第14話 スライムを集めたい

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 血抜きに、内臓抜き、毛皮を剥ぎ、肉を切り分ける。

 

 生き物を殺すことと、それを切り分けることには別種の覚悟が必要だった。前者は追い詰められた状況によって考える間もなく呆気なく雷の身に馴染んだが、後者には忍耐力がいった。

 雷は顔を青くさせながらマリィシアの作業を見学し、三体目の鼠は不器用な手つきで自ら解体した。

 当然のことながら血肉が通った物を触って自ら食える物にする作業は、見たり聞いたりするだけのときの嫌悪感を、遥かに凌ぐ。臭い、音、感触……それら全てに雷は鳥肌をたてながら耐え、最終的には「所詮こんなものか」と脂汗を滲ませつつも痩せ我慢を発揮できるようになった。


 鼠の解体のあと、少女から横柄に後片付けを命じられた。授業料とおもえば安いものである。

 抜き出した使わない内臓や血を決められた場所に捨てにいく。


 一通りの片付けが終わった雷に、マリィシアは当然のような顔をして青スライムを渡してきた。

 

「これ、どうしろって?」


 体を洗う石鹸代わりにスライムを使うという予備知識はあるが、皆目検討がつかず雷は少女にたずねる。


「どうするって、手を洗いたいでしょ?」


 マリィシアは何をいっているんだと言わんばかりだ。

 なおも不思議そうに雷をみすえながら、ちょっと間をおいたあと自らの手のひらの中で青いスライムを潰した。

 さらっとした液体に手を濡らしながら、手洗いの基本のように指を擦る。そうすると角質取りクリームでもつけているみたいに、ぼろぼろと手から白いものがでてくる。ところどころ赤いものもあり、それは手についた鼠の血だったのかもしれない。粗方手を擦り終えると、マリィシアはあらかじめ水で絞っておいた手巾で手をぬぐった。


「こうやって使うの。こんなことも知らないの? スライムで体を洗ったことないのかしら? 汚いわね」


 不潔だ、と攻撃的で嫌悪感のふくんだ視線を向けられる。


「誤解だ。手は洗う。スライムを使った手洗いが初めてなだけだ」


 雷が訴えると、疑わしそうな視線を返された。


 そして指導を受けながら解体に使った刃物の手入れをする。


 その後雷はスライムを洗剤代わりに使っての洗濯という初めての経験もした。


 桶に無抵抗な四匹の緑スライムをぶちこむ。そこに、二人が使ったエプロンを放り込みスライムの体液を擦り付けるように揉み、洗うのだ。

 スライムの体液に直接触れることに抵抗感は大きかったが、これも異世界の事情なのだと雷はそれをぐっと飲み込んだ。


 雷の子供の手の力で強く押し込むだけで皮が弾け、透明に近いどろっとした液体がぶわりと広がる。

 洗剤のように泡立ちはしないが、エプロンに飛び散った血でついた汚れがスライムの体液によって色が薄くなっていく。


 緑スライムの体液の原液は水のように繊維に溶け込みはせず、生地が濡れなかった。

 ゼラチンのようにぶよぶよとした弾力のある固形を保っている。

 スライムのその体液は服の汚れにくっつくと、汚れの色に染まりながら濁った塊になる。


 汚れが取れたら、最後に水ですすぎ洗いだ。


「冬は、なかなか乾かないから水を使わないの。服についた塊を手ではらって終わり。それでも、臭いとかひどい汚れとかは、落ちるのよ」


「へえ。それはいい」


 雷は心底感心した。

 これから装備を整えるとして、戦闘用の勝負服となると洗濯をして乾かしている間の着替えなど用意できるものではないだろう。衛生面が気になるようになった場合、緑スライムで水を使わずに洗ってすぐにまた着ればいいのだから、便利である。


 鼻先が近づくと、洗い上げたエプロンからほんのりとハッカに近い匂いがした。


 6


 雷は、過去を思い返す。

 慣れてしまっていてもときおり悪臭が鼻をついたし、ずっと身に纏っていたべたついた衣服は意識すると気持ちが悪かった。経験値稼ぎがてら体を綺麗にできたことを考えると、スライムを潰すだけだったのはずいぶんともったいないことをしていた。 


