第7節(その5)
その頼りない手つきに、あぶない、と思わず声を上げたアドニスだったが、意に介す様子もなく、幼子はおのれの身長ほどもある長剣を勢いに任せて思いっきり振り上げた。
それが視界の隅に入ったのが、ベオナードと取っ組み合いをしていたはずの悪鬼が、異様におびえた様子で金切り声を繰り返しはじめるのだった。
そのまま、切っ先は細腕では支えきれずに前方へ――それを手にしている幼子から見れば前方へ、そして悪鬼ルーファスの方へとゆっくりと傾いていく。
ルーファスは今度はあからさまにその切っ先を目の当たりにして怯えていた。毅然とはねのけることも出来ずに、両腕を上げておのが身をかばおうとしたが、切っ先の平たい方の面がルーファスにこつんと当たったかと思うと、触れたところから順番に、ゆっくりと灰になっていくのだった。
内側からゆっくりと燃焼して炭になっていくように、炎すら上げずにただただ灰になって崩れていく。
アドニスとベオナードは、その一部始終を息を飲んで見守っていた。
やがて、幼子は重い剣を支えきれずに床の上にごとりと取り落す。その物音で、傍観していた者たちは我に帰ったようだった。
後に残ったのは、灰とも塵ともつかぬさらさらとした砂のような何かと、何が起きたか分からない様子でぽかんとした様子の幼い娘の姿がそこにあるだけだった。
騒ぎを聞きつけて使用人たちが部屋に駆けつける。変わり果てたあるじがさらに変わり果てた姿を目の当たりにして、彼らは唖然とした表情を見せるばかりだった。
「申し訳ない。結局こうなるのを避ける事は出来なかった」
「……いいえ、きっとルーファス様もあのような姿を最期に残すのはよしとはなさらなかったでしょう。病魔に倒れたのは無念ですが、きっと皆様には感謝されているはず」
そういって、執事は他の使用人たちに命じ、床に残された灰をひとかけらも残さず丁寧にかき集めさせたのだった。
後日、その執事からルーファスの親類に話が回り、内々に葬儀が執り行われた。ベオナードとアドニスは執事から是非にと列席を求められたが、彼の親類にどのような顔を合わせたものかまるで見当もつかなかったので、これをやんわりと辞退した。
やがてどこから話が伝わったものか、元近衛騎士ルーファスの死は竜を退治した英雄の死として王都で大々的に報じられ、国庫から費用を出してあらためて盛大な葬儀が行われたが、見送るアドニスらの心中は複雑であった。
一連の騒動が片付き、アドニスは娘を連れて村に帰ろうとするが、それをベオナードが止めた。
「ヘンドリクス卿がお会いになるそうだ。その子と一緒に、軍務省に出頭してくれ」
ベオナードに伴われ、アドニスは数年ぶりにヘンドリクス卿の執務室に足を踏み入れた。ベオナードやルーファスらと、竜の探索隊として顔合わせを行った部屋は何も変わり映えは無かったが、心なしかヘンドリクス卿はぐっと老け込んだように見受けられた。
「委細はベオナードより聞いた。なかなかに苦労をかけたな、魔導士アドニスよ」
「……恐れ入ります。彼の地にとどまってあるいは竜の事が何か分かるかと思いましたが、この子の世話で日々を追われてしまっております。魔導士などいう名は返上せねばならないようです」
「子爵家のお嬢さんが、魔導士になるだのと、一時はどうなるかと思ったものだがな。見事竜を倒し、今はすっかり母親の顔になっている」
「それはどうも」
「いずれにせよ、ルーファスの件はそなたの尽力で解決した」
「解決といってよいかどうか。ルーファスを消滅させたのは私ではなく、あの剣ですから」
「これからどうするね?」
「村に戻るつもりでいましたが……」
「近衛騎士ルーファスがあのような最期を遂げた。彼の部下である近衛の兵士たち、ベオナードが当時ともなっていた部隊の者たち、そしてベオナードとそなた自身……ルーファスと同じ命運を迎えるおそれがあるとなれば、そなたたち母子が遠く僻地にいるというのは少し困るのではないか」
「王都に居を構えろと?」
「そうしてはもらえぬか。……その子にしたところで、そなたらが最後にああなってしまうのであれば、きちんとした氏素性があった方がよいのではないか。とくに、そなたが死んでしまったあとはこの娘一人で生きていかなくてはならないわけでもあるし」
「ですが」
「その子の身の上については、わしが何とかしよう」
「では、お言葉に甘えさせていただきます。……この子と一緒に王都で暮らすとなれば、妹夫婦にもきちんとした説明をしないと」
何気なしにつぶやいたアドニスの言葉に、ヘンドリクス卿は眉をひそめた。
「……誰からも聞いておらぬのか?」
「え……?」
何を、と問い返したアドニスに対し、老貴族から告げられたのは本当に思いもよらない事実だった。
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