41.クロムの過去
「一年ほど前まで、クロムは両親や兄弟のシャチたちと共に、この研究所の近くにある洞穴に住んでいたんだ。時折家族と共に研究所周辺に現れては、私たちの前で無邪気な姿を惜しげもなく振る舞ってくれる、とても良い子だったよ。……ところがある時、突如発生した海底地震によって、クロムたちの住んでいた洞穴が倒壊し、クロムたった一匹だけを残して、後の全員は生き埋めになってしまったんだ。私たちも彼の家族を救おうと尽力したのだが、間に合わなかった」
「そんな……」
深色は驚くあまり声を失い、目を見開いたまま如月を見詰める。
「大好きだった家族を一瞬にして奪われた彼の悲しみが如何程のものだったのか、今となっては想像もできない。……動物に人間の言葉を与える私の実験に、彼が被験者として志願してくれたのも、本人いわく、この辛い過去をたった一人だけで抱えたくなかったから――だそうだ。あの悲劇の記憶は、彼一人だけで背負っていくには重過ぎたんだ。……だから、私は独りぼっちになった彼を預かり、言葉と名前を与えた。孤独という重荷に耐えきれず、息が切れてへたばってしまう前にね」
如月が話している間、深色は息をすることも忘れてその話を聞いていた。槍の力を得て、水中でも呼吸のできる体になれたというのに、空気の詰まった部屋の中に居ても、何故か今この時だけは息苦しくて仕方がなかった。
「今となっては、この研究所に居る者で、彼の悲惨な過去を知らない奴は一人もいないんじゃないかな? だからこそ、ここに居る誰もがクロムのことを想って、ああして親身になって接してくれているところもあるのだろうね」
如月は淡々とした口調で、これまで深色が知り得なかったクロムの過去を語っていった。深色はもちろん如月の話を聞いて驚愕の表情を露わにしていたが、同時に、いつもずっとクロムと一緒に居ながら、未だに彼の重大な過去を知らないままでいた自分を少しばかり腹立たしく思っていた。人間以外で初めてできた友達だというのに、その友達の抱えている事情を知らないままで居たなんて。
しかし、深色はふと冷静になり、初めて海上でクロムと出会い、ここまでやって来るまでの間に、彼と交流した記憶を遡ってみる。
……確かに振り返ってみれば、少し不安を表情に滲ませていた時もあったし、深色がアッコロに撃たれた際、クロムは彼女の前で涙を流して、必死に意識の遠退いてゆく深色を呼び止めようとしてくれていた。
でも、それ以外で彼が少しでも顔を曇らせたことがあっただろうか? 一人頭を抱えて悩み苦しんでいる姿を見たことがあっただろうか?
深色の脳裏に過るのは、常に明るくて、元気で、小さな少年のようにはしゃぎ回りながら自分の後をついて来てくれたクロムのイメージ。そんな陽気な姿ばかり見てきた深色にとって、彼が辛い過去を背負っているなんてとても信じられなかった。彼はどうして、そんなに悲しい過去を抱えながらも、あんなに明るく陽気に振る舞うことができるのだろう?
「……無理してるとか? まさかね……」
周りにちやほやされて笑顔を見せているクロムの様子を側から眺める中、深色は独り言のようにぼそっとそう呟き、けれどすぐに
密かに動揺している深色を見て、如月はさらに話を続ける。
「……ちなみにだが、クロムの家族が亡くなった時に起きた巨大海底地震について、こちらでもその震源を調査してみたのだが、どうも自然発生的に起こったものではなさそうなんだ」
「……それってどういうこと?」
如月の言葉に、深色は首を傾げる。
「震源の中心である海底の地面に、何かを引きずったような抉れた跡が残っていたんだ。まるで巨大な何かが移動した跡のような……クロムたちの住んでいた洞窟は、その巨大な何かに、押し潰されてしまっていたんだよ」
巨大な何か――その言葉に、深色はピンとくるものがあった。
「ひょっとして……『クラーケン』……」
アメル国王が話した、恐ろしき海の悪神にして、歩く厄災。深色は、三叉槍が保管されていた部屋の壁に描かれていた壁画を思い出す。無数の触手を生やした、巨大な化け物。その姿は怪獣のように悍ましく、不気味で恐ろしい外見として描写されていた。
あれが本当に、この海に実在するのだとしたら――
深色はアメル国王の話していた言葉を思い返す。
『――百年に一度選ばれたアクアランサーは、王国の守護者としてアテルリアの海を厄災から守り抜き、百年目を迎えるその年に、封印から解かれたクラーケンと戦い、これを倒して再び封印させる……』
そうして、その者はようやくアクアランサーとしての任から解放される……と。
「……あぁ……やっぱり、マジでそんな化け物と戦わなきゃならないのかぁ……」
深色はこの先を思いやられて重い溜め息を吐く。しかし、この任務を全うしなければ、自分はずっとこのままで、元の人間には戻れない。こうして海の中で過ごすのも悪くはないと深色は思ったのだが、それでもやはり住み慣れた地上の方が落ち着いて暮らせそうな気がした。それに、クラーケンを倒さない限り、深色はアクアランサーを任されたまま、アテルリア王国を百年に渡って守り続けなければならない。国王がそう言っていたことも思い出し、深色は頭を抱える。
だからこそ、アクアランサーを辞めて元の人間に戻り、地上に戻って生活する為にも、悪神クラーケンを倒さなければならない。――そして、クラーケンに家族を殺されてしまった、クロムのためにも……
深色は知らぬうちに拳を強く握りしめていた。クラーケンを倒し、再び封印させるだけの力が、アクアランサーには与えられている。だからこそ、幾世代も前から、アクアランサーは百年毎にクラーケンを封じ込めることに成功してきたのだ。
唯一、自分の前にアクアランサーを務めていた海底人だけは、クラーケンを封じ損ねてしまったと国王が憤慨していたが、それは何かしらの手違いがあったのか、はたまたそのアクアランサーが怖がって逃げたのか、その真相は深色の知るところではない。しかし、その先代のアクアランサーがクラーケンを封じ損ねてしまったおかげで、今の自分がその尻拭いをさせられているのも事実だ。
(……まったく、もし先代の子を見つけたら、その時はこの槍で一発引っ叩いてやるんだから……)
深色はそう心の中でつぶやき、持っていた槍をぐっと握りしめた。
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