呪文の正体と魔女 第2話
「ええっ」
頼りにされるなんて、あなたこそ頼りになってないんだけど。でもやっぱり飛び掛かっていったのだから頼れるってことなのかな。
なんて、もう何がなんだかわからない。
とにかく今度こそドラゴンはタイソン女史へ狙いを定めていて、前で女史はノートを胸に立ち尽くしていた。そのどちらも守らなきゃならないあたしたちはと言えば、残念ながらビリオンマルキュール級の魔法使いを相手にしているってことで、けれどそんなことを考えてたら何もできやしない。あたしは頭の中から不安を全部ごっそり放り出す。
重力は地球と同じ1Gのここ。
踏み切るアッシュの左足が、倒れたソファを蹴りつけていた。舞い上がった体はアルテミスシティとは違う弧を描き、その足元へあたしも力いっぱい呪文を投げる。あてがったガラス片は薄い氷のよう。ためらうことなく踏みつけたアッシュの重みがあたしの血を試し、踏み抜いてもうひと蹴り。高みへ飛んでアッシュはドラゴンの背へ体当たると同時にナイフを突き立てた。
あたしは踏み抜かれたガラスの衝撃に弾き飛ばされ、尻もちをついてそんな光景を見上げる。背中にアッシュを乗せたドラゴンは振り落とそうと大暴れし、腰を抜かしてる場合じゃないって這うように身を起こした。すっかりガラクタに戻ってしまったロボの元へ滑り込んで体を揺さぶる。
「しっかりしてっ」
けれどロボは目を覚まさない。
「ロボっ」
それどころか呼び続けるあたしの足元から、光は差し込む。
「なに、これっ?」
砂のように足元へ流れ込んでくる光にあたしは目を見張った。辿ればそれはアッシュが突き立てたナイフの傷口からあふれ出している。のみならずドラゴンもそこから崩れだしていた。窓を割った時の、叩きつける雨のような光の粒へ戻ると部屋中に溶けだしてゆく。
しがみつく相手を失ったアッシュが光りにまみれ、転がり落ちていた。もんどりうつとタイソン女史の前へ身を投げる。
「邪魔するなっ。使えば誰もが魔法使いになれるんじゃないかっ」
見る間に部屋は光の砂場となっていた。
「僕だって元通りになれるのにっ」
見おろすアリョーカからシーのヒステリックなシーの声は放たれて、再び光の粒は動き始める。見えない棒でかき混ぜられたようにひと塊と集まると、球体となり天井まで跳ね上がった。跳ねて足を生やす。その足で天井を伝うと、トカゲさながら壁へ移動した。逃げ場を失い背を張り付けたタイソン女史の傍らへ降りて行く。さらに二回り小さなドラゴンへ姿を変えると、光景に息をのむ女史の真横で子犬みたいな口を開いてすかさずノートへ食らいついた。壁を蹴って飛び上がる。
「ダメっ」
我に返った女史が行かせまいと、咄嗟に拒んで踏ん張った。たちまちノートは女史とドラゴンの間で千切れそうに突っ張る。
「離しなさいっ」
「くそっ」
身を起こしたアッシュも急ぎその綱引きへ加わっていた。
騒ぎに、吹き上げてくる風へサイレンの音が混じり始める。廊下もなんだか慌ただしくなって、だからロボも目を覚ましたのかもしれない。スクラップのスピーカーから声を漏らした。
「オ、オーキュ様……」
だとしてよかった、なんて言っているヒマこそない。
「ぐずぐずするなってばっ」
アリョーカもじれったそうにシーの声で唸ると、ドアの様子を確かめてる。前へ向きなおったなら、ドラゴンの体を這うように光はぬらり、走っていた。見間違いじゃない証拠にそうして打ち下ろされた翼は、タイソン女史やアッシュの体ごとノートを持ち去らんばかりの風を巻き起こす。二人の足が今にも浮かび上がりそうに床を滑った。
「やめなさぁいっ」
押し留めてあたしは「ブリャーチエ」の呪文を口にしかける。
遮り、ドラゴンからもう一つ頭は生えて飛び出した。あたしへ向かい口を開く。そこから放たれた力は魔法というより暴力そのもの。叩きつけられてあたしの体は吹き飛ばされる。
「きゃあっ」
スキにアッシュがノートをくわえるドラゴンの首へナイフをふるった。傷口から光は吹き出し、さっきと同じに崩れ始めたなら女史とアッシュは投げ出されるように背から倒れる。拍子に握っていたはずのノートは宙に放り出されていた。弾けたようにばらばらに解ける。
誰もの口は「あっ」て開くと固まっていた。でもノートが振り返ることはなく、ハイヤーエリアの高みから吹き込む風に乗ってそれきりアルテミスシティ―のどこかへ散り散りに消えてゆく。
「待ってっ」
追いかけタイソン女史が駆け出していた。
「やめろ、危ない」
叫ぶアッシュの前から首のないドラゴンも飛び立ってゆく。窓から遥か月面を見下ろすタイソン女史を、残る足でひょいって具合に掴み上げてみせた。
「女史っ」
あたしは崩れたポニーテールを跳ね上げる。駆け出すけど部屋から飛び去ってゆくドラゴンに追いつけるはずもなくて、まだ飛ぶことのできない空を前に息を切らせて立ち止まった。
「返してほしければサインか、そのサインをした魔法使いと交換だよ」
背へシーの声は覆いかぶさる。
「明日の同じ時間までだ。いい……」
振り返って飛びかかってゆくロボの雄叫を聞いていた。
「ハイヤアァーッ。アリョーカァッ。お前は同じロボットの風上にも置けませんよぉっ」