(スライムで身繕いできるって知っていたら、少しは気分がましな五日間になったんだろうか)


 村長の家での作業を終えた雷は、歩きながらとりとめのないことを考える。

 その背には、マリィシアから借りた蓋付きの背負い籠がある。ただでは借りられず、貸し賃を後払いすることになっている。籠の使用理由を村の付近でスライムを探しに行くと告げたところ、最低二匹のスライムねと笑顔で告げられ、雷の子供の両腕でなんとかかかえられる程度の大きさの籠を渡された。

 

(なるべく、多く見つけたいな。この籠いっぱい見つかればいいんだけど)


 昨日、丸一日着ていた服だし、体も洗っていない。じめりとした居心地の悪さが、雷についてまわっている。自身から淀んで濁ったものが漂っていそうで、心底嫌になる。それを気にするだけの余裕ができたと思えばいいことだが、だからといってこのままでいいわけがない。


 スライムの有用性を理解した雷は、ひとり村の外にでた。

 繕いだらけの服や、自らの体を丸洗いしたくなったのだ。


 叶うことならば風呂に入り、新しい着替えが欲しい。しかし現状では難しい。

 まず湯を沸かすだけでも、雷が想像するよりもずっと手間ひまがかかるのだ。

 村の近くを流れる川から水を運んでくるか井戸から水を汲み上げて、薪を使って湯を沸かす。湯沸かし器も蛇口もないこの村では、すべて人力だ。

 村にある井戸水を使うことからして、ただではない。桶二個分で、1ゴールド。旭日が金を払って小屋の中に水を用意していたから、雷は値段を知っていた。

 1ゴールドは日本円に換算するとどれだけの価値があるか雷にはまだ判然としないが、さすがに1ゴールド1円ではないと思う。最初の所持金が子供のお小遣いにもならない額ではお話にもならない。


 そして着替えに関しては、肝心の服屋が村にない。現状、新しい服が欲しい場合、村の住人との交渉から始まらなければならない。雷にはとてもではないが敷居が高すぎる。


 それらを踏まえると、雷が自分の持っている手段で衣食住の衣の快適さを得るには、スライムで丸洗して身綺麗にするしかないのだ。


 日本ではごく当たり前に享受できたことが、ここでは途方もない高望みだ。家に帰りたいと雷は嘆息する。嘆いたところで風呂に湯が沸くわけでもないので、雷は自らの足で動く。


(日が高くて時間があるし、自分で探したほうが早いな)


 何より、雷にはこれといって特にすることもない。


 旭日がゴブリン狩りついで見つけたスライムをもらえるとは限らないし、なにより一方的にもらってばかりでいるつもりなのは、よくない。たとえ本人が気にしていなくても、旭日に対してこれ以上図々しい振る舞いをするのは避けるべきだ。


(村の付近に出るのは一番弱いスライム、あとはせいぜいチワワみたいな犬か。毒鼠には気をつけよう)


 スライムなら問題はないが、攻撃手段となるロッドがないので犬に出会うのは怖い。毒鼠は数で襲い掛かられるのが怖いから、見つけたらすぐに逃げるしかない。


(スライムだけじゃなくて、使えそうな木の枝でもあったら拾って、石も用意したほうがいいな。明日は旭日と一緒に行動するわけだし。石に刻印ルーンを描くのにインクになる木の実も探して……。

 薬草も、あれば採っておいたほうがいいか。薬の調合ができないから今の俺にはただの草だけど、ここが現実に即しているなら、調合や錬金術スキルがなくてもなにかしら加工できるかもしれない。スキルがないと薬草が一切加工できない、なんてことはないだろう) 


 農作業をする村人たちを眺めながら通り過ぎ、農耕地と外を仕切る雷の目線ほどの高さの囲いを出る。囲いのすぐそばにまで森が来ていて、日の光が奥まで届かない木々の向こう側は昼であっても薄暗く見えた。


