第3話 家族


 信じて貰えないかもしれないけど、俺は売れっ子だ。

 いきなり売れっ子と言われても意味不明だろう。

 慌てない、慌てない、今から説明をするからさ。


 俺の名は中山英吉、51歳。どこにでもいる普通のおやじだ。

 なのに売れっ子? そう、肝心なのは職業だ。俺の仕事は…… レンタルおじさんだ。


 えっ、どこにでもいる普通のおやじを誰がレンタルするって?

 あぁ、そうなんだよ。俺も最初は同じように考えてたよ。

 言っちゃ悪いが、身銭切っておやじをレンタルするなんて、そんな変わり者がこの世にいるのかねって話だ。

 しかし、これが意外と忙しい商売でさ、その中でも俺は売れっ子っていう訳さ。リピーターや新規の客からの指名も多く、会社で1番人気。まるで歌舞伎町のNo1ホスト様だよ…… なんてな。


 だげどさ、何度も説明している通り、俺は普通のおじさんだ。

 高級スーツを着こなし、オールバックにしてブランデーとハマキが似合う渋いニヒルなおやじでもない。どちらかというとブサメンさ。




 今回話すのは……


 あのお客さんの事を思い出すと、今でも胸を締め付けられる。

 この世の中、何かが間違っている…… そんなことを、無性に考えてしまうんだ。


 あれは俺がレンタルおじさんを始めて…… どうでもいいや、そんなこと。


 兎に角、俺の話を聞いてくれ、頼むよ……



「中山さん、お仕事の依頼です」


「はい、ありがとうございます」


「お客様のお名前は、宮崎隆幸さんです。年齢は35歳」


「宮崎たかゆきさん、はい」


「明日16時に、京急本線の雑色ぞうしき駅前です」


 雑色駅か…… 家から近いな。何だったら散歩がてら歩いて行けるよ。


「はい、明日の16時、雑色駅前ですね」


「はい、お時間は3時間で料金は先に振り込まれております」


「分かりました」


「では宜しくお願いします」


「はい、ありがとうございました」


 

 今回は、家から近い馴染みのある場所だったので、それだけでも嬉しく感じていた。

 雑色駅周辺には何度か行った事があり、あそこの商店街が心地い場所なんだ。

 どうしてそんなに気に入ってるのか、それはたぶん、俺の故郷の風景に似ているからだと思う。

 東京に縁の無い人は意外に思うかもしれないけど、昔ながらの商店街が今も生き残っているんだ。逆に田舎ほど商店街が無くなっているような気がする。

 様々な理由があるのだろうが、大型ショッピングモールの出現も関係あるのかもしれないな。

 今の社会、特に田舎では車が無いと生活できないと言っても過言ではない。

 そうなると、車で気軽に行けて、何でもそろっているショッピングモールの魅力は計り知れない。

 だが、東京23区の何処にそのような土地が余っているというのだ。

 田舎ならいざ知らず、新たにそのような物を建てる土地など、東京には無い。

 だから、今でも昔ながらの商店街がにぎわっているというわけさ。

 俺は、最先端と古い物が共存するこの東京が好きだ。



 時刻は15時40分。


 駅前にそれらしき人の姿は無い。

 ……駅前が見えるぐらいの距離なら、商店街を見て回っても大丈夫だよな。


 俺は雑色駅から離れ、商店街を歩く。勿論、雑色駅に目を向け、お客様らしき人が居ないか気にかけている。抜かりはないさ。


 時刻は15時55分になり、俺は雑色駅に再び戻り立っていた。


 ……いないな。


 まぁ別に珍しい事ではない。レンタルおじさんの遅刻はあってはならないが、お客様の遅刻など良くあることだ。


 だが16時半になってもお客様は現れなかった……


 もしかして、俺が駅前から離れていた時に現れて、俺を見つけることが出来ず帰ってしまったとかないよな……

 しまったな、いくら目の届く所でも、離れるべきでは無かった。

 さすがにこれは不味い。お客様の電話番号は聞いていない。

 つまりそれは、相手が俺に教えるのを拒否したということだ。

 それは別に構わないが、こういう時には凄く困る。

 しかたない、会社に連絡してお客様に連絡を取って貰おう。


 そう考えて携帯を取り出した時、俺に声がかかった。


「あの…… 中山さんでしょうか……」


 そう声を掛けて来た彼の第一印象は、何て覇気のない人なんだ。

 俺は率直にそう思った。

 今にも消え入りそうな声に、気配を感じさせない立ち姿。

 ある意味、不思議な人だと感じた。


「宮崎さんですか?」


「……えぇ」


「会えて良かったです」


 本心だった。俺は、自分のミスでお客様に無駄足を踏ませていたかも知れないと不安を感じていたので、会えて本当に嬉しかったんだ。


「……」


 会えたのはいいけど、うーん…… 随分、元気がなさそうだ。もしかして、体調がすぐれないとか?

 

 実はこういう、覇気の無い感じのお客様は多く、大概がそこらの居酒屋で1杯やりながらの悩み相談だ。

 時間はまだ早いが、開いている居酒屋がちらほら目に入る。

 

「私に付いて来て下さい」


「あっ、はい」


 何処に行くとも言わず少し不審に思ったが、俺は言われるまま宮崎さんに付いて行く。


 ……この辺りの馴染みの居酒屋にでも入るのかな?


 最初はそう思っていたが、商店街を抜けると、店が無くなって住宅地に入って行く。


 ……いったいどこに連れて行くつもりだ。

 付いてこいと言ったきり一言も話さないし。


 流石に俺は不安を覚え、目的地を聞いてみることにした。


「あ、あの~、宮崎さん。どちらに向かっているのでしょうか?」


「……家です」


 家…… 家ねぇ。 


 つまり家で1杯飲みながら話でもするのかね。


 雑色駅から京浜東北線の踏切を渡り、西に15分ほど歩いただろうか。


 ここらも俺の家の近所に似ている。小さな工場が点々とあり、まるでそれらを隠すかのように、住宅が建ち並ぶ。

 うん、良い雰囲気だ。この辺りには、昭和風情がまだこんなにも残っていたのか。


 それは良しとして…… 俺の気のせいかな?  さっきそこの隣の道を通ったような気がするけど……

 まさか自分の家に行くのに迷子になっているとかないよな。

 それか、目的地は自分の家ではなく、知り合いの家とかで迷っている?

