依頼と魔女 第4話

思わず見入ってしまったのは、何もかもが想像以上の仕上がりだったから。グリーンのチェックが入った茶色のトラウザーパンツに、アイロンがしっかりかかったブルーシャツ。トラウザーパンツに合わせて履いたチャッカブーツだってどんな顔をつけるのか知ってたみたいにお似合いで、久しぶりのお出かけにお洒落もサマになってる。ままにシーはクルリ、一回転すると笑ってみせた。その笑顔は仮面が作り出したものとは思えないくらい自然でパーフェクト。

 いいえ、自然どころかとても魅力的でさえあって、ロボもあたしの隣で盛んに手を叩いてる。聞きながらあたしは自分の魔法がこんなにも役に立つことを、あたしってやればデキル子だってことを、頭の先から足の先までめいっぱいに味わい尽くした。それはもう、あふれだして小躍りしそうなくらいに。

 けれど魔法使いだからこそ、ここは冷静に。

「とてもお似合いですよ。シー」

 小さく微笑み返す。

 会場までは付き添うのは依頼でもあったけれど、万が一にも仮面に不具合が起きた時に備えてで、シーはアリョーカの運転するEV車で地上から、あたしはロボをぶら下げ空から会場へ向かった。

「おや、見えてまいったようでございますよ」

 ずいぶん大人しく飛んでいられるようになったロボが、連なる泡のドームの先を指さす。ドームはそこだけが位置を知らせて深い紫に色を変えていた。包まれて一帯は夜かとしっとり憂いを帯び、建物はひとつ、ただ中でキラリと光を放っている。

「あれがアルテミス・ザルでございます」

 山型のパンみたいな建物だった。光っていたのはその前方、ガラス張りになったエントランスの方で、まるで砂糖細工のよう。

 目指してシーのEV車は走ってゆく。

 他にもザルへ向かっているに違いない、近づくほどに車や魔法使いがあたしたちの周りに増えていった。放送局のものかしら。すでに到着しているブイトールも、機体の周りにファンを幾つもつけたような垂直離陸機のこと、ザル上空を旋回している。

「わあ、賑やか」

 魔法使に専念していたせいで科学のことは疎いのだもの。まさかこんなに注目されている式だなんて知らなかったとことは恥じるほかない。

「このさいだからしっかり見物もしておかなきゃ」

 シーのEV車がザル前のロータリーへ吸い込まれてゆく。ならってあたしも空に浮かぶロータリーのコーンをなぞると、螺旋を描いてザルへ、夜の中へと降りていった。ちょうどと車のドアを開いてシーが降りてきたなら、その隣へ降り立つ。互いが目配せし合ったのは、どちらからともなく。合図に歩き出すと、ガラス張りのエントランスへ足を踏み入れた。

 中ははまるで舞踏会でも始まりそうな雰囲気。きっとサイエンス協会の会員たちばかりね。着飾ったシーと同じ年頃の子供たちが行き交ってる。進んだ先に会場へ続く分厚い扉は幾つも並んでいて、訪れた誰もは押し開けると奥へ姿を消していた。

 もちろん辿り着いたシーも扉へ手をかける。押し開けたなら何重にも輪を描いて並べられた座席はてのぞいて、その中心に今日の主役が立つ舞台が見えていた。その舞台の真上だけがエントランスと同じガラス造りになっている様子。ドームから降り注ぐ青い光がスポットライトのように舞台だけを照らしてる。

「シー、わたしはここで」

 もちろん、ついて入っちゃうほどあたしも図々しくはない。半歩下がってシーへ伝えた。

「ぬアゥ。オ、オーキュ様っ」

 というか、堂々入りかけていたロボの体を「ブリャーチエ」の呪文で急ぎ掴んで引き戻す。

「不都合が生じましたら、どうぞオーキュをお呼びつけください。駆けつけて調整いたします」

 そんなあたしに最初は驚いたような顔をしたシーだったけど、配慮に気づいてくれたみたい。うん、とうなずき返してくれた。

「そうだね。ここまでありがとう。僕はもう大丈夫。この顔にだって不都合なんて起きやしないよ。だから授賞式が始まったところで君の仕事はおしまいにしよう。呪文を買い取る時は、君の所へ引継ぎの魔法使いを向かわせるからもう帰ってもらってもかまわないよ。じゃあ授賞式を楽しんでくるね」

 ああ、なんてできた依頼主様。

「お気遣い、心より感謝いたします」

 感動が顔に出てないかどうか気になって仕方ない。ともかくあたしは目礼し、ならシーは「そうだった」とトラウザーのポケットをまさぐった。

「残りの分。今、払っておくよ。確認して」

 取り出した端末画面を人差し指で操作して、表示させたお届け物の告知に使ったSNSをあたしへ見せる。通して振り込まれた金額はといえば百万ユードル。

 ん。ゼロを数え間違えたかな。

 いえ、正真正銘の百万ユードル!

