36.海底研究所

 その研究所は、本当に海の中にあった。楕円形のUFOのような形をした建物が海底のあちこちに無数に築かれており、その建物と建物を繋ぐように分厚いガラスで覆われた透明のトンネルが伸びていた。トンネルの中は通路になっているらしく、沢山の研究者らしき人々が忙しなく右往左往している様子がここからでもよく見える。そして研究所の周りには、まるで花に群がる蜂のように小さな潜水艇が何機も漂っており、各々荷物を運んだり、建物が損傷していないか確認したり、損傷箇所を修理したりしているようだった。


「私たち、家、ここ!」


 シロイルカのマシロがそう言って、尾を振りながら研究所へと泳いでいく。


「あぁ懐かしの我が家! 小さい時からずっとここで育って来たから、やっぱりここが一番落ち着くな」


 クロムもそう言って、マシロの後に続く。深色は目の前に広がる研究所の規模の大きさに圧倒され、言葉を失っていた。


「まさかとは思ったけど、本当に海底にこんな施設が本当にあったなんて……中に居る人たちは、ずっとここで生活してて、地上が恋しくなったりしないのかな……」


 深色はそんなことを考えながら研究所の周囲をゆらゆらと漂っていると、ガラス張りの通路を歩いていた研究員の一人が泳いでいる深色の存在に気付いたらしく、目を丸くして驚くのが見えた。すると、途端に近くに居た研究員たちが次々と深色の方を見ては驚愕して騒ぎ始め、通路内は瞬く間に深色を一目見ようと集まった研究員たちでごった返してしまう。


「えっ? えっ? ちょちょ、何でみんな私の方を見てくるのよ?」


 研究員たちからの熱い視線を一身に受けて慌ててしまう深色に、クロムが呆れたように言い返す。


「そりゃ、君が人間なのにそうやって海の中を溺れもせずに普通に泳ぎ回っているからさ。僕と同じで、君はとても珍しい生き物として見られているんだよ。良かったね深色。見なよ、あの盛況ぶりを。大人気みたいじゃないか。手でも振ってやったらどう?」


 ガラス張りの通路内は既に何十人もの研究員たちが集まっており、深色に向かってカメラのシャッターを切ってくる者も居る。あちこちでフラッシュが瞬く中、まるでランウェイのモデルになったような気分を味わった深色は、気を良くして照れながらも彼らに向かって大きく手を振ってあげた。


「――おや、これはこれは、珍しいお客さんが来てくれたものだね」


 その時、深色のすぐ近くで女性の声がしたので驚いて振り返ると、いつの間にか卵型をした小型潜水艇が深色の隣に浮かんでいた。声をかけたのはその潜水艇を操縦している人物であるようだが、潜水艇の操縦席はミラーガラスで覆われており、操縦者の姿は見えない。


「……あの、あなたは――」


 潜水艇に向かって言葉を返そうとした時、突然横からクロムが割り込んできた。


「あっ、その声は……お久しぶりです所長さん! ボク、クロムです! ちゃんとこうして無事に帰ってきましたっ!」


 そう言って潜水艇の前でビシッと敬礼するクロム。


「ほう、その声はクロムか。これはまた随分と面白い姿になって帰って来たじゃないか」


 潜水艇を操っているその女性は、人間の体を得たクロムの姿を見て関心を示しているようだ。


「所長さんって……まさか、クロムに知識と声を与えたっていう、あの所長さん?」


 深色は目を丸くして潜水艇を指差した。


「ふふ……いかにも。私が彼の保護者であり、ここ海底研究所の所長を務めている者さ。よく来てくれたね、歓迎するよ。着いて来たまえ、研究所への入口まで案内してやろう」


 所長はそう言うと、くるりと潜水艇の向きを変え、着いて来いと言うように前方に付けられた細いロボットアームを伸ばして手招きしてくる。


 クロムに人間の言葉と知識を与えたという彼女は、一体どんな人物なのだろう。水中でも生きていられる深色やシャチ人間のクロムを見ても冷静な態度を崩さず、温厚な態度で接してくれるところから、人は良さそうに見える。


 けれども深色は、クロムの脳を弄るというサイコパスな一面を持っている事実をどうしても拭えないまま、警戒しつつ所長の乗る潜水艇の後に続いた。

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