失敗と魔女 第2話

「……残された呪文の構造解析を進めています」

 モーニングショーの司会者の声だ。そう思ってた。それから空調が入る時のカチ、という微かな音と、二つの音階が行ったり来たり。単調なこれはテレビ電話の着信音よね。そう、約束してたんだった。早く出ないと。

 浮かぶのはパパとママの顔で、あたしはともかく動き出す。

「ご安心を」

 前へロボは現れてた。

「わたくしが留守録に切り替えさせていただきました」

 あるはずのない舌をちちち、なんて鳴らして、やんわりあたしを押し戻す。おかげで今さら気づけたのは、いつの間にかオービタルステーションに停泊中の船へ戻ってるってことで、備え付けの書き物机とロッカーにバスルームがあるクルーキャビンに固定された寝具の間へ、あたしはサンドイッチされていた。

「ここは」

「はい、船でございます。帰ってまいったのでございますよ。魔法が戻るまではゆっくりなさるのがよろしいでしょう」

 呼び出し音が途切れて留守録に切り変わってる。話し出したパパとママの声はいつもより遠くから聞こえていて、耳にしながらあたしは使い過ぎた魔法のことを過らせた。

 以前にも一度、同じように血を焦がしてしまったことはあったけど、それはまだ自分の限界をよく分かっていない頃の事だった。比べたら今回は確信犯で、もっとやり過ぎたって感じ。証拠に魔法を使えない体はすっかり無重力の中で浮かんでしまうと髪なんて大爆発、四方八方に散ってる。

「お、お目覚めかい」

 呼び掛けられて心臓を跳ね上げた。

 目をやればそこに男の人は立っている。いつの間にか開いていたキャビンのドア前から派手なピンクのシャツなんか着て、こらちを見てた。様子にあたしが叫び声を上げたのは、こんな人を中へ入れた覚えなんてないから。続けさま放った呪文ももう条件反射で、とにかく動かせるもの全てをその人めがけあたしは飛ばす。

「わっ。待った、待った」

 はずが、靴と時計が浮かび上がっただけ。

「そうでございますよっ、オーキュ様。こちらの方が、わたくしどもを助けて下さったのでございますっ」

 そう、今のあたしに魔法は使えなかった。そんなあたしの前へロボは飛び込んで来る。慌てて宙から靴に時計をむしり取った。

「でなければ今頃わたくしどもはあの勢いでヨソ様のお宅に大穴を開けていたか、粉々に砕けておったところでございました。そこをこちらの方がブイトールで回収して下さったのでございます。しかも船へ戻る手続きのお手伝いまでっ」

 まくし立てたロボはたまりかねたみたいに突然わぁっ、と泣き始める。

「何しろロボはどのステーションでも手荷物扱い。これほど我が身を不甲斐なく思ったことはございませんでしたぁっ」

「わかった、わかった。まったく人間臭いね、このロボットは」

 なんてその人が部屋へと足を踏み入れる。ロボの肩を叩くとあたしの方へと歩み寄ってきた。その手にはあたし専用のマグ。

「ココアが好物だって聞いたんでね」

 サイドテーブルへと置く。

「魔法はかけてある。飲んでも散ったりしない」

 その少し前屈みになった額へと無造作になでつけられていた髪ははらり、かかって、見上げてあたしは寝具の中へと隠れるみたいにもぐり込んだ。

「おっしゃる通りでございます。さあ」

 鼻をすすり上げるロボに引っぱり出されて両手にマグを握らされる。

 立ち昇る湯気があったかかった。大好きなチョコの匂いの向こう側で茶色の液体もかけられた魔法にとろん、と大人しく揺れている。目にしたとたんお腹が空いてくるなんてはしたないと思うけれど、昨日の夜も今朝だってまだ何も食べていないんだから仕方ないじゃない。ここにも強力な引力はある様子。引き寄せられるまま、あたしはマグへと口をつけた。

「……おいしい」

「それはよかった」

 うなずいてその人は、放り出されていた椅子へとまたぐように腰かける。前と後ろを逆さに、背もたれへ両手を引っ掛けると上へアゴをもたせかけもした。そうして、今にも百メートルダッシュしそうなラインの入った靴ごと足を投げ出す。

「さあオーキュ様からも、これまでの事へお礼を申し上げてください」

 促すロボにはそのとおりとしか思えない。

「ありがとう、ございました」

「ま、お嬢さんはぺしゃんこにならなくてよかったし、こっちはそんなニュースに出くわさなくてよかった、ってとこかな」

 頭を下げればあたしの方こそロボットでみたいでため息しかでず、体を傾けその人は、そうして下げたきりのあたしの顔をのぞき込む。

「で、またどうしてお嬢さんはあのドラゴンを追いかけたりしてたのかな」

「それは……」

「そこのアンドロイドは自分からは言えない、って、やたらしっかりしててね」

 口ごもるあたしにその人はロボへ視線を流し、ロボはそこで胸なんて反り返らせてみせていた。だから思い出すことにあたしはただただ、がっかり肩を落とす。

「それはシーが捕まってしまったからで」

「シー?」

 聞き返されて顔を上げた。

「シー・アッサライクム。あたしに魔法を依頼した方です。その方がドラゴンに連れ去られようとしていたので追いかけていました」

「つまり、その」

 言い方が悪かったのかしら。その人は飲み込めないって感じ。

「お嬢さんはポリス、ってことかな」

 もしかしてこの人、思ってるより頭、悪い?

