第7節(その6)
「……誰からも聞いておらぬのか?」
「え……?」
何を、と問い返したアドニスに対し、老貴族から告げられたのは本当に思いもよらない事実だった。
アドニスが妹夫婦であるアンバーソン子爵家の屋敷を訪れたのは、その翌日の事であった。……いや、すでにそこに家屋敷は跡形もなく、火事で焼け落ちたきり更地のまま放置されたままであるという、聞いた話の通りであった。
「この立地なら買い手はすぐにつきそうだけど。……まさか私が戻ってくるのを待っていたわけでもないでしょうに」
「いやいや、実際に待っていたんだろうよ。仮にも子爵家の所有地なわけだし、相続人に無断で勝手に売り払ったりするわけにもいかぬであろう」
案内のため同行してきたベオナードにそのように言われても、アドニスにはまだ実感がわかない。
「相続人……つまり、私か」
「そうだな」
二年前の話だという。かつてここに建っていたアンバーソン子爵家の邸宅は不慮の火災で焼け落ちてしまい、妹夫婦一家は炎にまかれ命を落としてしまったということだった。
元をただせば彼女の生家でもあったわけだが、魔導士になるにあたって子爵位の相続権を放棄したさい、仮に魔導士として大成出来なかったとしてもこの家を頼ることはもうあるまいと、彼女の居室や私物もすべて引き払ってはいたのだった。
彼女の父は、アドニスが魔導士の塔に入って一年目に死去した。母はそれ以前に姉妹がまだ幼いころにすでに病没して久しかった。妹が子爵家を相続するに至っていよいよ自分の帰る家ではないという実感を強く持ったが、こうやって何もかもが失われてしまったのを目の当たりにすると、そういった過去の出来事やその当時の決意までもが何もかも無かった事にされたような寂しさを覚えるのであった。
「子爵家の相続権を妹に譲って、父の葬儀にも妹の結婚式にも、子爵家の身内ではなく一介の魔導士として末席に参列した。縁を切ったわけでは無いからいつでも戻ってきてよいのだと、妹はそう言ってくれてはいたけれど……」
「そうと分かっていれば、火事があってすぐにでもお前を呼び戻しに辺境へ行くべきであった」
「あなただってその時は北部に赴任していたんでしょう? 塔では子爵家の出自はつとめて隠していたし、軍でもヘンドリクス卿ぐらいしか、私が子爵家の出身だとは知らなかったんじゃないかしら」
「一応、管財人とは連絡がついて、明日にでもお前さんに会いたいそうだ。……行方知れずでも一応はどこかで生きているものとして、いつか生還する日のために子爵家の財産はすべて保全されたままになっているとのことだ。……あと、アンバーソン家の子爵位についても確認したが、相続放棄はあくまでも爵位の継承権者であったお前さんと妹君との間の取り決めであって、子爵家の血筋に連なる者が存命であるなら、これから手続きして爵位を継ぐことは問題ないそうだ」
「わざわざ調べてくれたのね」
「おれではなく、管財人から聞いた話だ。……むしろ、問題は魔導士の塔の方かな? たしか貴族階級の者は本来は魔導士にはなれないと聞いているが」
「王家、貴族、武人、いずれか王国内で公的な地位のある者は魔導士にはなれない。……私は子爵家の相続を放棄するむね誓約書をかかされて、それで入塔が認められた。でも今更戻る気にもなれないから、そちらを除籍する事になるわね」
「それと……肝心なのがお前の娘についてだが」
「どうするの?」
「話を蒸し返すようで悪いが、火災で亡くなったアンバーソン子爵一家の中には、当時まだ二歳のお前さんの姪もいた。……ヘンドリクス卿の提案だが、この子を、実は死んでいないことにしてはどうかと」
「なんですって?」
「アンバーソン家は郊外のアーヴァリーに領地があり、そこに別宅がある。そちらで病気療養していたという事にして、元々死んでなかったしずっとそこに住んでいたが、記録の方が間違っていた、という風に話をもっていくつもりだそうな。今回お前さんが辺境から帰ってきて、爵位相続の申請を出せば、そこで相続順位の確認のために妹夫妻側の血縁者について手続き上確認が入るはずで、その際に、事実と違う、と異議申し立てをすればよいという事だった。その場合、相続順位で言えば姪御さんが一位ということに本来はなるが、まあ未成年であるし、そもそも放棄していなければ本来の継承権者はお前さんだったわけだから、そこは問題にはならないであろう、という話だった」
「年齢で言えば確かに合致はする、か……」
「ただ、その場合亡くなった姪御さんの名を名乗る必要はある」
「姪の名前」
「覚えているか」
「えっと……」
アドニスが困った顔で苦笑いを浮かべたのを見かねて、ベオナードは告げる。
「ユディス。ユディス・アンバーソンだ」
(第8節につづく)
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