　とたんに、じりり。

　動き出したのは地面。

　町角に敷かれた道路はベルトコンベアみたく、あたしたちの足をすくうと流れ始めた。けれどそれは水平にじゃなくて途中から切れて見る間に空へ反り上がってく。押し出されて頭上では、空が背後へ落ちだしていた。

「なっ、なんだぁっ」

　まるで宙に放り出されたみたい。ダブルイが声を上げ、言い切らないうちに落ちた空はあたしたちの足元をすり抜け、ダブルイの背から再び頭の上へ昇ってく。止まることなく繰り返されたならまるでボールを転がすよう。次第に速度を上げて町角は、あたしたちの周りを回りに回った。

　すっかりバランスを失ったダブルイが、わああ、と叫んですっ転ぶ。あたしとロボが辛うじて立っていられるのはこうなるって知っていたからで、ドラゴンも驚くままに飛び上がると、回転する空を追いかけぐるぐる飛んだ。様子はすっかり混乱しているようで、目にしたあたしは今だ、ってまた巡って来た空を蹴りつける。次に繰り出す足で町を踏みつけ、また落ちてきた空を背にダブルイへと飛び掛かった。

「あなたとあたしでこれまでのこと、全部ポリスへ謝るのよっ」

「はっ、離せっ」

　転げた時、放り出されタイソン女史が、どこにあるのかわからない地面を両手で探りながら後じさってる。

「タイソン様、助けに参りましたでございますよ。どうぞこちらへっ」

　すかさず駆け寄ったのはロボで、手を取り立ち上がらせていた。

「お父様にもしっかり叱られなさいっ」

　抵抗して伸ばされたダブルイの手を、あたしは掴んで押さえつける。男の子だろうとあたしより年下の、坊やの力はあたしの全力といい勝負。うちにもロボは回る景色に足をとられながら、あのバスのホイールへタイソン女史をかくまっていった。もう何回転目だろう。空から落ちてくるそれを見定めタイミングをはかる。

「オーキュ様っ」

　くぐる前にあたしを呼ぶけど、一緒になんて無理。

「いいから行きなさいっ」

　あーだ、こーだ、言わないロボは、余計なことをしていればまたホイールへ飛び込むタイミングを失ってしまいそうだからで、それきりちょうどと目の前に落ちてきたホイールへタイソン女史を抱えて飛び込んだ。止まらず回転し続ける風景の中で二人の姿は風にでもさらわれたみたいに消えてなくなり、それを合図にタイヤもあたしたちを閉じ込め木っ端微塵に破裂する。

　脱出したのがロボと女史だけなのだから、外はきっと大混乱。でももう取返しはつかない。あたしはただダブルイと向かい合う。

「聞いて。あなたが間違えたのは呪文を手に入れようとして起こした事じゃない。それよりも、自分が魔法そのものだって勘違いした事の方。あなたは魔法じゃないし、魔法はあなたじゃないの。だって魔法が消えた時、あなたも一緒に消えてしまいやしなかったでしょ。魔法はあなたにとってただのエゴだった。それもとっても大きな。だから溺れて、おごって、惑わされて、こんなにひねくれた子になっちゃった」

　そんなこと言われるなんてこれっぽっちも思ってなかったダブルイは、穴が開いたみたいに素っ頓狂な顔であたしを見てる。　

「いいこと、あたしがお手本になってあげる」

　なれなきゃあたしもきっといつか、ダブルイみたいなことを言ってしまいそうで怖い。

　そんなあたしたちの周りを空はまたすり抜けて、町角は天高く昇ってゆく。回り続ける景色の中で翻弄されていたドラゴンは、もう疲れてしまったみたい。いつしか翼をたたむと空とも地面ともいえない回転する景色の中にうずくまっていた。

「そんなのよけいなお世話だ。キミにはボクの気持ちなんて分からないクセにっ」

　それはもしかすると吹き込まれたあたしの魔法が尽きつつあるからかもしれなくて、うずくまったドラゴンの輪郭は曖昧と溶け始めている。

「分かるに決まってるわ」

　なら遠くから聞こえてくる音はあった。

「あたしだって魔法は、もう消えちゃったんだから」

　えっ、とダブルイの表情が固まる。

　パン、と周囲で景色もひと思いに弾け飛んだ。

　夢が覚めたみたい。薄暗がりの中、山と積み上げられたスクラップと、頭上にベルトコンベアの突き出る泡のドームの中へ、あたしたちは放り出される。どこにあるのか分からなかった地面は転げて寝そべるダブルイの背中に確かにあって、上へのしかかったあたしはその襟首をつかむと荒い息を繰り返してた。

　ついさっきまで立っていたはずの町角は、そのはるか遠くで優しく明かりを灯している。隔てて囲い、ポリスのブイトールにバイクや車両が集まっていた。鳴らされる笛とサイレンが、またあたしの鼓膜を揺さぶる。

「そこまでだ。その場にヒザをついて両手を挙げなさいっ。ジュナー・タイソン誘拐の容疑で逮捕する」

　頭上のブイトールから降る声はおっかなくて、あたしとダブルイはもう何もできない。互いは恐る恐る掴み合ってた手をほどくと、言われるままその場に屈んで両手を挙げた。

　でも睨んで身構えるポリスは小さくすっかり大人しくなったドラゴンと、子供みたいなあたしたちを前に拍子抜けしたみたい。連行されるというより保護されて、あたしたちはポリスの車に乗せられた。

　最初はドラゴンだけを閉じ込めて、マイクロマシン・ジェネレーターの暴走ってことにするつもりだったのだから、連れて行かれるあたしたちをアッシュにハップは何かの間違いだ、と止めようとしてくれてる。すっかり動揺してしまった先輩も、あの二人こそドラゴンに誘拐されたんです、なんて言い出してもう大変。一番、落ち着いていたのがタイソン女史だったのだから、あたしと女史だけがそれぞれの車に乗せられるさい目配せなんてし合っていた。

　走り出した車の窓から、全てを少し離れた場所から見ているロボの姿をあたしは見つけている。一人、取り残されたロボはあたしより、ずっと心細くてしょんぼりしているように見えていた。