「あっ、あっ、ありがとうございますっ」

 もう、びっくりし過ぎてあたしは喉を詰めてしまう。思い切り体を折るとシーへ向かって頭を下げた。なら自分でも確かめたいロボも耳をぐるぐる回してる。それきり妙な音を立てて動かなくなったのは、たくさん並んだ「ゼロ」を見たからで、今回ばかりはあたしもそんな様子を笑う気にはなれなかった。

 気にすることなく微笑んでシーは、金色の髪をさらさら揺らし扉の向こうへ消えて行く。

「じゃあ」

 それから時間はしばらく流れた。

 どれくらい流れたかといえば、立ち尽くすあたしたちに五人ほど人がぶつかって、迷惑そうにザルへ消えていった。それくらい。そうしてあたしとロボはようやく我を取り戻す。

「オーキュ様っ」

「ロボっ」

 呼び合って互いに抱き合い、その場でとにかく飛び跳ねた。だって、ほんの三日足らずで百万ユードル稼いでしまったんだもの。それどころかもし呪文が売れたなら、さらにもう幾らか儲けは上乗せされる予定にあり、頭の中でどう計算しても黒字も黒字、大黒字の初仕事となる。卒業したての新米魔女とは思えない額だった。

 でも授賞式が始まるまでがあたしの仕事。あたしたちはそれからずっと六分の一の重力よりも、もっとふわふわ軽い足取りで時間を過ごしてる。その時が来るのを待ちながら、次々訪れる人たちを興味の向くまま眺め、エントランスの造りに感心し、見上げては降り注ぐ光をまるで自分のために用意されたスポットライトのように浴びながら授賞式が始まるのを待った。

 あはははは。

 あいだじゅう胸の中で高笑いし、両手を羽と伸ばしに伸ばす。

 結局、シーがあたしたちを呼びつけることはなかった。

「これで終りね」

 もうエントランスはさっきまでが嘘みたいに静まり返っていて、閉じられた扉の向こうから始まった授賞式の声も微かに響き始める。

 あたしはポケットから出した端末でシーの依頼が書き込まれたSNSを開いた。「ご満足いただけて光栄です。素敵な一日をお過ごしください」と書いて最後の挨拶をシーへ送信する。

「ふう」

 これで本当に初仕事はおしまい。

 体の芯から息はもれた。

「仮面がシーの役に立つのは嬉しいけれど、なくても出掛けられる日が来たらいいのにね」

 思い及んでこぼしてみる。

「そうでございますね。本当の傷は、シー様のお心の方にあったのかもしれません」

「上手いこと言うわね」

 うなずくロボにあたしは肩をすくめ、ザルが砕けたかと思うほどの大きな音に押されそのままのポーズでつんのめる。

「なっ。なに。今のっ」

 言わずにおれない。

「な、会場ナカから聞こえてきたのではございませんかっ」

 両目のレンズを左右バラバラに絞ったロボが返してくれる。

 ならその通りと、また大きな音は鳴り響いた。揺れさえ伴うその音にあたしとロボは足をすくわれる。危うく尻もちをつきかけたその時だ。会場へ続く分厚い扉が開いていた。それはもう、あっちも、こっちも弾けるような具合で、中から次々と式典に参加していたはずの会員たちが飛び出してくる。

「ええっ」

 目を奪われて見回していた。どう見てもみんな何かから逃げ出している。

「シー……」

 だから浮かんだのはあの笑顔。

「シーっ、どちらにおいでですかっ」

 あたしは声を上げていた。返事なんて返ってくるはずなどないなら、唱えた「モジナレチーテ」で一気に空へ舞い上がる。

「ああっ、オーキュ様こそどちらへっ。うはぁっ」

 残されたロボが足元で、駆け出してきた人ごみにのまれてる。

「ロボはそこでシーを探してっ」

 見下ろしあたしは宙から投げた。

「ええっ」

「あたしは中を見てくるっ」

 何か破壊される音がメシメシと会場から聞こえてくる。気づけば小さな重力の中で上になり下になり、エントランスは逃げ行く人と飛び交う魔法使いで大混乱となっていた。

「りょっ、了解、いたしましたぁっ」

 かいくぐってあたしは右に左に、肩を弾かれながら扉へ向かう。どん、と正面からぶつかってきた魔法使いが「どこへ行くつもりなんだ、キミは」とあたしを怒鳴りつけたけれど、シーの元に決まってるじゃない。かまわず扉の向こうへ体をねじ込んだ。

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