 

 色々考えていると、宮崎さんは1軒のアパートの前で立ち止まり、少し辺りを確認するかの様にキョロキョロとしたあと、アパートの敷地に入って行った。


 ……ここか。

 俺の住んでいるアパートに比べると広そうだな。

 

 1階の真ん中で立ち止まり、いきなりドアを開けて中に入って行った。


 おいおい、鍵を掛けてなかったのか…… ずいぶん不用心だな。


 宮崎さんに続き、俺も玄関に入る。

 

「お邪魔します」


 アパートの間取りは2DKといった所だろうか。

 

 玄関のすぐ横にはキッチンがあり、その奥に二部屋見える。

  

 間取りを観察していると、ダイニングにある磨りガラスのついたドアが半開きだった。

 あそこが風呂と洗濯機置き場か……

 

 何故かその時、小学生の時に仲が良かった友人の家を思い出した。

 そう、その友人が住んでいたアパートによく似ていたのだ。

 うん…… 良い感じで、うちとは大違いだ。


 なんてな、そんな事を言っていたら長年お世話になっている大家さんに怒られちまうな。ははは。 

   

 うん? いやに段ボールが目につくな。もしかして……


「どうぞお入りください」


「はい」


「鍵は締めておいてくださいね」


「分かりました」


 ふふ、おかしな人だ。

 出かける時には鍵を締めていなかったくせに、家に居る時に鍵を気にするなんてね。


 この時、俺はふと思った。

 家の周囲をぐるぐる回っていたさっきの行動といい、もしかして、借金取りに追われているのかな? とね。


 言われた通り鍵を閉める。


「……ドアが開かないか確認していただけますか?」


 ん? こうかな……


 俺はドアノブをひねり、何度か開け閉めする様にしてみた。

 当然鍵がかかっている訳だから、ドアはびくともしない。


「大丈夫です、鍵はしっかりとかかっています」

 

 古そうなアパートだけど建付けはしっかりしている。

 俺はその時、別に何も気にはしていなかった。


 ダイニングを通り抜ける時、半開きになったドアの向こうに、洗濯機の下に置いてある紙袋に、雑に詰め込まれた汚れた作業着が見えた。

 俺が前職で着ていた作業着と同じような色で、少し懐かしさを感じた。


 部屋に入ると、思っていた通り荷物が段ボールに仕舞われていて、ダイニングに置かれている冷蔵庫も動いてない。どうやら引っ越し直前のようだ。


 あははは、もしかして今日の依頼って引越しの手伝いかよ……


 そう思っていると、宮崎さんが声を掛けて来た。


「荷物を詰めるのを手伝っていただけますか?」


 やっぱりな……


「分かりました。えぇ、お手伝いします」


 俺の思っていた通りだったので、驚くことなく、すんなりと返事をすることが出来た。


「では、そこの本を段ボールに詰めていただけますか」


「はい」


「段ボールに何の本を詰めるのか書いてありますので、本の種類ごとに分けて下さい」


「分かりました」


「いっぱいになったらそこのガムテープで……」


「はい」


 俺は言われるがまま本を段ボールに詰める。


 これ、レンタルおじさんを呼ぶ意味あったのかな……

 もしかして、引越し業者やなんでも屋を呼んだりするより料金が安かったのかも知れないな。 


 まぁ、今までも色々なお客さんがいたけど、引越しの手伝いをさせられるってね、俺は勿論初めてだけど、レンタルおじさん仲間からも聞いた事のない依頼だ。


 俺達レンタルおじさんは、たまに他のレンタルおじさんと会社で遭遇することがあり、その時に、変わった依頼などで話が盛り上がり、気が合って仲良くなったりする人もいる。


 因みに俺は4人のレンタルおじさんと会社で会った事があり、その皆と良い関係だと思っている。

 その中でも1番仲が良いのがアントニオさんだ。


 ふふふ、引越しの手伝いに呼ばれるって、次にアントニオさんと会った時に話すネタが出来たよ。


 宮崎さんは本を詰めてくれと言ったきり一言も話をせず、本人もふすま1枚を隔てた隣の部屋で荷物を黙々と段ボールに詰めているようだ。段ボールの擦れる音、ガムテープを貼る音などで何となく分かる。


 時刻は17時半。


 最初少し薄気味悪いと感じたけど、あと1時間半、このまま何事も無く終わりそうだな。と言ってもだな……

 様々な人の役に立ちたいと思い始めた仕事だが、まぁ引越しの手伝いでも十分役に立っているだろう。

 俺は自分にそう言い聞かせていた。  

 

 しかし、本が多いな。広い押し入れの中は、本で埋め尽くされている。


 これは経済学の本。こっちはっと、なになに? イトラコナゾール…… カンデサルタン…… プラバスタチン……


「……」


 どうやら薬の本らしいが、まるでRPGゲームの魔法の名前のようだ。

  

 俺は約40分ぐらい、言われた通りずっと本を段ボールに詰めていた。

 本を段ボールに詰めるだけの作業なのに時間がかかる理由は、分厚くて重い本が多いのと、本の題名が難し過ぎて仕分けに悩んでいたからだ。

 そして1番の理由は俺のモチベーション。

 はっきり言って、俺のやる気は失せていた。


 これも薬の本か?

 宮崎さんは医療関係者かな…… じゃあ、さっき見た汚れた作業着は何だったのか?

 

 次に宮崎さんがこの部屋を通る時、お仕事でも聞いてみよう。

 手は動かしているが、あまりにも会話が無くて本を詰めるのにも飽きてきた。俺の商売柄やっぱ会話が無いとおかしいよな。


 そう思っていると、ちょうど宮崎さんがトイレに行くために、奥の部屋から俺が本を詰めている部屋を通って行く。


 よし、戻ってきたら聞いてみよう。


 宮崎さんはトイレをすませ、直ぐに戻って来た。


「あ、あの~、難しい本ばかりですね」


「……」


 宮崎さんは黙ったまま俺を見つめている。


 まいったな、空気が重い…… だけど、話を止めるな。続けるんだ。


「これは薬の本ですか? こんな分厚い本あるんですね、初めて見ましたよ」

 

 ……返事は無い。 はぁ~、やはり今回は、ただの引っ越し作業員だな俺は。


 そう思っていると、宮崎さんは口を開いた。


「……えぇ、それは薬の本ですよ」


 その時俺は、会話が出来た事でホッとした。

 このまま無視されると辛くて、残りの時間が長く感じて嫌だったからだ。


「お薬を作っているお仕事ですか?」

 

 宮崎さんは、少し間を置いて答えてくれた。


「……私は、薬剤師です」


 へぇ~。


「そうなんですね。薬剤師さんですか~」


 俺がそう言うと、宮崎さんは奥の部屋に戻らず畳に胡坐をかいた。


「中山さんは薬剤師にどのようなイメージを抱いていますか?」


 おっ、意外にも無口な宮崎さんからの質問だ。


 えーと、えーと、薬剤師のイメージねぇ……

 あははは、そうだな。何も思いつかないや。


 っていうのは嘘で、正直言うと薬が出てくるまで時間がかかるなぁっていつも思っている。つまり、仕事が遅いっていうのが薬剤師に対して持っているイメージだ。

 だけど、そんな事をお客様に、いや、赤の他人にだって面と向かって言える訳もない。


「うーんと、えーとですね……」


 駄目だ、他に何も浮かばない。

 せっかく話をしてくれているのに、何か言わないと。


「えーと、そうですね。仕事が楽そうだなって」


 ハッ!? な、何を言っているんだ俺は……

 馬鹿野郎。せっかく口を開いてくれたのに、正直な感想を言ってどうする! 

 もっと遠回しに、いや、もっと褒めるようなことを言えよ!


