依頼と魔女 第3話

 ホテル、最高。

 そして働く魔法使いのみんなへ感謝。

 叫びたい気持ちがおさまらない。だって狭くて窓ひとつない船の部屋に比べたら設備も寝具も雲泥の差で、取れた部屋は窓からライトに照らされた月面が見渡せるデザートビューなんだから、これ以上なんてありはしなかった。とにかく泡のドームの外、砂と岩が剥き出しの月面に落ちる影は神秘的で、どれほど眺めたところで飽きることはない。それどころかインスピレーションこそ沸いてくると、授賞式の準備をするにはもってこいって具合だった。

 奮い立つままあたしはロボが拾い上げてきたデータを元に、シーに依頼された仮面の呪文を一日がかりで組み上げてゆく。髪や瞳の色に形。肌の質感や唇の大きさ。シーの体を見ていないから肉付きの加減が難しかったけれど、声や話し方からイメージを膨らませていった。それ以上、失敗できないところはといえば、顔は動くものだから表情を作ったさい、それぞれの動きがちゃんと連動するよう気を配らなきゃならないところ。文言と文言の継ぎ目へ入れるチェックはそれこそマギ校の卒業試験以上、何度も何度も繰り返した。

 もっと時間があれば新しい呪文を呪文作家のように創ることもできるだろうけど、明日には使わなければならないってところが残念でならない。だからごく基本的な文言の組み合わせで、でもマギ校オール五の成績を生かして、あたしは徐々に長くなってゆく呪文に従い輪郭をあらわとしてゆく仮面を仕上げていった。

 完成した仮面はちょっと芸術性には欠けてるようにも思えるけど、デモンストレーションと突っかかることなく唱えきった呪文に現れたそれは、まんざらでもない。

「タイソン女史も気に入ってくれるといいけれど」

 期待を胸に、あたしは友人へ通信を繋げた。そりゃあ月でホテルに泊っているんですもの。これは誰かに自慢するべきだし、今日を終えて明日が控えている今、黙って大人しく眠るなんて無理っぽい。なら向こうも入社早々、大きなプロジェクトに関わっている、なんて話し出すものだから、あたしたちはたちまち互いの話に夢中になった。最後には「オーキュも早く勤め先を決めちゃいなよ。自分で仕事を取るなんて保証もないし税金の申告が大変よ」なんて言われちゃう始末。

 そう、ずっとつきまとうロボが面倒臭くって、思わずついた嘘が「何でも屋」をあたしの仕事にしてしまったけれど、本当はあたし、何がしたいんだろう。言われたところでやっぱりうまく定まらない。

 部屋へは月面に反射した光だけが差し込んでる。

 やっぱりおばあちゃんに会いたかったな。

 小さな重力の中、寝具にくるまりあたしは小さく呟いた。

 それだけで迷うことなく簡単に次へ進めたろうにとさえ思う。

 でもそれって甘えているだけなのかしら。

 過ってついたため息と共にまぶたを閉じた。

 だったらお世話係こそあたしには必要だとしか思えない。

 振り払ってとにかく明日を無事こなすことだけを考える。うまくいけば何か見つかるかもしれないし、それが何だろうとまたそのとき考えればいいと思う。

 今夜も気楽なロボは夢の中をさ迷っているみたい。部屋中に機械のかくいびきは途切れ途切れと響いていた。



「おはようございます。速報です。アルテミス時刻、本日午前四時。木星の崩落現場救出に向かっていた魔法使い九名の到着が確認されました。救出手順の確認が済み次第、早ければ今夜から救出作業は開始される予定です。繰り返します」

