35.クロとシロ

 クロムと深色が泳いで移動していると、その途中で巨大な魚の群れと遭遇した。魚とは言っても、一匹一匹がマグロ程の大きさをしてして、巨大な群れは瞬く間に二人を覆い隠してしまったが、皆が皆二人の間をすり抜けるようにして素早く泳ぎ去ってゆく。


「……あれ? 何でこの子たち、こんなに慌ててるの?」


 深色が不思議そうに通り過ぎていった魚の群れを見ていると、群れのやって来た方へ視線を投げたクロムが声を上げる。


「深色! あれあれっ!」


 クロムに肩を叩かれて振り返ると、目の前に巨大な網が迫って来ているのを見て、深色は仰天した。慌てて向かって来る網の外側へと回り込み、間一髪で回避する。


 その網は、まるで巨大な虫取り網のような形をしていて、網の左右に繋がれたロープが遥か真上、海上を進む船影へ向かって伸びていた。あの船がこの巨大な網を引いているのだろう。網のすぼんだ部分には既に大量の魚がかかっていて、ひしめき合った状態で一つの塊となってしまっていた。


「凄い……いっぺんにあんな沢山の魚を獲れるなんて……」


 文明の利器とも言うべきか、魚の大群すらも丸ごと捕獲できる程の巨大な口をもつ底引き網を見て驚く二人。その様子は、まるで餌を求めて大きな口を開けている鯨を見ているかのような、圧巻の光景だった。


 しかしそんな中、突如として網の中から聞こえた叫び声を、深色は聞き逃さなかった。


「……助けて~~っ!」


「!? 今誰かの声がした!」


 助けを求める声を聞いて慌てて網の近くへ泳いでゆく深色。網の中には数百もの魚たちがひしめき合っていたが、そんな魚たちの中に混じって網にかかってしまっていたとある生き物を発見する。


「あっ! そそ、そこの方! 私、捕まった、動けない。助け、必要。お願い、早くっ!」


 網に体を押し付けられて身動きが取れないで居たのは、人間――の言葉を話す一匹のイルカだった。イルカとは言っても、全身真っ白でおでこがコブのように膨れた大きなシロイルカだった。


「なっ! しゃ、喋るイルカ!? ひょっとしてクロちゃんの親戚の子とか?」


「きっとボクと同じく研究所で育った子なんだよ。助けてあげなきゃ!」


 クロムはシロイルカにかかった網に掴み掛かると、力尽くで引っ張り、網目に思いきり牙を立てて噛み付いた。クロムのあごの力は凄まじい。その威力は、以前王都で戦車と相手した際に砲身に噛み付いて真っ二つにへし折ってしまった程である。そんな強靭な顎と牙に噛み付かれた網はひとたまりもなく、いとも容易く破れてしまい、空いた穴からそれまで網にかかっていた魚たちが一斉に逃げ出した。


「さぁ早く出ておいで!」


 こうして、クロムの開けた穴からシロイルカは無事に逃げ出すことに成功した。間一髪で、引き上げられる前に救い出すことができたのだった。


 ほぼ全ての魚が逃げ出してしまい、空っぽになった網を引きずってゆく船影を、深色は少し気の毒に思いながらも両手を合わせて見送った。一方で助け出したシロイルカは、深色とクロムに向かって何度もお礼を言っては頭を上下に振ってお辞儀の真似をしていた。まるで二人の前で芸を披露するように。


「感謝! 圧倒的感謝! あなたたち、おかげ、私、助かった。このこと、絶対、忘れない。感謝! サンキュウサンキュウ!」


 このシロイルカは雌であるらしく、彼女の声はまるで幼い女の子のように甲高かった。まだ人間の言葉の使い方に慣れていないようで、単語単語毎に区切ってしか話せないようだ。


「やっぱりこの子もボクと同じで研究所に居た子だよ。所長の実験を受けて、こんな風に喋れるようになったんだ」


「う~~ん……やっぱり魚が人間の言葉を話しているのを見ると、どうしても最初は違和感が湧くんだけど……でも――」


 深色はそう言った刹那、目の前に居たシロイルカに思いきり抱き着いていた。


「でもカワイイから許すっ! いや~~~っ! この子めっちゃすべすべしてるしっ! そのおでこの大きな顔もめちゃカワだし! もう最高! お持ち帰りした〜い!」


 まるで誕プレの縫いぐるみに抱き付くようにシロイルカの体に両腕両脚を回し、頰を擦り合わせてひたすら撫でまくる深色。「こら! 初対面の子に向かってなんてことしてんのさ!」とクロムが声を上げる。シロイルカの子は、深色に思い切り抱きしめられて困惑しているようだったが、それでも好意を持たれたことが嬉しかったらしく、「キュ〜〜〜ン」と声を上げて深色に懐くように寄り添っていた。


「はぁ、もう……ごめんね、僕の連れが色々ちょっかいかけちゃって。君も研究所の子なんでしょ? あそこで暮らしている生き物にはみんな所長さんが名前を付けてくれてたはずだけど、君にも名前はあるの?」


 クロムにそう尋ねられ、シロイルカの子は「うん、名前、持ってる」と肯定を示した。


「私、名前、マシロ! キサラギ先生、付けた、大事な名前」


「キサラギ先生? それって、ひょっとして研究所の所長の名前?」


 深色がそう尋ねると、クロムは大きく頷いた。


「そうだよ。如月先生、ボクらに人間の声と言葉を与えてくれた素晴らしい人さ!」


 どうやらその如月という研究所の所長は、人間の言葉を与えた海の生き物全てから敬愛されている人物であるらしい。一体どんな人なのか、深色はますます気になってしまった。


「なら、マシロちゃん。ここから研究所までは、もうそう遠くはないってこと?」


「うん、この先、研究所、ある。こっち!」


 深色とクロムは、第二の喋る海の生き物、全身真っ白なシロイルカの子であるマシロに率いられて、研究所へと向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る