23.クロム、大地に立つ!

「ぶえっへっ! ぺっぺっ……うえぇ、口の中ジャリジャリする……」


「だからボクの背中から離れるなって言ったじゃないか。これで少しは懲りてくれると嬉しいんだけど?」


 砂浜に突き刺さって抜けなくなったところをクロムに助けてもらった深色は、白波打ち寄せる浜辺で顔を洗い、口を濯いでいた。


「いくら力があるとはいっても、力の出し方を間違えてちゃ意味がないじゃん。頼むからもっとしっかりしてよ。君はアテルリア王国の守護神アクアランサーなんだから」


 そうクロムに咎められ、深色は波の寄せては引いてゆく砂浜の中に正座したまま、しょんぼりと肩を落としていた。


「うぅ……でも、そんなこと言われたってさぁ、あんなイルカたちと一緒に泳げたの生まれて初めてだったし、とっても楽しかったから、つい調子に乗っちゃってさ。――あれ? でもそう言うクロちゃんだって、私の吹っ掛けたレースにちゃっかり乗ってきたじゃん」


「い、いや、あれは深色が勝手に僕の元から離れて一人先走っていったから、慌てて後を追いかけただけで――」


 苦しげに言い訳しているクロムを睨むように見ていた深色だったが、そんな彼女は、ふとあることに気が付く。


「ん、あれ? ってかクロちゃん、ここ地上なのに普通に息できてるよね?」


 そう言われて、クロムも自分が地上に上がってから一度も息苦しくならないことに「ホントだ! 苦しくないよ!」と今更驚いている。


「きっとこれも深色の持っている槍の力のおかげだよ。嬉しいなぁ、これで僕も憧れだった地上の世界を見ることができるんだ!」


 クロムは有頂天になって、白い砂浜の地面を力強く蹴り、無人島の周りを駆け回る。初めて自らの脚で地面を踏み締め、風を身に受けて走る感覚に感動しているのか、クロムの目はキラキラと輝き、はしゃいでいるその姿は本当に無邪気な子どものようだった。


 深色が初めて海の世界を見た時のように、彼も初めて味わう地上の世界に、たかぶる気持ちをおさえられないのだろう。深色はそんなクロムの心情を汲み取り、ふっと笑みを浮かべる。それから、「待て待てーーっ!」とはしゃぎ回っている彼に張り合うようにして、ひたすらクロムの後を追いかけ回していた。



 白い砂浜の奥には鬱蒼としたジャングルが広がり、緑に覆われた中から野鳥の鳴き声が聞こえてくる。海の中に居ると分からなかったが、丁度海上は日が沈む時間帯だったようで、太陽は主役の座を夜へと引き渡し、水平線の幕の奥へ退場しようとしていた。目に染みるほどの紅と、深まってゆく青の色とが混ざり合って、美しいグラデーションが空と海一面に広がっている。


「……凄い、綺麗」


「ほら、何しんみりしちゃってるのさ。かなり寄り道しちゃったし、早く行かないと王様も待ちくたびれちゃうよ」


 さっきまで散々島の周りを駆け回って時間を浪費していながら、いざ走る事に飽きてしまうとコロッと態度を変えて、深色を急かしてくるクロム。


「え~……今日はいろんなことがあって凄く疲れたから、ちょっとここで一休みしていこうよ」


 深色がだらしなく欠伸をしながらそう提案すると、クロムは「もう、だらしのない守護神様だな」とぶつぶつ文句を垂れながらも彼女の提案に同意し、二人揃って無人島で一晩を過ごすことになったのだった。



 夜になり、濃い藍色の空に無数の星が瞬き始めた空の下で、深色は島を巡って硬い石を探し出し、どうにかして火を起こそうと四苦八苦していた。


 そこで彼女は閃いて、持っていた三叉槍の先に石をぶつけてみた。するとものの見事に火花が散り、集めてきた枯れ木の山は勢い良く燃え上がった。


「あ〜ぁ……アテルリアで一番大切にされてきた国宝が火打ち石なんかに使われてるところを国王様が見たら何て言うだろう……」


「国宝だろうが何だろうが知ったこっちゃないわ。使えるものはどんどん使っていかないと」


 深色はそう言って炎に手をかざし、すっかり冷えてしまった体を温めていた。


「……でも、今日は何だかんだで色々あったけど、結構楽しかったなぁ」


「はぁ? 何、またしんみりムードに浸っちゃってるの? 君は本当にお気楽でいいね。ボクは今日ほど疲れた日は他に無かったよ」


 クロムは呆れたように首を横に振って嫌味を垂れてしまっている。


「いやぁ……だってさぁ、これまでずっと地上からしか海を見てこなくて、広い海の表面ばかり見ては綺麗だの何だの言ってきたけど……本当は、そうじゃなかった」


「――えっ?」


 深色の何気なく放った言葉を聞いたクロムが、首を傾げながら彼女の方を見る。


「私は今日、海の本当の美しさに触れた気がしたの。それは、海全体から見れば、ほんの極々一部分にしか過ぎないのかもしれないけど……でも私、今まで知らなかったんだ。これまで表面しか見れていなかった海の中が、実はあんなに綺麗で、楽しくて、不思議一杯な世界だったなんてさ」


「深色……」


 クロムの目に映った、夜の海を眺める彼女の横顔は、揺らめく焚き火の炎に照らされてぼんやりと映っていたものの、その蒼い目には強い輝きが宿り、この蒼い世界を何処までも見てみたいという底無しの好奇心に満ち溢れていた。


「……だから、この綺麗な海を守る為にも、海の平和を脅かしてる悪者――ええと……クラーケン、だっけ? そいつをぶっ倒して、この海の平和を取り戻さなくっちゃね!」


 深色は決心するようにそう言って、ぐっと握り締めた拳をクロムに向かって突き出した。


 クロムは決意を新たにする深色の姿を見て驚くように目を見開いていたが、やがて大きく笑って鋭い牙を剥き出し、「……も、もちろん、ボクだってそのつもりさ!」と、拳を掲げる。


「いぇい」


 意気投合した二人の拳が、互いの友情を証明するように、赤々と燃える焚き火の前で固く突き合わされた。


「……ねぇ、ひょっとして、今こうやって拳を合わせたのが、人間たちの言う『握手』だったりするの?」


「へっ? いやいや、握手ってのは互いの掌を握り合わせることで、今やったやつとは違うの」


「じゃあ今やった拳を突き合わせる動作は、何なのさ?」


「ええっと、それはだね……」


 ――こうして二人は、夜が更けるまで他愛もない雑談に花を咲かせていたのだった。

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