第4話 愛


 信じて貰えないかもしれないけど、俺は売れっ子だ。

 いきなり売れっ子と言われても意味不明だろう。

 慌てない、慌てない、今から説明をするからさ。


 俺の名は中山英吉、51歳。どこにでもいる普通のおやじだ。

 なのに売れっ子? そう、肝心なのは職業だ。俺の仕事は…… レンタルおじさんだ。


 えっ、どこにでもいる普通のおやじを誰がレンタルするって?

 あぁ、そうなんだよ。俺も最初は同じように考えてたよ。

 言っちゃ悪いが、身銭切っておやじをレンタルするなんて、そんな変わり者がこの世にいるのかねって話だ。

 しかし、これが意外と忙しい商売でさ、その中でも俺は売れっ子っていう訳さ。リピーターや新規の客からの指名も多く、会社で1番人気。まるで歌舞伎町のNo1ホスト様だよ…… なんてな。


 おおっと、この説明は今回は必要ないんだった。

 と、いうのもさ、俺の話じゃないんだ。

 今回の話をしてくれるのは、いつも俺達レンタルおじさんがお世話になっている白石さんの話なんだよ。


 えっ? 誰だって?


 ほら、いつも依頼の電話をしてきてくれている彼女さ。

 あの人は、見た目だけではなくて、心まで美しい人なんだよ。


 じゃあ白石さん、お願いします。

 

 初めまして白石です。

 つまらない話ですが、最後まで宜しくお願いします。


 では、さっそく……



 今の会社で働く前は、私は丸の内が職場でした。

 その私が、何故レンタルおじさんの会社で働いているのかなんて、誰も興味は無いよね? 

 ……けど、少し聞いて欲しいかな。

 

 私は幼稚園から私立に通い、少し特殊な環境で生まれ育ったのかもしれない。小学校も中学校も高校も同じ。

 大学は国立に行きたかったけど、親の要望を聞いて結局そのままエスカレート。

 その後、卒業した学校のブランドで、丸の内の商社に難なく就職も出来たの。


 今思えば、学生時代に何の苦労もしたことがない。

 本当、世間知らずのお嬢様ね……

 同じ様な環境で育った男性と恋愛して、普通に結婚するものだと思っていた。

 30歳までに子供は二人欲しい。出来れば女の子と男の子一人ずつ…… 大多数の女性が普通に夢見る、そんな感じで良かったの。


 結論からいうと、それも叶っていない。

 私の人生を、大きく変える事になるあの人と出会ったのは6年前。

 大学生の時に始めたジャズバンド。社会人になってからも続けていた私のそのライブを、あの人が見に来たのが初めての出会い。


 いつものライブハウスは、昼間はおしゃれな喫茶店、夜は雰囲気の良いbarに変化する。まるで、蛹から美しい蝶になる、女性の様な店。

 私のライブを見に来るのは、同じジャズサークルの仲間や学生時代の友人。あとはこのライブハウスの関係者ぐらい。 だからその人は嫌でも、私の瞳に飛び込んできたの。


 子供のような瞳で、唄う私の姿を優しく見つめている。


 だけど、第一印象はあまり良くなくて、遊び人で女性にモテそうだな、そう思った。


 何百というライブをこなしてきたのに、その日のライブは何故か、初めての様な緊張感に包まれていた。

 今思えばだけどね……


 ライブが終わり、ステージで片付けをしていると、その人が突然話しかけて来たの。


「あ、あの、すみません!」


「え? は、はい!?」


「俺…… 前からあなたのファンでして……」


 少し俯き、上目遣いで照れくさそうにそう言ってきた。

 

 前からファンと言うけど、今日初めて見たような……


「あなたの動画をネットで見てから、素敵だなって思ってました」


 動画?

 そういえば、youtubeに何曲か私たちのバンドの動画を上げていた。

 顔がはっきり見えない様に、わざと照明を絞って暗くした見栄えの悪い動画。 

 再生回数なんて数百回程度で、まさかその動画でファンになってくれる人が居るなんてね。


「あ、ありがとうございます」

 

 そうお礼を言うと、男性は明らかにモジモジとして挙動がおかしい。


「も、もし、よろしければ、お願いします」


 そう言うと、私に1枚の小さな紙を手渡した。


「これは?」


「見てくれれば分かります。じゃあ」 


 色白のその男性は、頬をピンク色に染めて、小走りで出口に向かう。

 その人の後姿を見つめていると、今まで感じた事のない不思議な感覚がしたの。

 姿が見えなくなってから、二つ折りにされた小さな紙をゆっくりと開く。

 

 紙には電話番号と、恐らくLINE IDなるものが書かれている。


 ……私、LINEまだしてないのよね。 

 っていうか、もしかしてさっきの態度は演技なのかな……

 

 思わずそう疑ってしまった。

 つまり、女性の前でモジモジするような人にはまるで見えない。

 たぶん、女性に困った事などないだろうと、簡単に推測できるほどの素敵な見た目。

 そんな人が、私に連絡先の紙を渡すだけであの態度……

 けど、どうせ男性特有の最初だけ・・・・ってやつでしょ?

 そう、今までの経験上、警戒心を抱いても当然よ。

 

「なぁ、何を渡された?」


 バンマスが、興味深そうに聞いてくる。 


「えっ?」


「さっきの男にさ、何か貰ってただろ?」


「え、えーと、握手してって言われただけよ」


 明らかに疑った表情をするバンマス。


「ふ~ん、すげーイケメンだったよな」


「そっ、そう? 照明暗いし、あまり顔を見てなかったから、分からない」


 そう言った私の顔を、覗き込んでくる。


「ねっ、顔真っ赤だよ」


「……さっきまで何曲歌ったと思っているの? 暑いの」


「はいはい」 


「は、早く片付けしちゃお」 


「へいへい」

 

 バンマスとは大学からの長い付き合い。誤魔化せるわけもなかった。

 

 片付けが終わると、いつもの打ち上げ。

 ライブが行われた店で、バンドメンバーと見に来てくれた仲間や友人と楽しくお酒を飲むのが習わし。

 そう、本来の目的は、こっちだと言っても過言ではない。

 私がいるテーブルでは、至極当然の如くあの男性の話題になってしまった。


「ねぇ葵~」


 口火を切ったのは、幼稚園から大学までずっと一緒の美咲。私達は、お互い親友だと思っている。


「なに?」


「なにじゃないしー」


「だ、だから何よー?」


「ねぇねぇ、何を話してたの、あの人と?」


「……あの人?」


「えー、こいつ惚けてんだけどー。皆聞いてー、葵がめっちゃ惚けてるよー」 


 周囲の席から笑い声が漏れる。


「もぅ! 大きい声出さないでよー」


「じゃあさ、正直に言っちゃいなよ~。私だけにね」


 そうは言われても、美咲だけで収まる訳がない。同じテーブルでは、6人の友人が一緒に飲んでいる。


 その中の一人は、あまり仲が良いとは言い難い未羽。

 未羽は大学から同じ学部で、何故か職場も同じ……

 大学2年の時、未羽の好きだった男性が、私に告白してきた。

 私は未羽の気持ちを知っていたし、その男性には何の興味も無かったから、当然断った。

 だけど、その時から未羽は何かにつけて私に対抗してくるようになったの。

 だから正直、こういう話は聞かれたくない。


「ねーえー、もったいつけないで早く教えてよー」 


 美咲は基本良い子だけど、口が軽く秘密を保てない。

 特にお酒に酔っている時はしつこいし、何でも大きな声で話し始めるの。

 だけど、こういう時は正直に言うに限る。どうしてって、それがもっとも傷口を広げない方法だから。


「紙を渡されただけよ」


「うんうん、見てたー。けど、ただの紙じゃないよね~。何が書いてあったの?」


 美咲をはじめ、同じテーブルにいる全員が身を乗り出してくる。


「……LINE ID」


「えぇー!? ください、くださいな。あのイケメンのID欲しい!」


「私も欲しい!」 


「う~ん、私も貰ってあげてもいいかな~」


 盛り上がる中、未羽だけは作り笑顔。


「当然LINE送るよね?」 


「送るよね~?」


「え? 私LINEまだしてないし」


 そう答えると、皆の口が少しの間だけパタっと閉じる。そしてその後、美咲の口が大きく開くのに気づいた。


「ふ、ふざけんなしー! マスター、テキーラ持って来て―」


「ちょっと美咲ー、テキーラ誰が飲むのよ?」


「葵に決まってるじゃんよー」


「ちょっと! ど、どうして私が飲まないといけないの?」


「うっひひひひ、お酒の力を借りてLINEしましょうね~」


「いや、だから私、LINE入れてないの」


 同じテーブルに居る涼子も同調する。


「それは良い考えだねー。当然返って来た返信は全員で見るのよね~」


「うっひひひひ、勿論よ~。さぁ! テキーラ飲んでLINEしなさーい!」


「ねぇ、話聞いている? もしLINEしてても、絶対ヤダ」


「はぁ~?」 


 未羽以外の5人がハモる。


「はいはいはい、もう正直に言うから!」


 美咲が少し声を荒げた。


「……何を?」


「あのね、私達の中で1番可愛いくてスタイルの良いあなたに彼氏が居ないのが、どれだけ問題なのか分かる? 分かってないよね?」


「……どういう意味よ?」


「はいー、こいつやっぱり何にも分かってなーい」

「なーい」

「ないね」


 ……何?


「あのね、大学の時からそう! 今だってそう!」


「だから、何よ……」

 

「葵に彼氏が居ないから、知り合った男が全部葵に惚れちゃうの!」


「……そんなことないよ」


「あーー、そんなことあるの!」

「うん」

「あるのあるの!」


「だからー、私達を助けると思って、さっきの人にLINEして下さい。お願いします」


「お願いします」 「します」 「しますします」


 美咲を筆頭にして全員が、未羽までも私に頭を下げてくる……


 この人達、絶対面白がっている……

 真の目的は、そっちでしょ?


「はぁー、もう…… LINEどうやってするの?」


「はーい、私がしてあげる~。スマホかしなさーい」


 渋々とスマホを美咲に渡す。


「はい、これで準備万端よ! 皆、これが葵のIDね」


「はーい」


 その場に居た全員が一斉に登録して、文章を送る。


「あれ、皆のが届いているけど、音が…… 設定で……」


 葵は自分のスマホを弄る美咲から目を離さない。


「ねぇ葵、聞いて。ここをこうして……」


「うん……」


 美咲からLINEのレクチャーを数分受ける。


「やり方は、メールと同じみたいなものだから、簡単でしょ? 皆のIDは登録したから、取りあえず私達に何でも良いから返信してみて」


「うん、分かった…… どう?」


「うん、来たよ」

「来た~、私にも来た~」


「葵、スマホを見てみて」


「うん」


「私に送った文章の隣に、既読って出てる?」


「うん、ある」


「それは、私が葵から送られて来た文章を見たってことなの」


「ふ~ん」


「どうなの、初めてLINEを使ってみた感想は?」


「……便利そうね」


「でしょ? これからは、LINEで連絡するからね。では、話を元に戻しましょ~」


 元に? 

 そうだった、LINEを使う目的は……


「ほらほら、早くさっきの人に送って」


「ちょっと待って。まだ付き合うとかそんなの、全然決めてないからね」


「分かっておりますです。取りあえずLINEだけお願いしますです」


 なによ、その話し方……


「……分かったぁ」


 葵のその言葉で、その場に居る全員が笑顔を見せる。


「やり方も覚えたから、後でしとくね」


 そう言って、葵はスマホをバッグにしまってしまう。


「はぁ~? ふざけんなー、今に決まっているだろー? 私たちの楽しみ奪うなー」


「奪うなー」 

「そうだそうだ!」


 はぁー…… お酒が入って上機嫌の美咲達を、止める事など誰にもできはしない。


「さぁー、しまったスマホを出しなさい!」


 私は言われるがまま、トートバッグからスマホを取り出す。


「さっきの紙は?」


「……財布の中」


「聞いた? ちゃっかり無くさない様に財布に入れてたよー」 


「大切に入れてたんだね~」

「そうだと思ったしー!」

「ほら~、紙も出して出して!」


 ベアンのターコイズカラー長財布から、渡された紙を取り出すと、皆の視線が私の指先に集中する。


「ちょっと、涼子。今チラっと見えたID暗記したでしょ!?」


「な、な、何言うの!? そういう美咲も暗記しようとしてるでしょ!?」


「馬鹿な事言わないでー、もう既にしてるしー」


「あはははははー、さすが美咲ー]

「きゃはははー」 


 ……もうやだー、おじさん臭いこのテーブル。


「ぐずぐずしないで、早く検索してみて!」


「はいはい……」


 言われるがまま、IDを検索してみる。


「……あった。これかな?」


「なになになに!? ねぇ、登録名は何?」


「……のぼる」


「へぇ~、のぼる君かぁ。のぼるぅー! うん、呼びやすくて悪くないね~」


「なんで美咲が妄想してるのよ~。きゃはははは~」


「いーじゃん、妄想ぐらい~。葵、早く送って送ってぇ」


「う~ん、何て送ればいいの? ……やっぱり、後で送っておくよ」


 曖昧な態度で何も書こうとしない葵に業を煮やし、美咲がスマホに手を伸ばす。


「もぅ~、貸して!」

 

 美咲は素早く葵のスマホを奪い取る。


「ちょっと!?」


 慣れた手付きですぐさま文章をうつ美咲。


「ちょっと、何て書いたの? まだ送らないでよ」


 美咲の手にあるスマホを、興味津々で覗き込む涼子と唯奈。


「……やぁー!? これダメでしょー!!」

「きゃー、だめだめだめ、美咲やりすぎだって!」


 その声で不安になる葵。


「ちょっとやめてよー。返してスマホ!」


 葵がスマホを取り返そうとしたその時、美咲の指が偶然タップしてしまい、誰もが駄目と言っていた文章を送信してしまう。


「あー、やばいー。送ったかもー!?」

「えぇーーー!?」

「やだー!?」


 美咲達の大きな声に驚き、葵は恐る恐る取り返したスマホの画面に目をやる……


 のぼるに送信されていた文章は、(ライブ見に来てくれてありがとう。あなたの見た目好みよ。私を抱いてくれる?)だった。


「ねぇ! これどうやって取り消すの!? 早く教えて!」


 その文章は、葵が画面を見ている最中に既読になる。


「はっ!? あははは…… うふふふふふふふ……」


 葵の口から、異様な笑い声が漏れる。


「葵が壊れた……」 

「美咲~、さすがにやりすぎじゃない?」 

「そ、そうだよね~」


「だって、ま、まさか送信されるなんてね…… ごめん葵…… お詫びに、私がのぼるにLINE送って謝るね」


「いや、その役は私がします。葵、のぼる君のID教えて~」

 

「ちょっと、葵が本気で凹んでいるのに、鉄の心臓過ぎでしょあなたたち……」


 その時突然、葵のスマホから「ライン!」という音が聞こえて来る。

 

「……ゴクリ」


 それを聞いた美咲は、生唾を飲む。


「わ、私が…… 見てあげようか?」


「ちょっと、涼子。それなら私が見るから。貸して葵」


「……いい。自分で見る」


 葵は目を伏せ、大きくゆっくりと、1度だけ深呼吸をした。


 そして、スマホの画面に目をやる。

 すると、そこには……


(もしかして、友達に悪戯されちゃった?)