 俺は恐る恐る宮崎さんの表情をうかがう。


「ふっ……」


 え? 今笑ってくれた…… いやいや、まさかそんな正直な事を言われると思っていなくて、呆れて苦笑いをしたに決まっている。


「ふふ……」


 ヒィ~、やっぱり笑っている。自分で蒔いた種だけど怖いよ。


「……やはり、そう映りますよね」


 えっ? どうやら怒ってはないようだ。


「いや、あの……」


「いいんですよ。薬剤師の人は皆、一般の人がそういう風なイメージを抱いているのを知っていますから」


「いえ、あの~。すみません。つい……」


 俺はバツが悪そうな表情でそう謝った。


「大丈夫です。そう言われるというか、思われているのに慣れていますので」


「はぁ……」


「ただ、面と向かって言われたのは初めてですけどね」


 ……うっ! そうだよねぇ、本当にすみません。


「申し訳ないです」


「はは、お気になさらずに」


 何の会話も無く、おかしな行動をとる宮崎さんに俺は、変なイメージを持っていた。

 だけど、少し話をしただけで何となくだけど、俺の持っているこの人に対するイメージは間違いだと素直に感じたんだ。


「あの~、宮崎さん」


「はい」


「もしよろしければ、薬剤師についてお話をしてくれませんか?」


「えっ?」


「あの~、申し訳ないのですが、宮崎さんのおっしゃる通り、俺は薬剤師さんに対してのイメージが、その~……」


 宮崎さんはまた少し間をあけ、一瞬目を伏せた後、俺を見て答えてくれた。


「いいですよ」


 良かった。本当に機嫌が悪くなっていないようだ。


「薬剤師というのは、お医者さんから処方された薬を用意して、患者さんに渡すだけの仕事と思っている方が多いと思いますが、そうではありません」


「はい」


 うん、俺もそう思っていたよ。


「中山さんも、調剤薬局に行って、薬が出てくるまで時間がかかりすぎると感じたことがありますよね」


 どうしよう…… また馬鹿正直に答えて良いものか……


「えぇ、まぁ……」


 そう、俺はまた馬鹿正直に答えた。


「実は時間がかかるのにも理由があるんですよ」


「はい?」


 俺は正直、まるで興味の無い話が始まると思っていたが、そんなことは無い、興味津々だ。


「皆さんは、お医者さんも薬に詳しいと思っているでしょうけど、勿論それは間違いではありませんが」


「はい」


「けど、薬のプロはお医者さんでは無くて、薬剤師なのですよ」


「はい……」


 薬のプロは薬剤師? 申し訳ないが無知な俺には、薬剤師をそのような目で見たことが無い。


「お医者さんも人間ですし、私達薬剤師も人間です」


「はい」


「なのでミスは必ず起きます」


「はいはい」


「なのでそのミスを無くすためには、時間をかけるしかないのです」


 ……何となくだけど、宮崎さんの言おうとしていることが理解できる。


「薬は100%安全とは言い難いです。人によっては副作用や薬の飲み合わせで、最悪亡くなる方もいらっしゃいます」


 薬で亡くなる? そんな事故があるのか?


「そうなんですか?」


「えぇ、残念ですが耳にする事が時々あります。薬剤師の調剤過誤でお亡くなりになる方もいますし、お医者さんの処方した薬の量が間違っており、それが原因で亡くなる方もいます」


「えぇ!?」


 そんな、量のミスで…… そんな単純な間違いを医者がするなんて……


「だから、薬剤師は医者の処方に間違いがないか、何度も確認する必要があります。それに、自分達が間違った薬を出していないか、それも何度も何度も、一人では無く数人で確認をする必要があるのです。他にも薬の飲み合わせのチェックなども必要です」


 ……なるほど、人の命がかかっているからこそ時間がかかると、そういう訳か。


「お医者様の処方がおかしいと感じたら、問い合わせの電話をすることも多々あります。そのような内容から、どうしてもお時間を頂いております」


 うんうん。その説明を聞けば薬を出すだけなのに、あれほど時間がかかるのにも納得だ。

 はっきり言ってこれは俺が無知だから、その理由を知らなかっただけだ。


「そうだったんですね。これは返す言葉もないです。今まで知らずに、変に勘違いしていてすみません」


 そう謝ると、宮崎さんは声を出して笑った。


「はははは、そんな真剣に謝らないで下さいよ」


「いや、なんか本当に、全ての薬剤師さんに申し訳なくて……」


 宮崎さんは、こうべを垂れる俺を見て優しい表情をしていた。


「実は……」


 宮崎さんは少し照れくさそうに何かを話し出す。


「はい」


「実は…… 偉そうなことを言いましたが、私まだ薬剤師になって間もなくて……」


「え?」


 確か、宮崎さんは35歳だと聞いていたけど、それで間もないって……


「段ボールに詰めている本の中に、経済学の本もあったと思いますが……」


 ……確かにあった。


「はい、ありました」


「私、二回大学に行きまして……」


「に、二回も大学に?」


 ああっと、ちょっと驚き方にとげがあったかな……


「えぇ、1度目は3流大学の経済学部を卒業しまして……」


「いや、凄いじゃないですか! 経済学部を卒業してもう一度大学に行って、今度は薬剤師になったんですよね?」


「えぇ、そうなんですよ実は……」


 何を謙遜する必要がある? 本当に偉い人ではないか。


「勉強家なんですね、宮崎さんは」


「いーえ、そんな良い感じでは無くて……」


 ……宮崎さんは俺から目を逸らし、下を向いた。

 

 レンタルおじさんになって間もない・・・・俺は、この会話を続けるのが本来の仕事だと思い、更に話を引き延ばす。


「そんな恐縮しなくても、本当に凄いことですよ」


「いえ、決して恐縮している訳ではなくて、その~」


 その時宮崎さんは、心底恥ずかしそうに答えた。


「1度目の大学を卒業して就職はしたものの…… そんな良い職場には就職できなくて…… サビ残だらけで、給料も安くて深夜まで働いて」


 いや、それでもう一度大学に行って薬剤師になるなんて、十分凄いことで誇れることだと思うけど、さっきから何を謙遜しているんだ?


「その仕事が嫌になってしまって、それで職を変えようと単純に考えただけで、他人ひとに誇れるような動機ではないんですよ」


 ははは、正直な人だな宮崎さんは……


「それが…… その……」


 うん、まだ言いにくいことがあるのか?


「その実は…… 中山さんと同じで、薬剤師って楽な仕事だなって私も思ってて……」


 つまり、それが本当の動機って訳か!?


 その言葉を聞いて俺は、自然と笑い声を出してしまった。


「ふっ……ふふふふ、あははははは」


 すると、宮崎さんも一緒になって笑い始めた。


「あはは、あははははは」


 笑う宮崎さんを見て、俺はさらに大きな声で笑い、二人で大笑いしていると、宮崎さんが意外な事を言いだした。


「私、中山さんをお見かけした事があるんですよ」


「えっ!?」


「だいぶ前ですが、家族でファミレスを訪れた時、たまたま隣の席に中山さんとお客さんが居まして、盗み聞きするつもりはなかったのですが、会話が聞こえてきてしまって…… その時、これが噂のレンタルおじさんという職業なんだって」


 なるほど、そういう事か……


「その時、最初ぎこちなかった二人の会話が、だんだんと弾みだしたと思ったら、まるで昔からの友人のような関係に変化していく様が面白いと言いますか、凄いなって思ってしまって。私もいつかこの人と話がしてみたいって、ずっと心の何処かに思ってまして……」


「そうだったんでね」


「はい。その時中山さんと話していた方の、凄く満足そうな笑顔を忘れる事が出来なくて……」


 へぇ~、そういう偶然もあるんだな~。

 

 なんか、褒められたみたいで照れくさいな。

 そうだ! 俺も宮崎さんを褒め返さないと……


「宮崎さん。薬剤師になった動機はどうであれ、俺に言わせれば立派ですよ」


 そう言うと、宮崎さんの目が一瞬カッと見開いた後、何かを思い出して遠くを見つめているかのように変化したのに俺は気付いた。

 その目を見て、また不味いことでも言ってしまったのかと不安になってしまった。


「……」


 どうやらその不安は的中したようで、宮崎さんは急に話をしなくなってしまう。


「あははは、どうやら話に夢中になって手が止まってしまったようで…… 本を詰めますね」


 俺はそう言って誤魔化すと、宮崎さんは奥の部屋に無言で戻って行った。


 何が不味かったのかな……


 俺はそう考えながら、再び本を仕分けして段ボールに詰めていると、分厚い薬の本と本の間に、薄い本が挟まっている。


 なんだこの本は?


