そこにあの人は立っている。あたしの脳裏に「やられた」なんて声が過ったのはそれから。でも言う通りだったのだから、たとえお屋敷へ案内させるため憎まれ口をたたいていたのだとして、怒っている場合なんかじゃなくなる。

「だって、知らなかったんだものっ」

　あたしは精一杯に訴えた。じゃないと、魔法使いみんなの信用にかかわる。そのためにも道を踏み外さないようマギ校で、みっちり心構えを学ばされたはずだった。おばあちゃんだって「おごらない、ひねくれない、惑わされない」を繰り返してたのに、そうやって長らく魔法使いの名誉に信頼は守られてきたというのに、あたしはうっかりそれを傷つけてしまった。

「いいえっ」

　と、たまりかねたように声を上げたのは隣にいたロボの方。

「全ては勝手に依頼を引き受けた、このわたくしに責任があるのでございますっ」

　抜けて落っことしそうに頭を下げる。

「有難いが、ロボットが謝ったところで魔法使いの名誉に信用を守ることは無理ってところだ。それができるのは魔法使い本人だけだからね」

　慰めてまたその肩を叩くとその人は、あたしの方へ歩み寄ってくる。隣に立つとフェンスへ寄りかかりじっと中を覗き込んでみせた。

「ここが、ね」

「あたし、今からポリスへ話してくるわ」

　その横顔は真剣で、抜け目なさそうな目が敷地を隅から隅まで見回してる。

「そいつは、よした方がよくないか」

　言われてた。

「お嬢さんは仕事で仮面を用立てたんだろ？」　

　そうしてポケットから小さなカメラを取り出すと、慣れた手つきでぱしゃぱしゃ、シャッターを切り始める。

　どういう意味だろう、なんて様子を眺めながらあたしはぼんやり考えた。気付いてたちまち大声を上げる。

「ぎゃー、ロボっ。今すぐあのお金、シーへ返してっ」

　そう。お金をもらっておいて騙された、なんて通じるはずがない。

「ぬぁはっ、そうでございましたぁっ」

　ロボもひっくり返りそうに身をのけぞらせて、大急ぎで耳を回した。けれど手は次の瞬間にもぴたり、止まる。

「オーキュ様、それは無理でございます」

　なんて振り返った顔に表情がないのは、そういう造りだからよね。

「いただいたお金はもう、宿泊代やオービタルステーションに船のレンタル料お支払いへ」

　忘れてた。

　あたしの背後にも、とたんドームの外へ吸い出されそうな効果線は走る。

「それと」

　傍らに、今度はナイフを取り出したその人が付け加えてた。

「現場で魔法を帯びた遺留品がふたつ回収されてる。覚えは？」

　もうあたしのアゴはぷるぷる、震えが止まらなくなる。

「あり、あるけ、ど……？」

　きっとドラゴンのウロコと、飛ばして剥がしたあたしのガラス片だ。

　するとナイフの刃を起こしたその人は、フェンスの隙間へ切っ先を差し込んで、どうにか届いた看板の塗料なんかを削り始めた。

「なるほど。ならそいつは今日にも残留呪文の鑑定に回される。判明したものが最終的にあの場にいた誰のものとも符号しなければ、持ち主は現場から立ち去った重要参考人ってことで間違いなく手配されるね」

　塗料は薄いうえ軽くて、小さな重力のもと飛び散らないようその人は慎重な手つき。器用に塗膜を刃先へ乗せて引き戻したなら、息さえ止めて取り出したチリ紙に拭い取ってた。大事そうにたたんだそれを、ナイフごとポケットへねじ込む。

「それでもポリスへ？」

　あたしへと、一仕事すんだ視線を投げた。

「オ、オーキュ様ぁっ……」

「もう、おしまいだ、わ」

　あたしの顔は石みたいになって、ロボもあたしへすがりついてくる。

「って言うだろうと思っていたから、ここでお嬢さんに朗報をひとつだ」

　見計らって高らかと口を開くその人は、まさに悪魔そのものだった。

「聞いてみる気は？」

　確かめられて過るのは、きっと何か企んでるんだわってことだけど、拒めるはずない。あたしはワラにもすがる思いで何度だろうとうなずき返した。

「ならシーの情報と交換だ」

　見て取り、ようし、って具合でその人は、あたしの手を取る。

「一人だけ、お嬢さんの無実を証言してくれる人物がいる」

　座り込んでいたあたしを道端から引っぱり上げてふわり、地面へ両足をつけなおさせた。

「そこまでお嬢さんをご案内だ」

　そんな人、いたかしら。

　記憶を辿ってまたもやあたしは大きな声を上げていた。

「タイソン女史っ」

　だってあたしが女史を助けたんだもの。女史ならドラゴンの仲間じゃないって、証明してくれるはず。

「あなた、何者？」

　言わずにおれない口調は自然、固くなってた。なららその人はパチン、と指を鳴らしてみせる。そこに一枚の紙切れは呼び寄せられると姿を現し、小さな重力に空を滑ってあたしの前へと降りてきた。