 そう書かれていた。


「はぁー、良かった~」


 葵の口から、思わず安堵の声が漏れる。


「なに、なに、なに!? 何て書いてあるの?」 

「教えて教えて!」

「早く見せて!」


 ざわつく友人たち。


「友達に悪戯されちゃった? だって」


 何かを期待していた美咲達は失笑する。


「ふん、面白くない男~」

「ねぇー、本当そうね~」 

「今からゴム買いに、ドラッグストアに走ってますとか書いてて欲しかったな~」

 

「ちょっともぅ~、皆いい加減にしてよー」


 けど…… 本当に良かった。


 葵はのぼるに返信をする。


(そうです。気付いてくれて、ありがとうございます)

 

(はは、何となくそう思っただけですけど。話は変わりますが、ライブお疲れさまでした。今日のライブ、本当に素敵でした)


 うーん、喉の調子もイマイチだったし…… 本当にそう思ってるのかな…… けど……


(ありがとうございます。そう思って頂けて嬉しいです)


(ご挨拶遅れました。俺の名前は川上のぼるです。のぼるはひらがな)


(私は白石葵です)


(俺、歳は28歳です)


 28歳だったの…… 確かにイケメンって年齢不詳って感じの人が多い。けど、この人はもっと若いと思っていたけど…… だって、もしかすると、年下かなって思ってたし。


(私は23歳です)


 笑みを浮かべてスマホから目を離さない葵を、美咲たちは見詰めている。


「ねぇー、どんなやり取りしてるの?」


 涼子からのチェックが入る。


「べ、別に…… お互いの名前と歳を……」


「いくつなの、いくつなの? あのイケメンいくつ?」


「に……」


「に!? その後よ!」


「にじゅう~……」


「ちょっと葵。なにもったいつけてんの!? もしかして年下なの!?」


 葵は、美咲達の反応を楽しんで笑っている。


「にじゅう~~~」


「うんうん」


「いくつに見えた~?」 


「だぁーーーー!」 

「そんなのいらないから早く教えてよー!」


「うふふふふ、仕返し~」


 無邪気に笑いながら答える葵。


 そうはしゃぐ葵を見て、幼馴染の美咲は何かを確信して優しい笑みを浮かべる。


「ねぇ葵~」


「……何?」


「私の失敗で変なLINE送っちゃったから、お詫びでデートしてあげたら~」


「え? デートって、まだ名前と年齢しか知らないのに…… 変な人だったらどうするの?」


「ふ~ん、じゃあさ、私がデートしてもいい?」


「なっ…… どうして美咲が……」


「だってぇ、私の悪戯だったわけじゃん。人としてお詫びをしないとね~」


「お詫びがデートって…… ゆ、指が当たっちゃったのは、私のせいでもあるから、美咲は責任感じなくていいよ」


 その言葉を聞き、皆はニヤニヤと笑みを浮かべる。


「なによ皆~」


「べーつーにー。ねぇ?」 

「うん、べつにだね~」 

「それより早くぅ、飲みにいきましょうって誘ってみて」


 葵は、スマホの画面に人差し指を置こうとしたが、思わず止める。


「……何て送ればいいの? 分からない私……」


「こういう時は、親友の私に任せておきなさい」


 よく言うよ…… 変な文章書いたくせに……

 涼子はそう思っていた。


「もしかして、また抱いてとかじゃないよね?」


「大丈夫、今度は葵が自分で書くでしょ」


「……うん」


「いーい? さっきは変なLINE送ってごめんなさい。お詫びじゃないですが、何処かに遊びに行きませんか? これでどう?」


「う~ん、まぁ当たり障りないんじゃない?」 

「そうだね、涼子の言う通りね」


「遊びって書いている所が重要ですよ~。何処に行くのか相手のセンスが出まーす」


 文章を打ち始める葵。


「えーと、さっきは…… ちょっとまって、やっぱりおかしいよね? それに遊びに誘うのがお詫びになるの?」


「もぅー! それを言うとまた話が最初に戻っちゃうじゃん! 葵には男を作って欲しいの、私たちの為にも! だからまずはお詫びになろうがなるまいがデート、デート!」


「そうだそうだ!」 

「そうよ葵」


 結局美咲達の圧に押し切られ、言われるがまましぶしぶLINEを送信する。


「ねぇ、送った?」


「……うん」


「返事は? 返事は?」 


「まだ~。あっ、きたー」 


 美咲達は、テーブルに上半身を載せて身を乗り出す。


 それを上目遣いで見た後、スマホに目を落とす葵。


「誘ってくれて嬉しいです。是非、お願いします。いつが都合いいですか? だって……」


「キターーーーー!」


 美咲はそう大声で喚くと、椅子の上に立ち上がり、テーブルに片足を乗せる。


「葵がデートよ皆! このテキーラは祝い酒よ、私が飲み干すわー」


 テキーラの入ったグラスを宙に掲げ、店内にいる全員に聞こえるような大声で叫んだ後、一気に飲む。


 見ていた者達は歓声をあげ、テキーラを一気飲みする美咲を称えていたが、中には葵がデートするという事を知り、ガッカリしている男達もいた。


「プハ~。今宵の酒は、格別美味しいわ~。ねぇ葵」


「……なに?」


「来週の土曜日なんてどうかな~?」


「はいはい、仰せの通り。来週の土曜日は1日空いています。はい送ったよこれでいいのね?」


「いいねぇ葵! 乗って来たね~」


 だって…… 収まらないでしょ……


 のぼるからの返信は、直ぐにあった。


(土曜日、お昼の12時でいいですか? 車で迎えに行きます)


 葵から報告受けた美咲達は、ウッキウキである。


「車何乗っているのかな?」


「イケメンだったけど、服は有名ブランドでは無かったし~、少し悪そうな感じもしたから、私の予想では国産のワンボックスあたりかな?」


「服のブランドとかチェックしてたの? 涼子の勘は当たるからね~。葵、国産車で迎えにきたら、あの男はもういらないかもね」


 葵は反ばあきれ顔で答える。


「く、車や服で決めちゃうの?」


「それはそうでしょう? いくら顔とスタイルが良くてもね~」


「逆に聞くけど、葵は貧乏な人とお付き合いしたいの?」


「まぁまぁ、葵はお付き合いした人が少ないから分かってないだけ。本気でもお金、そこは譲れないところだよ」


「けど葵の家はさ、お金の心配ないから、彼氏貧乏でも大丈夫でしょう」


 私の父親は会社を経営しており、お金で苦労したことは、確かに一度もない。

 だけど、だからこそお金よりも、もっと大切なものがあるような気がずっとしている。

 

 それは、愛です! 何ていうつもりはない。

 何故かって…… 私は愛を知らないからだと思う。

 彼氏も何人かいたし、ある程度は好きだったと思う。

 けど今まで、交際相手や周囲の人達ほど、恋愛に必死になった事はない。


 男性が優しいのは近づいてくる最初だけ……


 付き合っていると、大切にしてくれてた最初とは態度が違ってくるから、どんどん嫌いになる。

 それで別れ話を切り出すと、何かに理由をつけて別れてくれない。

 人前で泣きついてきた男は最悪だった。

 本当に無駄な時間を過ごしたと後悔して、ビアンになろうかと考えた時期さえもあった。

 そんな私がいくら美咲達に押されたからって、まさか会ったばかりの人とデートすることになるなんて……


 けど、またつまらない男なら、その日だけ我慢すればいいだけの話。デートする事で、この場が収まるのなら、それでいい……



 

 あまり楽しみでは無い土曜日。はっきり言うと不安の方が大きい。

 

 時間は11時50分。 


 私の家は港区白金。

 待ち合わせ場所は、国道1号線沿いのコンビニの前。

 家から徒歩で5分の場所。


「お母さん、少し出かけてくるね」


「はーい、気を付けてね~」


 いつもより足取りが重く感じる。

 けど…… 今更断る訳にもいかないし。

 1号線に出て待ち合わせのコンビニに目を向けると、1台の車が停車していた。

 その車の中から、私の姿が見えたのかな……

 彼が降りて来て、私を待っている。


 こちらを見て、軽く会釈してきたので、私も会釈を返す。


 はぁ…… やっぱりめんどう。こういうの……


 涼子に言われた通り、チェックしてみようかな……

 うーんと、服装は…… けっこう普通な感じ。男性の服のブランドとか、分からないよ私。

 車は…… 黒のベンツ、ゲレンデ。

 ふーん、左では無くて右ハンドル。

 ……28歳でこの車を持てるぐらいだから、ある程度の収入はあるみたいだね。

 ふふ、涼子。国産のワンボックスでは無かったよ。勘は外れてたね。



「どうぞ、乗って」


 彼は助手席のドアを開けてくれて、私が乗るとドアを優しく閉めてくれた。

 小走りで戻り運転席に乗ると、直ぐにエンジンを掛ける。

 そして、サイドブレーキを解除し、ミッションを入れ方向指示器を点滅させ走り出す。


 ……ふ~ん、凄くスマートね。

 

 今の動作だけでも、運転得意そうなのが分かる。

 そう思っていると、彼が話しかけてきた。


「あの……」


「……はい」


「服……凄く似合ってますね」


 私を見て、そう言ってくれた。


「あ、ありがとうございます」


 その後は会話が続かず、重苦しい時間の中、耐えられなくなった私から口を開いた。


「今は…… 何処へ行ってるの?」


「あっ…… えーと、到着してからのお楽しみって事で良いかな?」


「……分かりました」


 はぁ~、どうせ一生懸命調べたおしゃれな店でランチでもって感じでしょ。

 男性の行動パターンは皆同じ。

 飾った物ばかり見せたがる。

 この車だってそう……

 男性にとって車は、自分を良く見せるためのアイテムなのよね?

 足らない所を、車やブランドの力を借りて、さも自分の力の様に見せているだけ。


 はぁ、やっぱり直前でも断れば良かったかな~。

 どうしても悪い方向ばかりに、考えてしまう。

 全然楽しくなんかない……


 車は品川駅前を通り、第一京浜を南に向け走っている。すると、ある場所を通った時、彼は急に口を開いた。


「俺、大田区に住んでるんだけど、電車に乗る時は京急本線が多くて」


 ふーん、そうなの…… どうして急に…… あ、あの見えている線路は、京急本線なのね。


「私は、京急本線は乗った事ないかもしれない」


「えっ、本当? 今度乗ってみる?」


 ……別に用事もないのに、進んで電車に乗ろうなんて思わないけど。


 立会川駅近くを通った時、また口を開いた。


「ここね、商店街に坂本龍馬の像がおいてあるんだよ」


「さかもと…… 竜馬…… へぇ~」


 興味ないけど……


「テレビドラマや映画とかでさ、坂本龍馬って語尾にぜよってつけるんだけど、後輩に高知出身の奴が居て、本当にあんな方言なのか聞いた事あるんだよ」


「……はい」


「あんな方言を話している人に会った事なんて一度も無いって言ってたよ」


「へぇ~、テレビや映画などで、創作された方言って事ですか?」


「厳密に言うと、そういう方言を話す場所が高知県の極一部にはあるらしいけど、坂本龍馬の出身地の高知市では、そんな方言は無いらしい。だから、作られたものだと言ってもいいかもね」


「ふ~ん」


 なんか、おじさんっぽい話だな。


 車は平和島交差点を左折すると、ほどなくして停まる。


「……あのー、ここは?」


「うん? 平和島競艇場」


「きょう…… てい?」


「そう、ボートレース場!」 

  

 ランチを食べに行くと思っていた私は、驚きのあまり言葉を失ってしまう。

 車から降りる彼を見て、私だけずっと乗っている訳にも行かず一緒に降りる。

 それは、半ば強制的に車から降ろされた・・・・・に等しい。

 仕方なく前を歩く彼の後ろを、私も歩いて付いていく。

 周囲には、ラフな服装で年配の男性が沢山歩いており、その人達の視線が、全て私に向けられているような感じがする。


 しばらく歩くと、駅の改札のような所で、彼から100円硬貨を渡された。


「……」


「ここに入れて」


 言われるがまま100円を入れると、改札の様な所を通り抜ける。


 ここが、競艇場……


 中に入って最初に目についたのは、お祭りにあるような露店。

 だけど、売っているのは食べ物ではない。

 ……紙? いや、どうやら、新聞を売っているみたい。


「ちょっと待ってて」


 そう言った彼は、そこでその新聞らしき物を買っている。

 待っている間も、相変わらず周囲の人達の視線は、私に集中しているような気がして落ち着かない。


「お待たせ」


 そう言って慣れた足取りで歩く彼に黙って付いて行くと、半分外で半分中のような不思議な場所で、台の上に乗って、大きなダミ声を発している男性が等間隔で数人居るのに気付いた。

 その大きな声を出している男性の周囲には、人だかりが出来ていて、その人達に向かって何かを言っている。


「見たかさっきのレース! 俺の言う通りのスタートだったよな! はい、次のレースも間違いない!」


 大きな声なので、私の耳にもハッキリとその声は聞こえていたけど、何を言っているのか理解出来ない。

 彼はオールバックのダミ声のおじさんの側で立ち止まり、そのおじさんの話を聞いては時折頷いている。

 この時、そばに立っていた私は、心臓の鼓動を感じていた。

 その理由は、この異様な雰囲気。

 正直、ちょっと怖いと、私は感じていたの。

 周囲を見回しても女性は…… 私一人。

 いや、年配の女性が数人いる……  

 あっ、子供連れの女性もいた。 

 笑顔で母親に抱き着く子供を見て、私は心を無理矢理癒す。まるで、この場所のイメージを、払拭させるかのように……


「葵さんは競艇はしたこと…… ないよね?」


 うん、当たり前。こんな場所が、ある事すら知らなかった。

 今日はいったい何の目的で私を、競艇場に連れて来たの……


 そう、問いかけようか悩んでいたら、彼がその訳を語りだした。


「実はさ、幼馴染がレースに出るんだよね」


「そうなの……」


「あぁ、最近まるで連絡取ってないから、向こうは俺が見ている事を知らないだろうけど、ずっと応援しててさ。

 まぁ舟券買っても応援してる事にはならないと思うけど、気持ち的にね、やっぱ買ってあげたくて…… この地元の平和島に出場する時は、必ずレースを見に来るようにしているんだ。それがちょうど、葵さんとのデートの日と重なっちゃって……」


 そう言った彼は、少し申し訳なさそうな表情をした。


「どちらかって、選べなくて……」


 ……たぶん美咲や涼子がその言葉を聞いたら、怒って帰ってしまうかもしれない。

 そう私は思っていた。


 男友達と、大切な女性。どちらを選ぶの? なんて、私は誰が相手でも、そんな事を言うつもりはない。

 ましてや、彼とは今日だけの付き合いなのだから……

 たまたま今日という日に、重なってしまったのは、運が悪いと思うしかないよね。

 いや…… 待って…… そうだ! 思い出した。今日を選んだのは美咲よ!


 もうー…… 償いは、してもらうからね。


「とりあえず空いてる席に座りましょう」


「……はい」


 幼馴染の応援…… それなら、場所を変えませんかなんて、言える訳もない。

 

「あのー」


「はい?」


「その幼馴染の方は、どのレースに出るの?」


「今から始まるのが5レースで、友達が出るのは、9レースだよ」


 つまり…… 最低でもその9レースが終わるまで、私はここから帰れないのね……

 時間にすれば、どのくらいなのだろう……

 聞きたいけど、あまりしつこく聞くと、私が嫌がっているのが見えてしまって、悪いよね。


「葵さんも、予想してみて」  


「……よそう?」


「あぁ。簡単に説明すると、6艇のボートで競争するんだけど、1着と2着を当てれば勝ち。賭けた金額と当たったオッズで当選金が決まるんだよ。100円が、数万円になることだってあるんだ」

  

 ……申し訳ないけど、どうでもいい。今は、早く時間が過ぎるのを願うばかり。 


「けっこう面白いから、予想してみて。掛け金は、俺が出すからさ」


 掛け金……


 耳触りの良くない彼の言葉を聞きながら付いて行くと、知らぬ間に高い屋根のある場所から外に出ていた。そして、私の目前には、まるで大きな池の様な水面が広がっている。


「ふーん……」


 決して広いとは言えないこんな場所で、ボートレースが行われているなんて……

 向かい側には、マンションが沢山建ち並んでいて、まるでボートレース場の一角かのように錯覚する。

 そして左右には、階段状の座席があり、どうやら座るのに、チケットなどは必要無いみたい。


「そこに座ろうか」


 そういうと、彼は人の少ない場所を選んで、腰を下ろした。

 私はその隣の椅子に、腰では無く視線を落とす。

 

 ……こんな人でも、初めてのデートだから、お気に入りの可愛いスカート履いてきたのに。


 そう思って座るのを躊躇していると、何かに気付いた彼が、椅子にハンカチを敷いてくれた。


 それは嬉しいけど、どうみても私のお尻より小さめね。そう、子供のお尻でも、はみ出ちゃうと思うけど……

 せっかく敷いてくれたから、その気持ちは素直に受けないと。

 

 そう思いながら、その小さなハンカチに座った。


「これが新聞ね。レースに出る選手の、今までの成績とか色々書いてあるけど、初めてならこんな物は必要ないかな。インスピレーションだけで買って良いと思うよ」


「……インスピレーション?」


「うん、出場選手の名前で気に入ったやつとか、色とか数字とかね」


 そう言われても…… 


「1は白、2は黒、3は赤、4は青、5は黄色、6は緑ね」


「へぇー……」


 興味は無いけど、一生懸命説明してくれてるから聞いてるフリだけでもしないとね。


 私って、大人になったなぁ…… 当然よね、社会人だもの。


「ここに書いてあるのが、今から始まる5レース」


「……はい」


 もうすぐ5レースが始まるらしく、そのレースを見るための人が増える。


「このレースはもう締め切るから、次の6レースから買ってみよう」


「はい」


 大きな音楽が鳴ると、並んで待機していたボートが、勢いよく一斉に発進した。だけど、その後はさっきまでのスピードが嘘のようにゆっくりと動いている。


「走らないの?」


「今はスタートを待っているんだよ。あの時計みたいなのが12時の位置に来た時に、空中にある目立つロープギリギリでスタートするのが良いんだ」


「ふ~ん」


 よく分からない。


 彼の言う時計の様な物の針が動き始めると、ボートのエンジン音が激しく唸る。そして、ボートが猛スピードで水面を滑って行くと、見ている人達の歓声が、エンジン音に負けないぐらい大きくなった。


「1コーナーの侵入が、需要なんだ」


 横一杯に広がっていた6艇のボートは、他の艇とぶつかることなく、華麗にコーナーを抜けて行く。


 凄い…… あんなスピードで曲がるなんて……


 私は、さっきまで否定していたボートレースに、釘付けになっていた。 


「ねぇ?」


「うん?」


「何周するの?」


「3周だよ、3」


 そう言って、右手の指を三本立てる。


 3周…… じゃ、あと1周……


 とは言ったものの、レースは1コーナーを曲がった時点で、その勝敗はほぼ決していた。


 もう終わった……

 これなら9レースまで、直ぐに終わりそうね。


 そう思っていたけど、実際はそう甘くはない。

 各レースの間には30分以上の時間がある。

 お目当ての9レースは…… 発売締切14時36分?