 俺はその本を引き抜いて手に取った。


 その本は、子供が読む絵本で、題名は「天国のお薬」

 

 何故経済や薬学の本の間に子供の読む本が……

 そういえば、さっき家族でファミレスに来ていたと言っていたな……

 興味を引かれたが、また不味い事でも言ってしまうかもと恐れた俺は、薬と書かれた段ボールにその本を入れた。

 奥の部屋からは、さっきまでと同じように、荷造りをしている音が聞こえてきている。

 

 それから10分ほどして、宮崎さんが進み具合を尋ねてきた。


「中山さん」


「はい」


「あとどれぐらいで終わりそうですか?」


「あ、もう一箱ぐらいですよ」


「そうですか…… では、詰め終わった段ボールを運んで頂けますか?」


「はい」


 ただでさえ重い本を何冊も段ボールに詰めたんだ、1箱の重さは、いったい何十キロになっているのだろう。

 まぁ、俺はその辺りも計算して、重い本は出来るだけ分散して詰めていた。

 なかなか気が利く奴ではないかと、自画自賛でもしておこう。


「玄関のドアの前にお願いします」


「はい」


 俺は返事をして玄関を開けようとしたら、宮崎さんから声がかかった。


「外側では無くて内側に置いてください」


「内側ですか?」


「えぇ。靴はシンクの下に移動させてください」


「はい」


 俺は変に思ったが、外に置くと他の住民の迷惑になったり、ドアが開きにくくなるのかな? と、その程度の事しか思いつかなかった。

 まさか、本の詰まったダンボールに、あの様な意味があるなんて、この時は思いもしなかったよ。


 俺は宮崎さんと二人で、玄関に高々と重い段ボールを二列に積み上げた。


 うーん、これでは中からドアを開ける事も出来ないじゃないか…… 


「……」


 そっかぁ! 家族が居ると言っていたな。と、いうことは、家族が外から鍵を開けて、この積んでいる段ボールを運んでくれるのか! うん、そういう事だな。


 そう思っていると、奥の部屋に招かれた。


 その部屋には、かなりの数の段ボールがあった。

 そして、その段ボールを一か所にまとめるというので、外に繋がっている大きな窓の前に積み上げた。


 家族の人が手伝いに来るのなら、これもキッチンの方に運んどけばいいのに…… そうか! 出来るだけ運ぶ距離を短くするために、この荷物もこっちの窓から外に出すんだな。そうかそうか。


 その時、俺の目にふと入って来たものがあった。

 それは、タオルケットを被せた小さなタンスのような物だ。


 他のタンスや家具には、毛布や同じようなタオルケットは巻かれていない。

 宮崎さんは、これをずいぶん大切にしているんだな。

 その時は、その程度にしか思っていなかったんだ……


「中山さん」


「はい?」


「これらの物は、処分するので、この中に何か欲しい物は無いですか?」


 突然そう言われても、何か物色していたわけでも無いし、お気持ちだけ貰っておくか。

 そう思っていたその時、一つのぬいぐるみが目に映る。

 

 別にぬいぐるみになんて興味は無いが、殺風景な俺の部屋に置いておけば、少しはましになるかもしれない。

 そんな軽い気持ちでぬいぐるみを指差してみた。


「このぬいぐるみを頂けますか?」


 宮崎さんは少し驚いたような表情をした後、少し戸惑っているように見えた。


 まぁ、そりゃそうだろ。こんなおっさんがまさかぬいぐるみが欲しいとか言い出すなんて、考えても無かったよな。


 そう思っていると、外が騒がしいのに俺は気付く。

 耳を澄ますと、数人の男の声が聞こえる。


 俺はこの時、家族か引越しの業者がトラックに乗ってやってきたと思い、実際宮崎さんにもそう声を掛けた。


「宮崎さん、手伝いの人が来たみたいですよ」


 そう伝えると、宮崎さんは神妙な表情で口を開いた。


「分かりました」


 そう返事した直後、玄関のドアを誰かがノックする。


「コンコン」


「……」


「コンコンコン」


「宮崎さーん」


 宮崎さんと呼ぶって事は、家族ではなく引っ越しの業者が来たのか……


 そう思っていたけど、宮崎さんはその呼びかけに、一向に応答しない。 


 まさか聞こえてないってことはないよな?

 同じ部屋に居る俺にもハッキリと聞こえているし。


 外に居る引っ越し業者は、もう一度ドアをノックし、同じように呼びかけてくる。


「コンコンコン」


「宮崎さん、いらっしゃいますか?」


 だが、宮崎さんは再びその声を無視する。


 おいおいおい、いったいどうしたって言うんだ?


 ここで俺は、このアパートに向かっている時の、宮崎さんの様子がおかしかったことを思い出す。


 ……もしかして、引越し業者よりも先に、借金取りでも来ちゃったのかな?

 応答しないって事は、相手は引っ越し業者じゃないって事だよな?


 それなら仕方がない。俺も息を殺して、気配を消すのに付き合うとするか……


 宮崎さんと二人で奥の部屋で息を殺していると、さっき荷物を積み上げてふさいだ形になった窓の外にも人の気配を感じた。

 そして表では、ドアを叩く音が次第に大きくなり、まだ宮崎さんを呼んでいる。


 表と裏と同時に……

 おいおい、こりゃかなりしつこい金貸しだな。

 これはもしかすると、今流行りの闇金って奴かもしれんな。

 

 あっちゃー、変なのに巻き込まれちまったよ。

 どうしよう……


 そう思っていると、宮崎さんは大きく深呼吸を一つした。


「スー、ハァー」


 そして、玄関の方に向かい歩き始める。 


 こんな裏にまで回る金貸しなど、このまま無視を決め込んどけばいいのに。と、俺はそう思っていた。



「ドンドンドンドンドン」


「宮崎さん、いるんでしょ? 出て来てくれますか? お話をしましょう!」


 その呼びかけに、ついに宮崎さんは返事をする。


「はい」


「おい、やっぱり居たぞ!」


 玄関をノックしていた金貸しがそう言うと、数人がざわつく声が聞える。


 いったい何人で来ているんだ? 困ったぞ、もし宮崎さんが暴行でもされるようなら、俺が警察に連絡するしかない。

 そう思い、俺は携帯電話をポケットから取り出し、いつでも通報できる体勢をとっていた。


「宮崎さん、ドアを開けていただけますか?」


「すみませんが、お断りします」


 宮崎さんはきっぱりと拒絶した。


 そうだ、違法な借金の取り立てには、そうやって毅然とした態度で示さないとな。それでいいぞ、宮崎さん。


「……宮崎さん、お伺いしたいお話がありますのでドアを開けて下さい」


「先ほども申しましたが、お断りします」


 しつこい借金取りだな。

 まぁ、相手も仕事だ。簡単には帰らないだろう。ましてや俺の想像通り、闇金ならなおさらだ。


 その時、またしても外で数人がボソボソと話す声が聞こえてきた。


 そして……


「宮崎さん、分かっていると思いますが警察です。開けて下さい」

 

「……はい!?」


 俺は驚いてしまい、思わず声が出てしまった。


 今なんて言った? 警察だって!? いやいやいや、警察なはずがない。だって、俺達はただ単に引っ越しをしているだけじゃないか? 何故警察が来る必要があるんだ!? さてはこの闇金、あの手この手で玄関を開けさせようとしているな。


「……分かっております。令状はお持ちでしょうか?」


「え?」


 今…… 今宮崎さんは、何て言った?


