6*記録と記憶



「菅原さんの右耳の痕は、アレルギー性皮膚炎の痕だそうです」


 庁舎内を移動中の永瀬は、隣を歩く黒木に、死体検案書を渡しながら概要を説明した。


「皮膚の付着物を解析してもらった結果、右耳に金属に含まれる微細な成分が確認できました。 金属アレルギーを起こしていたかもしれません」

「つまり先生も、あのイヤリングをつけていた……という訳か」

「まだ断定できませんが、可能性は高いです。 菅原さんは、重度の金属アレルギーを持っていました。 けど、それが死因になるとは……」


 アレルギー反応の重症化によって、目眩や吐き気、過呼吸に陥るケースもある。 だが仮に、菅原も麻美と同様、イヤリングをつけていたとしても、アレルギー性の低い銀が、人を死に至らしめる事は ほとんどないと言っていいだろう。


「早い話、作った本人に吐かせればいいだけだ」

「ちょっと。訴えられるようなことはしないでくださいね?」

「分かってるよ。俺は『被害者にも加害者にも寄り添う刑事』だろ?」

「初耳ですけど」


 永瀬たちが向かったのは、取調室の一室だった。 扉を開けると、机を挟んだ向こう側には、空が座っていた。

 空は、部屋に入ってきた永瀬たちに反応して、素早く立ち上がった。 だが黒木は「いいから」と言って、空に座るよう促した。


「突然呼び出して悪かったな」


 空いたもう1つのパイプ椅子に黒木が腰かけ、永瀬はその後ろに控えた。


「もう何度も他の刑事に話したかもしれないが、もう一度 先生について聞いてもいいか?」

「……はい。 菅原先生は、私の学科で物質化学を専門にしていました。 何度か授業を受けたことがあります。 麻美ちゃんも、在学中は先生の所でお世話になっていたらしくて、私のことも よく気にかけてくれていました……」


 数日前に初めて会った時とは違い、空の口調には覇気がなかった。

 無理もない。 身近な人が、相次いで2人も不審な死を遂げたのだ。そして追い打ちをかけるように連日続く事件の事情聴取に 疲労困憊こんぱいのはずだ。


「最後に先生と会ったのはいつだ?」

「亡くなった前日の夕方です。 先生の研究室にレポートを提出しに行きました」

「その時、変わった様子はなかったか?」

「いえ、特には……」

「亡くなった当日は、先生は何をしてたんだ?」

「私には……分かりません……」

「じゃあ話を変えよう。 俺たちと会う前、お嬢ちゃんは何してた?」

「……実習室の片付けをしていました。 友達と一緒に」


 最後の一言は、「私は犯人じゃない」と主張するような 刺々しいものだった。

 これ以上聞き出すのは難しいだろう。 それは、他の刑事の聴取報告書を見て、既に把握済みだ。 だが、特捜室が調べるべき事は、もっと別のところにある。


「先生は金属アレルギーを持っていたらしい。 そのことは知ってたか?」

「もちろんです。 実験の時、先生は必ず手袋とゴーグルを着けていました。 講義を受ける学生は、必ずその理由を聞かされますから」

「今回の先生の死は、そのアレルギーが関係しているそうだ。 何か心当たりはないか?」

「……何か、とは?」


 空は眉間に皺を寄せ、睨むように黒木を見た。 こちらが何を言いたいのか 気づいたようだ。


「例えば先生が、金属でできたアクセサリをつけていた────とか」

「まだ私を疑ってるんですか? 私が何をしたって言うんですか!?」


 興奮した様子で叫ぶ空の声が、部屋中に反響した。 だが黒木は驚く様子もなく、呑気に「うーん……」と腕を組んでいる。


「疑ってるっていうよりも……俺は、あのイヤリングがどういう仕組みなのかが一番気になる」

「本当に何もないんです! そもそも、先生にはイヤリングなんて渡してないです!」


 空は大きく息を吸い込み、脱力しながら椅子にもたれた。


「……どうして? どうして、刑事さんは私が作った ただのイヤリングが悪い物だと決めつけて────」

「何で作ったんだ?」

「……え?」


 不意に飛び出した質問に、空は目をパチパチとさせた。


「何でイヤリングを作り始めたんだ?」

「……そんなの知って、どうするんですか」

「だから言ってるだろ。 単純に気になった。 俺には、あんな細かい物、作れないからなぁ」


 空は質問の意図が分からず、警戒しているようだったが、小さく息を吐いてから答えた。


「母が……よく作ってたんです。 手芸が、得意……だったみたいで……」


 黒木は、空の回答に満足したのか「やっぱりDNAかー」と何度も頷いた。

 そう言いながら、黒木は左のポケットから、折りたたまれた1枚の紙を取り出し、机の上に広げた。

何かの資料の1ページのようだ。


「最後の質問だ。 この女性を知らないか?」


 黒木が指差した所には、若い女性の顔写真が添付されていた。 長い黒髪の 笑顔がよく似合う女性だった。

 永瀬はその紙に見覚えがあった。 警視庁に保管されている 過去の事件関係者の記録データの書式だ。

 人探しや経歴の調査をするのであれば、それは本来、部下である永瀬の仕事だ。 だが永瀬は、この人物を調べるよう指示された事も、資料を用意した記憶もない。


 空はしばらく写真を見つめた後、「すみません……」と首を横に振った。


「分かった。 ありがとう」


 黒木は宣言通り、その質問を最後に、空からの事情聴取を終了した。

 空は「訳が分からない」といった様子で、ただ呆然としていた。 そして、相棒である永瀬でさえも、黒木の真意が掴めなかった。






 ・・・*****・・・・


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