 

 彼の持っている新聞に、そう書いてあった。

 

 つまりその後にレースがあって、それが終われば帰れるのね…… だいたい15時ぐらいかな?

 

 私は左手にはめている時計で、時間を確認をする。


 まだ2時間もあるの!? 嘘でしょ……


 はぁー、たぶん人生で一番長く感じる2時間。

 もうー、恨むから、美咲……


「6レースの券を買いに中に行こう」


「……はい」


 一人で待っている訳にも行かず、ハンカチをバッグに入れて、しかたなく彼について行く。


「葵さんは何番を買いたい?」


 うーん…… そういわれてもなぁ。


 また意味の分からない説明されるのも嫌だし、適当に答えておこう。


「2と3で」


「分かった。23にいさん32さんにを買っておくね」


 彼は紙に何かを記入して、その紙とお金を機械に入れている。

 別にジッと見ていた訳では無いけど、何となく機械に入れた金額が見えた。


 2万円……


 私が何気なしに選んだ数字に、2万円も賭けているの?

 根っからのギャンブラーなのかな? やばい人じゃん。


「はい、これ葵さんの舟券ね」


 ……舟券? 演歌の曲名みたい。


 渡された舟券を見てみると、23と32に1万円ずつ、合わせて2万円賭けていた。


 ちょっと…… 私責任取れないからね。

 

 この時私は、嫌な感じがしていた。


 まさか、当たらなかったら、後で自腹で払えとか言ってきたりしないよね?

 けど、もしそう言われたら…… 

 あー、もう! 変な事ばっかり考えちゃう。全然楽しくなんて無い。


 彼は自分の舟券も買って、私の所に戻って来る。

 そして、さっきまでと同じ席に戻り、他愛もない話をして時間を潰していると、また人が多くなってきた。


 そろそろ始まるのね……  


 6レースが始まると、彼は立ち上がり、握りこぶしを作って見ている。


 結果は…… 5番2番。


 ハズレちゃった。これで2万円も負けてしまったのね…… 

 嫌だな、どうして私が罪悪感を覚えないといけないの。

 あ、そうだ!? せめて、せめてこの人のが当たっていれば……


 項垂れている彼を見れば、結果を聞くまでもない。全部ハズレたのね……


「次のレースは当てよう」


 彼はそう言うと、また私に数字を聞いてくる。


「じゃ…… 3と4で」


 3月4日は、美咲の誕生日。

 あなたのせいなのだから、何とかしてね……


 彼から渡された舟券には、前のレースと同じ2万円賭けられていた。


 これが当たらなければ、私だけで4万円の負け……

 それに、また自分の舟券も買っていたし。

 いったい1レースにいくら使っているのかしら?


 そんな事を考えていると、彼は何かに気付いて私に話しかけて来る。


「お腹すいてない?」


 えぇ、ランチに行くと思って朝を抜いていたので、ペッコペコです。


 と、言いたかったけど、優しい私は柔らかく答えてあげた。


「少しだけ」


 そう答えると、あいつは私を連れて競艇場内の1軒の店の前で立ち止まり、何かを注文した。


 自分で食べる物を決めさせてくれないなんて、ある意味斬新な人……


 笑顔が素敵な店のおばさんに、発泡スチロールのお椀と割り箸を渡された。

 その中に入っていた食べ物の名は、もつ煮込みというらしい。

 席に戻り、お椀の中に入っている物をジッと見つめる私を見て、彼が口を開いた。


「もしかして、初めて?」


「……うん」


「もつ鍋ってあるじゃん、あれと同じだと思って」


 そのもつ鍋も、私は一度も食べた事が無いの。


「これってお肉?」


「うん、牛の肉」


 つまり牛肉ね。


「……何処の部分なの?」


「ん~と…… 色々な所かな」


 色々ね…… 知っているくせに、わざと答えないのね。

 店のおばさんの笑顔に免じて、せっかくだから食べてみよう。

 無理ならこの人に食べて貰えばいいよね。それを見越して、一つしか注文してないのよね?


 私は、何処・・の部位か分からないものを、一つお箸でつまみ口に運ぶ。


 隣で彼は、心配そうに私を見つめている。


「もぐもぐ」


 ……えっ!? 


「……美味しい」


「ほんと!?」


 彼は笑みを浮かべて、喜んでいた。


「うん、味もだけど食感も好き」


「良かった。飲み物もあるよ。どっちが良い?」


 そう言って差し出したのは、お茶とミネラルウォーター。


 私がミネラルウォーターを取ろうと手を伸ばすと、ほんの一瞬だけ表情が曇ったような気がしたから、わざとお茶を取ってみた。

 すると、曇った表情は晴れ渡る。

 

 ……聞いてみたい。

 凄く聞いてみたい……

 

 この時、初めてこの男性の事を知りたいと思った。


 たぶん、この煮込みが美味しくて機嫌が良くなっているせいもあるのね。


「ねぇ、聞きたい事あるけどいい?」


「なに?」


「お茶より、ミネラルウォーターを飲みたかった?」


 そう聞かれると、困ったような表情を浮かべ、少し間を置いてから答えた。 


「……う、うん」


 やっぱり! ……ふふふ、何この人? 単純すぎない? 子供じゃん。


 私は心の中で笑った。

 

 煮込みを食べ終わると、ちょうど7レースが始まった。


 結果は1-2。1番人気でオッズは280円。


 美咲の裏切り者~。ここはあなたの力で当てないと駄目でしょ。


 嫌な予感がして、彼をチラ見する。


 ……はいはい、聞かなくても分かってます。またハズレたのね。


 だが、のぼるの様子が、さっきハズレた時とは違う事に葵は気付く。


 しゃがみ込み、地面を見つめたまま動かない。


 いったいどうしたの? まさか…… 凄い大金を賭けていたとか?

 いや、もしかして……


 私は自分の勘と好奇心を、止める事が出来なかった。


「ねぇ……」


「うん?」


「もしかしてだけど、全額負けた?」


「……うん」


 はぁ~…… 何してるのこの人……

 応援している幼馴染が出場する2レースも前に全額負けて、しかも曲がりなりにも、私とデート中だよね?

 もしかして、この後お金を下ろしに行くの?

 

 ただでさえもう落第点なのに、そんな姿まで見たくないけど……


「ここ、ATMないの?」


「……あると思うけど、俺は銀行に金を預けてないんだ」


 えっ!?


「何処に預けているの?」


 私は思わず、立ち入った事を聞いてしまった。


「……家に置いてる」


 嘘でしょう…… いくら銀行の利息が低いからといっても、全部タンス預金なの?

 はぁ~、まだデートが始まって1、2時間のうちに私何回ため息してるのだろ……

 もぅ、仕方ない。望んだわけじゃないけど、私も4万円使ってしまった訳だし……


「……私が、1万円貸してあげる」


「えっ!?」


「これで幼馴染の人の舟券を買ってあげて」 


「……ありがとう。このあと家に行ってすぐ返します」


 ……別に返さなくていい。手切れ金だと思えば、腹も立たない。


 バッグから財布を取り出して、一万円を渡す。

 すると、受け取った彼は直ぐに口を開いた。


「葵さん、番号一つ選んで」


 えっ!? どういう意味? 


 その私が貸した1万円で、応援している幼馴染の舟券を買うのじゃないの?


 ……あー、そうか。


 私が選んだ番号と、その幼馴染の番号の舟券を買うつもりなのね。


「……じゃあ4番で」


「おっ、4番! 良いとこ選んだね」



 ふん、不吉な数字を選んだのよ。



「じゃあ…… 俺は1番ね」


 お、俺は1番? 


 そういうと私を置いて、舟券を買っていた機械がある方向に走って行った。



 ……う、嘘でしょ!?



 戻ってきた彼は、私に舟券を差し出す。

 

 はっきり言って、その舟券を受け取るのが怖かった。

 だけど手にして、確認する。


 8レース 2連単 41 


 渡した1万円を、41一点に賭けていた。



 ……もう、もう知らないからね。


 

 大きな音楽が鳴り響き、8レースが始まる。

 さっきまでは適当に見ていたけど、このレースだけは何故か少しだけ気持ちが入る。

  


 そして結果は…… 41


 ……えー、当たっちゃった!?


「やったぁー!」


 彼は隣で子供みたいにはしゃぐ。

 ただでさえ私に人の視線が集まっているのに、さらに集中する。

 その時私は、恥ずかしさのあまり、当たっている舟券を捨ててやろうかとさえ思った。


「葵さん、行こう」


「は、はい……」


 お尻に敷いていたハンカチをバッグに入れて、言われるがまま付いて行く。 

 そこは、舟券を買った機械の所だった。


「そこの左の点滅しているところに、舟券入れてみて」


「……はい」


 言われるがまま舟券を入れると、画面に的中と表示され、金額も出ている。


 えっ!? この金額……


「その支払い精算ってボタン押してみて」


 ボタンを押すと……

 機械から札束がニョキっと出てくる。


 私は札束を引き抜き、直ぐに彼に渡す。


「葵さんが持っててもいいのに」


 嫌よ…… こんな人込みの中、札束を持つなんて……


 そう思っていると、彼が歩き出すので私も付いて行く。

 どこに行くのかと思えば、そのまま競艇場から出て行ってしまう。  


 ……えっ? 


 そして、車まで戻ってしまった。


「じゃあ、これ借りていた1万円……」 


 そう言って、私が渡した札束から1万円を渡してくる。


「……はい」


「残りは……」


 残った札束を数え始めるその手つき……


 慣れている。お金を数えるのに慣れている手付き。


「28万2千あるから、葵さんに18万2千円でいい?」


「えー?」


 そ、そんなにくれるの? ちょっと怖い……


「数字は二人で選んだけど、1万円貸してくれたのは葵さんだから、当然葵さんの取り分を多くね」


 取り分!? 何か悪いことしているみたいな気分に……


「いえ、貸したお金を返して貰ったから、あとは……」


「いいから、いいから。葵さんが居なかったら、無かったお金だから」


 そういって18万2千円を私に差し出してきた。

 本当は受け取りたくなかったけど、これ以上押し問答になるのが嫌で、素直に受け取った。


 なんて言えばいいのだろう…… 


「ありがとうございます」


「えっ?」


 いや、聞き直さなくてもいいでしょ。私だってありがとうが適切な言葉だと思ってないけど……


「ねぇ、葵さんのお陰で、俺の負けた分が戻って来たし、食事奢らせてくれる」


 うーん、大金を貰っておきながら、このまま帰りたいって言うのもあれだし、それに聞きたい事が一つできたし……


「はい、分かりました」


 その返事で、のぼるは笑顔になる。


「食べたい物ある?」


「さっき食べたお肉美味しかったので、もう少しお肉食べたいかも」


 私は正直にそう答えた。


 これが好印象の相手なら、今後の事も考えて、違った答えをしていたかもしれない。

 けど、この人とは、今日だけってもう決めている。

 だから気を使うことなく、正直に食べたい物を言った。 


「いいね、じゃあ徐々苑に行こうか?」


「はい」




 徐々苑で食べたい物を気軽に注文した。

 彼が慣れた手つきで、お肉を焼いてくれている。


「好きな時に取っていいからね」


「はい。いただきます」


 お肉を一つ口に入れる。


 お、お、美味しい。 さっきの煮込みも美味しかったけど、ここのお肉も美味しい。

 さてと…… もうどうでもいい相手だけど、いつものように少し観察してあげる。


 何を観察するのかというと、それはマナー。食事の仕方よ。


 彼がトングを置き、お箸を持つ。

 私はそれを気づかれない様に見ている。


 ……えぇ、いきなり!?


 そう驚いたのは、お箸の持ち方が正しくなかったから。

 流石に今まで一緒に食事に行った男性たちの中で、マナーが気になる人はいたけど、お箸の持ち方が正しくない人などいなかった……


「美味しいね!」


 屈託のない笑顔を、私に向ける。


 顔は・・良いのにね。もったいない…… 

 もう色々観察する必要はない。お箸の持ち方だけで、お腹いっぱいになっちゃった。


 あとは……

 

 食事を楽しんでいる時に申し訳ないけど、私は聞いてみたい事を口にする。


「ねぇ……」


「うん?」


「聞きたい事あるけど、いい?」


「いいよ」


「……幼馴染の舟券は買ったの?」


 そう聞くと、ピタッと動きを止め、お箸でつまんでいたお肉をポトリと、まるでドラマのワンシーンの様に落とす。


 ……ふふ、ふふふふ。 何その驚いたハムスターの様なリアクション。 

 駄目、我慢できない。


「うふふ、ふふっふふ」


 私は下を向いて、笑っているのを気付かれない様にしようとしたけど無駄ね。


「……わ、忘れてた!」


 知ってる、口に出さないでよ。


「うふふふ、ふふうふふ」


 駄目、声を出して笑うことを我慢できない。


「ふふふふふ」


「まいったな……」


 困った顔で下を向き、あの時と同じように頬をピンク色に染め、上目遣いで私を見てくる……


 

 その瞳は……

 


「ねぇ……」


「はい」


「お酒頼んでもいい?」


「うん、勿論。好きなもの頼んで」


 声を出して笑ってしまったことに少し罪悪感を覚え、お酒を飲んでその気持ちを誤魔化すことにした。

 まだ明るいのに、お酒を飲むなんてほとんど経験が無い。


「ごめんなさい、私だけ飲んでしまって」


「ん? いいよ、俺どうせお酒飲めないから」


「え、そうなの?」


「うん、体質的にお酒が駄目なんだよ」


「ふ~ん」


 結果そうでも、相手が運転しないといけないと分かっていて自分だけお酒を飲むなんてね、どうでもいい相手なら、本当に楽ね。


 そう思い飲んでいると、一人お酒が進んだ私はいつのまにか愚痴を言っていた。


「ねぇ、男ってどうして最初だけ優しいの? ふざけんなー」


「分かるよ、それって騙してるのと一緒だよね」


「そう! 詐欺だよね詐欺、犯罪と一緒です」 


「俺もそう思う」 


 ……あなたの場合、その天然を隠しようがないね。


「ねぇ、仕事は何してるの?」


「人材派遣とか色々」


「自分で経営してるの?」


「まぁ、そうだね」


「ふ~ん。そうじゃないとなかなか買えないよね、あの車」


「うーん、俺には必要なかったけど、周りが買え買えうるさくてね。それで仕方なしに」


 仕方なしでゲレンデか…… 


「車は必要無いの?」


「あんな高い車は必要ないかな。故障無しで動いてくれれば、何でも良かったけど……」


 ふーん、車で自分を良く見せようとしている訳じゃないのね……


「ねぇ、どうして銀行にお金を預けないの?」


「行くのが面倒だし、けっこう夜中とかでもお金が頻繁に必要なことが多くてね」


 ……それって、もしかして。

 さっきお金の数え方も手慣れてたし……


「もしかして~、お金貸すお仕事とかもしてるの?」


 そう聞くと、彼は私の目を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。


「してないよ」


「ふ~ん」


 そう答えた後、少し淋しそうな表情を浮かべて話し始めた。


「古い付き合いの友人が居てね。凄く…… 本当に凄く良い奴だった。だけど……」


「だけど?」


「金貸しを始めて、人が変わっちゃってね……」


「……どんな風に?」


「……人に敬意を払わなくなった」


 私はワインを飲みながら、その話を聞いている。


「具体的に言うと?」


 お酒の力なのか、それともその話に興味があったのか、普段の私と違って遠慮が無い。


「昔、そいつの買ったばかりのヘルメットを借りてて、俺がうっかり傷をつけてしまったんだ」


 うん、天然のあなたの失敗談は、全く不思議に思わない。


「その時は、全然お金も持ってなくて、どうやって弁償しようか悩んでたら」


「うん」


「弁償しなくていいよって言ってくれて…… 大切にしてたヘルメットなのに。 ……たぶん俺の境遇を知っていたからだと思うけど、そういう優しい奴だったんだ」


「今は違うの?」


「うん。金貸しを始めてから人が変わって、全てが上から目線で、仲が良かった友達にもそういう態度で接する様になってしまった。俺とは仲が良かった奴だから、嫌でも変な噂は聞こえて来てさ」