魔法技師労働者組合　調査員

アッシュ・ワッツ

　紙にはそう書いてある。言葉は初めて耳にするもので、読み上げたあたしがどうにか口の中で転がしていたならロボはすっかり学習したみたい。すかさず耳を回すと調べてくれた。

「ございました、オーキュ様。魔法技師労働者組合は、企業に勤める魔法使いらが組織する技師組合を一つにまとめた組織の名称でございます。働く魔法使い全ての権利を守り、より良い環境での労働を目指す組合、と説明書きがございます」

「お、やるね」

　冷やかすその人、アッシュはそれでも少し嬉しそう。

「そこで労働環境改善に伴う調査をやっている。魔法は生活に欠かせないうえ魔法使いは誰かさんみたいにお人よしが多いからね。劣悪な環境で不当に搾取されている場合も少なくないのさ。その訴訟や交渉に備えた事実確認や証拠集めをしてるってわけだ」

　そうしてまたひとつ、指先を弾いた。とたん紙切れはあたしの指をすり抜けると、勝手にバルーンパンツのポケットへ潜り込む。

「魔法が戻ったら、お困りの際はそこから連絡を」

　やっぱりこの人、図々しい。　

「今は予定されているとある交渉に、企業がとんでもない条件を突き付けてくるらしいって噂の真相を探っててね。辿ってジュナー・タイソンのところまできた。企業が強気な理由はどうやら彼女にあるらしいのさ。魔法使いたちのためにも突き止めて帰るつもりでいるが、まさか企業より先にドラゴンが彼女へ接触してくるとはね。ただの偶然とは思えない。そのうえ追いかけて、お嬢さんまで現れた」

「そのお嬢さん、っていうのはやめてくださる？」　

　なんてあたしも不躾になっちゃうのは、きっとこの人のせいだわ。　

「あたしの名前はオーキュ・ハンドレッド。それからこっちはあたしのアシスタントで、おばあちゃんの魔法で動いている形見のアンドロイドでロボよ」

　紹介する。

「なるほど。どうりで懐かしい感じがすると思えば、御高齢者の魔法か」　　

　合点がいったように目をやったアッシュは、その目をあたしへ向けなおした。

「これで取引は成立かな」

　なんだかいちいちバカにされてるみたいな気分。

「ええ、十分よ。協力させていただくわ」

　だからめいっぱい反らした胸で答えて返す。

「ようし、他に寄り道もあることだし、その間にもジュナーが地球へ帰っちゃ手間だ。腹ごしらえしながら急ごう」

　とたん宙を撫でるみたいに振った手で、何の断りもなくあたしの体を宙へ持ち上げる。

「わぁっ」

　様子に驚いて差し出したロボの腕の中へ落っことした。かと思えばそんなロボごと魔法で滑らせ歩き出す。

「おお、これはらくちんでございます」

「そういう問題じゃありませんっ」

　憤慨するあたしをそのままに、アッシュはロボを引き連れ戻ったバス道を横断する。

　お昼が近いアルテミスシティの町並みは賑やかそのもの。空を飛び交う魔法使も忙しそうで、その下に現れたパラソルの並ぶ商店街でスタンドへ頭を突っ込んでみせた。やがて中身がはみ出すくらい立派なサバサンドを二つ、手にして戻ってくる。

「血には背の青い魚と睡眠が一番だからね」

　一つをあたしへ渡した。人目をはばかることなく、さっそくアッシュは自分のそれへかぶりつく。

「おいおい、美容がどうとか気にしていたら、戻る魔法も戻らなくなるぞ」

　ずっしり重いサバサンドにあたしが目を丸くしたきりなら、振ったアゴでうながし人がごった返す商店街を歩き始めた。

　もちろんそんなことにでもなれば一大事。歩きながらいただくなんて、なんてお行儀が悪いのかしらってうんざりだったけど、これでもかって大口であたしもサバサンドへかぶりついた。そのココアにも負けないくらいのおいしさったらない。ジューシーなサバのフライに魔法のひとつやふたつ、今すぐ戻ってきそうに思えてくる。ふんわりホイップされたタルタルソースに、色んな事があり過ぎて穏やかにはおれなかった気持ちもゆっくりほどけてゆくようだった。

　ままにシーについてを投げかけられる。あたしはタイソン女史の事も何もかもがきっとうまくいくに違いない、って心地で話しだしていた。