「持っていませんが必要なら用意いたします。とりあえずドアを開けてお話をしましょう」


 どうやら宮崎さんは、相手が警察であることを承知なさっている……

 ちょっと待て!? 相手は闇金じゃなくて、本当に警察なの?


 その時、気がつくと俺は、宮崎さんに問いかけていた。


「み、宮崎さん、これはいったい?」


 どうやらその声が、外にいる警察と名乗る者にも聞こえたようだ。


「……宮崎さん。今誰かいるのですね? お一人じゃないのですね?」


「はい、おります」


「どなたでしょうか?」


 宮崎さんは、直ぐには応えず、少し間をあけてから口を開いた。


「……人質です」



 え? 今なんておっしゃいました?



「宮崎さん、もう一度答えて下さい」


 警察と名乗っている者が、聞き直す。


「ですから…… 人質です」


 その言葉で、外の者達がざわめく。


「おい、人質がいるらしいぞ」 


「人質だと!?」 


「そのまま対話を続けろ」


「はい」

 

 ひ、ひ、人質…… お、俺の事だよな?


 事の真相が分からず呆けていると、宮崎さんが振り返って俺を見詰める。

 その時の宮崎さんは、凄く悲しそうな表情をしていたんだ……


 だけど、その表情とは裏腹に、手には大きな包丁を持っていて、その包丁を俺の方に向けて来た。


 

 な、なんなんだよいったい!?


 

 俺は今の状況を全く理解が出来ずに、その場に呆然とたたずんでいた。




「中山さん」


「……」


「中山さん!」


 宮崎さんは大きな声で俺を呼んだ。


 その声でハッと我に返った俺は、宮崎さんの手に握られている包丁から、目を離すことが出来ずにいた。


「お願いします。危害を加えたくないので言う事を聞いて下さい」


 丁寧ではあるが、言う事を聞かなければ、危害を加えると言う事だよな……

 ここは、大人しく従うしかない……


「……はい。お、俺はいったいどうすればいいんですか?」


「とりあえず、そこの押し入れに入って頂けますか?」


 さっき俺が大量の本を段ボールに詰めて、空になった押し入れにか……

 はははは、何だよそりゃ? 笑っちまうぜ、俺は人質になる為に、自らの監禁場所を準備していたって訳かよ。


 俺は大人しく上下二段に分かれている押し入れの、下の段に入って座った。


「ふすまを半分閉めて下さい」


 言われるがまま、押し入れのふすまを半分閉めた。


 宮崎さんは椅子を持って来て、俺が入っている押し入れから2m程離れた壁際に座った。 


  

 ……ど、どうしよう。まさかこんな事になるなんて思いもしなかった。


 それにしても、宮崎さんはいったい何をしたんだ? 

 さっきまで話していた感じでは、数人の警察が家に訪ねてくるほどの犯罪者の様には、とても思えない。

  

 どうしよう…… 聞いてみるか?


 いや、下手に刺激をしない方が良い。

 現に俺は、今日だけで何回か宮崎さんが言葉を止めるぐらいの嫌な思いをさせている。

 このまま大人しくしておこう。たぶん、警察が何とかしてくれるはずだ。


「宮崎さーん、返事してもらえますか? お話をしましょう」


 玄関からは警察が相変わらず話しかけてきているが、さっきとは違い、宮崎さんは無視を決め込んでいる。


「宮崎さーん? 人質の方はどなたですか? 人質の方とお話させていただけませんか?」


 その警察の声に答えたかったが、勝手に返事をする訳にもいかず黙っているしかない。

 そして、宮崎さんは何も言葉を発せず、俯いて畳を見ながら椅子に座っている。

 そんな重苦しい空気の中、ただ時間だけが流れて行く。


 

 俺が押し入れに入ってから、どれぐらい時間がたったのだろう……


 たぶん40分ぐらいか。 その間も警察は粘り強く、返事をしない宮崎さんに話しかけている。


 俺は体育座りをしていたが、同じ姿勢でお尻が痛くなって、もぞもぞと動いていると宮崎さんがやっと口を開いた。


「……すみません、腰が痛そうですね」


 そう言うと、座布団を持ってきてくれた。


「これを敷いて下さい」


「……ありがとうございます」


 俺を人質にしている人に、礼を言うっておかしな話だ……


 直ぐそばに置かれた座布団を俺は押し入れの中に入れ、尻の下に敷く。

 その途端に、尻の痛みがましになったのが嬉しくて、思わずホッとしてしまった。

 そしてそれから10分ぐらいした時に、宮崎さんが警察の呼びかけに突然答える。


「宮崎さーん」


「……はい」


「人質を解放して、出て来ていただけませんか?」


「無理です」


「そうおっしゃらずに」


「ずっと呼びかけるのを辞めていただけますか? ご近所様にも迷惑でしょ」


 いや、こんな事になってアパートの隣や上の住人が、のんきにテレビでも見てる訳ないだろ。警察に言われて、何処かに身を隠しているに決まっている。

 っていうか、この期に及んで、人様への迷惑を考えるなら、まず俺への迷惑を考えてくれよ。


「宮崎さん、人質の無事を確認させてくれませんか?」


 宮崎さんは少し考えた後、俺の方を向いて頷いた。


 これって声を出して良いって事だよな?

 まさか声出したら、そのでかい包丁で、ぶすっと俺を刺すなんてやめてくれよ!?


 い、一応確認しておくか……


「こ、声を出しても良いんですか?」


 宮崎さんは、もう一度頷いた。


 よし、これで確認はした。

 しかし、何て声を出せば良いのだろう……

 すみません、私人質の中山と申しますでいいのかな?

 それともレンタルおじさんの中山ですと言えば良いのか……


 どう考えても前者だよな?

 人質の俺の職業など、何も関係ないはずだ。


「あ、あのー、人質です」


 俺の出した声に、警察は直ぐに反応して返事をする。


「ご無事ですか?」


 俺は話す前に再び宮崎さんを見て、その反応を確認しながら声を出す。


「はい、無事です」


「そうですか、安心いたしました。お名前を聞かせて頂いて宜しいですか?」


 宮崎さんを見ると、再びゆっくりと頷いた。


「な、中山です、中山英吉と申します」


 そう答えると、警察が何やらぶつぶつと呟いた。


「人質は中山英吉だ」 


「はい、分かりました」


 そして、次におかしな質問をしてきたんだ。


「中山さん、お腹はすいておりませんか?」


 はい? 腹が減ってないかだと? 確かにもう晩飯時ではあるが、いきなりなんだその質問は?


 俺は宮崎さんの顔色をうかがいながら正直に答えた。


「大丈夫です。すいていません」


「分かりました、お腹がすいたらいつでもおっしゃって下さいね」


 なんだそれ?