「あなたはその人に何も言わなかった?」


「勿論言ったさ、何度も何度もね。けど…… 昔のあいつに戻らなかったし、余計酷くなっていった。あいつを変えたのは金だよ。あの仕事だ。だから金貸しだけは絶対にしないって誓っている」


 ……ふ~ん。


「人ってさ、いつまでも子供の時のままの考えではいられないのは分かっている。知識や経験が増えて、価値観が変わるのは当たり前だ」



 ……そうね。



「だけど…… あんな風に変わりたくはないなって思った……」



 この人の言った言葉に、少し心を揺さぶられる。


 お箸もまともに持てない奴の言葉に……

 それが少し悔しかったからなのか分からないけど、私はお酒の力を借りつつ、質問を続けた。


「一人暮らし?」

  

「うん」


「兄弟はいるの?」


「ううん、一人だよ」


 一人っ子、私と同じだ。


「ご両親のお仕事は?」


「……さぁ~」


「さぁって、お父さんのお仕事知らないの?」


 この時、ここまで深く聞いた事を、私は今でも後悔している。


「……会った記憶がないんだ」


「……」


「父親にも、母親にも」


 その言葉で、酔いが一気に覚める。


「……ごめんなさい」


「ううん、謝らなくていいよ。俺気にしてないし、親はいなくても、心から信用できる友達は、沢山いるし」


 いくらこの人との関係が、今日で終わりといっても……

 

「ねぇねぇ、葵さん」


「はい」


「俺も聞いていい?」


「はい」


「いつから音楽を始めたの?」


 沈み込んでいる私に気を使ってなのか、次々と音楽の質問をしてきた。


 だけど私は何を聞かれて、どう答えたのかあまり覚えていない。


 けど…… のぼるが楽しそうにしていたのは、覚えている。




「本当に送らなくていいの?」


「えぇ、今から友達の所に行きますから大丈夫です」


「……今日ありがとう。とっても楽しかった」


「……私も楽しかったです。お食事ありがとうございました」


「じゃあ」


「はい」


 私を乗せた時と同じように、スムーズに車を動かし去って行った。


「……ふぅー」


 この時私は、やっと一人になれた事で、罪悪感が少し薄らいでいるのを感じる事が出来た。

 あとは今日の事を忘れるために、美咲に付き合ってもらうからね。当然の権利よね。

 どういう訳か、お財布の中が、18万2千円も増えているから奢ってあげる。

 

 使い慣れていないLINEで、美咲に連絡を取り、恵比寿で飲む約束をする。

 電車に乗るために上野駅に向かい、改札手前でバッグからSuicaを取り出すと、小さなハンカチが一緒に付いてくる。


「……」


 ……返し忘れちゃったけど、いいよね、こんな小さなハンカチぐらい。




「おそーい、美咲ー」


「だって、急すぎでしょう。まぁ~、今日はあの日だから面白い話が聞けると思って、これでも急いできたのよ」


 美咲は、ニコニコを通り越えて、ニヤニヤしている。

 その笑顔が癇に障ると同時に、まだ罪悪感を引きずっているみたいだった。


「あー、あまり話したくないかな~」


「なによー、その為に来たのよ私」 


 唇を尖らして怒る美咲。

 子供の頃から機嫌が悪くなると、いつもこの唇になるのよね。んふ、可愛い。


「分かったぁー。話するけどー、何が聞きたいの?」


「どうだったの、正直に言って。あの人と付き合える?」


「あっ、それ即答できる。無理ぃ~」


「えー、あんなイケメンでもダメなの…… どこでデートしたの?」


「……はぁ~」


「えっ…… ここでため息?」


「当てたら凄いよ」


「何を?」


「デートの場所」


「う~ん、ヒントは?」


「ヒントはエンジン音が大きくて、おじさんが沢山居ました」


「はへ~?」


 全く思いつかないが、美咲は深く考える。


「……涼子が言ってたように、ちょっと悪そうな感じがしてたから」


「してたから?」


「バイク屋さん!」


「ハーズーレ~」


「分からないって、どこよー?」


「……競艇場」


「えっ? 何それ?」


「平和島競艇場」


「何するところなの?」


「ボートレースにお金賭けるところ~」


「……うわ~、あんなイケメンなのに、少し、いやだいぶ引いちゃった」


「だよね~。けどね……」


「けど?」


 財布を開いて札束を取り出す。


「ジャーン。舟券が当たっちゃって、私の財布の中身が18万2千円増えちゃいましたー」


「あはははは、なによーそれー。凄いけど笑っちゃう~」


「ねー、私パパ活でもしてきた気分なのでーす」


「あはははははー」


「でねーでねー」



 葵は、のぼるの両親以外の話を、全て美咲に話した。



「いやいや、面白い経験したね葵」


「美咲は他人事だからそう思うのよ~」


「けど、あんなイケメンだから私は許しちゃうかもね~」


「……まぁ確かに背も高いし、色白で顔もね~。あとね、ピタって止まった時は、本当にハムスターみたいで可愛かったよ~」


「結果的にお小遣い迄くれたからね~」


「うふふふふ」

「あはははは」


「もう、やめてよもうー。お腹痛いよー」


「……」


 さっきまで一緒に笑っていた美咲が、突然黙って葵を見つめている。


「なによー?」


「いや、葵が男の話をこんなに長くするのは、初めてだな~って思っちゃってね」 

 

「なに~、その棘のある言い方~?」


「別に~」


「私なんとも思ってないからね、あんな男のこと~」


「ほんと?」


「ほんとよ~」


「もう一度聞くからね、本当なの?」


「なっ…… ほ、本当だって……」


 美咲は、大きくうんうんと二度頷いた。


「分かった。じゃあ、のぼるさんにLINEしていい?」


「……はっ!? 何言ってるの美咲? 酔いが覚めちゃいそう」


「私はね、のぼるさん気にいっちゃった」


「……」


「葵はなんとも思って無いのよね? だったら、私に頂戴」 

 

「……」

 

 葵は無言で俯き、何かを考えている。


「……駄目でしょ、勝手に人のLINE……」


「じゃあ、本当に葵がのぼるさんをどうでもいいと思ったら、その時こそ私に頂戴ね」


「ほ、本当にって……」


「私は葵の親友なのよ。小さい頃からの付き合いなの。葵の知らない葵だって、知ってるよ」


「……」 


「まぁ、急ぐ必要はないから、ゆっくり考えてみて~」


「……うん」


 なに素直に返事してるのよ、私は……




 自宅に戻りベッドで横になると、私はのぼるの事を思い出していた。


 叙々苑でお酒を頼むと言ったのは、笑った罪悪感を誤魔化す為だけじゃない。

 本当は、頬をピンク色に染めて私を見る彼の瞳に、心がときめいたから……


 あの瞳を…… 忘れられない……


 あんな瞳をする男性に会ったことがない。

 育ちが違うからかな…… 少なくとも、私の周りにはいない。


「うーーー」


 ダメダメダメ、いくらイケメンだからってデートが競艇場だよ。

 まぁ…… 初めての経験で、今思えば、少し楽しかったかもね。初めて食べた煮込みも美味しかったし、お金も増えたけどさ……

 けど、いい大人なのに、お箸の持ち方も間違っているのよ。


「……」


 嫌だ。

 どうしてあんな男が、気になるの……

 自分を嫌いになりそう。本当に嫌だ……





 あのデートから1週間。今日もあの日と同じ土曜日……


 彼からは何の連絡もなく、勿論私からも連絡をしていない。   

 だけど、正直に言うと、毎日あの人の事を思い出していた。



 あー、これも美咲のせいだ~。


 美咲が変な事言うから、それを気にしてるのね絶対……

 はぁ~、どうすればこのモヤモヤした気持ちが収まるのだろう?


 葵は、ベッドに置かれているスマホに目を向ける。


 どうして、どうしてLINEしてくれないのかな…… 私から、送ってみようかな……


 机に置かれている、彼の小さなハンカチが目に映る。


「うーーー。もうーーー。分かったわよ! 私からLINEすれば良いのよね!」


 って、何て送れば良いの…… 


「えーと……」


(この前はごちそうさまでした。競艇場でお借りしたハンカチを返し忘れてました)


「これでどうかしら?」


 葵は、短い文章なのに、何度も何度も読み返す。


 良いよね、これで……


「えーい、ポチっと! あー、どうしよう!? 本当に送っちゃった…… もう、知らないからー」


 LINEを送って1分…… 5分…… 10分…… 既読にならない。


「ちょっ……」


 ちょっと嘘でしょ!? 私がこれだけ勇気を出して送ったのに、どうして直ぐに読まないのー。もぅ~嫌だー。   

 

 それから、30分たっても、一向に既読にならない。


 もしかして…… わざと無視してないよね。

 お酒の勢いで色々聞いてしまったから、嫌われちゃったのかな……


「……」


 何よ、嫌われたっていいじゃん。今日だって、ハンカチ返したらもう終わりよ! フンだ!


 そう思っていた葵だが、スマホの画面を何度も何度も確認する。

 そして送信して1時間後、やっと既読になる。


「あー!」


 なった! 既読になった! 良かったぁー。

 早く! 早く返信してきて! お願い、早くぅー。


「……」

 

 ……きぃったぁー! 

 

(こんにちは。返事遅くなってすみません。そのハンカチ、競艇場で無くしたと思ってました。持っていてくれて、ありがとつございます)


「ふむふむ、何よありがとつって。打ちミスしてるじゃん…… もぅ~」

  

(今日、お時間ありますか? 良かったらお渡しします。この前、お食事をごちそうしてくれたので、今日は私がのちそうします)


 と、返信してみた。


 ……あっ、ごちそうのところ、のちそうになってる!?

 あー、もう既読になっちゃってるし……


「……返って来た!」


(葵さんの行きたい店に行きましょう。俺がのちそうしますよ)


「うふふふ、のちそうって書いてこないでよ、馬鹿にして―。あなただって、ありがとつって送ってきたくせに~、ふふ」


(いいえ、私がのちそうします。宜しいですか?)


(分かりました。今日はのちそうになります。この前と同じコンビニの前でいいですか?)


(はい、コンビニの前でお願いします。時間は13時でかまいませんか?)


(分かりました。13時に行きまーす)


(はーい)


「きゃー、シャワーあびようっと」

  

 何着て行こうかな~。


「あーあー、前に美咲についてった時に見たスカート買っとけば良かったなぁ」

 

 ん~、これでいいかな?

 メイクもバッチリ……

 うん、私は今日も可愛い可愛い。


「お母さーん、出かけてきまーす」


「はーい、気を付けてね~」



 時間は12時40分。

 待ち合わせのコンビニまでは5分。

 いくらなんでも早すぎちゃったかな~。


 1号線に出て、コンビニ方面に目を向けると、ゲレンデが既に停まっていた。

 

 ……うふふ、そんなに早く私に会いたかった? 

 もうー、しょーがないなぁ~。


 私の歩くスピードが自然と早くなる。


 一週間前と同じ様に、彼が運転席から照れくさそうに降りてくる。


「こんにちは」


「はい、こんにちは」


 何よ、はいって…… 本当おじさんみたいなんだから~。


「どうぞ」


 この前と同じように、助手席のドアを開けてくれる。

 私が乗り込むと静かにドアを閉めてから運転席に座ると、スムーズに車を走らせ始めた。

 流れるような動作……

 たったそれだけなのに、絵になる男性……


 だから私、絵画を見つめる様に、助手席からジッと見てあげたの。

 私の視線に気付いて、照れた表情で目を合わせてくる。


 そう…… 本当は、その瞳に会いたかったのかも……



「あっ!? どこへ行けばいいの?」


 ……もぅ~、気分を壊さないでよー。うふふ。


「銀座に行きましょう」


「アイアイサー」


 ふっふふ、何よその変な返事。もう~。

 本当、子供みたい、うふふ。

  

 

 銀座に着くと、パーキングに車を停めて、イタリアンの店まで一緒に歩く。

 私が家を出る前に予約をしていたので、土曜日の昼食時なのに、待つことなくテーブルに案内された。


 彼はこういう店が慣れてないのか、少しキョロキョロとして、落ち着かない様子。


 ……うふ。


「ねぇ、何食べたい?」


「う~ん、そうだね。良かったら葵さんが選んでくれないかな?」


「……そうね、この前は煮込み食べさせてもらったから、お返しに同じぐらい美味しい物を注文するね」


「是非、お願いします」


 この前と違って、お互いスラスラと話をしている。

 たぶんあのミスしたLINEのお陰かも知れない。

 たったあれだけのことで、私の中にあった壁が消え去ったような気がする。


「ねぇ、私またワイン飲んでいいかな?」


「どうぞ、どうぞ~」


 心がときめいて、お酒を飲みたくてたまらない。


「お酒好きなんだね」


「ん~、確かに好きだけど、昼間から飲むのは珍しいのよ」


「その珍しいの場面に出会う確率が、俺は100%なんだね」


「そうね」


 だって、その理由はあなただから……


「ハンカチ…… 持っていてくれて良かった」


 彼は、神妙な表情でそう呟いた。


「……もしかして、大切な物なの?」


「うーん、まぁ……」 


 私はその理由を知りたかったけど、この前の失敗からそれ以上聞いていいものか迷っていた。


 この人は、私や私の周りにいる人達の当たり前とは違う。

 そう、全く違う人生を歩んできている。

 この前、少し話をしただけでも、それぐらいは分かる。

 ……知りたい。この人の事を、もっと知りたくてたまらない。


「教えて貰ってもいい……」


「……この前も言ったけど、俺は父親も母親も見た記憶が無くて、3歳の時だったかな、それまでは四国に居たらしいけど、神奈川県の親戚の家に引き取られたらしい。だけど、直ぐに何かの事情で孤児院に移ったんだ」


「……」 


「その時から、俺の荷物にあったハンカチなんだよ」


 子供用のハンカチ…… だから小さかったのね。


「そうなの……」


「うん。もしかしたら、会った事も無い母親が持たせてくれた物かもしれないと思って、大切にしてたんだ」


「……」


「孤児院とかでは、良くある話らしいけどね」


 そんなハンカチを……


「忘れちゃ駄目でしょ、そんな大切な物を……」


 私がバッグに入れなかったら、本当に無くしてたかも……


「う、うん。そうなんだけど……」


 そう答えた後、明らかに挙動がおかしくなった。


「どうしたの?」


「えっ…… いや別に……」


「……あー、イライラする~」


「えっ!?」


「私、隠されるの嫌い」


 ごめんなさい、本当はイライラなんてしていない。

 ただ、ただあなたの事が知りたいだけなの……


「……あの」


「何?」


「あの日は…… 葵さんと初めてのデートだったから、夢中で……」


 

 トクン



 その言葉とあの瞳で、自分ですら存在を知らない胸の深い場所にある何かが、初めてふるえた……


「他の事を、あまり考える余裕が無くて……」


 もしかして…… だから、9レースの事も忘れちゃったの……


「実は…… あんなにお金賭けた事も無くて…… その…… あの時の俺は、勝って良いとこ見せようと、そう思ってたみたいで……」


「……馬鹿」



「お待たせいたしました。カルボナーラです」


 その時、注文していたパスタがテーブルに届く。


「この店のカルボナーラはね、生クリームなんて使ってないの。本場と同じ作り方をしてるの」


「へぇ~」


「ペコリーノって羊のチーズを使ってるのよ」


「ペコリーノ? 何その可愛い名前。あははは」


 そう言って笑うのぼるは、本当に可愛かった……


「……食べてみて」


「うん」


 フォークを手に取りパスタをくるくると巻いて口に運ぶのぼるを、私はドキドキしながら見ていた。


 どうかな? 私の好きな食べ物を、気に入ってくれたらいいけど……


 いつもみたいに、マナーをチェックする気になれない。今はただ、ただパスタを食べているあなたを見ていたいの。


「えっ……」


「どう?」


「濃厚で美味しい! こんなの初めて食べたよ」


「うふふ、じゃあこの前のお礼が出来たね。私もあの煮込み、初めてで美味しかったの」


「ははは、そうだね」


「ふふふ」


 私の人生で、こんなにも楽しい食事は初めて。

 不思議だね、少し前まであなたに連絡することで悩んでいたなんて信じられない。


 一緒に居て心地良い……

 幸せを感じられる……

 胸がずっとときめいている……


 もしかして、これが愛なのかな……

 初めてでよく分からない……

 けど、きっとそうなのよね。

 だって、本当に初めてなの、こんな気持ち……


 この後、仕事のあるのぼるとの時間は、あっという間に過ぎて去ってしまった。

 そして、迎えに来てもらった同じコンビニの前で、ゲレンデは停車する。


「今日はパスタごちそうさま。凄く楽しかったよ。……じゃあ」


「……うん」


 交通量の多い1号線。

 沢山の車が、停車しているゲレンデのすぐ横を通り抜けていく。

 その為、のぼるはドアを開けて車から降りる事が出来ずにいた。だから私は、自分でドアを開けた。 

 

 けど…… 帰りたくない。 

 本当はもっと一緒に居たい……


 その気持ちを抑え込み、車から降りて歩き出すと、ドアの開く音が聞こえた。



「葵……」



 振り返ると、のぼるが私の方に歩いてくる。

 頬をピンク色に染めて…… 私の大好きなあの瞳で……


 唇で私の髪の毛に優しく触れた後…… キスをしてくれた。

 私たちのファーストキスは国道1号線、桜田通りのコンビニエンスストアの前。

 それなのに、凄くロマンティックなキスだったの……




(ねぇー美咲。のぼるさんを~)


(えー、なにー? のぼるさんをくれるの?)