 つい先日まで、あの暗がりの森の中で彷徨っていたのだ。昼は木漏れ日を頼りに、夜はランプの花の光を慰みに。怖いところへひたすら誘い込むような鬱蒼とした木々を掻き分け、這いずった。

 それがようやっと遮るもののない日の光の下にいるのだから、感慨深い。これからの不安と、自身の知識が通用しない未知によって痼りのようにわだかまるものはあれど、胸の奥がすうと通りずいぶんと息をしやすい。

 こうやって生きていられるのも旭日のおかげだ。それを思うたびに感謝の念が沸く。死、そのものから助けてくれたこと。心が削られる日々から救いだしてくれたこと。絶望に折れた雷に再び希望を吹き込んでくれたこと。尽きることなく、あたたかなものが雷の中に生まれる。


(迷惑かけるだけなのは嫌だから、自分でできることは自分でする。返せるものがあれば、返す)


 雷は改めて決意をし、森に向き直る。


 森のほうぼうから固いものを強く叩く音がする。風を鋭く斬るように響き、余韻をのばしながら天にむかってほどけて消えていく。

 目をやれば体格のいい男たちが木の伐採をしていた。安全とは言い難い区域で山歩きするので、ひとの気配はすこしだけありがたい。


 本心を言えば、見知らぬ人間の存在……とくに成人男性というのはおそろしい。無意識のうちに体が強ばり、気を張り詰めて身構えてしまう。

 男ふたりに殺されかけた経験はまだ記憶に新しく、体の傷は癒えても、雷の心に残った傷はまだ消えていない。

 被害妄想だと理性でわかっていても、ことのほか我が身が惜しい雷は、もしかしたらと息を呑んでしまう。二度とあのような目に遭いたくないがために、無害であろう相手にも無闇に警戒した緊張状態におちいってしまう。


(もし、悪党じみた考えを持つ奴がいたとしても、だ。

 世間体を気にするまともなひとなら自分たちの住む場所で、あからさまに子供に無体を働くような馬鹿な真似はしないだろう)


 雷の身に降りかかった災難がこの村でふたたび降りかかる可能性はきっと低い。よって、今雷が抱く恐れは杞憂なのである。

 

 雷は自分自身に強く言い聞かせて巣食う焦りをなだめ、怯えるこころを懸命に殺した。


 7


 赤くてすっぱい木の実を採取し、薬草もむしった。折ったロッド代わりになりそうな手頃な枝はまだ見つからない。

 散策中、ありがたいことに小犬とも毒鼠ともでくわさずにすんだ。しかし、悲しいかなスライムともなかなか巡り会えなかった。いまのところ籠には緑二匹と青三匹のスライムがいるが、マリィシアに二匹渡すことを考えると、できればもっと数を確保しておきたい。

 雷は籠を背負い直す。背負った籠の中で生きたスライムがみじろぎしている。蓋があるから青スライムが飛び出すことはないが、背中でがさごそと動かれると落ち着かず、雷は重いためいきをついた。

 

 雷は周囲に気を払い、目を皿のようにして歩く。

 

 同じような光景が続き、ともすると方向感覚が失せそうな森だが、村側で木を伐採する音が聞こえるため、それにさえ気をつければ迷う心配はなかった。

 

 力強い音が続くと、ひときわ空気を震わすような破砕音が耳をつき、悲鳴じみた大きな音をたてて木が倒壊する。まるで親の仇を討つみたいに熱心に、あちこちから絶え間なく聞こえる。ゲームですらもそうそう聞かない物騒な環境音だ。


 木の伐採音が悲鳴のようだと思っていたら、本当にひとの悲鳴が聞こえてきたのは六匹目のスライムを見つけたときだった。


 脅威に瀕した切迫した若い男の大声。

 雷は反射的に発生源に振り向く。

 現段階では状況は不明。事故でもあったか、もしそうだとしたら怪我人も出たかもしれない。あるいは、本来ならばひとの営みにあまり近づかないはずの魔物でもでたか。

 状況を把握できない不安感で幼い顔を険しくさせながら、それでも雷は頭の中で算段する。

 