それこそインターネットでカンフーの技でも学習したのかしら。かける足払いで棒立ちのアリョーカを押し倒し、上へとのしかかって押さえ込む。
「何をするんだっ。このポンコツッ」
シーの声は響き渡って、ロボの下でアリョーカも手足を振り回した。かわすロボはアリョーカの胸のプレートの継ぎ目へ指をかけている。力任せにこじ開けた。
「分かり切ったことでございますっ。アフトワブ社のクラウドにアクセスするのでございますよっ。シー様がどこからこのようにアリョーカを操作しておられるのか、突き止めさせていただきます」
って、それ、言っちゃダメなヤツじゃない。
「くそっ」
ほらごらんなさい。シーの舌打ちは聞こえて、それきりアリョーカは魂が抜けたみたいに大人しくなってしまう。
「そんなことできるの?」
あたしはロボへ駆け寄っていた。耳からコードを引っ張り出したロボは、開いたアリョーカの胸の奥へ差し込んでる。
「どうぞ、ロボにお任せ下さい」
「やるなら急げ、ポンコツ。どうやら時間がないみたいだぞ」
アッシュがドアの方を睨んでる。
そりゃそうよね。窓はすっかり割れ飛んで、部屋はと言えば台風が吹き荒れたみたいな有様なのだから心配しない人なんていない。ドアもひっきりなしにノックされると、ただちに開けるようあたしたちを促してた。
「ロボっ」
あたしは急かす。顔色ひとつ変えないロボは作業に集中してしまって答えない。
「ていうか」
おかげで気づけた事実に、あたしの背は伸びていた。
「あたしたちはどうなるのっ?」
だって逃げ場なんてないんだもの。
だから探すアッシュは、アリョーカをロボに任せて忙しく動いてる。隣の部屋へ飛び込み、窓がなければバスルームのドアにウォークインクローゼットの扉まで開け放っていった。
「そうだな。大人しくポリスに捕まってタイソン女史が誘拐されたことを説明するのがひとつ。ただそうすれば呪文は表沙汰になるしかない。代りに隠して逃げたなら」
「タイソン女史の誘拐って疑いがまた、かけられちゃう、ってことっ?」
やっていることと結果がまるでかみ合わないのは、本当にどういうわけなの。
「まあ、こんなはずじゃなかったんだけどね」
アッシュも肩をすくめてみせる。
できやしないならあたしはロボへ声を尖らせた。
「ロボ、そっちはっ?」
「ああ、ログアウトされてしまってございますぅ」
「それはあなたがバラすからぢゃないっ」
言わずにおれない。
「尋ねられると答えるよう、わたくしどもはプログラムされておるのでございます。ええ、追えないことはありませんがオーキュ様、時間が」
その通り、ノックされ続けてたドアは今、急に静かになって強行突破の気配を漂わせてる。かと思えば「あ」とロボは小さく呟いた。
「代わりにアリョーカのシリアルナンバーから利用者情報が手に入りそうでございますよっ」
それってシーの正体が分かるかも、ってことだ。
ただガチャガチャと物々しい音を立て始めたドアがもう、これ以上を許してくれそうにない。
「さて、手に入れたところで使う機会が残されてるかってところかな」
睨みつけてアッシュも頬を引きつらせてる。
「アーッシュッ」
そのときだった。声は聞こえてくる。あたしたちは驚いて、右に左へ部屋中を見回してた。
「こっちだよっ」
言われてようやく振り返ったのは窓。
「ハップっ」
外でハップは、あの浮かぶ円盤に乗っている。
たちまちアッシュが転びそうになりながら、窓へきびすを返してた。辿り着いたなら、その縁から円盤までを測ってあたしへ振り返る。
「お嬢さん、乗るぞ」
「ロボっ、まだなのっ?」
あたしは立ち上がるけれど、ロボはまだアリョーカから離れそうにない。
「あと少しでございます」
「早くしなってっ」
窓の外からハップも急かす。
「お嬢さんから来いっ」
伸ばされたアッシュの手へ、あたしは仕方なくきびすを返した。浮かぶ円盤までは窓際から、一メートルだってないと思う。けれど肩を抱かれて見下ろした足元は、建物の乗る橋さえ小さくかすんで遥か月面まで何ひとつありはしない。本当に飛べないって不便。飛べないってただの恐怖。
「下は見るな」
言うとおりにするしかなくて、正面こそ空だけで心もとないけれど、あたしは円盤を睨みつけてこれでもかって瞬きを繰り返す。
「安定しないって言われたから、ほら、手すり、急いで取り付けてきてやったよ」
ハップが真ん中に突き立てられた棒を叩いていた。
めがけて、
いち、に、の、さん。
あたしはアッシュに押されるまま窓を蹴りつける。
乗り移った円盤は、やっぱり揺れに揺れてあたしたちは声を上げると手すりへしがみついていた。落ち着くまで待てやせず、そこからロボを呼び寄せる。耳から伸びたコードもそのままに駆け出すロボは、置いて行かれまいと涙、振りまいてるみたい。だから迷うことなく力いっぱい宙へ身を躍らせもした。
体をあたしたちは受け止める。
その向こうでドアが押し倒されていた。
ハップが降下のボタンを押し込む。
揺れの止まらない円盤は、あたしたちの悲鳴を引きずりながら月面へ向かい一直線に降下していった。
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