 そう思っていると、宮崎さんが警察に話しかける。


「何か用事がある時はこちらからお声を掛けますので、呼びかけるのは辞めて下さい。いいですか?」


「……分かりました。私、捜査一課の鈴木と申します。鈴木二郎です。何か話をしたい時はいつでも声を掛けて下さい」


 宮崎さんは返事をしなかった。


 ……今、あの人は捜査一課って言ったよな?

 確かうろ覚えだけど、捜査一課って凶悪犯専門では?


 ちょっと待てよ、宮崎さんが凶悪犯? 嘘だろ? さっきだって、尻の痛い俺に座布団を渡してくれたぞ。

 それに、薬剤師だと言っていたのは嘘なのか? 二度も大学に行って薬剤師になった人が凶悪犯だって!? 俺自身が人質でなければ、信じられない話だ……


 いや、人質を取って立てこもっているだけで、確かに凶悪犯だ。

 だけど、いったい何をしたんだ宮崎さんは?

 外にいる警察に聞く訳にもいかないし。 


 ……そういえば、宮崎さんは俺を何のためにレンタルしたんだ?

 もしかして、最初から人質にする為か?

 

 それなら別にそこいらの人間を脅して連れてくれば良い。

 例えば隣の住民とかをな。

 どうして俺を…… 

 考えろ、もしかしたらそこに、この今の状況を脱する答えがあるかもしれない。考えるんだ。


 しかし俺は、これだという決定的な何かを思いつかなかった。


 ……やはり直接聞いてみるか。


 そう思った時、また警察が呼びかけて来た。


「宮崎さん、中山さん、今宜しいですか?」


 宮崎さんは返事をしない。


 さっき用事がある時は、こちらから声を掛けると宮崎さんが言っていただろ。下手に刺激しないでくれよ。 


「宮崎さん、食事の用意をすることが出来ますよ。中山さんに食事をさせてあげましょう」


 なにかと思えば、また食事の話かよ……


「……」


 なるほど、そういうことか……

 さっき唐突に腹が減ってないか聞いてきたのは、兎に角何でも良いから宮崎さんと対話を続けるための材料なのか。


 そうだよな、こんな時に意味のない話なんて、してこないよな。


「中山さん、お腹はすきましたか?」


 宮崎さんが俺にそう聞いてきた。

 正直こんな状態だから腹は減ってなかったが、嘘をついてみた。


「えぇ、流石に少し……」


 俺の言葉を聞いた宮崎さんは、直ぐに警察に返答した。


「食事の用意をして頂けますか?」


「分かりました。何か食べたい物はありますか?」


 宮崎さんは俺に目を向ける。


「あの、何か消化の良い物を…… うどんとかで」


「おうどんをお願いします」


「分かりました、出来るだけ早く用意いたします」


 そのやり取りが終わると、またしても外がざわつき始めていた。

 

 

 そして30分ぐらい時間がたったであろうか。


「宮崎さん、食事の用意が出来ました。ドアを開けていただけますか?」


「ドアを開けても無駄です。中にはバリケードをしてありますので、物を入れる事は出来ません」


 そういうことだったのか!? 何故玄関の前に重い本の入った段ボールを並べるのか不思議に思ったけど、最初からバリケード代わりにするつもりだったのかよ!?

 ってことは、当然裏の窓に並べた段ボールも……


「それでは、裏の窓から渡しますので」


「裏の窓も塞いでます」


「……」


 その答えに、警察も直ぐには返す言葉が無いようだ。どうやって食事を渡せばいいのか、かなり困っているな……

 いや…… 違う。こうやって、室内の状況を聴き出しているのか? それが本当の目的か!? 流石だな……


「それでは、食事を中に入れる為、キッチンの窓のアルミ枠を外しても宜しいですか?」


 キッチンの窓には、防犯用のアルミ枠が付いている。何処の家でもよく見るタイプのやつだ。それを外させろと言っている……


 読めて来たぞ、いざとなれば、その窓から突入して来るつもりだな……

 あの窓の大きさなら、大人でも一人ずつならくぐれるはずだ。

 ドアを開けても、バリケードがあると聞くと、直ぐに窓枠を外す事を提案するなんて、全て計算づくか!?  日本の警察は、本当に優秀だ……


「分かりました。外してもらって結構です。ただし壊さないでくださいね。大家さんに迷惑がかかりますので」


 いや、だからその前に俺の迷惑を……


「おい、外せ」


 捜査一課の鈴木さんが、誰かに指示を出しているようだ。

 すると誰かが直ぐに、インパクトドライバーでアルミ枠を外し始めた。


 このスピード…… やはり最初から、これが目的だったんだな……


 この手際の良さで、俺は少し安心した。

 日本の警察は世界一優秀だと聞く。いざとなれば、そのアルミ枠を外している窓から、俺を助けてくれるはずさ。


 そう、俺はこの時、まだそういう風に考えていたよ。


 ものの一分も立たないうちに、アルミ枠が外された。


「宮崎さん、キッチンの窓を開けて頂けますか?」


「分かりました」


 そう返事をした後、宮崎さんが俺の方を見ながら言った。


「動かないで下さいね」


「……はい」


 宮崎さんの手に握られている、大きな包丁を見ると、従うしかない。


 宮崎さんはキッチンに向かって歩き出した。


 ……どうする、飛び出して後ろからタックルでも喰らわせてみるか!?


 けど、宮崎さんがそれに気付いて、あの包丁を持ったまま振り向いただけでも、もしかすると俺に刺さってしまうかもしれない……

 駄目だ、変なこと考えずに、警察に全てを任せよう。ここで、大人しくしとけばいいさ。


「スス、サー」

 

 宮崎さんはどうやら、窓を開けたようだ。

 俺の位置からは見えないが、音で何となくだけど分かる。


 こちらに戻ってきている…… 

 何事も無く、受け渡しが出来たみたいだ……


 そう思っていると、戻って来た宮崎さんは、うどんを載せたおぼんを、押し入れの近くに置いた。

 

 そしてまたキッチンに戻り、もう一つ同じものを持ってきた。


 受け渡し時に、警察が何かしらの動きをするのではないかと期待していた俺は、かなり残念がる。


「どうぞ、食べて下さい」


 俺は手を伸ばし、畳の上を滑らせておぼんを引き寄せ、そしてうどんの入った丼を手に取り、ゆっくりと食べ始めた。


 こんな時に何だけど、少し醤油辛いなこのうどん……

 それもあってか、まるで食が進まない。

 

 その時宮崎さんは、くうを見つめ、何かを考えている様だ。

 

 どうしよう…… 話しかけてみるか……


「あ、あの……」


「は、はい、なんでしょう?」


 俺の呼びかけに、驚いたようにそう答えた。


「食べないんですか、伸びちゃいますよ?」


「……あまり、お腹がすいてなくて」


 今一番大切な事は、宮崎さんを刺激しない事だ……

 だけど…… だけど好奇心には勝てない。

 どうして今の様な状況になっているのか、どうしても聞いてみたかったんだ。


「あ、あの……」


「はい」


「い、いったい、宮崎さんは何をしたんですか?」


 この質問をした時、宮崎さんは目を見開いて、恐怖を感じているような表情を浮かべた。


 俺はその顔を見て、これはただ事では無いと、そう感じたんだ。


「……ぼそぼそぼそ」


「……え?」


「人を……しました」


 え? なんだって!? 俺の聞き間違いか!?


