失敗と魔女 第1話

逆らっているのはあたしの方なんだから、押しのけ、かわして、もみくちゃにされながら抜け出す。丸く座席の並んだ会場には、ザルの瓦礫と割れた天井のガラスが無数と散らばり浮かんでた。様子はまるで会場がひっくり返したお土産のスノーボールになったかのようで、陥れた張本人はといえば舞台にいる。ドラゴンは一匹、天井を破り降り立ったばかりと翼を広げ、覆うウロコをプラチナみたく光らせていた。人ごみを抜け出たあたしは勢いあまって突っ込みかけ、どうにか押し止まるとあんぐり見上げる。

「ひゃっ」

 視界を切り裂き振られた尾に、慌てて首をすくめた。小さな重力の中で上へ下へと逃げ惑う人に魔法使いたちを、浮かぶ瓦礫にガラス片を弾き飛ばす。おっつけ飛び来る瓦礫は背後の壁へめり込んで、あたしはひとたび身を縮めてた。

「……ぶ、なあぁいっ」

 光景に、おかげで目と、自分が魔法使いだっていう自覚もまた醒めたみたい。だいたい本日お集りのみなさんは科学の申し子。腕に覚えのある魔法使いこそいない様子。ならここであたしがやらなきゃ誰が代りをするのかしらってハナシのようで、どう考えてみたところでドラゴンなんておとぎ話の中の生き物は、魔法の仕業だとしか思えない。つまり魔法使いの失態を、その名誉を守るためにも同じ魔法使いとして放っておけるはずがかった。

「誰よいったい、こんなことっ」

 ただ一つだけ気になることがあるとすれば、こんなものを組み上げちゃうくらいの魔法使いなんだからビリオンマルキュール級かもしれないってこと。だからといって怯んでる場合でこそない。

「シーっ」

 探してあたしは声を張る。

 競うようにドラゴンも喉を震わせた。咆哮は会場をザルごと吹き飛ばしてしまいそうなほどで、ものすごい質量の魔法に空気さえもがビリビリ震えた。

 まとわせドラゴンが足を踏みかえる。

 おかげであらわとなったドラゴンの足元に「あっ」ってあたしは声を漏らす。受賞式に備えておめかしすると、長い髪を編み込んだタイソン女史はそこにいた。お顔は女史好みの仮面を作るためロボと色々調べたんだから間違いない。演台を掴むと今にも倒れてしまいそうに、仁王立ちするドラゴンを真上と見上げてる。支えて傍らには寄り添うシーの姿もあった。

 きっと助けに向かったんだわ。

 なんて状況把握してるうちにも、ドラゴンの長い首は二人めがけて降ろされていった。

「プリャーマ 、ブイストロっ」

 弾いた呪文は最速を極める。

 瞬間、打ち出されてあたしの体は弾丸のように女史へと飛んだ。行く手に破片が浮遊していたなら、続けさま放つ「ブリャーチェ」の呪文で左右に弾き飛ばす。

 そう、マギ校でオール五のあたしの飛行技術は宇宙船なんてゴツイ物を飛ばすより、断然こちらの方が得意なの。証明して、すばしっこい的を追いかける「ウサギゲーム」の授業では負け知らずだったテクニックを、今こそ生かせるというものだわ。

 まあ、見てなさい。

 振り戻されてくる尾を右肩にかわした。

 それきり床すれすれを這うように飛んで距離を詰め、魔法で床をひと思いと押し出す。

「タイソン女史っ、こちらですっ」

 舞台へ踊り上がったならすれ違いざま、女史へ向かい手を伸ばした。

 声にアゴを引いた女史が、仰いでいたドラゴンから振り返る。

 目と目が合ったならあたしは女史の腕を、力いっぱい掴んだ。引っ張り上げて離すもんかと一気に上昇。かっさらうと、ドラゴンの体に沿って背へ回り込むように飛ぶ。

 阻んでドラゴンはまた尾を振るけど、空間把握は大好物なのよ。大縄跳びみたいにその下に上を、あたしは女史と一緒に一回転、二回転、身をひねりながら潜り抜ける。そうしてあらかたの人が逃げていった扉の前へ女史を下ろした。

「シーっ、タイソン女史はもう安全よっ」

 振り返りざま叫ぶ。

 でも聞こえていないようなシーはこちらを見つめたきり、動きそうにない。つまりもうワントライ決めなさいってことなら、見定めあたしは「プリャーマ」の呪文で再びドラゴンへ身を打ち出した。

 はずが、大きな何かは行く手を遮り降ってくる。強烈な風は吹きつけて、あたしの体は糸くずみたいに吹き飛ばされてた。

「きゃあっ」

 容赦なくもうひと吹き。

 厚みさえ感じる風に翻弄されると、どちらを向いているのかあっという間に分からなくなる。探してアゴを持ち上げた。舞い飛ぶ瓦礫の向こうに大きな翼を打ち下ろすドラゴンの姿はある。まさに体は空へ浮き上がろうとしているところで、シーは握りしめられた前足の中にいた。

「ブリャーチエっ」

 漂うガラス片をとっさに呪文で捕えてた。シーを掴むドラゴンの前足めがけ弾き飛ばす。ガラス片はナイフさながらドラゴンの前足を貫いたけどウロコが飛び散っただけで、あっという間に傷口は塞がるどころかウロコさえもが生えそろってしまっていた。

