ話聞く限り若干シスコンっぽいんだが)
感じたまま、見た通りの振る舞いが全てとは限らないだろう。
二十三年の人生によってひねくれた性格の悪さのせいで「死んだっていうのにずいぶんと楽しそうだな」と確実に空気を悪くする嫌味がごく自然に出そうになったのを、雷は慌てて飲み込んだ。
2
目を覚ました雷は、互いの置かれていた状況を旭日と話しあった。
そんなわけないだろう! と言い合って話を混ぜ返す無駄な時間を過ごすことはなく、事故で死んだことを受け入れ、ここはゲームの世界に似た場所だと双方認識していることを確認した。
雷の話は百舌の速贄の状態で意識を失ったことから始まり、死んだ自覚を持ったまま暗い水溜り落ちる夢を見たこと、その後あの森で五日間彷徨い続け、挙句にあの男たちに出会ってしまったことを伝えた。
一方で旭日だが、あの事故ではなく病院に運ばれたのち、亡くなったらしい。
死ぬ間際、奇跡のように少しだけ意識が戻ったという。家族に最期に会えて別れを告げられたことが不幸中の幸いだったと旭日は酷く落ち着いた様子で告げた。
「ずいぶんと、人間ができてるな。俺だったら、最後に仲のいいやつに会えたとしても、そんなふうには思えないな」
雷は妬ましい気持ちを抱えつつも、素直に感心した。旭日が端的にかいつまんだ言葉からは自分が死んだことへの嘆きよりも、残された家族をおもうあたたかな情にあふれている。
我が身を憐れむのではなく、残された家族の悲しみをあんじている。雷は己の突然の不幸を呪うばかりで、数少ない親しいひとたちのことなど一顧だにしなかった。
自分はそういうやつなのだから仕方ないとおもうと同時に、こうも真逆でまざまざと自らと比べてしまう対象がいると、旭日はその名のとおりとりわけ輝いていて、反面、雷は我が身が薄ら汚れているように感じた。
雷の中にある卑屈で矮小な劣等感を刺激されて、体の内側が冷えていく心地がした。ひととしての出来が違うのだから、比べることのほうが烏滸がましいのだと自らを戒める。今は、そんな感情に振り回されている場合ではないのだ。
「そりゃ、俺はその辺のやつらと比べものにならないくらいのいい男、だからな」
「いってろ」
わざとらしく胸を張る旭日の肩を、雷は軽くこづいた。
「どこまで話したっけな。
とりあえず、死んで目が覚めた後のことだ。お前と同じように森にいたが幸いすぐに人の生活圏に出れたな。そこからがわりかし大変だったんだ」
「勿体ぶらずにさくさく話しを進めろよ。一回死んで、そのうえまた死にかけた俺よりも大変だったわけじゃないだろ」
「いやあ、さすがにそこまでじゃねえな。
俺が森を抜けてたどり着いたのは塀に囲まれた街でな、なにも考えずに意気揚々と門からはいろうとしたら文字通り門前払いされちまった。
そのうえ、不審者扱いで捕まりかけた。ほんとまいっちまう」
ゲームでは素通りできたが、現実に即しているとそうはならないらしい。旭日はからからと笑いながら告げる。
「その見た目じゃあなあ」
雷はしげしげと旭日を眺めながらしたり顔で納得した。
話を面白おかしく誇張しているわけではなく、真実味がある。
「そこは話を盛りすぎだろって疑ってくれよ。ひでぇやつ」
「お前の見た目じゃあ、日本人的考え方を持つ俺からしたら堅気には見えない。この世界の住人にしたって、悪人面に見えるんじゃないか」
「これでも往年の名優を参考にして作ったキャラなんだぞ。悪人面はないだろ」
旭日はむっとする。
「参考にしたっていったって、ゲームであらかじめ用意されたパーツを使ってるだけなんだから、そのものになるわけじゃないだろ。参考にしたっていったって忠実なのは、髪型と髪の色ぐらいだけじゃないか? その名優さんは身長2メートル超えてるのか? 超えてないだろ?」
旭日の言い分を、雷はすっぱりと退ける。
「旭日の性格が出てるから無表情にさえならなきゃ、顔はそこまで怖くないが、そのデカさは威圧感あんだろ。検問? 関所? そういうところで警戒されるのは当然な気がする」