「さあ、校長先生も頑張っているんだから、あたしも頑張らなきゃ」

 ルームサービスのモーニングを残らず平らげて、ツルツルになるまでとかした髪を高い位置でひとつに束ねたあたしは、支払いを終えたホテルを背に通りで大きく背伸びする。

「時間は?」

 並ぶロボへ確かめた。

「はい。授賞式開場までは三時間。アッサライクム様のお宅までは徒歩で三十分。お約束の時間までなら四十分ございます」

 当然だけど雨も曇りもないアルテミスシティは今日も晴れ。あたしはドームに覆われた空を見上げる。

「オーケー。もう行き先は分かっているから今日は飛ぶわよ」

 「と、申しますと」と首を傾げたロボごと「モジーナレチーテ」の呪文で空へ舞い上がる。勢いにロボの絶叫は響き渡ったけれど、放って速度を上げるとあたしは空を滑った。

 途中「おはよう」なんて気さくに声をかけてくれるのは、やっぱり魔法使い同士だから。

「おはようございます」

「この辺りでは見かけない顔だね」 

 作業着姿のおじさんは、それこそアルテミスシティの管理局勤めのよう。「はい。お届け物の仕事でおととい初めて月へ」

 あたしも最高の笑顔で返す。

「そりゃあご苦労さんだ。この辺は古いところは変わらないが、どんどん新しい建物が地図の外へ広がってゆくから迷ったりはしてないかい」

「ご心配ありがとうございます。でもちょっと旧式だけど、道案内のアシスタントもついているので」

 ならおじさんは、すっかり操り人形みたいになびいているロボへ目をやり笑ってみせる。

「そりゃあ安心だ」

「今日はあの植物が植わったお屋敷へおうかがいに」

 もう足元には特徴的な緑を前にしたシーの家は見えていた。

「良い一日になりますように。ここで失礼いたします」

「え?」

 あたしは手を振るとロボごと大きく舵を切る。一直線と、どこか素っ頓狂な顔で見送るおじさんから離れて地上を目指した。門扉の前に降りようとしてポーチから手を振り呼び寄せるアリョーカに気づいたなら、そちらへ向かって体をひねる。堂々、緑の中へ両の足をつけた。

「あなたけっこう重いのね。地球だったら途中で落っことしてたかも」

「な、なんとも面白いご冗談を」

 投げ合えば、あんまり笑えてないロボの前を最新式のアリョーカはしずしず、横切ってゆく。

「こちらです」

 案内された部屋は昨日と同じだと思うけど、お屋敷が広すぎるのと装飾品がないせいであたしには区別がついてない。ただシーは間違いなく昨日と同じに背後から現れて、背中越し、あたしは用意してきた呪文でシーへ仮面の魔法をほどこした。

「いかがですか。息苦しかったり、つけごごちの悪いところはございませんか」

 もちろん手応えはある。でも依頼主の感想こそ気になって仕方ない。

「ご用意した呪文は人の目からお顔を隠すだけでなく、鏡にも、カメラにだってちゃんと映り込むようしつらえてあります。どうぞタイソン女史との記念撮影も存分にお楽しみください」

 けれどシーからの返事はなくて、あたしはだんだん不安になってくる。もしかすると失敗だったのかしら。怖くさえなっていた。

「……すごいや」

 声はそのとき聞こえてくる。

「本当に僕の顔みたいだ」

 驚きのせいかその声は、強張ったように聞こえてた。

「お気に召して、いただけましたか」

 尋ねるあたしはマギ校で試験の結果を告げられる時よりも緊張してる。

「とってもだよ。すごいや!」

 一転して弾ける声にあたしも眉間を開いてた。 

 あー、生きてるって感じ。

 おばあちゃんにも聞かせてあげたい。

「ねぇ、この顔はどれくらいもつの」

 矢継ぎ早や尋ねるシーも明らかに興奮してる。

「わたしの力では今日いっぱいが限りです。少しづつ透けてお顔が見えてゆくと思われますので、気配が現れましたらご注意ください。今後もこの魔法がご入用ということでしたら、わたしは地球へ帰りますのでアルテミスシティ在住の魔法使いに呪文を引継ぐことも可能です。そのさいは呪文を買い取りいただく、ということになりますが……」

「うん、わかった。それは今日中に考えておくよ」

 シーは値段も聞かず二つ返事で返して、あたしはといえばこの仕事が向いているんじゃないかしらって思ってしまう。

「それではもう振り返っても?」

 押し殺して平静を装うと確かめた。

 やり取りをアリョーカは、あたしたちの前でじっと静かに眺めてる。

「もちろん、かまわないよ。君も成果を確かめてみてごらんよ」

 合図にあたしとロボは目配せし合った。そうして息を合わせると、ゆっくりシーへ振り返ってゆく。

「やあ、初めまして。僕はシー・アッサライクムだ」

 サラサラの金髪と青い瞳。そばかすの残る鼻に控えめな唇。少し面長の、でもはっきり浮き出たシャープなアゴのラインは活動的で、張り出した耳が知的な男の子は、あたしが描いた通りとそこに立ってた。

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