(のぼるさんをー)


(早く言ってよー、何ー?)


(誰にも渡さないから!!)


(!? 本当に本当!?)


(うん。ありがとう美咲。あなたは私のたった一人の親友よ)


(きゃーーー、葵にも春が来たのねーー、私嬉しい!)


(今度は今までと違うの。大切にするからね)


(お祝い! お祝い! お祝い!)


(明日服買いたいから付き合ってよー)


(行く行く行く行くー。話をタップリ聞かせてねー)


(えー、どうしようかな?)


(おーい!)


(うそうそ、聞いてくれるなら、お話しまーす)


(大好物よ)


(あははは、明日起きたらLINEするからね)


(はーい)


 あ~、自分のベッドで横になっているだけなのに幸せ過ぎる……


 だけど、何かすっきりしないなぁ……

 美咲にも報告したし、何だろう。


 ……あっ!?


 ハンカチ返し忘れてしまった……


「うふっ、うふふふふふふっ」


 夢中になると、本当に忘れちゃうのね…… 

 知らなかった。





 一週間後の土曜日。

 

 この一週間は、前の一週間とは真逆だった。

 のぼると毎日沢山のLINEをしていた。 

 そして、当たり前のように、またのぼるに会えた。


「服、可愛いね。凄く似合っているよ」


「本当?」


 うふふ、美咲に付き合ってもらって、買ったばかりなのでーす。良かった、この服にして……


「今日は何処に行こうかな?」


「えー、何よー。決めてなかったの?」


「うん、インスピレーションに任せようと思ってね」


「だめ~、のぼるのインスピレーションは当てにならないの知ってる~」


「酷いなー、俺だって1番選んで当たったじゃん」


「あれは、私のお・か・げ、でしょ?」


「う~ん、そうだね」


 笑顔でそう答える、のぼるのその表情と仕草が可愛くてたまらない……


「ふふ、素直~」


「どこいこっかな~。行きたいとこある?」


「……ある」


「どこ?」


「のぼるの家……」


「……分かった」


 やったぁー。


 これでのぼるのことを、もっともっと知ることができる。


 どんなとこに住んでいるのかな~。

 マンションだよね。

 賃貸? それとも?

 いや、のぼるのことだから~、家なんて雨漏りしなければそれで良いとか言っちゃって、ボロボロの家に住んでいるのかもしれない……

 けどね、それでも大丈夫だよ。

 この一週間、何度も何度も心の中でシミュレーションしていたから……

 それに、のぼると一緒なら、どんな所でもいいの。

 あー、楽しみで楽しみで、胸が張り裂けそう。


 第一京浜を神奈川方面に進み、大田区の大森町駅の交差点を右折する。

 この辺りは、一方通行が多いみたいで、まるで私に家の場所を覚えさせないかのように、車は狭い道を走る。

 そして、京急本線のすぐ脇のマンションに車がゆっくりと停車する。


 なーんだ、普通のマンションじゃない。

 ボロボロの家を期待して損しちゃったぁ。


「ここ?」


「うん」


「へぇ~、地名は?」


「ここは大森西だよ」


 車から降りると、私は大きく息を吸った。


「ス~、ハ~」


 これが、のぼるの住んでいる町の匂い……

 私が住んでいる所とは、まるで違う匂い。

 うーん、何かの工場の匂いがする。

 決して嫌いじゃない。逆に心が落ち着く。

 そんな匂いがするの……

 

 マンションの前には、小さな公園があって、子供たちが遊んでいる。

 その隣は空き地だった。

 

 こんな住宅街に、空き地なんて珍しいね……


 公園に目を向け、楽しそうに遊んでいる子供達を見ていると、何故だろう……

 のぼるにぴったりの場所だなって思ってしまう。


「こっちだよ」


 そう言って歩いて行くのぼるの後ろで、私はキョロキョロしている。

 オートロックの鍵を取り出し、素早く開けてマンションの中へ入ってゆく。

 エレベーターに乗り、5階のボタンを押す。


「このマンションさ、6階建てなんだけど、角部屋は5階までしかないんだよ。だから一応最上階」


「ふ~ん、そうなんだぁ」


 5階に着き、エレベーターから降りると、端っこのドアの前で、のぼるがドアについている数字のパネルを押す。


 へぇ~、そういう鍵なんだ。

 

 ドアを開けると、キスをしてくれた時に嗅いだのぼると同じ匂いが部屋からした。


 それだけで、私の胸の鼓動が激しくなるのを感じる。


「どうぞ」 

 

「ん~、お邪魔しまーす」


「はい。間取りは2LDK」


「ふ~ん」


 廊下の左側はお風呂とかトイレかな……


 右側はドアが2つ。たぶん寝室だろう。


 どんなベッドかな?

 いや、のぼるのことだから、布団かも知れない。うふふふふ。

 

 廊下を抜けると、そこはリビング。

 10人ぐらいが座れそうなソファーセットと、大きなテレビが置いてある。


「いつもここでテレビ見てるの?」


「う~ん、けっこう部屋にこもってることが多いかな。リビングは人が来ている時だけ、使ってる感じかも」


「へぇ~」


 床を見てもホコリなど落ちていない。良く掃除されているみたい。


「どこで寝てるの?」


「寝室は玄関に近いドアの部屋」


 当たった…… 流石4番を当てた私の勘。


「ふ~ん。その隣部屋は?」


「……その、隣は~」


 あー、何か隠している!


 私のインスピレーションの優秀さを知らないのかしら? なんてね。


 嘘をつけない性格なのね、すぐに態度にでちゃう。

 けど、そんなところも…… 大好きだよ……


「パソコンとか、仕事関係の部屋かな」


「……かな?」


「うん、かな」


「ふ~ん、見てみたい」


 そう言うと、困った表情になった。

 本当、分かりやすい。


「ん~と、あの部屋は掃除をしてなくて……」


「ふ~ん、じゃあ寝室は見てもいい?」


「いいよー」


 のぼるが廊下に向かって歩き出す。


 そして、寝室のドアを開けて部屋の中に招いてくれた。


 あー、のぼるの匂いを強く感じて心地良い……


 私の部屋の1/3ぐらいの広さの寝室には、クイーンサイズと思われるベッドが一つ置いてあった。


 ふ~ん、クイーンサイズのベッドねぇ~。


 つまりは……

 一人だけでは無い日も多々あったのね。


 そう考えると、少しイライラしてしまった。


 なに私…… 誰かも分からない相手を勝手に想像して、やきもちを焼くなんて。


 これも、初めての経験……


 ベッド以外は、本棚とクローゼット。

 本棚には、漫画が数十冊。


 内容が気になる。あとであの漫画読ませてもらおうっと。


「綺麗じゃん」


「そうだね。掃除はマメにしてます」


「ふ~ん、じゃあ隣の部屋もしてるよね?」


「え!? と、隣だけは…… そのー、してなくて……」


 フンだ! 後で勝手に見てやるから!

 

 リビングに戻ってソファーに座っていると、のぼるがハーブティを淹れて持って来てくれた。


 ふふふ、のぼるがハーブティ……

 なんか、似合わないなぁ。


 ティーカップを手に取って、素敵な色のハーブティを見詰める。


 ……このハーブティ、私の為に用意してくれたのかな?

 どうしてかな…… 違う気がする……

 のぼる、絶対モテてるだろうから、色々な女性の為に置いてあるのね……


 勝手に悪い方に想像してしまい、悲しくなってしまった。


「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」


「うん」


 のぼるがトイレに入ったのを確認して、私は足音を立てないようにして廊下に出た。

 その目的は、まだ見ていない部屋が気になるから……


 ドアノブを握りしめ、躊躇なく開ける。 


 窓から陽が射して明るいその部屋は、寝室と同じぐらいの広さで、リビングと同じように清潔。


 やっぱりね、掃除をしていないなんて、嘘だったのね。


 机にはモニターが置いてあり、足元にはパソコンが置かれている。


 あとは本棚と……


 えっ…… アルトサックス……


 

 部屋の片隅に、アルトサックスが立てかけられている。


 なーんだ、のぼるも音楽やってたのね。

 言ってくれればいいのに~。


 そう思っていると、のぼるがトイレから廊下に出て来た。

 ドアが開いてるのに気付いて驚いたのか、足音を立てて部屋に飛び込んでくる。


「のぼる、サックス吹けるんだね」


「いや!? そ、それは……」


「それは何よ?」


「……」


 無言で俯くのぼるを見て、私の感情は高ぶる。

 銀座の時と違って、本気でイライラしたの。


「どうして隠すのよ!?」   


「いや…… 隠しているわけじゃなくて……」


「隠してるじゃない! 部屋だって綺麗なのに掃除してないとか嘘ついて!」


 困った表情のままで、私の目を見つめる。


「いや、あのサックス…… 買ったばかりなんだ」


「えっ……」


「吹いても吹いても、まったく音が出なくてさ…… 壊れてるんじゃないかなって……」


「……」


「全然上達しなくて…… だから、まだ知られたくなくてさ……」


「どうして、サックスを始めようとしたの?」


「その…… 俺も何か楽器ができれば、話が増えるかなって思って……」


 それって…… 

 

「もしかして…… 私のために……」


「……うん」


 その返事を聞いて、私の瞳から、自然と涙が溢れ出る。


 これが…… 

 今、私の心にある、この感情が愛なのね。 

 あなたの全てが、私を思ってくれるその心が、愛おしくてたまらない……

 

「のぼる」


「……」


「私を……」


「……」


「抱いて……」


 私を見つめるのぼるの瞳からは、私と同じ大粒の涙が零れ落ちていた。


 のぼるはキスをしてきたの。 

 初めてのキスとは違い、情熱的なキスを……


 寝室に移動すると、私をベッドに押し倒した。

 さっきまで、あんなにも気になっていたクイーンサイズのベッド……

 今はもう何も気にならない。

 ここは、私とのぼるだけのサンクチュアリ。

 

 身体が…… 自分の身体とは思えないほど、濡れているのを感じる。 


「あっ…… のぼる…… あぁっ……」


 この時私は、初めてエクスタシーを感じた。




 少し眠っていた私が目を覚ますと、のぼるに腕枕をしてもらっていた。

 ちょうど同じタイミングで目を覚ましたのぼるに、私は聞きたい事があった。 

 

「のぼる…… タトゥーを入れているのね……」


「うん……」


 タトゥーと言ってはみたが、たぶん刺青と言った方が正しいのかもしれない。

 のぼるの背中一面には、よく分からない絵の、刺青が入っていた。


「ねぇ…… タトゥー入れたのって、後悔してる?」


「葵が気になるのなら、後悔している」


「……何、その卑怯な言い方」


「だって…… 本当なんだもん」


 なんだもんって…… もぅ、どうしてそんなに可愛いの……


「のぼる……」


「うん?」


「私は気にならない。あなたが、一緒にいてくれれば、それだけでいい」


「……うん。俺も葵と一緒に居たい」


「……うん、嬉しい」



 それから私は週末を、いつものぼるのマンションで過ごしていた。

 のぼるの家に私の荷物が自然と増えていく。

 それを凄く心地良く感じる。

 月日が流れても、のぼるは出会った頃と同じで優しくて、私を大切にしてくれている。

 そう、私が初めて愛した人は、良い意味で他の男性とは違ったのだ。


 だけど、気になる所もあったの。


 ある日、私がのぼるとリビングで映画を見ていると、のぼるのスマホに電話がかかって来た。

 私に聞かれないよう洗面所に移動して話し終えると、仕事で少し出かけてくると言い残し、スマホだけを持って出て行った。

 部屋着のままだったので、直ぐに戻ると思っていたけど、数十分たっても戻ってこない。


 一時停止した映画の画面に見飽きた私は、ベランダに出てそこからの景色を眺めていた。

 そこから見える京急本線は、新しい高架を建設中。

 時代の移り変わりを感じていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


 その声は、のぼる……


 誰かと会話をしている。

 だけど、内容は聞き取れない。

 いったいどこから……


 答えはシンプルだった。


 それは隣の部屋。

 のぼるは仕事だと言い残し出かけたけど、隣の部屋にいたのだ。

 そして、1時間ぐらいしてのぼるがやっと戻って来た。


 この頃の私は、のぼるの全てが知りたかった。

 だけど、のぼるの仕事だけは…… 知るのが怖かったの。

 

 のぼるとは、この先の事まで考えている。

 避けて通ることは出来ない。

 勇気を出して、聞いてみることにした。


「ねぇ、のぼる……」


「うん?」


「私の質問に答えてくれる?」


「……あぁ」


「絶対に嘘をつかないって約束して……」


「……俺は葵に、絶対に嘘をつかない。信じて欲しい」


 そう答えたのぼるの瞳には、少しの濁りも感じられない。

 この人は、私に絶対に嘘をつかない、そう確信できた。


「のぼるの仕事って…… ヤクザなの……」


 のぼるは直ぐには答えない。

 いや、違う…… 私の時間の感覚がおかしい。

 のぼるの動作が、自分の動きまでも、全てがまるでスローモーションのように感じる。


 のぼるの唇がゆっくりと動くのが見えた。


「……違う。俺はヤクザじゃない」


「……本当?」


「うん、誓っていえる。ヤクザじゃない」


「……良かったぁ」


 私はのぼるに抱き着いて、キスをねだった。

 優しくて、あの初めての時のようなキスをしてくれた。


「さっきベランダから景色を見ていたら、のぼるの声が聞こえて来て……」


「うん、それは俺だ。隣の部屋で人と会ってた」


「……誰の部屋なの?」


「俺が人に頼んで借りている」


「えっ?」


「家賃は俺が払っているけど、名義は他人だ」


「そうなの……」


「あぁ、隣だけじゃない。この部屋の正面の部屋も、その隣も同じように名義を借りて、俺が家賃を払っている」


「……」


 あの時と違って、その部屋の中を見てみたいとは思わなかった……

 正直に話してくれて嬉しかったけど、これ以上は知らない方が良いと感じたの。


 そして、のぼるはもう一つ教えてくれた。


「心配しないでくれ。俺は犯罪者じゃない。俺のやっている仕事に、グレーゾーンが多いのは確かだ」


「グレーゾーン……」


「あぁ、だけどそのグレーゾーンの仕事も、ゆくゆくは全て辞める。そして、真っ白な仕事だけを残してゆく。今は、その途中なんだ。だから葵は、何も心配しなくていい」


「……うん」


「俺を信用して、ずっと一緒にいてほしい」


「うん! 私、のぼるから離れない」


 神様…… ありがとう。

 のぼるに会わせてくれて…… 本当に、ありがとう。

 私、ずっと良い子でいます。だから、これから先も、ずっとのぼると……



 ある日、葵とのぼるは、横浜の桜木町駅前を歩いていた。


 すれ違った人たちが、振り返るほどの美男美女のお似合いの二人。

 その二人の視線の先で、木枯らしが街路樹の落ち葉を舞いあげている。


「う~、もぅすぐ冬だね~」 


「そうだね。葵、寒くない?」


「うん、大丈夫だよ」


 今日は、横浜赤レンガ倉庫でランチ。

 土曜日なので人通りは多く、特に恋人同士が目に付く。

 その人込みの中、場違いな薄紫の作業服を着た背の高い若者が、私達に真っすぐ近寄って来る。

 