「はーあ、ご意見ごもっとも。まあ、とにかく俺が言いたいのはだな、このあたりじゃあ俺みたいな竜人は珍しいから、余計警戒されるってことだ。
雷、ここが大陸の東側って気づいていたか?」
「うん、それは一応。俺に絡んできた奴らが大陸帝国語使ってたしな。大陸の東部なんだろうっていうのはざっくりと把握してた」
双神ダヤンと双神ティタン。
この大陸の民に信仰される双子の男神である。
ダヤンは大陸に住む人間とドワーフとエルフを創り、ティタンは獣人と竜人と花人を創ったとされる。
基本的にダヤンの創った種族は東側に住み、ティタンの創った種族は西側に住んでいる。大陸中央は、それぞれの種族が混じり合って暮らしている。
『精霊の贈り物』では、大陸の東側で竜人のNPCやモブは存在しない。それは、ゲームに似たこの現実の世界でもそうなのだろう。
「詳しいこと言うと大陸の、北東のほうだ。大陸東部の
「イグニスって、バグ技のアイツか。ずいぶんと僻地にとばされたもんだ。本来のゲームスタート地点のコハンの街は、大陸の真ん中だろ」
郡国と聞いてもぱっとおもい浮かばなかったが、有用なバグイベントを発生させられることでプレイヤーから愛されているイグニスの名を聞いて、その場所をすぐに把握する。
ちなみにクエストノートに記される正しいイベント名は『裏切りのイグニス』である。
郡国は大陸北東の端にあり、海に面していた。小都市国家が協力体制を結んでいる国、とだけ簡単な説明が作中ではされていた記憶がある。
たくさんの都市国家があるらしいが実際にゲームでおとずれることができる街は、治安の悪いスラムみたいな街だけだった。それ以外はフィールドと、ミニクエストで使うちいさなダンジョンがいくつか点在するだけ。郡国はメインシナリオには一切関係のない地域で、ここに来なくてもクリアが可能な場所だった。それゆえにあまり作り込まれていない。
「俺が入ろうとして追い払われた街の名前は、小都市カサギっていうらしい」
「カサギなあ」
初めて聞く名称だ。郡国の小都市カサギ。ゲームでは表現されることのなかった場所だった。
そういったものまで、存在しているのだ。
まあ、当然といえば当然なのだろう。ゲーム通りの村や街しかなかったら、あまりにも人口が少ないし、世界が狭すぎる。
「で、よくある異世界転生のセオリー通り大きな街に入ろうとしてカサギに入ろうとして追い出された俺は、この村にやってきたわけだ」
「ふうん。で、それから五日間ここにいたのか?」
旭日はうなずく。
「村長に借りたこの空き家を拠点にして、村長から仕事を頼まれて森でゴブリン退治をしていたな。動物タイプの魔物は基本的に人里に来ねえけど、ゴブリンみたいな二足歩行の魔物は別なんだとよ。安全のために、定期的に近隣のゴブリンは間引いておきたいらしい。
カサギみたいな大きな街にはいるにはな、金がいる。ゴブリン退治の成果給で金を稼いでんだ。
村としては街のハンターに頼むよりは安くすんで、根なし草の俺は金を稼げる。ついでに、ある程度近隣のゴブリン退治に目処がついたら、都市を出入りするときに役立つ身分証明の但し書きを書いてもらえる約束になってる」
「生活力すごすぎる」
五日間、長引けば長引くほど死に近づくサバイバルをしていた雷とは雲泥の差で、旭日はこれから生きていくことができそうな基盤を着々と築いていた。
これもきっと、旭日のコミュニケーション能力の賜物だろう。一見して剣呑な顔立ちをしているのなんてものともせず、人の懐にはいって交渉する姿が目に浮かぶようだ。
厳つい見た目のマイナスを、腕が立ち頼りになりそうというプラスの要素に変貌させ、村のまとめ役への売り込みに成功したに違いない。
「こんくらい普通だろ」
「これが普通だったら、俺は底辺だな。俺だったら、見た目が旭日と同じ条件の場合今頃失敗して膝抱えてやさぐれてぶつくさ言ってる」
「そんなことねえよっていう慰めが言えないぐらいに、容易に想像できるのがやばいな」
旭日は先ほどのお返しのようにしたり顔で同意した。
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