呪文の正体と魔女 第1話

 息をのむ。

「サインを頂きに、まいりました」

 繰り返すアリョーカがあたしを覚えている気配はない。洗練されたボディーも今じゃ最新式の鎧に見えて、使ってあたしを押し戻すと力づく、部屋へと入って来る。

「わ。ちょっ、ちょっとっ」

「サインを頂きに、まいりました」

 止めようと踏ん張るけれど、お手伝い用のアンドロイドだとしてもアリョーカはやっぱりロボット。本気を出せばあたし一人の力じゃまるで歯が立たない。

「アーッシュっ!」

 廊下からあたしは叫ぶ。

「ブぅリャーチ……、エっ」

 これでもかってくらいに力を振り絞って呪文も弾いた。体の中で血がぞわぞわ沸く。つまり魔法は戻りつつあるんだ、ってことをあたしは知る。だから意識を集中させた。いっとき廊下からアリョーカの足が浮かび上がるのを目にするけれど、残念なのはここがハイヤーエリアだってこと。重力のせいで、今のあたしの力では浮かせ続けられない。糸で吊られた操り人形みたいにアリョーカは、切れそうな魔法に力むあたしを床に引っ掛けた爪先だけで一歩、また一歩と押し戻してゆく。

「シーがっ、ドラゴンがっ、来たぁっ」

 お昼のサバサンドよ、あたしを守って。

 部屋のみんなに知らせてあたしは踏ん張った。

「おや、あれはシー様のアリョーカではありませんか」

 部屋まで押し戻されてロボのあげる素っ頓狂な声を聞く。

「な、あれが?」

 端末を耳から浮かせたアッシュが振り返っていた。

 瞬間、アリョーカの腕があたしの体を払いのける。あたしは床へ叩きつけられ、目にしたタイソン女史から悲鳴は上がった。

「大丈夫かっ」

「いっ、たぁ……」

 駆け寄ってきたアッシュに抱え起こされた時はもう、切れた魔法にアリョーカは床へ足をつけてる。つるんとした冷ややかな顔で、またもやこう繰り返していた。 

「サインを」

 けれど声が違っている。あたしの目は丸く見開かれていって、かまわずアリョーカは言い切っていた。

「渡してもらおうかな」

 シーだ。

「その声はあたなね、シーっ」

「逃げろ。ジュナーっ」

 アッシュもたちまち女史を促す。でもドアは今、アリョーカが入ってきたところにしかなくて、窓からでも飛び降りない限りどうしようもない。青い顔でタイソン女史も部屋の中をただただ後じさっている。

「助けになんて入ってくれるから、僕の予定が狂ってしまったよ」

 知って余裕な素振りのアリョーカは、いいえ、シーは言い放っていた。

「あなた、だましてあたしを利用したのねっ」

「それは君が浮かれて魔法を正しく使えなかっただけのことじゃないか。報酬につられるなんて、いずれどこかで失敗してたと思うね。持っている人はそうやっていつも、自分の事を勘違いしてるんだ。だから僕が、呪文も預かる」

 どういうこと?

 あたしは眉を寄せる。

 なら通せんぼをするように、アリョーカは両手を大きく広げてみせた。

「さあ手掛かりのノートを渡してもらうよ」

 とたんタイソン女史から悲鳴は上る。何が起きたのかってあたしとアッシュは振り返っていた。タイソン女史の一つにまとめた髪からだった。湯気が上がっているかのようにほんのりと、光は煙のように立ち上ってる。まとわりつくそれを払って、女史は懸命に手を振り上げていた。

「ロボっ」

 呼びつけるだけで意味が伝わるなんて、ロボもだいぶんあたしのお世話係が板についてきたじゃない。背中から、ロボはいつか広げてみせた傘をぬらりと引き抜いた。

「ご安心くださいタイソン様。今、ロボが参りまするぅっ」

 「きえー」なんて声を張り上げて、ばさばさと傘を閉じたり開いたり。タイソン女史の元へ突進してゆく。勢いにも気迫にも、押されて煙も女史から離れ天井へと逃げ出していった。

