魔法使いの右腕

あたしと右腕の魔法 第１話

　ふわりふわり、とした歩調にもずいぶん慣れてしまってる。それもこれも魔法が使えなくなってしまったからで、タイソン女史の部屋で振り絞って以来、ピリピリしていた指先からそうした感覚も消えてなくなると、いつしかあたしの手はただの手に戻ってしまっていた。

　集積所でノートの切れ端を探している時からもう気づいてる。それはどうしても嫌な予感を囁いてならなくて、だからあたしは知らないふりを続けてた。

　キャンプラボの自動ドアはちょっと感度が悪い。開いて表へ出ればそこはもう、魔法を持たない人も歩いていないような時間になってた。

　キャンプラボからの光を背に、それでもあたしは暗がりへ向かい「ブリャーチエ」の呪文を唱えてみる。もちろん呪文へは精一杯に集中したし、力もありったけ込めてみたけど、やっぱりあたしの両足は弱い月の重力に浮いたような感覚のままで、地に着くことはなかった。それどころか唱えた呪文は空回りすると、ただの言葉となってあたしの中から力のかけらも出さずに散ってしまう。

　やっぱり。

　認めたくないけど、でも間違いないって思うしかない。魔法はその最後のひと欠片まで、まるで湯気みたいにあたしの中から消えてしまった。

　また無理をしたからかしら。思う。そのせいの、これは一時的なもので、しばらくすれば戻って来るんだと思いたい。考えは頭の中を巡り続け、だけど追い越してそれはない、って体はあたしへ教え続けた。耳を塞いでも、体の声だもの、中から強く聞こえてくる。拒めず涙はこみあげていた。あたしは立ち尽くしたまま震えだす。だって魔法は一番あたしが大事に思っていたものだから。していたつもりはないけれど、やっぱり自慢で、ふるうことで確かめられるあたしの証だと思っていたから。なのになくしてしまえば自分を半分、いいえ、全てをなくしたみたいで、じゃあ、やっぱりマイクロマシン・ジェネレーターを使って魔法を補うしかない、なんてダブルイと同じ事を考えてしまう。研究が世の中に知られて世界がひっくり返ってしまうかもしれないけれど、最後の一人になるはずの魔法使いはもういない。代りに呪文を預かったあたしなら魔法使いの権利を守ることは忘れないって約束できるし、ダブルイにだって同じように守らせることも誓ってもよかった。そうすればあたしたちだけの事じゃなく、世の中に役立つ魔法使いの数も増えて、もっとずっと世界は豊かになるはずだと思える。

　って、本当かしら。

　うつむいたまま睨んだ地面に堪えても、ひとつ、ふたつ、と落ちてく涙がシミを作る。

　そう、あたしは結局、自分の事しか考えてなくて、やっぱりそれはダブルイと同じだった。だってマイクロマシン・ジェネレーターを完璧に動かそうとすれば避けて通れないお別れだってある。

　とその時、覚えのある足音は背から聞こえていた。

　驚きあたしは顔を跳ね上げる。

「オーキュ様」

　ロボはそこに立っていた。あたしを見るガラクタの顔はそれだけで、もう何かに気づいたみたい。表情なんてないはずなのに、やけに心配げとしぼんで見える。そのはずとあたしも気づいて慌てて涙を拭い取った。

「そろそろ明日のことが決まったのではないかと、戻って参ったところでございます」

　触れず話しかけるロボは優しい。

「どうして、一緒に聞かなかったの？」

　だのにあたしはぶっきらぼうで、いやな奴。

　その手を、ロボは取る。

　ささ、と連れ出したのは、明々としたキャンプラボの脇にしつらえられたベンチで、腰かけるように促しロボは自分も隣へ座った。

　ままに泡のドームの夜空を眺めたのはどれくらいの間だろう。

　やがてそろえたヒザをロボはそうっと、あたしへ向けなおす。

「お気遣いなどいらないのでございますよ」

　あたしは濡れたままのまつげをロボへ張り詰める。

「短い間でしたがロボは、オーキュ様と過ごせて楽しゅうございました。ですがロボはオーキュ様のお役に立つことを命と吹き込まれて生まれたのでございます。それは形を変えても。ですからお決めになられたのなら、ロボは何だろうと大歓迎なのでございます」

