魔法使いの右腕

呪文の正体と魔女 第３話

「あったよ。顔を隠さなきゃならないハズだね」

　あのときハップは進まなかった塗料の分析のせいで、浮かぶ円盤を三輪車へ積み込むとある場所へ向かってたんだって話してる。アッシュからの通話はその道すがら入っていて、聞こえてきた声に大急ぎで三輪車の向きを変えるとハイヤーエリアの真下へ走ったってことだった。

　あたしたちの場所が分かったのはお得意の科学、ってことらしいけれど、案外アッシュがしばらくの間、端末を切らないでおいたのはそのためだったのかもしれなくて、お互いいいお友達ね、なんてこうしておれる今だから思ったりしてみる。

　そんなハップが最初、目指していた「キャンプラボ」は月ならではの場所。地球で言えばホームセンターなんだろうけど、除草剤やスコップの代わりに泡のドームの安全基準を満たした建材や、小さな重力下でも使いやすい工具一式が売られてた。他にも個人でそろえることが難しい機材の詰め込まれたレンタルラボも人気らしくて、借りてハップは塗料の分析を進めるつもりでいたみたいだった。

　無事ハイヤーエリアを抜け出してあたしたちは、またいつの間にか盗聴器仕様のマイクロマシン・ジェネレーターをくっつけてしまっていないか、アッシュが唱える「ススロバム」の呪文で怪しい魔法をあぶり出す。浮かび上がって来るものがなければ「キャンプラボ」の一部屋を借りると、すっかり罪を犯した者の目つきで潜り込んだ。

「アンドロイドの持ち主はダブルイ・アフトワブ。魔法を持つ十三歳。アフトワブ社、会長の息子だよ」

　真ん中の作業台で開いたラップトップパソコンはハップの持ち物。そこにはあたしが仕立てた仮面とはまるで違う顔をした男の子が映し出されてる。その顔をい指でいまいまし気に弾いたハップは、座る椅子の上で腕組みなんてしてみせた。

「三年前、地球での自動車事故に巻き込まれて大怪我。そのとき大量の輸血が必要になったけど集まらず、魔法を持たない人の血を輸血したことで一命をとりとめてる。けど、おかげで魔法をなくした。まあ、死んじゃったら持たない人ですらなくなっちゃうんだから、そうするしかなかったんだと思うけどさ」

　その隣へあたしも顔を並べて画面をのぞき込む。さらにカーソルを一つ、二つと弾いたハップは画面へ、また新しいウインドを開いてみせた。

「で、富豪のおぼっちゃま、ってだけで注目の的だね。事故に遭う前まではメディアなんかにもちょくちょく顔を出してたみたい。けど、事故後はすっかり姿を消した」

　自信満々の笑みで取材を受けているダブルイの姿に、ファッションブランドのモデルとして立つ姿。パンケーキを頬張っているスナップには年相応のあどけなさがあって、富と名声と魔法を兼ね備えた未来のホープ、なんて文字が記事の傍らには踊っている。けれどその頃ちょうどマギ校の寮にいたあたしは、そのどれもを知らなかった。

　ロボが探り出したアリョーカのシリアルナンバーからあっという間に登録ユーザーを特定したハップは、って、それって犯罪じゃないわよね、ともかくダブルイのプロフィールやニュースにネットの書き込みをざっとまとめて見せ終わると、最後に疲れた、なんてもらして椅子の中へ身を沈める。

「やるじゃん。ガラクタロボット」

　そこからロボへ振り返ると、ニッ、と白い歯を見せて笑った。

「これは、お褒めいただき光栄でございます」

「こんな有名人じゃ、誰だかすぐにもバレるから仮面を作らせたし、仮面が融けたせいでホテルへはアンドロイドをよこした。そのアンドロイドが壊れて証拠を残すのもまずいから、危ないことはドラゴンにやらせたってとこだよきっと。うわあ、セコイ奴」

　ついでにものすごい嫌味も放つ。ならアッシュもそこへ言葉を繋いでた。

「アフトワブ社ならマイクロマシン・ジェネレーターのことを知っていたかもしれない、とジュナーは言ってたが」

　そうしてあたしたちへと、それまで見ていた壁掛けのテレビから肩をひるがえす。

「あのドラゴンがマイクロマシン・ジェネレーターなら、どうやらかもしれない、じゃなくそういう事だ、ってことになる。つまりジェナーのじいさんが携わった研究を完成させるため、もう一人の研究者だった魔法使いを探してダブルイはジェナーに接触した」