 ……えっ、何あの人? 笑顔でこっちにくる。


「のぼるさーん!」


「うん? おぅー!」

 

 その子から声を掛けられると、冷たい風で強張っていたのぼるの表情が、一瞬で笑顔になる。


「なになに、デートっスか?」


「フッ。あぁ、デートだ」


 そう照れながら答えるのぼるは、まるで私と初めて会ったあの時の、のぼるのように感じた。


「いいですねぇ~」


「フフッ。現場、近いの?」

 

「はい、直ぐそこです。今、昼飯メシ食いに行ってます」


「あっ、それなら……」


 のぼるは財布を取り出して、適当に1万円札を掴み取り、渡そうとしたがその子が止めた。


「のぼるさん、それは駄目っスよ」


「そう言わずにさ、いいじゃん」


「駄目ですよ。ん~、じゃあ、どうしてもって言うなら、その俺に渡そうとしたお金で、今から彼女に何か買ってください」


「……フッ! 分かったよ」


 のぼるの屈託のない笑顔。

 私以外に向けられているのを、初めて見た……


「いや~、彼女めっちゃ可愛いっスね~」


 そう言って私と目が合うと、ウインクをしてきたの。


「俺からのプレゼント、大切にしてね」


 ……俺からって、買うのはのぼるでしょ。何この子…… ふっふふ。


「じゃあ、失礼します」


「あぁ、またな」


 その子は、人混みの中を、まるで風のように去って行った。


「誰あれ?」


「ん? あぁ、1番信頼してる後輩だよ。あいつはさ、普通じゃない。きっと、大きな何かを成し遂げる。俺は、そう思っている」


 のぼるが褒めるのも分かる気がした。

 あれほどオーラを発している人に、私は出会った事が無い。


「凄いイケメンだね、あの子……」


「えっ!?」


「うん?」


「あー…… こんな良い男が彼氏なのに、何か足りませんか?」


「……んふ。あ~、もしかして~、やきもち焼いているの?」


「……葵がそう感じているのなら、そうかもねっ!」


「まーたそんな卑怯な言い方をする~。そっかぁ、やきもちやいてくれてるのね~」


「やいてないよ……」


「ねぇねぇ、嘘つく必要ないのじゃない?」


「……フン」


 そう言いそっぽを向いてしまうのぼる。


 私は嬉しさから、胸が苦しくなるほどときめいていた。

 のぼるの腕にしがみつき、甘えておねだりをする。


「ねぇ、キスして……」


「……うん」


 そう返事をして、そっと唇を近づける。

 

 私、幸せ……


 私達は、他人の目など気にすることなく、唇を重ねた。


 ランチの後、アンティークショップで、サックスを持った小さな人形を買って貰った。

 これは誰からのプレゼントなのかを考えると、少し笑ってしまう。





「川上さ~ん、川上のぼるさ~ん」


「はい?」


「あっ、良かった。帰られたかと思ってました」


「どうしたんですか?」


「先生から、お話があるみたいです」


「……今日は、いつもの薬を取りに来ただけですけど」


「えぇ、この前の血液検査の結果で、どうしても報告したい事があるみたいなので……」


「……分かりました」

 

 のぼるは看護師と共に、診察室に入って行く。



「あ、川上さん」


「先生、こんにちは」 


「川上さん、実はですね、検査の結果がよくありません」


「そうですか……」


「今は薬だけでぎりぎり日常生活を送れていますが、その状態がそう長く持つとは思えません……」


「……はい」


「そうなると前から説明しているように、……しか、手はありません」


「……分かりました」


 のぼるはゆっくり立ち上がり、診察室から出てゆく。


 そして、車に戻り一人になると、恐怖から身体が小刻みに震え始めるのであった。




 えーと、これで、忘れ物はないよね。


 いつもの様に、のぼるのマンションに泊まりに行く準備をしている私の部屋のドアを、誰かがノックする。


「コンコン」


「はーい」


「葵、少しいいかしら?」


「何お母さん? もうすぐ出かけちゃうけど」


「葵、もしかして、良い人が出来たの?」


「急にどうしたのお母さん……」


「急にって、だいぶ前から週末は帰ってこなくなったし、同じ女性だから分かるもん」


 ふふ、もんってのぼると同じ言い方……


「ほら、今も凄く幸せそうな表情だし」


「……うん」


「いるのね、お付き合いしている人が?」


「うん。私、その人と結婚したいと思っているの」


「まぁ~、そうなのね。そんな人と出会っていたのね。お母さん嬉しい」


「うん、ありがとうお母さん」


「お仕事は何をしてるの? もしかして同じ会社の人?」


「……仕事は~」


 その時、一瞬曇った葵の表情を、母親は見逃さなかった。


「仕事は色々な店を経営しているの」


「経営者なの? じゃあお父さんも納得するね」


「……そうだね、うん」


「今度、うちに連れていらっしゃい。一緒に食事でもどうかしら?」


「う~、うん。言ってみるね。そろそろ時間だから、じゃあね、お母さん」


「はーい、気を付けてね」


 笑顔で葵を見送る母親だが、葵が見えなくなると、直ぐにその笑顔は消えた。

 そして、足早に父親の所に向かう。


「あなた……」


「どうした?」


「葵に結婚を考えている人が居るらしいの……」


「ふっ、やはりな。あんなにも毎日楽しそうにしている葵は見た事がない。本当にめでたいね、お母さん。もしかすると、近いうちに孫を見る事が出来るかもしれないのか!? ははは、ちょっと急ぎ過ぎかな。はははは」


「……」


「どうした、お母さん?」


「その人の職業を聞いた時の葵の表情が……」


「……」


「聞けば、何かを経営しているみたいですけど……」


「うーん…… 葵は頭の良い子だ。間違いは無いと思うが、結婚すれば当然相手の男性も、私たちの家族の一員になる。調べる必要はあるかもしれないが、ここは葵から口を開くのを待ってみないか?」


「……ええ。分かりました」






「おまたせ~、のぼるの家行こう~」


「先に晩飯~」


「やだー、早く部屋で二人っきりになりたーい」


「ふふっ、はいはい」


 私は、運転しているのぼるの腕にしがみ付くのが好きだった。


「ねぇ~、車買い替える時はベンチシートの車にしてね。その方がしがみ付きやすいでしょ」


「うん、分かった。着いたよ」  


「はーい」


 だけど私は、のぼるにしがみ付いて離れなかった。

 

「離してくれないと、降りられないよ」


「もぅ少しだけ~。一週間ぶりなんだよ~」


「正確に言うと5日ぶり」


 その言葉を聞いた葵は、のぼるの腕に噛みつく。


「いてっ!」


「そんな揚げ足とらないで~」


「ごめんごめん」


 のぼるは優しく謝りながら、頭を撫でる。

 

 幸せ……

 本当に…… 私…… 幸せ……


 もしかして、もう一度噛んだら、またなでなでしてくれるかな? うふ…… 


 部屋に入ると、葵は疑問に思っていたことを聞く。 


「のぼる~、そういえばこの前の火曜日どこ行ってたの?」


「ん?」


「スマホの電源落ちてたよー」


「あー、仕事だよ」


「ふ~ん。そういえば、サックスだいぶ上手になったね」


「そうかな……」


「うん、上達早いよ~。私も先生として教えがいがありまーす!」


「ふふっ。先生と呼ばれる人から褒められたのは、生涯初でありまーす!」


「そうなの? 私がずっと褒めてあげるー」


「……ありがとう」


 二人の愛には、少しの陰りも見当たらない。


「ねぇ、のぼる」


「うん?」


「俺の吹くサックスに合わせて歌って欲しい、それは俺の夢だって言ってくれた時、本当に嬉しかった……」


「……そんなこと言ったっけ俺?」


「あー、ひどーい! いくら天然でも、あの言葉を忘れる訳ないじゃないー」


「忘れたー」


「何でよー?」


「今もずっと葵に夢中だから、また忘れちゃったみたい」


「……バーカ」


「あははは」


「ねぇ、のぼる……」


「うん?」


「私の夢も、聞いてくれる」


「あぁ、勿論だよ」


「私ね、のぼるの子供が欲しいの」


 そう言ってのぼるの背中に抱き着いた私は、この時ののぼるの表情を知る事は出来なかった……


「そうか……」


「うん」


 私はこの時、のぼると結婚して、幸せな家庭を築けると信じて疑っていなかったの。




「また来週ね~」


「うん、またね」


 何度も振り返る葵が見えなくなるまで、のぼるはゲレンデを動かさない。

 そして葵が見えなくなると、いつもの様にゲレンデを走らせ始めた。

 職業柄、いつも後ろを気にしているのぼるは、何か様子がおかしいのに直ぐに気付く。




 数日後……



 外出していたのぼるは、スマホを取り出して、どこかに電話し始める。


「もしもし」


「ういッス、のぼるさーん」


「今、時間ある?」


「はい、全然大丈夫ですよ」


「俺のマンションにこれる?」


「はい、直ぐ行けますよ」


「今外だから、あと30分ぐらいしたら来てくれ」


「はい、分かりました」

 

 のぼるは先に自宅マンションに到着して、電話の相手を待っていた。

 会う約束をした人物は、オートロックの鍵を持っており、エレベーターで5階に上がり、直接部屋のチャイムを押す。

 のぼるはそのチャイムで廊下に出て来て、その男と一緒に向かいの部屋に入る。

 その部屋の中は、テーブルセットやポット、それにティーセットなどだけが置かれており、応接室として使用していた。


「どうしたんスか、のぼるさん?」


 そう口を開いた男は、桜木町駅前で会ったあの若者。


「実はな…… ただ、お前に話を聞いて欲しくて、それだけで呼びだしてしまったんだ」


「全然いいですよー、何でも聞きますよ俺」


「俺の身体の事なんだが……」


 そういうと、軽いノリだった若者は神妙な表情になる……


「……良くないんですか?」


「あぁ、もう薬では無理だそうだ」


「入院ですか?」


「そうだ。だけど、無理言って遅らせてもらっている……」


 二人共俯き、お互い目を合わせようとしない。


「こんな事を、聞きたくないですけど、葵さんは、のぼるさんの身体の事を知っているんですか?」


「勿論知らない。俺の身体のことを知っているのは、古い友人と、お前とあの3人だけだ」


「……今日、俺を呼んだのは、俺が前に話した提案を、受け入れるって事ですよね?」


「……」


「そうですよね、のぼるさん!?」

 

 大きな声で、のぼるに詰め寄る若者……


「そうじゃない…… さっきも言ったけど、ただ話を聞いて欲しいんだ」


「そりゃ…… 聞きますけど。どうして…… どうして受け入れてくれないんですか?」


「……」


「日本ではで6親等以内か3親等以内か知りませんけど、友人からの移植手術が出来ないなら、海外でやればいいじゃないですか!? もし金が足りないなら、俺が強盗でも何でもして用意しますから! だから、お願いします。海外で移植手術を受けて下さい!」


 のぼるはただ黙って、くうを見つめている。


「……あの3人も俺も、のぼるさんの為になら、喜んで臓器を分けても良いんですよ。アメリカでは、友人から臓器を分けてもらい、移植した前例も多々あるじゃないですか! 難しい事は分かりませんが、4人も居れば、誰か適合するかもしれないじゃないですか!? どうして…… どうして、俺達の気持ちを分かってくれないんですか!?」


「……前にも言ったが、お前たちの気持ちだけ貰っておく。みんなの健康を害してまで、俺は生きながらえたいとは思わない」


 のぼるの言葉を聞き、若者の表情は険しくなる。


「それより……」


「何ですか?」


「どうしてプロボクシングのライセンスを取らない?」


「……」


「お前の実力なら、プロになるぐらい簡単だろ? それどころか、ジムの会長も、他のみんなも言っていたぞ」


「……」


「お前なら、世界チャンピオンですら、ただの通過点にすぎないとな」


「別に…… 俺はボクシングで世界チャンピオンになるのが夢では無いですから…… ただ単に、それだけの理由ですよ」


「嘘をつけ」


「……」


「自分がボクシングでプロになって活躍すると、俺がお前から臓器を分けて貰う事を、今以上に拒むと思っているからだろ?」


「……」


「そんな心配はしなくていい。知っての通り、俺は臓器移植の希望すらしていないからな」


「……どうして、どうしてドナーを待たないんですか? あなたに適合する臓器が、あるかもしれないじゃないですか!」


「答えは簡単だ。俺が移植手術を受ければ、他に順番を待っている誰かが、死ぬかもしれないからだ」


「……ふっ、ふふふふ」


 若者は、のぼるのその言葉を聞いて、笑った。


あんた・・・、何を言っているんだよ!?」


「……」


「移植手術を受ければ、自分以外の誰かが死ぬだ!? 何だよその理由は!?」


「……」


「何を聖人みたいなことを言ってるんだよ! 見た事も会った事も無い奴に気を使って臓器移植をしなければ、あんたは死ぬんだぞ! もうすぐ、死ぬかもしれないんだぞ!」


「そうさ……」


「それが分かっているのなら、もっと自分の事を考えろ! 自分を優先しろよ!」


「……」


「あんた、ただ話を聞いて欲しい、今日俺を呼んだ理由をそう言いましたよね?」


「あぁ、その通りだ」


「嘘だね! のぼるさん試してるんだろ!? 身体の話になれば、必ず俺が説得すると思って、自分の心が動かないか試してるんだろ? そうだろ!?」


 若者は興奮して立ち上がり、のぼるを睨みつけ、大声で怒鳴るようにそう口にした。

 すると、のぼるはその若者のオーラに気負いして、目を逸らしてしまう。


「……そうだよ。お前の言う通りだ。前に説得された時と、今では状況が違う」


「……」


「あの時にはまだ…… まだ葵は居なかった。今、この葵がいる状況で、お前の説得が何処まで俺の心に変化を与えるのか、試したかったんだ……」


 若者はその言葉を聞いて、ドカっと音を立ててソファーに座る。


「……それで俺の説得は、少しは効果あったんですか?」


「……ないな」


「……そうスか」


 黙り込む二人……


 しばらく間をおいてから、のぼるが口を開く。


「俺は…… お前と、あの3人が好きだ。お前たちの為なら何でもしてやれる、そう心から思っている。大切だからこそ、お前たちの臓器を分けて貰う訳にはいかない」


「分かってると思いますけど、俺達ものぼるさんに対して、同じ考えなんですけど……」


「あぁ、同じ気持ちだからこそ、痛いほど分かるからこそ、譲れない……」


 ここで若者は、切り札を口にする。


「葵さんをどうするんですか?」


「……」


「命が短いと分かっていながら、あんたはどうして葵さんに近付いたんだよ!? あの人は、どうなるんだよ!?」


「……」


「臓器移植を受ければ、葵さんと生きていられるんだぞ! そんなことぐらい、分かっているだろ!!」


「あぁ、分かっている」


「生きたくねーのかよ!? あんな素敵な彼女と、これから先も一緒に生きていきたくないのかよ!?」


 のぼるは両手を大きく上にあげ、握りこぶしを作りテーブルに振り下ろした。


「バーン!」


 大きな音をたてて、テーブルは壊れた。  


「いっ、一緒に、生きていきたいに決まってるだろ!! 死にたくないに決まってるだろーがよ!!」


「……」


「先が無いと分かっていながら、葵に近付いたのは……」


「……」


「怖かったんだ…… 動画で見てから、ずっと憧れていた葵に、俺の存在を知られないまま死ぬのが、怖かったんだよ……」


「のぼるさん……」


「だけど、今は…… それよりも、もっと怖いのは…… 葵が…… 葵が俺の身体の事を知って、俺に臓器を分けると言い出すことなんだよ……」


「……」


「葵がいる今でも、お前の説得は跳ね返せる。だけど…… だけど…… 葵に言われたら、俺は、俺は、断れる自信がないんだー、ないんだよー!」


 ソファーからずり落ち、泣き崩れるのぼる。


 のぼるを見ている若者も、今にも泣きだしそうな顔をしている。

 そしてこの時若者は、のぼるの命が助かるのなら、葵に全てを話そうかと考えていた。


「そのせいで、葵が…… 俺のせいで葵が死んでしまったら…… 俺は…… 俺は……」


 臓器を提供する側にも、それなりのリスクがあるのは当然である。

 若者はのぼるのその言葉を聞いて、葵に話す考えを消し去る。


「葵が一緒に居てくれるようになって、もしかしたら…… もしかしたら、このまま生きていられるんじゃないかって、俺はそんな馬鹿な錯覚していた……」


 のぼるは床にしゃがみ込み、まるで独り言でも言っているかの様に、そう呟いている。


「のぼるさん……」


「……」


「のぼるさん!」


 ぶつぶつと何かを呟いていたのぼるは、若者の声に反応して、ゆっくりと顔を上げる。


「せめて、せめて臓器移植が普通に行われているアメリカに行って、順番を待ってくれませんか? 臓器移植を待っている人達は、みんな対等ですよ。みんな生きたいからこそ、順番を待っているんです。そこにあなたが加わる事は、何も悪い事じゃないんだ!」