 誰か怪我人が出たようであれば魔法で回復して、村人に恩を売るのもいいかもしれない。

 どれだけこの村にいることになるかは分からないが、多少なりとも住人に貸をつくるのは悪くないはずだ。

 同時に考えるのは、見るからに子供の雷が一番簡単な癒しの魔法とはいえ〈神聖魔法〉を使って悪目立ちしないかということ。滞在中奇異の目を寄せられたり、これ幸いと安易な回復薬代わりにされるのは避けたい。雷の中には鷹揚な忍耐と、完全なる善意など存在しないのだから。


 これらのことを殊更短い時間で思考し、天秤にかけた。


(実際の状況がわからないことには、ここであれこれ考えても埒があかないな)


 出た答えは今ここで考えたところで無駄だから、結論を得てから臨機応変に対応する、という無難なもの。


 雷は何が起こったのだろうという好奇心と下心、そして警戒を抱いて悲鳴の聞こえた方向に慎重な足取りで向かう。


幼生妖樹ラルバトレントが混じってるぞ!」


 雷の耳をつんざいたのは、危機を知らせる怒声である。

 魔物の名前が聞こえて、雷は足を止めた。

 

(トレント、木のモンスターか。人里に近いってことは、一番弱くて小さいやつか?)


 瞬時に頭の中の記憶の箱から名称に重なる存在をひっぱりだす。

 ほっそりとした若木で、画面越しで見る限り低身長の雷のキャラより体高があったはずだ。この異世界に放り出されて、トレント系の魔物とは初めて遭遇する。


 心臓が早鐘のように耳を強く打つ。その音に焦らされながらも、ひたすら冷静になるよう雷は努める。できるだけ気配を殺したつもりで近づきながら、動揺が冷めない目で魔物の姿を視界におさめた。

 三人の男たちが慌てふためいて応戦しているのは、男たちとそう変わらぬ背丈の動き回る木だった。葉っぱのいくつかが黄色く染まり、周りの生えた変哲のない木々と同様に秋の化粧をはじめている。これがじっとしていたら、ただの木と誤認するだろう。雷だったら、動きだすまで魔物の木だなどとたぶん気付かない。


 幹の太さは、雷よりは太く成人男性より細い程度。葉を茂らせた枝は教鞭じみていて、容赦なく多方から攻め打ってくるのは遠目に見ても圧倒される。しかし、葉っぱが緩衝材になっているから、鋭くしなる枝そのものには直撃しにくそうだ。体の大きさに圧倒されるが、命が即座に危ぶまれるような敵には見えなかった。


 雷は記憶の底にある知識をひっぱりだす。

 一番弱いトレントはひたすら防御力が高く、それに比例して攻撃力は低め。そのうえ近距離の物理しか攻撃手段がないため、そこまで強い魔物ではなかった。傍目には確かになんとかなりそうな気もする。気がするだけで、雷の足は一歩たりとも動かなかったが。


 ーーゲームでは。

 幼生妖樹ラルバトレントは小犬よりもやや強い。しかし、毒鼠の数の暴力と毒付与よりは恐ろしくない。一体だけであれば、レベルが全くあがっていなくても時間をかけて対処が可能だった。ゲームでは雷のクリエイトしたキャラの攻撃力の低さと、相手の防御力の高さのせいでかなりの泥試合になった。ともあれ、序盤のほとんどの雑魚敵と同様に、仲間がいれば囲んであっという間に倒せる敵だった。

 

(だからといって、俺よりでかい奴に立ち向かうのは無理)  


 ゲームの初戦相手として苦労せずに勝った犬には、この現実となった異世界ではたいへん苦労させられた。こと実際の戦闘において、空想世界の遊びでそうであったからといって、現実で同じような手応えは期待しないほうがいい。


 村の男たちは、突然の出来事にいっときは驚愕したものの冷静な者が声を張り合げて対処を始めた。

 

「魔物だろうが所詮はただの木だ! きこりの敵じゃねえぞ!」


 魔物への本能的な恐ろしさで及び腰になっている者を蹴飛ばす勢いで檄を投げる。

 言い様強がりではないことを示すように、剛腕で斧を振るった。必殺の一撃というに相応しい痛打だった。

 幹の半分にまで一気に食い込み、妖樹の若木は悲鳴をあげるかのように激しく身をよじる。

 

