42.海底地震発生

 その時、中央管理室C C R内にけたたましい警報音が鳴り響き、部屋中が警告灯の赤一色で満たされた。


「なっ! なな、何事っ⁉︎」


 慌てふためいている深色の横で、如月が冷静な態度のまま「どうした?」とオペレーターの一人に状況を尋ねる。


「異常な震度の海底地震予告警報です! 海底に設置した振動探知機が、強震度の揺れを観測しました!」


「震源はどこの海域だ?」


「現在確認中……場所は――Eエコー113! ここの本近くです!」


「マズい……総員、衝撃に備えろ!」


 如月の叫びを合図とするかのように、巨大な揺れが中央管理室C C Rを襲った。その揺れは凄まじく、何かにしがみ付いていなければ倒れてしまう程に大きかった。あちこちで機材の倒れる音がして、部屋の中央に設置されたモニターにも大きなヒビが入ってしまう。


 ある程度まで揺れが収まったところで、如月が声を上げる。


「各自、被害状況を報告しろ」


「第二から第七区画で外装に亀裂発生! 第四と第七区画では漏電も確認、現在応急処置班が急行中です!」


「博士! 第六と第七区画を結ぶ連絡通路にて岩盤がんばんが倒壊! 瓦礫がれきが通路外殻に覆い被さってしまっています! このままでは、通路が倒壊して浸水する可能性が!」


「第六と第七区画間連絡通路を緊急遮断。防圧ぼうあつシャッターを下すんだ」


「し、しかしまだ通路内に逃げ遅れた研究員が多数残ってしまっていて……」


「くっ……それは厄介な状況だね……」


 如月は次々と報告される施設の異常を前に眉をひそめた。研究所内の被害は波紋状に広がっているらしく、一刻一秒を争う状況であるようだ。


 その様子を見ていた深色が、咄嗟に如月に声をかけた。


「ねぇ、その通路に私を案内して! 何か力になれるかもしれない」


 如月は深色の方を見て、「大丈夫なのかい?」と問いかけるが、彼女は毅然とした態度で言い張った。


「だって私、海底王国の守護を任されちゃってる神様なんだよ? 神様がこんな研究所一つくらい守れないでどうするの! そんなことじゃアクアランサー失格だよ!」


 その言葉を聞いた如月は、深色の並々ならぬ覚悟を感じ取ったのか、信用したことを示すようにこくりと頷いて「案内しよう、こっちだ」と後を付いて来るよう指示して管理室を出て行く。


「ほら、クロちゃんも急いで!」


「えっ? ちょ、待ってよ深色! 何処行くのさ⁉︎」


 クロムも慌てて深色の後を追いかけていった。



 管理室を飛び出すと、研究所内はほぼパニックに陥っており、たくさんの研究員たちが通路を右往左往しながら走り回っていた。


「応急処置班と医療班以外は手近なシェルターへ即刻避難するんだ。急いでくれ!」


 如月は周囲に声をかけながら、人混みを掻き分けて進んでゆく。深色とクロムもしっかりと彼女の背中に続いてゆく。


 問題の通路は、管理室からそう遠くない場所にあった。透明な筒状の耐圧ガラスに守られた通路。その左側にあったがけの岩盤が地震により崩壊し、崩れた巨大な岩の塊が通路の上に覆い被さってしまっていた。耐圧に優れた分厚いガラスも流石に巨大な岩の重さに耐えきれず表面に亀裂が入り始めており、その亀裂は波紋状に広がりつつある。そんな今にも潰れてしまいそうな通路の中には、まだ逃げ遅れた研究員たちが大勢居て、皆慌てふためいてあちこち逃げ惑ってしまっている。


「如月博士、第七区画で漏電による爆発事故が発生! 煙が充満していて応急処置班でも対応が間に合いません!」


 逃げていた研究員の一人が如月に向かって声をかける。かなり酷い爆発だったのか、通路の向こう側から逃げてくる人たちの衣服は全員すすだらけだった。


 如月は予想より多大な被害を被ってしまったことを受けて渋い顔を見せたが、すぐさま思い直したように顔を上げ、周りに指示を飛ばした。


「……ならば仕方ない、第七区画は放棄する。管理室に通達してくれ。まだあっちに人は残っているのか?」


「まだ怪我人を抱えた医療班が数名残っていますが、もうすぐ来るはずです――あっ、ほらあそこに!」


 研究員の指差す先、通路の奥から医療班が二名、それぞれ怪我人を一人背負ってこちらに向かって走って来ているのが見えた。区画に残されていたのは彼ら四人で最後らしく、医療班二人は必死になって怪我人をゲートまで運ぼうとしていた。