「少しだけ魔法が戻ってた」

 あいま、知らせてあたしはアッシュへ投げる。

 何があっても通さないって感じでアリョーカは、そんなあたしとアッシュに、傘を振り回すロボさえ追い詰め、じわじわこちらへ近づいて来た。

 そんなアリョーカとの距離を測ったアッシュの目は、てやがてあたしをとらえる。何か言いそうになるけれど、あたしこそそんなアッシュから目を跳ね上げていた。なぜって、天井へと逃げたはずの煙はそこで明らかに、光り輝きながら別の何かへ姿を変えようとしていたから。

「ああっ」

 ウロコだ。

 光はあたしがシーを助けようと、ガラスの破片で飛び散らせたドラゴンのウロコとなってゆく。それだけじゃない。窓の外に気づいたアッシュがこぼしていた。 

「な、んだ……、ありゃ」

 泡のドームの遥か彼方。確かとこちらへ飛び来る何かはある。ぼんやりした塊へ目を凝らせば、降りしきる雨粒のようにそれは次々、この部屋の窓へとぶち当たった。一面が覆われ、ガラスが震え、砕けて窓が飛び散る。うわっ、って声を上げたのはみんなが同時で、そんな声さえのみこんでそれは一気に中へとなだれ込んで来た。勢いにも、同時に吹き込んできた風にも部屋はあっという間に引っ掻き回され何が何だかもう分からない。様子は部屋に竜巻が立ったようで、竜巻はタイソン女史の髪から現れたウロコを中へと吸い上げていった。吸い上げて風の表面へ、同じウロコを無数と浮かべる。ままにザルで見たあのドラゴンへと姿を変えていった。なんて部屋に収まるくらいだからずいぶん小さくなったけれど、荒れ放題の部屋の真ん中に浮かび上がったドラゴンはただごとにない。

 見上げてタイソン女史が言葉を失っていた。

 傘を投げ捨てたロボなんて、立場が逆じゃない、すっかり女史へしがみついてしまってる。

「オ、オーキュ様ぁっ」

 と、女史の唇が動いた。

「これは……、マイクロマシン・ジェネレーターじゃあ」

 聞き逃すなんてできない。

「これが?」

「うそぉ」

 アッシュにあたしも口走る。

「面白いな。君もよく知る研究のはずなのに、その成果で盗聴されてたことに気づけなかったなんて」

 だからシーは「呪文も」なんて言ったんだって、そのときようやく理解してた。

「じゃあ、あのお屋敷も……」

 仕上がりこそビリオンマルキュール級なのだから、魔法に迷い込んでたなんて気付けなかったことにもうなずける。

「だから検出できなかったってわけか」

 残留していた魔法が少なすぎた。ハップの言い分が今さら納得できた、って言わんばかりにアッシュもこぼしてた。

「頼んでおいて悪いがハップ」

 その口を、まだ切ってなかった端末へ寄せなおすと吹き込む。

「色々と立て込んできてね。話は後回しだ」

「お願い。あなたの魔法も貸して」

 あたしは通信を切ったアッシュへまくし立てた。ならアッシュはあたしを立ち上がらせて、はにかんだみたいに頬を歪めて笑ってみせる。

「そいつはまいったな」

 小さいけれど口を開いたドラゴンの迫力は変わらない。空を飲んだなら全身をしならせ空中で一回転。大きくひねった身に連なる尾を振って、ホームランでも打つみたいにタイソン女史の傍らからロボだけを弾き飛ばした。

「ロボっ」

 ぎゃふん、とも言わず剥がれ飛んだロボは本当に鉄クズのよう。壁に当たって跳ね返り、キッチンカウンターの足元で手足を絡めて動かなくなる。

 あたしはただ息を詰まらせ、自分の指先が冷たくなってゆくのを感じ取っていた。傍らでアッシュは吐いた息と共に低く身構えてる。ドラゴンを睨みつけるとあのナイフを、ポケットから抜き出した。

「残念だけどお嬢さん、俺の血はそんなに濃くなくてね。月の重力下でようやく魔法使い、って名乗れる程度だ」

 その目がチラリ、あたしをとらえた。

「て、ことで無理しない程度に援護、頼む」

 ウインクなんて放つと、かまえたナイフの刃へと呪文をまぶした。ゆらり、淡い光を放つそれを携えドラゴンへと床を蹴りつける。

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