「い、今…… なんておっしゃいました?」


「ですから…… 人を…… 殺しました……」


 き、聞き間違いでは無かった。こんな大人しそうな人が、人を殺めたって言ったのか!? いくら人質になっているこの状況でも、にわかに信じられない。

 

 俺の質問は、この後も止まらなかった。


「……だ、誰を殺したんですか?」


 この時点では、好奇心ではなかったと思う。

 今振り返ると、宮崎さんの事を、素直にもっと知りたかったから。本当に、それだけだ。


「しょ……」


 ……しょ?


「少年を殺しました……」


 少年? つまり子供を殺したって事なのか!?

 何て事だ!? この人は、こんなにも良い人そうに見えるのに、子供を殺したって事なのか! いや、これはタチの悪い冗談だ。

 宮崎さんが、子供を殺すなんて、人質になっている俺でも信じられない。


 だけど、宮崎さんはそう告白した後、顔面蒼白になって、身体がぶるぶると小刻みに震えはじめたんだ。


 震える宮崎さんを見て、俺は確信した。


 ……この話は、嘘じゃないんだなと。


 だけど、子供を殺すなんて、なんてことをしたんだこの人は!?

 その見た目、話し方からは想像がつかないけど、本当の極悪人ではないか!


 俺はそう思うと、さらなる恐怖を感じ始めた。

 目の前にいるこの男は、子供を殺し、馬鹿でかい包丁を持って俺を人質にして立てこもっている紛れもない犯人なのだ。


 正直怖かった。心底怖かった。

 だけど、俺の口は、閉じたままではいられなかったんだ。


「ど、どうして殺したんですか?」


 震える宮崎さんにそう聞く俺は、心の何処かでその話は嘘だと、そう思っていたのかも知れない。

 宮崎さんはその質問には答えず、無言でただ震えている。


「み、宮崎さん、大丈夫ですか?」 


 その俺の呼びかけに、ハッと我に返ったように目が正気に戻る。


 宮崎さんは静かに立ち上がり、俺の入っている押し入れのふすまを全て開けた。

 そして、タオルケットを被せている物の前に立つと、そっとタオルケットを取る。


 俺がタンスだと思っていたそれは…… 仏壇……


 そして、仏壇の中には二つの位牌と、抱き合って微笑む母子の姿の写真があった。


 それを見た時、俺は許可もないのに押し入れから出て歩いて行き、宮崎さんの隣で歩みを止める。


 俺は…… 俺は、この仏壇に飾られている写真の人を…… 見たことがある。

 そう、それは1ヶ月ぐらい前だろうか、テレビニュースで見た事があるんだ…… 

 

 ま、まさかあのニュースで見たこの写真の人が、宮崎さんの……


「妻と、娘です……」


 小さい声でそう呟いた……


 俺はこの時、全てを理解した。

 何故こんな大人しそうな宮崎さんが少年を殺したのか……

 そして殺された少年が誰なのか、全てを理解した。


「……宮崎さん、もしかして、奥さんと娘さんはニュースに」


「……えぇ。そ、そう…… です」


 宮崎さんの奥さんと娘さんは、1ヵ月ぐらい前に、通り魔によって突然その命を絶たれてしまったのだ。

 

 そして捕まった犯人は、まだ15歳の少年だった。


「わ、私は…… 犯人の少年を今日殺してきました」


 宮崎さんはそう言うと、その場に崩れ落ちるかのように膝をつき、仏壇にしがみ付き涙を流す。


 その時、宮崎さんの手に包丁は、もう握られてはいなかった。


 この時、宮崎さんを取り押さえようと思えば、恐らく簡単に出来たであろう。しかし、それを考える事すらしなかったんだ。


 全てを理解したと思っていたが、一つだけ分からない。

 犯人の少年は捕まっており、今は警察署か鑑別所か知らないが、何処かに隔離されているはずだ。

 それを…… 


「宮崎さん、犯人は捕まっていたはずです。いったいどうやって……」


 宮崎さんは、涙を流しながらゆっくりと話し始めた。


「犯人の顔は、ネットで出回っていて知っておりました……

 そして、犯人が今日裁判所を訪れる事を、マスコミの人から、取材を受けた時に聞きました」


 マスコミの人から…… 宮崎さんを取材したくて、ご機嫌取りのつもりで話したのか?

 それとも、反応を見たくて……

 いや、そんな事より、裁判所といえども、犯人は警察官か誰だかに、恐らく複数人に囲まれて移動していたはずだ。

 

「……中山さん」


「は、はい……」


「犯人が…… 捕まった後に、何て供述していたか知っていますか?」


「……い、いえ」


 俺は嘘をついた……

 ニュースでさんざん取り上げられていたので、本当は知っていた。


「犯人は、相手は誰でも良かったと言ってました! ただ人を殺してみたかったと! 私の…… 私の妻と娘は、そんな理由で殺されたのですか!?

何の罪もなく、私が薬剤師になるのを応援してくれた妻が、どうして、どうしてそんな理由で殺されないといけないのですか!?」


 宮崎さんは、畳を激しく叩いて、泣き崩れた。


 ……俺は何も言えず黙って、幸せそうな笑顔で写っている、奥さんと娘さんの写真を、ただ見つめていた。


「ううぅぅ、犯人はぁ、犯人はぁぁぁ、少年法とかいうもので守られて、死刑はおろか、無期懲役になっても、いつか出所するかもしれないんですよ! 私の妻と娘を殺しておきながら、そんなことが、そんなことが許されて良いのですかぁぁ、ああうぅぅぅ」


 俺は、この国が好きだ。

 日本という国は、世界で1番だと信じて疑わない。

 

 だが、この件に関してはあまりにも理不尽ではないのか……

 15歳の少年は、何の罪もない宮崎さんの妻と娘を殺めておきながら、死刑にもならず、世の中に出て来る可能性まであるのか……

 そんな、そんな馬鹿な話があるか!

 逆に少年を殺した宮崎さんはどうなるのだ!?


 テレビや新聞で実名を上げられ、顔を晒され、いったい何年、いや、何十年刑務所に入ることになるのだろう。

 なんだこの馬鹿げた差は!? 

 いったいどうなっているんだこの国の法律は!?

 

 俺は気付くと、大粒の涙を流していた。

 

 やはり、俺の見立てに間違いは無かった。

 宮崎さんは人を殺めていても、極悪人ではない。

 この人は、大学に二度も行き、薬剤師になり、ただ妻と娘さんを愛していた。そんな普通で、立派な人だったのだ。


 その時、ふと何かが俺の脳裏をよぎったんだ。

  

 もしかしたら…… もしかしたら、宮崎さんが今日俺を呼んだのは……


 俺は隣の部屋から椅子を持ってきて、宮崎さんの肩を抱き、そっと座らせた。


 そして、宮崎さんの目の前に俺も座った。


「宮崎さん、話して下さい」


「……」


「今日、俺に話をしたかった事を、全て話して下さい」


 そう言うと、宮崎さんは、しばらくして話し始める。


「妻とは前の職場で知り合いました」


「ぅ、うん」


「私の…… 私の一目惚れでした」


「うんうん」


 俺は話を聞いている最中も、涙が止まらなかった。


「私みたいな、甲斐性無しと結婚してくれて……」


「うん」


「娘も生まれました」


「うんうん」


「娘は…… 妻に似て本当に可愛い子でしたぁ」


 宮崎さんの涙も、止まることはなかった。


「私はぁ、仕事のストレスからか体調を崩してしまって……」


「うん」


「妻が、妻が私の代わりに家庭を支えてくれて…… 実家の両親に頼んで私を…… 私を薬剤師にするために大学に行く費用を出してくれました……」


「うんうん」


「昔の4年制とは違い、今の薬学部は6年制なのに…… その間ずっと、ずっと」


「うんうん、支えてくれたんですね。奥さんが……」


「ええ、そうなんですよ。妻が…… そして私が薬学部に通って4年経った時に妊娠しました」


「うん」   


「家に一円も入れず、それどころか、妻の両親のお金で大学に通わせてもらっている分際で、子供を…… つくるなんて……

 けど、妻も、妻の両親も凄く、凄く喜んでくれて……

 私は、その時…… その時私は誓いました。立派な薬剤師になって、必ず恩返しをするって、心から誓いました」


「うん、分かるよ。分かるよぉ、その気持ち」


「そして娘も無事に生まれ、本当に可愛い子で3歳になり、私もやっと薬剤師になれて、東京の薬局は給料が安いので、妻の実家がある愛媛県に行って、ご両親と共に幸せに暮らそうって決まった矢先にぃぃぃ。うあああああああああああああ」


 宮崎さんは激しく暴れ始めた!