 言えやしないからあたしは誰にも顔を見られたくないっていうシーの事情を、だけど同じ協会員で憧れのタイソン女史に会いたくてあたしの元へ依頼をよこしたことを、引き受けあたしは魔法の仮面をかぶせてザルまでご一緒したなたらあんなことになってしまったことを、かいつまんで話していった。

「魔法は半日くらいしかもたないんです。きっと今頃はもうけて素顔は晒されてしまっているかも」

「だから心配でドラゴンを追いかけてた」

 ようやく理解したみたい。結んだ唇をその人は、それでもまだ何か言いたげに尖らせ鼻を鳴らしている。

 おかげでもしシーが、もう一生、外へ出たくない、なんて思ってしまったらどうしよう。それもこれも中途半端な魔法しかかけられなかった自分を呪う。それこそただの悪い想像だと気づいて縮めていた眉を開いた。

「あのあとドラゴンは捕まったんですかっ。シーは? 男の子は保護されたんですか」

 だけど返事はあっけない。

「いや、ドラゴンはあれきり行方不明さ。ちょっとあれは追いつけないな。とんでもない魔法使いか、それとも完全な機械仕掛けか。どちらにせよ今、ポリスが探してるってところ」

 サイドテーブルにあったリモコンを取るとその人は、すかさずテレビをつける。チャンネルを探さずとも映し出されたザル一帯にはドラゴンがまき散らした残骸が無数と浮かんでいて、回収する小型のブイトールが網をぶら下げ懸命に飛び交ってた。

「あのときシーも一緒に掴めばよかった」

 こぼしたのは後悔以外のなにものでもない。

「一緒に? 他に誰か」

「タイソン女史です。会場に入ったときドラゴンに襲われそうになっていて。シーはそんな女史をかばってました。だからあたしもタイソン女史を先にドラゴンから引き離すことに」

 鋭い口調で尋ねられ、あたしも咄嗟に答えて返す。ならその人は、やおらズボンのポケットから端末を抜き出した。少し難しい顔つきになると画面を突っつき始める。

「今頃どこで何してるんだろう。地球のご家族だってきっと心配してるはずだわ。途中で消えるくらいの力しかないなら、仮面なんて引き受けなきゃよかった。あたしが連れ出して危険に晒したような……」

「その必要はないと思うな」

 遮られてあたしはしゃっくりしたみたいになる。

 前へ、端末は突き出されてた。

「次世代サイエンス協会。ざっと目を通したところじゃ、その会員名簿にシー・アッサクライムの名前はないな。コンテストに出られるのも選抜された優秀な協会員だけってことらしいが、次期コンテストのエントリーリストにもシー・アッサライクムなんて名前はない」

 会員名簿とか、選抜とか初耳で、え、とあたしは目を丸くしてしまう。

 でも協会は、確かにサイトで名簿にエントリーリストを公開していた。その人は指先でスクロールさせてどこにもシーの名前が上がってないことをあたしに確かめさせ、隣でロボも急ぎ耳を回すと検索する。

「それから教えておけば」

 なんて言葉を継いだのはやっぱり、その人。

「昨日の騒ぎで出た負傷者は五十名あまり。参加者は未成年がほとんどだったためニュースを見た保護者から問い合わせが殺到だ。安否確認はずいぶんスムーズに進んだってことらしい。けれど半日経った今、行方不明になった誰かがいる、って話は出ていない」

 だから何が言いたいの。

 あたしの頭は混乱してる。

 なのにロボも視界の端っこで、確認し終えた名簿にふるふる、首を振り返してみせていた。

 かぶせてその人はこうも続ける。

「シーはドラゴンの仲間じゃないのかな。連れ去られたんじゃななくて逃げられた。この場合、そう解釈するのが正しそうだね」

 あたしの目は丸くなるどころか瞬きを忘れて、その人は端末の向こうからそんなあたしのをのぞき込む。

「だから誰も探してない」

「……まさか」

「おそらくお嬢さんは、ザルを襲うそいつの正体を隠すために魔法を利用されたってこと。っていうか」

 まさか、ってあんぐりするあたしの前から端末は引き戻されてく。やがて体を傾けたその人のお尻のポケットへ押し込まれていた。

「そもそもSNSなんかで何でも屋なんて仕事をとっちゃあ、ダメ。しかも新米なんだからアブナイ、アブナイ。まあボルシェブニキーなんて坊ちゃん嬢ちゃんだから仕方ないか。ただ世の中」

 というか、どうしてあたしが「新米」だって分かるの。

 過ったとたん襟元で誇らしげに光るピンバッジに気づく。

「そう良い奴ばかりじゃなんだってことは覚えといた方がいいな」

 急ぎ握り絞めて隠せば、アドバイスのくせにヤな感じしかしない言葉へあたしはきつく眉をひそめていった。

「しかもこんなに簡単に調べがつくのに」

 と、とどめとその人は、そんなあたしの前でがっくりうなだれてみせる。

「身元ひとつ確かめず引き受けるとはっ。魔法使いはほんっ、とにお人よしが多いねぇ」

 吐き出し、めくるように顔を持ち上げる。そこからあたしを見据えてみせた。

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