 しかし、彼らの通って来る通路を仕切っていたガラス管は上から圧し掛かる岩の塊に耐えられず、メリメリと耳障りな音を上げて更に亀裂を広げ、割れ目からシャワーのように海水が噴き出し始めた。


「博士、これ以上は通路の外壁がもちません! 早くシャッターを下ろさないと、こちらまで水が雪崩れ込んでしまいます!」


「しかし、まだ彼らが――」


 如月がそこまで言った刹那、蜘蛛の巣状に広がっていたガラスの亀裂が一斉に崩壊し、通路を仕切っていたガラスが岩に押し潰された。ガラスの砕け散る音と共に、猛烈な勢いで海水が雪崩れ込み、直径十メートルもあるガラスチューブの中を白い濁流となって押し寄せ、逃げ遅れた者たちの背後へと迫る。


「博士っ! 早く通路の封鎖を!」


「駄目だ! まだ中に人が残ってるんだ!」


 如月が耐えかねて声を上げた、次の瞬間――


 閉じてゆくシャッターの隙間を縫って、通路上に二つの黒い影が飛び出した。


 漲る力を脚へ渡し、強く床を蹴って、その影は押し寄せる鉄砲水の懐へと飛び込む。


 何故、そんな無謀なことに自ら体当たりで突っ込んでゆくのか、飛び込んだ本人ですら、その理由がよく分からなかった。……ただ、一人でも多くの人を救いたい。そんな強い思いが、彼女をーー深色を本能的に突き動かしていた。


 そして、その思いは彼女の持っていた槍――黄金三叉槽ゴールデン・トライデントにも伝わり、汲み取られた意思は大きな力となって、所有者の元に具現化される。


 槍の所有者であり、一国の守護神を任された身である深色は、両手に持ったこの槍が、自分の願いを聞き届けてくれることを信じて、迫り来る怒涛どとうを前に、つかの尻を思いきり床に打ち付けた。


 途端に鈍い音がして、それまで猛烈な勢いをもって突き進んでいた水流が、突如として深色の手前でぴたりと止まる。押し寄せる海水は、深色の突き立てた槍を前に反発するようにしてとぐろを巻き、反り返り、のたうちながらも、水の壁となってその場で留まっていたのである。


「す、凄い……あんなに勢いのあった激流を、たった一人でき止めちゃった……」


 深色の後を付いて来ていたクロムが、目の前に出来上がった水の壁を前に驚きの声を漏らす。


「クロちゃん! ボケっとしてないで、その人たち連れて早く逃げて!」


 深色が苦し紛れな声を上げた。彼女は目の前で槍をかざしたまま、必死になって水の壁を押し留めようとしていた。ここは水深数百メートルの深海、深ければ深いほど増幅される水圧が何トンもの海水を押し出し、ガラス管の中を進む激流は、言い換えるならば数トンもある大型トラックがこちらに向かって爆走してくるようなもの。それだけの威力を持った水の流れを、深色は華奢な細い腕二本で受け止めていた。その衝撃は凄まじく、腕をへし折らんばかりの水圧が一気に槍を伝って深色の腕へと流れ込む。


「ぐっ……これも、そう長くはもたない……だから急いで! 早くっ!!」


「で、でもボクが抱えられるのは三人が限界だよ」


「残った一人は私が運ぶから、早く逃げて!」


「ら、らじゃー!」


 クロムはビシッと敬礼して、逃げ遅れた四人のうち、怪我人の一人を背中に、残る医療班二人を両脇に抱えて、自慢の怪力とスタミナを発揮し、三人を軽々と抱えたままゲート前まで駆け戻ってゆく。


 残った一人は女性で、足を怪我しているらしく、片脚に包帯が巻かれていた。あれでは一人だけで逃げることはできない。自分が運んであげないと――


 押し寄せる水を塞き止める力に限界を感じ始めた深色は、クロムがゲート前まで戻っていったのをちらと確認すると、自分も水の壁から背を向けて、素早く残る一人を抱え上げて駆け出す。途端に、それまで海水を塞き止めていた力が消え失せ、水の壁は瞬く間に崩壊し、再び水飛沫を上げて逃げる深色の背後に迫ってくる。


「如月さん、シャッター下ろしてっ!」


 全力で走りながら深色は叫ぶ。ゲート前に立っていた如月は、その声を聞いてこくりと頷きを返し、部下にシャッターを下ろすよう命令する。


 分厚い鉄のシャッターが、下から上に向かって閉まり始めた。完全封鎖されるまで数秒あるか無いか。深色はラストスパートをかけ、迫り来る激流のあぎとから逃れるように猛スピードで残り数十メートルを駆け抜け、タン! と床を蹴り、閉じようとするゲートのごくわずかに残った隙間に体を滑り込ませた。

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