　カメラのレンズの目は確かにあたしへ笑いかけていて、あたしこそ笑い返せなくなっていた。

「オーキュ様、本当は魔法がそれほど戻ってきてはいないのでございましょう？」

　眼差しがあたしをドキリとさせる。

「ロボには、ロボだからこそ、お見通しなのでございますよ。取り戻すためにこの魔法を使ったところで、カイロ様もご納得されることでしょう」

　でも、だからそれだけじゃない。

「だったらロボはどうなるの？」

　呪文を解析するには魔法を壊さなきゃならない。なのに迷わずロボは答えてみせる。

「ガラクタがまた、ガラクタへ戻るだけの事でございます。リサイクルでございますな。おやまあ、これがほんとの持続可能な再生資源っ」

　とぼけて声を大きくするけれど、あたしにはちっとも面白くない。そんなのやっぱり寂しいだけだった。ガラクタを寄せ集めたみっともないボディーの、うるさく周りをうろうろするほんとは全然、役になんて立っていないロボなのに、いなくなると分かればつからか覚えるのはそれだけ。

　イライラして、面倒臭くて、こっちが世話してあげてるんじゃないかしらって思っていたけど、それっぽっちのあたしたちが何か協力したことも、達成したことも、ドラマチックな何かがあったわけでもなかったけれど、ないから変わらずずっと続くと思ってウンザリしてた毎日だったから、急にこんなふうに突き付けられて、あたしからあたしの魔法だけじゃなくロボも奪わないでと思ってしまう。

　だけじゃない。魔法使いの魔法は誰かを幸せにするためにあるもののはず。なのに、その魔法がたとえロボだろうと誰かを犠牲したから使えるなんて、絶対に、絶対におかしかった。

「ロボは本当にそれでいいの？」

　持続可能なエネルギーは、何モノも使い潰したりしないから永遠に循環する。

　循環させずに魔法使いを名乗れるものですか。

　気づけばあたしは強い口調でロボへと詰め寄っていた。

「ただの魔法にほどけて、あたしと話が出来なくなっても、スケジュールを管理して、寝坊を起こして、行き先を案内して、ケンカだってしなくなってもへっちゃらだっていうの？」

　最後にそれだけが聞きたいと思う。

「それは……」

　言い淀むロボは逃げるみたいに、あたしへ向けてた体をヒザごと正面へ向けなおした。

「それは、何なのよ。だったらこれが最後の会話になるのよ。それでもいいなんて言うなら、本当はあたしのことなんてどうでもよかったってことよね」

　とたん背中から部品を飛ばしてあたしへロボは振り返る。

「違いますっ。そんなわけございませんっ。ロボもオーキュ様とお別れはしたくはございません。それはカイロ様のオーキュ様を思う気持ちが魔法にも宿っておるからでございます。そんなカイロ様と一緒に、ロボもずっとオーキュ様といたいでございますよっ」

　なんて言ってしまったその後で、ロボはようやく気付いたみたい。でももう手遅れだったし、それが本当で間違いないからそのあとカタカタ震えだしてた。

　本当におかしなロボット。

　そうして出ない涙であたしより人間らしく、それくらいおばあちゃんの魔法は素晴らしくて、ロボはあたしの前で泣いた。

　決めた。

　たったひとつで十分なんて、なんて大きな決断だろう。

　あたしはおばあちゃんが残してくれた呪文を使わない。

　これまで通り、隠しておくことにする。

　アッシュもあたしが呪文を持っているのだと知っていたなら、働く魔法使いたちへ安心して交渉に挑むよう言うことができるはずだし。そして世の中は何も変わらず、魔法使いたちは不当に搾取されたりと労働問題は残るかもしれないけれど、世の中の魔法使い全ては血を誇りに働き続ける事ができる。

　あとはもし可能なら、タイソン女史がおじい様の至らなかったところをうまく補い、誰も脅かすことのないマイクロマシン・ジェネレーターを完成させてくれることを願うばかり。

　そのお手伝いをすることが魔法使いじゃなくなったあたしが、けれど魔法使いとしてできることだと思えた。

「なるほど。ならダブルイのことも伏せておく必要があるってことか。ただあの悪ガキ、見逃してやるっていったところで黙ってられるかな」

　眠らないなんて今日が初めてかもしれない。って言うより、もうゆっくりと眠っていられる気分じゃないんだからそれがちょうどっていうところ。

　ロボを連れて戻った部屋でアッシュは端末とにらめっこしていて、ハップの方はノートパソコンに再びつないだ装置で何かホログラムを設計してる。

　伝えたあたしはもう泣いてなんていなかった。

「大丈夫。それはあたしに任せてくれない？」

　言い切るあたしを二人は不思議そうに見てたけど、それだけのこと。

「決まりだな」

　のみこんだアッシュが肩をすくめる。

「じゃ、明日の話、始めましょう」