「……お前達は、見余っている」


「何がですか?」


「俺はそこまでして生きる価値のある人間じゃない」


「のぼるさん、よく聞いて下さい。移植が間に合えば、まだ生きていられるんですよ! 葵さんとまだまだ、一緒に過ごせるじゃないですか? お願いします、移植手術を受けて下さい!」


「俺は…… 生きながらえても…… できないんだ」


 そう言った後、のぼるは大きく深呼吸を一度だけした。


「俺は、生まれつき子供を作ることができないんだ。だから、葵の夢を…… 夢を叶えてやることは、出来ないんだよー」


「……」


「この後一緒に居ても、何も残してやることが出来ないんだよー」


 その言葉を聞いた若者は、両手を強く握りしめ、歯を食いしばる。


「なんで…… どうして…… どうして育てて貰ったこともない親のせいで、のぼるさんが苦しまないといけないんだよ!」


 そう言うと、壊れたテーブルを蹴り上げた。


「ガラガラガシャーン」



 のぼるの父親と母親は、覚せい剤中毒者だった。

 のぼるを妊娠している最中にも、母親は覚せい剤を使用していた為、のぼるは先天的な障害を、多数持って生まれてきたのだ。

 肌の色が白いのも、そのせいであった。


「ハァハァハァ!」


 若者は、怒りが収まらない。


「……お前に頼みがある」


「ハァハァ、なんですか?」


「俺は最近、跡をつけられている」


「……そいつを殺せばいいんですか?」


「……バ~~カ」


「何ですかその言い方? どうせ俺はバカですよーだ」


「フフッ」 

「……ふふっ、ははは」


 二人は同時に笑い出す。さっきまでの緊張を打ち消すかのように笑う。

 年齢差はあっても、お互いを認め合ってるからこそ、如何なる時でも二人は笑い合える仲だったのだ。


「たぶん、俺の跡をつけているのは警察じゃない。探偵だろう」


「はぁー…… 葵さんの親ですか?」


「あぁ、たぶんな。跡をつけ始められた場所からしても、恐らく間違いないだろう」


「で、俺はどうしたらいいんですか?」


「お前がその探偵と接触してくれ」


「……」


「そして、俺の…………」


 のぼるは、自分の考えを全て話す。


「……本当に、それで良いんですね?」 


「あぁ、頼む」


「俺は、のぼるさんの言っている事が、正しいとは思えない」


 けど、これからも説得を続ける為には、少しでもあなたの役に立って…… 


「だけど、のぼるさんがどうしてもと言うのなら、従います」


「……どうしてもだ」 


 若者は俯いて深く考え込んだ後、のぼると目を合わせ、しばらくの間見つめ合ってから、返事をした。


「……分かりました」





「じゃあねー、のぼる~」


「あぁ」


 いつもの様に、日曜日の夜、葵をコンビニの前まで送り届けたのぼるは、自宅に向けゲレンデを走らせ始める。


 30分後、自宅マンションの駐車場に車を停めたのぼるに声を掛ける人物がいた。



「私は白石という者だが、川上君かね?」


 のぼるは突然声を掛けられたにもかかわらず、全く動じていない。

 まるで声を掛けられるのを、最初から分かっていたかのように……


「はい、そうです。葵…… さんの、お父さんですね」


「そうだ……」


「僕は、川上のぼると申します。娘さんとは、以前からお付き合いさせていただいてます。ご挨拶が遅れまして、誠に申し訳ありません」 


 突然の訪問にもかかわらず、淡々と会話を交わすのぼるを見て、葵の父親は何とも言えない違和感を感じ取っていた。 


「……今、時間あるかな?」


「はい。もしよろしければ、部屋でお話しましょう」


「そうしてくれると、ありがたい……」


 葵の父親とのぼるは、いつも葵と過ごしている部屋ではなく、その正面の部屋に入る。


 ソファーに腰を降ろした葵の父親に、のぼるはコーヒーを勧める。


「インスタントですけど、コーヒーで宜しいですか?」


「……頂こう」


 のぼるは慣れた手付きでコーヒーを淹れ、テーブルに置いた。


「どうぞ」


「ありがとう」


 葵の父親はカップを手に取り、軽く口をつけると直ぐにテーブルに戻した。


「こういう無礼な訪問をまずは詫びなければいけないね。申し訳ないが、私は忙しくて、自由な時間が無くてね」


「はい、僕は全然大丈夫ですので、お気になさらずに」


「そうか。では、さっそくだが、本題に入らせてもらうよ」


「はい」


 葵の父親は、鞄から興信所からの報告書を取り出しテーブルに置いた。


「申し訳ないが、きみの事は興信所に調べて貰った」


  興信所にのぼるを調べる様に依頼したのは、葵の母親であった。

 この父親は全くこの件に関与しておらず、のぼるの調査結果が出てから、初めて母親から聞かされたのだ。


「……そうですか」


「これに目を通して貰い、調査に間違いが無いのか、君の口から聞きたい」


「分かりました。失礼します」


 のぼるは、テーブルに置かれていた報告書を手に取り、目を通す。


 その内容は、あの若者に頼んで偽装した、まさに自分の思い描いていた通りであった。

 これなら、葵の父親は自分の事を良く思う訳もなく、何としても娘と別れさせようとするだろう。

 あとはこの話に、落としどころを提案するだけである。


「どうだね?」


「はい、だいたい合っています」


「そうか、認めるのだね?」

  

「はい、多少大げさな箇所はありますが、嘘はありません」


「そうか、潔いな……」


 父親はこの時、もしかするとのぼるは、葵の事を本気で愛していないのではないかと疑っていた。

 本気なら、この様な内容のものを見せられて、ここまで落ち着いていられるはずがない。

 葵との縁を切られまいと、もっと抗うはずだ。

 それなのに、のぼるは突然声を掛けられ、このような状況になっているのにも関わらず、至って冷静である。

 つまり、この状況になるのが、最初からの目的。

 そして、その目的の真意は……

 葵の父親は、最初に感じた違和感の正体に気付き始める。


「僕の様な人間は、あなた・・・の娘さんには相応しくないとお思いでしょう?」


「……単刀直入に言うなら、無論そう思っている。それは、恐らく私だけでない。その内容を読めば、娘を持つ父親なら、誰もが君との関係を敬遠するだろう」 


「そうですよね。 ……だけど、僕は葵さんと別れるつもりはありません」


「……」


「どうも困りましたね。あなたと僕の意見が合わないようで……」


 蔑む様な目で見ながら、その言葉を口にするのぼるは、明らかに含みを持たせていた。


 だが、葵の父親は、実際に会ったのぼるに、悪い印象を持っていない。むしろ逆であった。

 一代で築いた会社の経営者という立場上、様々な種類の人間と関わりを持った自らの経験則もあり、とても報告書通りの男だとは思えない、そう感じていた。

 しかし、のぼるの口か出た含みある言葉は、明らかにチンピラの所業である。

 やはり、興信所の調べに間違いはなかったと……


 普通なら、そう確信していただろう。

 だが、葵の父親は違った。


「川上君」


「……はい」


「どうしてそこまでして葵と別れたいのか、正直に教えてくれないか?」


 のぼるにとって、予想外の一言。


「……おっ」


 何かを言いかけたのぼるは、一度気付かれないように、ゆっくりと深呼吸をする。


「おっしゃってる意味が、分かりません」


 別の案件であれば、この予想外の一言にも平然と対処していただろう。

 しかし、葵に関係するこの件では、のぼるは動揺を隠す事が出来ずにいた。

 葵の父親は、そんなのぼるを見て、感じていた違和感の正体に気付き、確信する。


「では、もう一度聞こう。何故私を利用して、別れたくもない葵と、別れようとしている」


「……」


 のぼるは答えることが出来ず、その目を伏せてしまった。


「私は自分の勘を信じて生きてきた。無論間違いを犯した事もあるが、この生き方を変えるつもりはない」


 のぼるは俯き、目は伏せたままである。


「何故なら、それがもっとも後悔の無い生き方だと信じているからだ」


「……」


「私は、君に会った時から、ずっと違和感を感じていた。君は、今も愛している葵と、無理に別れようとしてる。そうだろ?」


「……」


「それは、後悔をする選択では無いのか?」


「……」


「他言はしないと約束しよう。その理由わけを、教えてくれないか」


「……」


 本来なら、絶対に折れてはならない場面。

 勘付かれていようがいまいが、己の信念を貫き通さないといけない。

 しかし、父親を知らずに育ったのぼるは、葵の父親と、理想の父親像を重ねてしまう。


「……一つ、約束して下さい」


「どのような約束だね?」


「どんなことがあっても、葵さんの…… 娘さんの味方をすると約束して下さるのなら、お話します」


 この時葵の父親は、その言葉の真意が読めなかった。

 自分が葵の味方をするのは、至極当然。

 今から聞く話の内容は分からないが、何を聞いても、揺るぎようのない部分であるからだ。


「分かった。葵の味方をすると、約束しよう」 


「僕は……」



 のぼるは、自分の父親に語りかけるかのように、全てを正直に話した。


 そうだったのか……


 真実を聞いた葵の父親は、自然と俯いて、苦悩していた。


 いったい、私はどうすれば、約束した通りに、葵の味方をする事になるのだろう……

 ここ最近の、あれほどまでに笑顔の絶えない葵は、初めて見たと言っても過言ではない。

 その葵の笑顔は、紛れもなく彼が作ってくれていたのだ。

 葵の望みを叶えてやるのが、父親として味方をするという事では無いのか……

 それなら、彼を説得するのが、私の役目……

 しかしそれでは、彼の子供を望んでいるという葵の夢は、一生叶う事はない。

 孫の誕生を望んでいる父親としては、彼の案に乗るべきなのだろう。

 だが、それで本当に良いのか? どう決断すれば、葵の為に……


「白石さん」


 葵の父親は、のぼるの呼びかけでハッと我に返ったかの様に顔を上げる。


「他に、道はありません。葵さんの私への思いは、いずれ時間が解決してくれます。だけど、このまま僕と一緒に居る事になれば、時間だけではなく、葵さんの夢と、健康を奪うことになるのです」


 そう…… 葵の目に、狂いはない。

 なんて…… なんて素晴らしい男なんだ……

 私は、君を息子として、家に迎え入れたい。

 これは、紛れもない本心だ……


 のぼるの目をしばらく見詰めた後、葵の父親は決断する。


「私が君の真意に気づかなければ、金を要求していたのであろう?」


「……はい」


「いくら要求するつもりだった?」


「……1千万です」


「分かった。では、その通りにしよう。そして、君と葵は別れる」


「いいえ、もうお金は必要ありません」


「君だけが泥をかぶる必要は無い。私も泥をかぶる」


 その言葉を聞いたのぼるは、身体をビクッと振るわせた。


「それは、不要なものです。納得できません」


「いいや、納得してもらう。しないのであれば、葵に真実を話す」


「……」


「金は返さなくて良い。治療費に、当てて欲しい」


 葵の父親が、のぼるとの約束を破り、葵に話す事などあり得ないと、のぼるはそう思っていた。

 しかし、そこまでして泥をかぶると言ってくれた父親の言葉が、とても嬉しかった。

 それは、のぼるが初めて感じた、自分に向けられている父親の愛情だったのかもしれない。

 血の繋がりはなくても、紛れもなくこの瞬間、二人は父親と息子、親子そのものであった。

 そして、その父親の愛に応えるかの様に、のぼるは承諾する。 


「分かりました…… 宜しく、お願いします」


「あぁ……」


 葵の父親は、のぼるを見つめて、ゆっくりと頷いた。

 




 それから2日後。



「ライン!」


「あっ、のぼるだ」


(しばらく仕事で家をあける)


「えー、何よそれ~。週末どうするのよ~」


(週末は会えないの?)


 葵はそう送ったが、いつまでたっても既読にならない。


 ……どうしたのかな? もしかして、仕事のトラブル……


 のぼるからの連絡は、それから2日経過しても無かった。

 

 全然既読にならないし、返信も無い。

 ちょっと本当に心配なんだけど……

 まさか、警察に捕まったとか……

 電話してみようかな。


 仕事の内容が、詳しく分からない葵は、迷いながらも電話をかけてみた。


 

「プープープープー」


 ……あれ? おかしいな。

 もう一度、かけてみよう。


「プープープープー」


「なんで? のぼるキャッチホンつけているから、通話中でも繋がるはずなのに……」


 もしかして、本当に警察に捕まってしまったのかな?

 それとも、まさか仕事のトラブルで、怖い人に拉致されてるとかないよね……


 どうしよう……


 その時、葵の母親がドアをノックする。


「はーい」


「葵、下に降りていらっしゃい。お父さんから話があるみたいよ」


「……後じゃダメ? 今ちょっと……」


「大切な話らしいから、降りて来て」


「……分かったぁ」


 スマホをその手から離す事無く、階段を降りて行くと、いつもと雰囲気が異なる父親と母親が、リビングで私を待っていた。


「……何、お父さん?」


「大切な話があるから、座りなさい……」


「私今ちょっと忙しいから、後に……」


「いいから、座りなさい」


「何よ……」


 私は、しぶしぶソファーに座った。


「大切な話というのは…… 川上君の事だ」


 その名前を言われ、葵の身体が一瞬硬直する……


「……のぼるが、どうしたの?」


「葵が川上君とお付き合いしているのは、既に知っている」


「そ、そうなの…… うん、付き合っているよ。でも、どうして名前を知ったの? 私お母さんにも、のぼるの名前言ってないのに……」


「調べて貰った」


「……誰に?」


 葵は、父親をジッと見詰める。


「……興信所に」


「こっ、興信所? そ、そこまでする? 知りたければ、別に私に聞けばいいでしょ」


 葵のその言葉で、父親は一瞬視線を落とす。


「葵」


「何?」


「結論から言う」


「何よ……」


 父親は少し俯いた後、視線を葵に戻す。

 葵もまた、父親と視線を合わせる。


「川上君は、この家に相応しくない」


「……ふっ、ふふっ、何よそれ? お父さんに、のぼるの何が分かるっていうのよ」


「分かるよ」


「どうして!?」


 父親は興信所の報告書を、テーブルに置いた。


「川上君の事は、ここに全て書いてある」


「……」


「彼の生い立ちから、今の仕事。そして……」


「……」


「刺青が入っている事までも、お父さんは知っている」


「……」


 葵は、黙って俯いてしまう。


「葵、この家に相応しくないと言った意味が、分かるよね?」


「……それならお父さんは、のぼると付き合いしなければいいでしょ。お母さんも、そうしたいなら、そうすればいい。だけど、私の事は放っておいて。もう、子供じゃないんだから」


「……」


「それに、私がのぼると結婚しても、この家の養子に来る訳じゃない」


「……」


「私、出来る事なら、お父さんにもお母さんにも祝福される結婚をしたかった。けど、のぼるを認めてくれないのなら、仕方ないよね」


「……」


「私、今からこの家を出ます」


「葵……」


 父親から黙って見ている様にと、そう言われていた母親だが、思わず葵の名を呼んでしまった。


「葵」


「……何お父さん?」


「お父さんとお母さん、そしてこの家を捨ててまで、川上君を選ぶのかね?」


 葵は、あふれる涙を我慢しながら答える。


「うん、当然よ」


 実際にのぼると会った父親は、のぼるに向けられている葵の愛の深さを、痛いほど理解していた。

 出来る事なら、のぼるとの約束も破り、自分の発言を全て撤回して、葵とのぼるを祝福してあげたい。

 この後に及んでも、その気持ちが脳裏をよぎっていた。

 だが、のぼるの問題は、あまりにも大きすぎる。

 