 外の警察のざわめきが大きくなり、突入という言葉がちらほら聞こえる。


 俺は激しく暴れる宮崎さんを、必死で抑えつけ、そして外の警察に向けて大声を出したんだ。


「俺は人質の中山だ! 入ってくるな! 入ってこないでくれ!」


 その声を聞き、警察は更にざわめき立つ。


 「突入!」

 

 大きな声と同時に、玄関のドアが開き、バリケードにしていた重い本の入ったダンボールが揺れ始める。

 キッチンの窓も外され、黒ずくめの人が這いずり入って来た。

 それと同時に、裏のサッシも外され、積み上げた段ボールがこちらに崩れてくる。


 俺はすぐさま立ち上がり、倒れて来た段ボールを力一杯押し返した。


「入って来るなぁ! 出て行けぇぇ!」


 キッチンの窓から入って来た男が、宮崎さん目掛けて突っ込んでくる。


「うおぉぉぉぉ!」


 俺は雄たけびを上げながらその男に飛び掛かって、男が宮崎さんを抑えるのを阻止した!


 その時、宮崎さんが俺に言ったんだ。


「中山さん…… ありがとうございました」


 確かにそう言って、涙を流しながら、薄っすらと微笑んでいた。


 それが…… 俺が最後に見た宮崎さんだった……


 裏の窓から入ってきた男達に、俺と宮崎さんは抑えつけられた。


「離せ! 宮崎さんを離せよ馬鹿野郎! この人は! この人は何も悪くない! 悪くないんだぁぁぁ!」


 俺は激しく抵抗したが、数人に抑え込まれ、壊された玄関から外に引きずり出されようとしていた。

 その時、突入の際に崩れ落ちた段ボールの中身の本が散乱しており、警察がそれを踏んづけているのが見えた。

 その本は、宮崎さんが妻と娘の為に、薬剤師になる為に、必死で勉強していた本。

 故意ではなく、仕方のない事だったが、今でもその事を思い出すと、悲しくなってしまう。

 そして、俺もその本の上を引きずられて、外に連れ出されたんだ。


 その後、救急車に乗せられた俺は、まだ暴れていた。


「落ち着いてください中山さん!」


「宮崎さんをどうしたんだ!? あの人は悪くなんかないんだ! 離せよ! 離してくれ! 俺はあの人の話を聞かないといけないんだ!」


「中山さん、落ち着いて!」


 それからの記憶はあいまいで、病院に連れて行かれた俺は、何処も悪くないのに点滴をされた。すると、何故か落ち着きを取り戻して、その日はそのまま病院に泊まった。

 そして次の日に、警視庁に移動して事情を聞かれた。


 後で分かった事だけど、宮崎さんは耐震工事をしていた裁判所に、作業服を着て建築作業員を装い、少年の到着を待っていたらしい。

 そして背後から少年を刺し、その後に家まで逃げ帰ってから着替え、俺との待ち合わせ場所に来た……

 

 一貫して宮崎さんを庇う発言をしていた俺に、警察はストックホルム症候群という言葉を口にしていた。


 この後警察から解放された俺だが、マスコミが俺のアパートや会社に多数押しかけ、家に帰る事も出来ず、会社が用意してくれたホテルに数日泊まり、その後は、レンタルおじさん仲間の、アントニオさんが家に泊めてくれた。

 家族もいるのに優しく俺を迎えてくれて、1週間もお世話になった後、俺はようやくアパートに戻った。

 それからしばらくの間、誰かが訪ねて来ても、俺は応対することは無かったし、知らない番号の電話は全て無視した。


 そして、事件から1ヵ月後……


 当初、社会的にも大きな騒ぎとなり、テレビでは連日少年法について熱く議論されていたのだが、時間の経過と共に、少しずつ薄らいでいった。

 この事件は、そんな簡単に忘れ去られて良い事件ではないはずだ。

 俺は、宮崎さんを庇う為に、マスコミの前に出る事も考えたが、ろくに学も無い俺が、人前に出たからといって何になるというのだ。政治家でもない俺には、この国の法律を変える事など出来やしないし、ましてや宮崎さんの罪を消す事も出来やしない。

 だが、裁判に呼ばれて何か証言しろと言われれば、俺は出廷するつもりでいた。

 それで少しでも、宮崎さんの助けになるのであればの話だが……

 

 ある日、会社に俺宛ての荷物が届いていると連絡があった。

 差出人は、宮崎さんの義理の父親…… つまり、亡くなった奥さんのお父さんだ。

 マスコミを恐れて外に出ない俺の所に、アントニオさんが荷物を届けてくれた。  

 

 俺は、その届いたダンボールを、ゆっくりと丁寧に開けてみた。

 中には、あの時に俺が欲しいと指差した、カピバラのぬいぐるみが入っていた。

 同封されていた手紙には、息子からあなたにこのぬいぐるみを送って欲しいと言われましたと…… 

 そして、丁寧な謝罪の言葉も書かれていた。


 このぬいぐるみは、たぶん亡くなられた娘さんの物だろう。


 こんな大切なぬいぐるみを、俺が貰う資格があるのだろうか……

 ご両親に返却しよう、俺はそう考えていた。


 そして…… 俺の元へ荷物が届いた次の日だった。

 

 宮崎さんは、拘置所で自ら命を絶った……



 すみません…… 宮崎さん、すみませんでした……


 俺が…… 俺がもっと早くに、あなたが俺を呼んだ理由に気が付いていれば……


 もっと最初から、沢山話を聞いていれば、こんな…… こんな最期にはならなかったのかもしれない。


 本当に…… 本当にすみませんでした。


 すみ…… ま…… せん……



 それから数週間後。

 

「プルルルー、プルルルー」


「はい、中山です」


「……中山さん、ご無沙汰しております」


「はい、お久しぶりです」


「体調の方はいかがですか……」


「ご心配をおかけして申し訳ありません。もう大丈夫です」


「そうですか……」


「……」


「中山さん、お仕事の依頼が入っておりますが、いかが致しましょう……」


「勿論お受けします」


 俺は……


「……分かりました。お客様のお名前は橋本さんです」


「はい」   


 あの人に誓う。


「待ち合わせ場所は品川駅の……」


「はい」


 絶対に、手を抜かないと……


「時間は午後7時……」


「はい」



 俺の名は中山英吉。職業は…… レンタルおじさんだ。



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