30*混乱



 茜が搬送された病院へ到着する頃には、既に一般外来の受付は終了しており、広々としたロビーは人が疎らだった。 唯一開いていた窓口へと向かうと、パソコンを操作していた女性が立ち上がった。


「すみません。 本日の診察時間は既に終了しておりまして────」

「警視庁の黒木と言う。 今朝ここに運ばれた刑事の上司だ」


 警察手帳を見せながら答えると、女性の表情が強張った。 女性は「お待ちください」と言い、内線を掛け始めた。 数回やり取りをした後、ICUのある3階へ行くよう案内された。

 すぐそばのエレベーターに乗り込み、3階へ向かうと、扉が開いてすぐ目の前のベンチに永瀬の姿が確認できた。


「ヨル」


 声を掛けると、永瀬はパッと顔を上げ、こちらへ駆け寄ってきた。 眉を八の字に曲げ、今にも泣き出しそうな顔をしていたが、こちらに近づくにつれ、それは怒りをもった表情に変わっていった。


「言いたいことは いっぱいありますけど、無事で何よりですっ!」

「おうおう。 思ったより小言が少なくて、俺も何よりだ」


 すると、永瀬の背後から遠慮がちに空が顔を出した。


「お? お嬢ちゃんも来てたのか」

「あ……はい。 ちょうど永瀬さんと一緒にいる時に、茜さんが……。」

「茜ちゃんの知り合いだったのか?」


 すると空は、黒木が外に出られなかった間の出来事を簡単に教えてくれた。


「そうか。 色々と巻き込んでしまって すまないな」

「私は大丈夫です。 こうして直接、黒木さんの無事を知ることもできましたし」


 空は にこっと微笑んで見せたが、普段よりも笑顔が曇っている。 それを見て、黒木は現実に引き戻された。


「……それで、茜ちゃんは?」


 その一言で、空気が一瞬にして重苦しいものとなった。 


「手術は成功しましたが、予断を許さない状態とのことです。 幸いにも脳や臓器に異常はありませんでしたが、火傷の痕がひどくて、目覚めた茜さんの精神面が、俺は心配です……」

「自分のルックス大好きな茜ちゃんには酷だろうな……。 親御さんに連絡は?」

「何度か掛けていますが……。 ロンドン向こうは夜中なので、もう少し時間を置いてみます」

「そうか。 連絡ついたとして、すぐ来れるといいんだが……」


 黒木はゆっくりと奥へ進んだ。 ガラスの壁で隔たれたICUの中では、何人もの看護師が1つのベッドを行ったり来たりしている。 たくさんの医療機器に繋がれてよく見えないが、あそこに茜がいるのだろう。


「こんなになってまで、ちゃんと約束守ってくれて、ありがとな。 もう大丈夫だからな」


 ガラス越しにそう呟き、黒木は拳を握り締めた。


「黒木さん」


 すぐ後ろで、永瀬の呼ぶ声がした。 振り向くと、永瀬は硬い表情のまま静かに口を開いた。


「今回の茜さんの件を含め、お話したいことがあります。 少し いいですか?」


 黒木にしか聞こえないくらいの控えめな声だった。 それに合わせ、黒木も小声で答えた。


「……ああ。 場所を移すか?」


 永瀬は小さく頷くと、くるりと空の方を振り返った。


「立花さん。 黒木さんと少し話をしてくるので、ここで待っててもらえますか?」


 黒木たちの雰囲気から何かを察したのか、空はゆっくりと小さく頷いた。


「そんなに強張るな。 こいつと久々に顔を合わすから、捜査の進捗を報告してもらうだけだ」

「……分かりました。 もし茜さんの容態に何かあったら、すぐご連絡します」

「頼む」


 空に茜の事を託し、黒木は永瀬を連れて病院の屋上テラスへと足を運んだ。 2月という事もあり、幸いにもテラスに人はいなかった。


「……それで、お前の話ってのは何だ?」


 黒木がそう切り出すが、永瀬からの返事はない。 気になって様子を窺うと、永瀬はまるで何かに怯えるように唇をギュッと噛み締めていた。


「ヨル?」

「黒木さん……、おれ……」

「おう」

「黒木さんに謝らなきゃいけないことがあるんです……」

「なんだ?」


 徐々に震えが大きくなる永瀬の肩を、黒木はポン、ポン、と叩いた。


「茜さんを……、巻き込んでしまって……」


 永瀬は言葉を詰まらせた。


「それを言うなら俺の責任だ。 特捜室全体を巻き込むような事態になったのは、俺が単独で動いたことに原因がある」

「……違うんです」

「何が違う」

「俺が、茜さんを、あんな目に遭わせた────」


 その言葉に、黒木は反射的に永瀬の胸倉を掴んだ。 金網のフェンスまで詰め寄ると、永瀬は苦しそうに咳き込んだ。


「お前……意味分かって言ってんのか?」

「俺のせいなんです」

「あ?」

「俺が茜さんに事件の話をしたから……。 俺が、茜さんを捜査に巻き込んだから……。 俺が────」


 永瀬は口を わなわなと震わせ、何を思ったのか、自らの後頭部をフェンスに何度も打ちつけた。 茜へのショックが、こんなにも大きかったのか────。


「おい、しっかりしろ!」

「俺が茜さんを死なそうとしている! ……っ、俺が! 茜さんを殺したんだ!」

「ヨル! 茜ちゃんはまだ生きてる! お前のせいじゃない! お前は茜ちゃんを殺そうとなんかしていない!」


 すると永瀬はピタッと動きを止め、黒木を見た。 瞳に落とされた影色に、黒木は恐さを感じた。


「俺が……」

「お前らしくないぞ? 気をしっかり持て」

「……、」

「どうした?」


 不意に、永瀬の視線が少し逸れた。 そして、それが合図であったかのように、黒木の後頭部に何かが押し当てられた。

 銃口だ────。


「誰だ?」


 黒木が自身の背後に気を取られた ほんの一瞬。 その間に、ジャケットの内側に隠していた拳銃をホルスターから抜かれた。 今、黒木の拳銃を握っているのは、永瀬────


「俺が殺したいのは、黒木さんですよ」

「……ヨル?」

「両手を放して、頭の上に挙げて。 ゆっくりと下がってください」


 永瀬は、つい先程までパニックに陥っていたとは思えないほど落ち着いた様子で、低く静かに告げた。






 ・・・******・・・


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