39.特任機関『ピュグマリオン』へようこそ

 研究所を回る中で、如月は各施設の用途や目的を細かく紹介してくれていたのだが、彼女は一度口を開くと言葉が止まらず、施設に関する解説が、いつの間にか交尾でカメがオーガズムに達するまでの所要時間を力学的に計算し証明する方法であるとか、イルカが求愛する際にけたたましく鳴くあの声を声帯学的に分析し人間の言葉に変換すると一体何と叫んでいるのかだとか、事ある毎に大きく話が脱線してしまっていた。


 まるでテストにも出ないような難しい知識を自慢げに披露する先生の退屈な授業を受けているようで、深色とクロムは途中襲い来る睡魔に何度意識を飛ばされそうになったか分からない。


 そんな中、深色は襲い来る睡魔を吹き飛ばす為、ふと頭の中に過った疑問を、教師に生徒が質問する時のように手を上げて如月に尋ねてみる。


「はい先生っ! 如月さんたちはこの研究所で普段どんな事をしているんですか? それと、如月さんの所属してるっていうピュグナントカってのは、一体どんな組織なんですか?」


 すると如月は若草色の長髪をふわりと靡かせながらこちらを振り返って答える。


「ん? このクラムタウンで普段やっていることか? ……そうだね、海の生態系や海底の地質調査、それに関する実験や研究、装備開発などが主なところかな」


「へぇ……思ったよりちゃんと研究所らしいことやってるんだ」


 深色の素直な感想に、「じゃあ深色はここで所長さんたちが普段何をやってると思ってたのさ?」とクロムが尋ねた。


「へっ? そ、それは……何かこう、秘密裏に禁忌の人体実験を繰り返していたりだとか、世界を滅亡させる為の新兵器を開発してたりだとか――」


「それって完全に世界征服を目論む悪の秘密組織のやることじゃないか! ここの人たちはそんな悪い人たちじゃないし、所長だって悪党じゃないんだぞ」


 他愛もない二人のやりとりに、如月は朗らかな顔をして「まぁ、こんな人目に付かない海の底にこんな立派な施設が隠されているとなれば、誰だってそんなことを疑ってみるものさ」と笑っていた。


「……しかし、まぁ、ある程度はその通りなところもあるのだがね」


「「ええっ‼︎」」


 そして、如月の放った何気ない最後の一言に、二人は揃って驚きの声を上げる。


「それって……まさか本当にここは悪の秘密組織の拠点で、秘密裏に人体実験を――」


「いいや、その逆だよ。……君に答えていない質問がもう一つ残っていたね。私たちの所属する組織『ピュグマリオン』についてのことなのだが――まぁ、話すよりその目で見てもらった方が早いかもしれないね」


 如月はそう言って、通路の先にある大きな扉の前で立ち止まった。扉の前にはカメラが設置されていて、映された顔の像から瞳の網膜をスキャンし、この先に進んで良い人物であるかを瞬時に特定する。僅か一瞬のうちに審査は通ったらしく、扉のロックが解除されて、分厚い扉が左右に別れて開いてゆく。


 扉の奥には、まるでコンサートホールのような巨大な空間が広がっていた。部屋の中には扇状にずらりと座席が並べられ、その一つ一つの席にオペレーターらしき人間が座って、各々が目の前に表示されたデスクトップと睨み合いながら、目にも止まらぬ早さでタッチパネルに指を叩き続けている。


 そして、彼らの前には幾つもの巨大なスクリーンが展開され、刻一刻と変化してゆく海洋環境の変化を視覚化、及びデータ化されたものを画面に随時映し出していた。


「ここが、クラムタウンの中央管理室C C Rだ。……さっきまで君たちが見てきた、日々研究に明け暮れる科学者面をした者たちの集う海洋研究所というのは、実はこの施設の表向きの顔でね。裏ではこうして密かに世界中の各海域を随一監視して、海で発生する災害や海難事故等を未然に防ぐ、いわば海水浴やプールによく居るライフセーバーのお兄さんのような役割を、全世界規模で我々が担っていると言う訳さ」


 大勢の人が忙しなく動き回り、あちこちでオペレーターたちによるタッチパネルを指打つ電子音が絶えない中央管理室C C Rと呼ばれる、張り詰めた重い空気が漂う空間で、ただ一人場違いな水着に白衣姿の如月が両腕を広げ、この施設が建てられた真の意味を深色の前で暴露する。


「災害や事故を防ぐって……それってつまり――」


「そう、我々の所属する特任機関『ピュグマリオン』は、世界の平和を守る為に結成された、如何なる政治的組織とも属さない独立した特殊機関だ。ピュグマリオンは世界各地に支部があるのだが、中でも世界各地の海域保守を任ぜられているのが、ここ海底支部『クラムタウン』であり、我々海洋調査団という訳なのだよ」


 分かったかな? と、如月は講義を終えた教師のように満足げな笑みを浮かべてこちらに背中を向けるのだった。

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