 ドラゴンがザルの天井から飛び去って行く。

「シーっ」

 遠のく姿に風もだんだんおさまってきて、なぶられていた体をあたしはともかく立て直した。すっかりボロになったワンピースをひるがえし、もう誰もいない会場からエントランスへと抜け出す。そこにはもうアルテミスシティのポリスが駆けつけていて、みんなを安全な場所へ誘導していた。ネイビーの制服が混じる、さっきまでとは異なる混乱を見回しあたしはおろおろしているロボを見つけだすと、めがけて空を滑った。

「オーキュ様ぁっ」

「ちょっと借りるわよっ」

「はいぃっ?」

 気付いてあたしへ手を振り飛び跳ねたロボの体をひっ掴む。

「あたしじゃ軽すぎて吹き飛ばされるの」

 呪文を唱えなおした。

「モジーナ、レチーテっ」

「お、おおお、おっ」

 意に反して浮き上がってゆく体の所在なさに、ロボが手足を振り回してる。放ってあたしはその背へ飛び乗った。乗って立ち上がったなら、もちろん追いかけるんだから速度は全速力に決まってる。胸いっぱい吸い込んだ息を低く静かに吐き出した。

「……プリャー、マっ」

 ムチを入れたかのごとく滑り出したロボの体はサーフボード。

「どいて、どいてぇっ」

「ぎぇぇぇぇっ」

 ロボの叫び声を引きずって、あたしはおまわりさんの頭上を、逃げ出してきたみんなの中を飛んだ。ザルから飛び出し、両翼を打ち下ろすたびぐん、と加速してゆくドラゴンの姿を空にとらえる。睨みつけて後ろ足を強く踏み込んだ。ほんと、ロボットなのにどうしてこんなに怖がりなんだろう。また違う種類の悲鳴を上げるロボと共に、のけ反った体もろともドームの天井まで一気に空を駆け上る。

「ひーっ。いっ、いったい何をなさっておいでなのですかぁっ、オーキュ様っ」

 赤色灯を回転させたポリスカーも追いかけて来てるけど、みんなシーのことはきっと知らない。

「シーがあのドラゴンにさらわれたのよっ」

「シー様がっ? どうしてそのようなことにっ」

「女史を助けようとして巻き込まれたんだと思う」

「ドラゴンがタイソン様を? どういうことでございますかぁっ」

「それは後回しっ。いいっ、覚悟なさい。限界まで飛ばすわよっ」

 矢継ぎばや唱えるのは「ヴォリシ」の呪文。あたしはさらに速度を上げる。

「ぅひゃああっ」

 風が胸を強く押していた。

 でもスピードはまだ足りない。

 さらに呪文を重ねて加速する。

「あ、ぶぶぶ、ぬぶぶぶっ」

 向かい風になぶられたロボの体がブルブル震えて、もう何を言ってんだかよくわかんない。そんなロボの体から、もげて部品も飛び去ってく。

「おばあちゃんの魔法でしょっ。まさか分解なんてしないわよねっ」

 だけどドラゴンとの距離が詰まらない。離されたくなくて、あたしはとにかく呪文を積んだ。

 なら行く手でドラゴンの手足は、掴んだシーごと体の中へ引っ込められてゆく。どういうこと、と驚くうちにも巨体は小さな楕円へ姿を変えて、最後、はばたいていた翼だけを残すと白い飛行機となった。なって後方に現れた動力へ火を入れる。ずいぶと小型だけれどかなり高性能みたい。ぽっ、と青い光が灯ったとたん見せつけたのはロケット並の加速だった。

 冗談でしょ。

 追いかけあたしも唱えられるだけの呪文を振り絞る。かかる負荷に沸く血が体で踊り出し、鼓動は早鐘と鼓膜を叩いて視界が狭く小さく縮まっていった。けれど諦めてしまえば大変なことになるのはあたしよりきっとシーの方なのだから、緩めるなんてできはしない。近づく臨界に体も淡く発光し始める。

「ぶ、ぉおー、きゅざ、まぁっ、ぅぶぶぶぶぶ」

 見て取ったロボも風になぶられながら、うろたえてた。

「お取込み中のところ、申し訳ないんだけどねっ」

 なんて、さなかにかけられた声はごく近くから。

「お嬢さんはそのなんだっ、そのディスポロイドでドラゴンを追いかけてる、ってとこかなっ」

 見ればいつの間にかブイトールが一機、あたしと並んで飛んでいる。その操縦席から誰かは身を乗り出すと、あたしへ向かって声を張り上げていた。

「それはちょいと無理だと思うんだけどねっ」

 だとしてかまってる余裕なんてない。

 あたしは振り切ろうとただ力んだ。

 瞬間、耳の奥で、きゅう、と小さく音は鳴る。

 あちゃ、と気づくけどもう手遅れってこと。

 合図に狭まっていた視界は完全に閉じて、オーバーワークにあたしの中で魔法も焼き付く。証拠に周囲の風景は白く飛ぶと、その白に塗りつぶされて沸きかえっていた血の感覚も、切り続けた風の重たさも、上下さえもがあたしの周りから消え去った。それは突然、宇宙にでも投げ出されたような感覚で、入れようのない力にすっかりぷっかり、浮かんだ気分。

 果てに地球だったら墜落するはずなんだけど。

 でも月の重力はその六分の一しかないのだから。

 ええっと、ええっと、どうなるんだっけ。

 もう頭も全然回らない。

 回らないまま全てを成り行きに任せる。

 ロボがどこかで懸命にあたしの名前を呼んでいた。

 そりゃあそうよね。ものすごいスピードで移動していたんだから。

 思いながらそれきり、あたしは投げ出された宇宙に溶けていった。

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