「葵……」


「……何?」


「少しの間、アメリカにでも行って来たらどうかな?」


「……何言っているの?」


「本場のジャズやR&Bを学ぶために、留学するのはどうだね?」


「うん、それはいいですねお父さん。お母さん前は反対しちゃったけど、葵はジャズの才能があるから、本格的に音楽の道を歩むのも、良いかもしれませんね」


「……何二人で子供騙しな事を言っているの? 私はのぼるから絶対に離れないから!」


 そう言われて、父親と母親は視線を落とす。


「兎に角、認めて貰えないのなら、さっきも言ったけど、この家を出て行きます」


 そう言って立ち上がった葵を、父親が制止する。


「待ちなさい、葵」


 本当はこの家を去りたくはない。

 出来る事なら、両親を説得したい。

 父親も母親も、のぼるを知れば、きっと分かってくれる。そう思う気持ちが、葵の足を止める。


「まだ、話は終わっていない。座りなさい」


 葵は、言われるがまま、ソファーに腰を下ろす。


「スー、フー」


 父親は、大きく息を一つした後、葵に話しかける。


「私は、川上君と会って来た」


「……いつ?」


「……日曜日の夜だ」


「日曜日…… この前の?」


 父親は、目を伏せたまま小さく頷く。


「私、その日のぼると一緒に居たよ。……もしかして、私が家に帰ったあと?」


「そうだ。川上君のマンションで、話をしてきた」


「……のぼると、何を話したの?」


「……」


「ねぇ、お父さん」


「……」


「どうして黙っているの!? のぼると何を話したのよ!」


 この時父親は、葵に真実を話すか、ぎりぎりまで悩んでいた。


「……川上君は」


 言葉が詰まり、その後が続かない。


「……のぼるが何よ」


「……」


「お父さん! のぼると何を話したのよ!」


「川上君は…… 葵と別れる事を、承諾してくれた」


「……」


 その言葉を聞いた葵は、俯いている父親を見た後、母親に視線を向ける。

 すると、母親も俯いており、葵と目を合わそうとしない。


「どうして、どうしてそんな余計な事をするの? ねぇ…… 私がいつそんな事を頼んだの?」


「……」


 葵の瞳から、涙が零れ落ちる。


「どうして、どうして私の事なのに、お父さんが決めるの!」


「……」


「承諾って、のぼるが私と別れるはずないじゃない! お父さんが無理矢理言わせたんでしょ! のぼるに確認しなくても、分かるからそんな事!」


「……」


「そうでしょ!?」


 ……のぼる君。やはり私たちでは、葵の気持ちを変える事は出来ない。


 そう、それは最初から分かっていた事だったが、父親はのぼるの事を考えると、試さずにはいられなかったのだ。


「そうではない」


「……え?」 


「川上君は……」


「……何?」


「私に一千万円、要求した」


「……いっ、一千万」


「そうだ…… 葵と別れるから、一千万くれと、そう言われた」


「……嘘よ」


「……本当だ。その金は、もう既に渡してある」


「……のぼるが、お金で私と別れる訳ないじゃない。お父さんが勝手に、勝手に支払ったんでしょ!? そうでしょ!」


「……証拠もある」


「何よ証拠って?」


「川上君に、電話が繋がらないだろう」


 その言葉で、葵の身体がビクッと一瞬震えた。


「一千万渡した時、着信拒否にしてくれた。二度と葵とは、連絡をとらないと、そう言って、私の目の前で……」


「……そんな話、信じられない! お父さんがやらせたんだ! 絶対そうよ! どうして!? どうして、そこまでして私とのぼるを裂こうとするの! もう決めた! やっぱり私この家を出ます! 白石の姓も捨てるから! 二度と帰ってなんかこないから!」


 葵は半狂乱になり、靴も履かず家から飛び出す。


「葵、待って! お母さんの話も聞いて、お願い、待って!」


 葵を追いかける母親も、靴を履かずに外へ飛び出していく。

 だが、葵に追いつけず、1号線でタクシーに乗った姿を見て、やむなく家に戻ってくる。


 その頃父親は、ソファーに座って頭を抱えていた。


 すまない…… すまないのぼる君、葵。

 本当に…… 申し訳ない……


 この時父親の頬には、涙が伝っていた。




「どちらへ行きましょう?」


「とりあえず大森町駅までお願いします。そこからは、道を教えます」


「はーい」 


 葵は、タクシーの中からのぼるに何度も何度も電話をするが、話し中のままで通じない。

 そして、のぼると連絡を取る為にインストールしたLINEでも、同じであった。

 その時、今まで感じた事も無い強い不安が、葵を襲う。


 嘘だ…… 嘘に決まっている……




 病院で長い時間点滴を受けた後、ゲレンデの助手席でぐったりとなっているのぼるのスマホから、着信音が鳴り響く。

 だが、その音は直ぐに止まってしまい、受ける事など出来ない。


「スマホ鞄ですか? 俺が取りますよ」


「ありがとう、大丈夫だ」


 のぼるはゆっくりとスマホを取り出して、画面に目を向ける。


「……」


 誰からの着信か確認したのぼるは、点滴の跡を隠す為に、捲っていた袖を下ろしながら、運転をしている若者に話しかける。


「すまないが、急いでくれるか……」

 

「……分かりました」


 若者はゲレンデのアクセルを、踏み込んだ。

 



 一台のタクシーが、のぼるのマンション前に停止した直後、ゲレンデが到着して、助手席からのぼるが降りてくる。


「はい、料金は6……」


 それを見た葵は、タクシーから飛び降りる。


「あっ!? お金!」


 運転手の声など、葵の耳には届いていない。


「のぼる!」


「ちょっとお嬢さん、お金!?」


 葵を追いかけてタクシーから降りて来た運転手に、ゲレンデを運転していた若者が対応する。


「すみません、これで足りますか? お釣りはけっこうですので」


 そう言って一万円を渡す。


「あ、うん……」


 その若者は、葵の代わりにタクシー代を払うと、どこかへ歩いて行った。


「のぼるー!」


 葵は、のぼるの胸に抱き着く。


「……」


 そして、抱き着いたまま、話を始める。


「お父さんがね、のぼるが私と別れるからお金を要求してきたって、いきなりそんな訳の分からない事を言われてね、そんな嘘を信じる訳ないし」


 私はこの時、のぼるの目を見る事が出来ずにいた。


「私の親はさ、世間知らずでね、人を見た目とか職業だけで判断しちゃうの…… 本当に困った親でね……」


 抱き着いて話しながら、のぼるの言葉を待っていた。


「もうあんな人達を親なんて思わない。私、ここに引っ越してくるね、一緒に暮らしても良いよね?」


「……」


 のぼるは、何も答えなかった。

 だから私は、せいいっぱいの勇気を出して、顔を上げのぼるの瞳を見つめたの。


 なにその瞳……


 私の大好きなのぼるの瞳じゃない。


「……嘘、嘘だよね」

 

「……これも、俺のシノギなんだ」


「シノギ? 何よシノギって?」 


「……」

 

「説明してよぉー!」


「仕事だ」


「し、ごと…… 何よそれ? まるで最初から私に近づいたのはお金みたいな言い方して……

 着信拒否も、それもお父さんに頼まれたのよね!?」


 私がそう詰めよると、一度目を伏せたのぼるがゆっくりと私の瞳を見つめて答えたの。


「……最初から、そのつもりだった」


「……嘘よ。のぼる、嘘つくのヘタなんだから…… それに、のぼる優しいから、私のお父さんとお母さんの事を心配しているのよね? そんなの、気にしなくていいからね」


「……」


「そんなに…… そんな嘘をつくぐらい気になるのなら、私約束するから」


「……」


「お父さんとお母さんと縁を切らない」


「……」


「時間がかかっても、お父さんとお母さんを説得するから。 のぼると私、それにお父さんも、お母さんも、みんなで一緒に幸せになろう。ねっ、それならそんな嘘つく必要ないよね?」


「……」


「……のぼる。ねぇ、のぼる、それならいいよね?」 


 この時のぼるの言った言葉を、私は一生忘れる事が出来ない。

 

「他の部屋は、お前・・以外の女を呼ぶ時に使っている」


 その言葉を聞いた葵に、天と地が逆になってしまったかの様な強い眩暈が襲う。

 だが、倒れそうになる葵を、のぼるは助けようともせず、黙って見ている。


 葵は、足に力が入らなくなり、地面にしゃがみ込む。

 気を失ってしまったのではないかと錯覚するほど、何も考えられなくなっていた葵だが、一つの強い決意で意識を取り戻す。


 ……殴ってやる。 殴り返されてもいい、殴りたい!

 

 そう強く決心して立ち上がったけど、気が付くと私は、のぼるの胸にすがって泣いていたの。


「ねぇ、嘘だよねぇ…… お願い、嘘だと、嘘だと言ってお願いだから、ねぇのぼる!」


「……本当だ」


 葵は半狂乱となり、服を掴み激しくのぼるを揺さぶる。


「嘘だああ、嘘だああああ、嘘だあぁぁああああー」 


「本……」


「うああああー、ああああああ、うあああああああああー」


 もう一度答えようとしたのぼるの言葉を、喚いてかき消す。 

 そして、再びのぼるの足元に崩れ落ちた。


「うあぁぁぁ、嘘よぉぉぉ。うそだぁぁぁ……」


 のぼるは狂ったように泣き喚く葵に、手を差し伸べようともしない。

 その時、車のヘッドライトが二人を一瞬照らし、直ぐ近くにタイヤを鳴らしながら一台の車が急停車する。


「葵!」


 そう叫びながら車から飛び降りて来たのは、葵の母親。


 母親はのぼるを一瞥いちべつした後、地面に崩れ落ちている葵の肩を優しく抱き、立ち上がるように促す。


 のぼるは瞳だけを動かして車に向けると、葵の父親と目が合う。


 父親は、哀しそうな表情でのぼると目を合わせると、一度だけゆっくりと小さく頷いた。


 車の後部座席に、母親が葵を押し込みながら一緒に乗り込んでドアを閉めると、直ぐに車は進み始める。

 のぼるの瞳は、ゆっくりと車を追いかけ、項垂れた葵が一瞬だけ映る。


 それが、最後に見た葵の姿だった……




「のぼるさん……」


 さきほどこの場を離れていた若者が、一人佇むのぼるの元に戻って来た。

 

「のぼるさん…… 演技下手ですね」


 消え入りそうな声で、そう呟く。


「……あぁ。下手でも…… 葵だけを騙せればいいんだ」


「……そうですね」

 

 若者は、悲しそうな表情を浮かべ俯く。


「なぁ…… 葵の父親からのお金、お前が貰ってくれないか?」

 

「……そんなお金、受け取れるわけないでしょ」


「心から愛している葵に、嫌われるための道具かね…… そして、治療費に当ててくれと言ってくれた」


「……」


「俺には…… あの金を持つ資格はない。だけど、かけがえのないものだ。だからこそ、だからこそお前に受け取って欲しい」


「……卑怯な言い方ですね」


「そうだな…… シン、頼めるかな……」


 シンは、少し間を置いて承諾する。


「……はい。その大切なお金…… 俺の夢の為に、借りて・・・おきます」


「……うっ……ううっ」


 シンの返事を聞いて、全てが終わったと感じたのぼるは、その場で泣き崩れる。


「のぼるさん……」


「ごめん…… ごめん葵…… ごめんなさい…… うっうっ、ううあああああ……」


 シンは泣き崩れたのぼるの肩に、そっと手をのせた……


 そして、自分の涙が零れないよう、夜空にある満月を見上げたが、大粒の涙を止める事は出来なかった。


「ガタンガタン、ゴゴゴゴゴゴー、ガタンガタン」


 京急本線快特三崎口行きの電車が、二人の泣き声を、優しく消してくれた。




 葵は自宅のベッドから起き上がれないほど憔悴しており、あれ以来ずっと横になっていた。


 そして、その手にはあの小さなハンカチが握られている。


「ねぇ、のぼる。あのハンカチ私が持っていていい?」


「うん、いいよ」


「あのハンカチを持っていると、ずっとのぼると一緒にいられるような気がするの」


「うん。俺も葵に持っていて欲しい」


 ……のぼる


 私はあの日から3ヶ月間、毎日泣いて暮らした。

 美咲達が入れ替わり家に来てくれて、沢山慰めてくれたの。

 会社は有休を使って休んでいたけど、有休が切れるタイミングで、私の代わりに母親が退職願いを出してくれた。その後、一度も会社に戻ることなく退職した。

 意外だったのは、会社に置いていた私の私物などの後片付けを、未羽が自発的にやってくれたことだ。

 そして、家に何度も訪ねて来て、一緒に泣いてくれた……


 私は未羽を誤解していたのだ。

 つまり、私には人を見る目が無かったということだ……


 実家のこの部屋で、毎日のぼるとLINEして、通話もしていた。

 ここにいると、嫌でも思い出してしまう。


 私は実家を出て一人暮らしを始めた。

 意外にも父親は、葵がそうしたいのならと承諾してくれ、最後まで反対していた母親を説得してくれたの。


 親の援助で結局半年間もただぼーっとして暮らしていると、私の出来の悪い頭でも、流石に飽きてきたようで、何でも良いから仕事がしたかった。

 そんな折に、就職情報誌で見たレンタルおじさんの会社……


 どうやら、レンタルおじさんは悩みを抱えている人や、困っている人達を助ける為の仕事らしい。

 何故だか分からないけど、おじさんというフレーズを心地良く感じる。

 そして、のぼるを忘れかけていた私も、誰かの役に立ちたいと、そう思うようになっていた。

 会社に面接に行くと、社長自ら面接をしてくれ、私の履歴書を見て、本当にうちで働いてくれるのかと驚いていた。


 あれから2年、私は望み通りの課に所属し、今日もレンタルおじさんを困っている人の所に送り出している。


「白石さーん」


「はーい」


「これ、新しいレンタルおじさんの履歴書」


「はい」


「お願いしますね」


「はい、分かりました」

 

 中山英吉、41歳。


「カタカタカタ」


 大田区大森西……


「カタン……」


 住所を見て、キーボードを打つ手が止まった。

 

 

「……カタ ……カタ ……カタカタ、カタカタカタ」


 あのハンカチは、実家にある私の机の引き出しに、今でも入れてある。


 大切なハンカチ…… 捨てられるはずもない。

 

 更に4年の歳月が流れ、もうのぼるのことは思い出さなくなっていた。

 両親はお見合いを勧めてくるが、ずっと断っている。

 それには、ちゃんとした理由わけがあるの。


 プルルルー、プルルルー。


「はい!」


「中山さん、お仕事の依頼です」


「はい、ありがとうございます」


「お客様のお名前は坂本直春様です」


「はい、坂本……さん」


「明日の13時から15時までの2時間です」


「はい」


「場所は、川崎のラゾーナ川崎です。分かりますか?」


「はいはい、たまに買い物に行ってますので大丈夫です」


「4階にあるROSIE’Sローシーズというカフェで待ち合わせだそうです」


 ……ローシーズ。俺の大好きなカフェだ。

 

 酒飲みで甘い物は殆ど口にしない俺だが、あの店は別だ。

 川崎に買い物に行った時は、いつも必ず寄る事にしている。

 店はおしゃれだが、決して派手ではなく落ち着いた雰囲気で、フライパンに乗せられてくるパンケーキの味は勿論のこと、目までも楽しませてくれる。

 そしてドリンクも美味い。

 はっきり言って、あの店にいる時の俺は若返っている気分になれる。そんな感じの店だ。


 ローシーズで待ち合わせか…… 分かっているな。

 何となくだけど、今回のお客さんとは気が合いそうな予感がした。

 


「ローシーズ分かります。あそこのパンケーキ美味しいんですよ。是非、白石さんも機会があれば行ってみてください」


「……分かりました。機会があれば・・・・・・行ってみたいです」


「是非是非」


「……復唱いたします。お客様のお名前は坂本直春様。明日の13時から15時まで。料金は振り込まれています」


「はい、分かりました。ありがとうございました」


「失礼します」


 プープー


 ……誘ってよー、もう~。 ……馬鹿。

 


 私の名前は白石葵。職業は、レンタルおじさんのコーディネーター。


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