 それを見守っていた男たちは、勝てない敵ではないとすぐに悟り、冷静さを取り戻した。


(俺が手を貸す必要性もなさそうだ)


 影からこっそり見ていた雷は、息を吐いた。

 様子見で正解だった。非力な雷が顔を突っ込んだところで逆に足を引っ張ることしかできないだろう。助けてやろうなど傲慢な考えで助けに出たって邪魔だと追い返されるか、かえって更なる悲劇を巻き起こすことになったかもしれない。

 ほとんど棒立ちになって竦んでいただけとも言えるが、沈黙は正解だった。


 木こりたちの山仕事で鍛えた巌のような瘤は伊達ではない。雷ではきっとああはならないはずだ。


 一人の男の勇気ある行動を皮切りに、樹の魔物はあっという間にのされてしまった。

 男たちが怯えていたのが馬鹿馬鹿しいくらいの、見事な圧勝である。


(強いな……というか逞しいといえばいいんだろうか。こんな訳のわからない生き物がいる世界で生活してるんだから普通の村人でも、当たり前に戦えるんだ。そりゃ、そうだよな)


 雷が『虚構の世界によく似た世界』と認識している場所で、全身全霊で彼らは生きていて、そして生き抜こうとしている。作りものではない、嘘偽りのない等身大の命のあり方だ。

 脅威に怯えながらも、死なないために全力で抗い、戦うのだ。雷はそれに力強い命の息吹を感じる。

 

(作りものじゃない。作り物じゃないってことはわかっていたんだけど、この世界の住人たちは俺が考える以上にずっと命のやり取りの中で生きているんだ。

 生きているんだ)


 『作られた枠』などない、ゲームの設定が作る『安全』のない場所で、ただの村人であっても利用できるものはなんでも利用しなかがら、自らのために自らの力で安穏を獲得しにいく。


 こんな些細な日常の中で命の危機に脅かされながらも、命は過去から続き、そしてこれからも続いていくのだろう。

 

 雷はそれがどうしてか恐ろしくおもえた。


 泣き笑いの表情を浮かべたあと、湿っぽいため息とともに手のひらで顔をおおった。


(ここが、俺にとって都合のいい世界じゃないってことは痛感済みなのにな。

 なんで、今更こんなことを思うんだか。

 頭のどこかで、縋ってたのかもしれない)


 自分にとって都合のいい奇跡が起こるなにがしかの存在による作為の余地。最初から薄かったそれが、更に雷の中で否定される。


 何者の意思など関係なく、自らが地に足ついて生きていることを疑わないひとたち。自らの生き様によって手に入れたもので、生き抜いている。そんな彼らを見ていると、自分は本当な特別な存在でなにかによって守られているかもしれないという最後の幻想を打ち砕かれる。気休めのお守りじみたものであっても恐々としながら抱えていた命の保証のようなものが、やっぱり意味がないものなのだとじわじわと理解させられる。

 

 だって、雷はそんな彼らに比べると、あまりにも薄っぺらい。特別な何かだとはとてもではないが思えない。


 なぜここにいるのだろう。なぜ、ここで自分の意識は続いているのだろう。

 

 いきなり世界で目覚めたときと同様に、命の有無にかかわらず、ある日突然意識ごと消えてしまってもおかしくないではないか。そんな疑念が浮かぶくらいに、雷の存在の根拠、原因、理由が曖昧で不明だ。

 

 この体はどこから来たのだ。意識がこの世界で目覚めると同時に、肉体が一から構成された? それともゲームで作った少女に似た誰かの体を乗っとったのか?


 わからない。

 わからない。

 何一つ、わからない。

 自分を確として形成してくれる安心材料を雷は持っていない。


(駄目だな。余裕があると、嫌なことばかり考える。今は駄目だ)


 そんなふうに、雷は暗いところに陥りそうな自らを宥める。


 今、考えたところでどうしようもないこと。

 かといって、いつ考えればいいのかもわからないけれど。

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