38.人と生き物の共存する街
如月に連れられて研究所内を歩く深色とクロム。二人は全面がガラス張りの
この研究所は、各施設へと繋がる通路が蜘蛛の巣状に伸びており、経路をきちんと把握して移動しなければ迷うことすらあるという。しかも長距離を移動しなければならない故なのか、道中通路の中をセグウェイに乗った人たちが滑るように通り過ぎてゆく姿を目撃した。如月曰く、研究者にとっては移動する時間すら惜しんで研究に費やしたい者も居るから、通路内でのセグウェイ走行も許可されているのだとか。研究熱心な研究者たちにとって、この場所は自分の研究に存分に打ち込めるさぞかし快適な場所なのだろう。
――そして当然、アクアランサーである深色とシャチ人間であるクロムは、その珍妙な容姿故に周りから一際目立ってしまい、瞬く間に通路を行き交う研究員たちの注目の的となってしまっていた。
「おい見ろよ、あれってまさか噂になってる人魚の少女じゃないのか?」
「ああ、彼女は水中呼吸ができて、おまけに鋼鉄の皮膚を持つおかげで超高水圧にも耐えることができるらしいぞ」
「それは本当か⁉︎ それは是非とも加圧器にかけてどこまでの圧力に耐えられるのか実験してみたいものだな!」
「水中呼吸ということは、体のどこかにエラが存在しているのだろうか? 是非とも彼女の体を隅々まで観察して記録したいものだ」
一方で、クロムの方にも注目と驚愕の声が止まない。
「あれは、人間なのか? それともシャチなのか?」
「人間とシャチのハーフだと⁉︎ そんなの生物学や遺伝子学的に有り得ないだろう⁉︎」
「ふむ、実に珍しい個体だ。外側は人間を模してはいるが、消化器官や内臓、筋組織は従来のシャチのものを踏襲している可能性がある。もしそうなら体組織や血液サンプルの採取は必須――」
あちこちから聞こえてくる研究者としての興味関心の声と纏わり付いてくる視線に、二人はこそばゆい感覚を隠せずに頬を赤くさせた。
「ねぇ深色……ボクたちって、人間からするとそんなに珍しい生き物なのかな? なんか解剖したいとか恐ろしいこと言ってる人もいるんだけど……」
「……ねぇ、これって私たち、ひょっとして彼らに実験用のモルモットとしてしか見られてないんじゃないの? ……あぁもう、こんな恥ずかしい格好を見られるだけじゃ飽き足らず、研究者たちの私利私欲を満たす為に、この体であんなことやこんなことまでされちゃうのかしら……」
不安がっている二人を前に、先導していた如月が「心配しなくていいよ」と優しく言葉を返してくれる。
「あれは彼らなりのジョークさ。彼らは探究心に富んでいるが、研究の為に他の生き物を傷付けたり、ましてや命を犠牲にしたりすることは絶対にない。研究の被験者になることはあっても、私たちはあくまで彼らを傷付ける事なく、人道的に接しているのさ」
「で、でもクロムの話じゃ、彼の脳味噌を弄る実験をしたとか物騒な事も聞いてますけど……」
そう深色が尋ねると、如月は「あぁ、彼のことか」とクロムを見て思い出したように言う。
「あれは脳波実験の一環でね。彼に人間並みの知識を与え、言葉を話せるようにする為に、水槽の中で特殊な脳波を浴びせて、彼の脳の活動範囲を若干広げただけだよ。ほら、人間の脳だって僅か数パーセントしか機能していないと言うだろう? 普段使わない脳の部位に脳波を当てることで刺激して覚醒させ、脳内のキャパを増やした分、人間の知識と言葉を覚え込ませたという訳だ。別に頭を切開して脳味噌に電極を差し込んで高圧電流を流したりなんかはしていないから、安心したまえ」
なるほど、分かりやすい説明ではあるが、後半さらっと恐ろしいことを口走った如月に、深色は寒気を覚えた。
「実際に被験者である彼も痛みなんか感じなかったはずだ。そうだろう、クロム?」
「もちろんさ! むしろ気持ち良くて癖になりそうだったよ。あんなことされただけで根を上げてちゃ、海のハンターとして情けないよねー」
「ねー」
胸を張って大威張りするクロムに同調して言葉を合わせる如月。二人のぴったりな意気投合を前に、深色は自分が馬鹿にされているように感じて「何か腹立つわね……」と憤りを露わにしていた。
「クロムはこの実験に成功した数少ない例の一つでね。実験に成功して人間の言葉を話せるようになったのは僅か二匹だけだった。一匹がクロムで、もう一匹はマシロ。マシロはまだ言葉の習得が完全でないから、カタコトにしか喋れないのだがね……おや、そんな事を言っていれば、丁度本人がお出ましのようだ」
如月がふと通路の外を見やると、防圧ガラスの向こう側で、シロイルカのマシロが楽しげに泳ぎ回っているのが見えた。
「どれどれ、少し彼女に声をかけてみようか」
「はい? 声をかけるって、ここからじゃ私たちの声も届かないんじゃ……」
深色がそう言っている横で、如月は首に掛けていた拡声器を手に持ち、トリガースイッチを引いてマシロに向かって呼びかけた。
「マシロ、聞こえるか? 聞こえていたらこっちに来てくれ」
すると、それまでこちらのことを気にせず泳ぎ回っていたマシロが、如月の声に反応するようにこちらへ向き直り、ガラス張りの通路の前まで泳いで来たのである。
「調子はどうだい、マシロ?」
如月が拡声器のマイクに向かってそう話しかけると、マシロはにこやかに笑ってこちらに向かって鳴いているようだが、その声は分厚いガラスを隔てているせいで全く聞こえない。
「……ふむ、そうか。そんなことがあったのか」
しかし、聞こえないはずのマシロの声が、何故か如月の耳にははっきり伝わっているらしく、理解した事を示すように何度も相槌を打っている。
そんな如月の態度を怪訝な顔で見ていた深色は、ふと如月の耳元に小型の無線イヤホンのような装置が取り付けられていることに気付く。どうやらその小さな装置が、マシロの届かない声を拾っているようだった。
「彼女は君に窮地を救ってもらったことを大変喜んでいるようだね。何度も『ありがとう』と言っているよ。マシロは私にとっても大切な友達だ。友人を危機から救ってくれたとあらば、私からも礼を言わなくてはならないな」
そう言って、如月は深色に感謝の言葉を伝えて
「はぁ……ど、どうも。……あの、その拡声器って――」
「あぁこれか。これは私が開発した
如月は、さも相手の声が聞こえて当然と言うように何食わぬ顔のまま耳元のイヤホンを指で示す。これまでメルヘンな話の中でしか登場しなかったような、人間の言葉を話すシャチやイルカを現実世界に生み出してしまった如月にとって、普通なら実現など有り得ないドラえもんの秘密道具様々なガジェットを次々と魔法のように作り出してしまうことくらい訳無いのかもしれない。彼女の以上な発明の才能に、深色が呆れて声も出せずにいると――
『もちろん、ただの拡声器としても使えるがね』
「ふえっ! びっくりしたぁ!」
ヒュウウウウゥン……とハウリングを放ちながら大音量で耳元にささやかれ、深色は飛び上がって驚き、耳を抑えた。
「すまない。音の透過性は抜群だが、拡声器としての性能は今一つのようだね。改良の余地がありそうだ」
「ほ、本来そう使うべき機能が劣化しちゃってるとか、ないわ……」
如月に悪戯された深色はガクリと肩を落とし、嫌みのようにそうつぶやいた。
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