「だったらそいつバカだよ。やり方が派手過ぎるもんね」

　なんてまたもや言い切るハップこそ、一度もダブルイに会ったことがないのだから呆れてしまう。

「確かにな。アフトワブ社にこそプラスになることは何もない」

「じゃあ……」

　つまり、ってあたしの中に考えは過る。

「シーが、ダブルイが勝手に？」

　そしてそれがアッシュの追う噂の正体だったのなら。

「噂の最初はバカ息子を止めろ、だったのかもしれないな」

　高い位置から画面を見下ろす目を、まんざらでもなさそうに細めてみせた。

「ってことに、アッシュはボクを巻き込んだんだよね」

　なんて肩をすくめてみせたのは、ハップ。

「まったく、コマッチャウヨ」

　どこかで見た仕草で首もまた振る。

「なに言ってんだよ。本当はもうマイクロマシン・ジェネレーター、ってやつを見たくてどうしようもなくなってるんだろ？」

　その頭を突っつくアッシュは楽しそうでならない。ならグフフ、なんてにやけてゆくハップの顔こそ見ていてちょっと気持ち悪くて、やっぱりあたしはこの子と仲良くなれそうにないと思った。

「今のところポリスはジュナーが誘拐された、ってことだけしか把握してないらしい」

　冷やかし終えてアッシュが、さっきまで見ていたテレビを指さす。

「動くなら今のうちだ」

　流され続けるニュースは前代未聞の凶悪事件発生、と言わんばかり、荒れ放題のホテルの部屋に割れてガラスのなくなった窓を映し出してた。そんな窓の外にも規制線は張られると、ホバリングするポリスのブイトールが上空への立ち入りを制限してる。

「それもこれもノートのサインを見つけなきゃ始まらないんだが。さてどうしたもんかね」

　確かに、それしか知らない手掛かりはこの泡のドームのどこかにあって、探せば絶対見つけ出すことはできるはずだけど、たとえ魔法を使ってもアルテミスシティの広さでは一夜でどうにかできるようなものじゃない。

「ああ、だったら簡単だよ」

　なのに言ってのけたのは、不気味な笑いをひっこめたハップだった。

「町の空気を循環させてる換気口に吸い込まれてるんじゃないかな。あの高さだもん。下に落っこちるよりそっちの方がずっと近いよ」

　その指はもうパソコンのキーを軽快と弾いてる。

「あなた、頭いいのねぇ」

　いったい何が始まるんだろう、って再びあたしは釘付けになっていた。

「それ、魔法使いがバカだってことなんじゃないの？」

　これでもかって頬を膨らませたところで、見向きもしないハップから「あった」と声は聞こえていた。同時に椅子から飛び降りたハップは、カバンをまさぐりジャックのついた小さな機械を取り出している。ジャックをパソコンへ差し込むと、機械だけを作業台の真ん中へ据え置いた。アルテミスシティを模したホログラムは、そんな機械から立ち上がる。ミニチュアの町は淡く輝いて、さらに覆って周囲へエアコンディショナーの配管もまた張り巡らせていった。

「すごい。こんなふうになってたなんて」

　泡のドームの屋根を這う配管なんて網の目のよう。

「僕らの体と同じだよ。全ての空気はアルテミスシティーの生命維持センター、心臓部のエアコントロール室を通って循環してる。で、吸い込み口の換気口は……」

　説明するハップの指は迷ったその後、ドーム天井のひとところを指して止まった。

「ここじゃないかな。あのホテルに一番近い」

　持ち上げたアゴでアッシュへ振り返る。けれどあたしはといえば、ハップの指し示す一点へ目を寄せると、だからこそ無視できない大問題を口にしてた。

「でも、どうやって行けばいいの、ここ」

　だってその場所はハイヤーエリアにあるホテルの最上階よりもずっと上。空を覆うドームの天井だもの。月面からだととんでもなく高い場所で、今のあたしの魔法じゃ飛べず、アッシュの血ははそこまで濃くない。だからってブイトールは駐車場へ置いてきたままで、しかもさっきの騒動で規制線の張られたハイヤーエリアへはもう勝手と紛れて潜り込めそうもなかった。

「さっきの円盤じゃだめなのか？」

　アッシュがハップへ尋ねる。

「さすがにそこまでは。ハイヤーエリアの橋の上からなら届くかもしれないけど」

　聞かされ作業台へアゴを乗せるほどに屈み込むんだアッシュは、しばし恨めし気とホログラムを眺めて口を結ぶ。

「橋の上なら、ねぇ……。しばらくあそこには近寄りたくないな。それにそもそも無許可で維持センターへ潜り込むのはテロ行為だ。さすがにそれはマズいな」

　うーん、と唸った。

　それきり続いた沈黙を埋めてハップがホログラムのスイッチを切る。

　泡のドームは作業台の上から消え去って、のぞき込んでたあたしとアッシュの目は合った。おかげでなんだか何か言わなきゃいけない気持ちに急かされたのは、気まずい、ってことみたい。

「さ、さっきは、ありがとう」

　まだ言っていなかったお礼をとにかく口にする。

「そりゃ間違いじゃないのかい、お嬢さん。助けに現れたのはハップだし、肝心の手掛かりもジュナーも失った」

「かもしれないけど」

「ここから先はハップとでやるよ」

　ハップはもう機械をカバンの中へ戻してる。

「巻き込んで悪かったね。ジュナーは必ず明日、お嬢さんの船へ連れてゆく。お嬢さんは彼女とうまく話を合わせて疑いを晴らせばいい。もう一人の魔法使いと呪文をどうするかは、そのとき考えよう」