16.深色、覚醒

 ――果たしてそれは、何の前触れもなく起こった。


 海賊の掴もうとした槍が、突然何の前触れもなく輝きを増し、強烈な衝撃波を放って、海賊たちを一気に部屋の外まで吹き飛ばしたのである。


 クロムには一瞬何が起きたのか分からなかった。襲い来る衝撃に耐えて目を開くと、それまでずっと虫の息で倒れていた深色が、まるで操り人形に魂を吹き込まれたように、ゆらりと起き上がったのである。


「み、みい……ろ?……」


 クロムが泣くことも忘れて呆然としている中、彼女は大怪我を負いながらも、凛とした立ち姿のまま、眩い光を放ち続ける槍に向かってゆらゆらと歩みを進める。


 そして腕を伸ばし、槍の柄を掴んだ途端――


 金色こんじきに輝く粒子が槍から尾を引いて溢れ出し、細い腕を伝って血流のように深色の全身を駆け巡った。その粒子は焼け落ちた右腕に寄せ集まると、まるで陽を受けて成長する植物のように腕が再生した。焼けただれた皮膚も、粒子の生み出す新たな細胞によって上書きされ、みるみるうちに元の滑らかな白い肌を取り戻してゆく。


 そして、完全に再生した深色の体の上から、更に光の粒子が寄り集まって光の衣を編み込んでいき、彼女の全身を包んだ。


 その瞬間、それまで地面に深く突き刺さっていた槍が、まるで相手の手に預けることを許したかのように、いともあっさりと抜けてしまった。


「……おい、嘘だろ……」


 海賊の一人が思わず言葉を漏らす。彼らの目に映ったのは、引き抜かれた黄金の三叉槍を片手に携え、こちらを見据えて凛と立つ、生まれ変わった深色の姿だった。


 それまで黒かった彼女の髪は、南国の海を想わせる鮮やかなセルリアンブルーのショートヘアへと変わり、海流に合わせて髪の毛一本一本がイソギンチャクのように滑らかに揺れていた。頰にはほんのりと紅が差し、唇はきゅっと引き結ばれ、二つの大きな蒼い瞳が磨き上げられた灰簾石タンザナイトの如く輝いている。


「……ん? あれ? 私、生きてる……それに、クラゲ無しでも普通に呼吸できてる!」


 深色は自分の顔を触って、それまで頭を覆っていたアドクラゲが無くなっていることに気付くが、海水を吸い込んでも全く苦しくない。それに、さっきまで全身に感じていた水の重みが消え、地上に居る時と変わらないくらい身が軽い。さらに、暗い海の底であるというのに、まるで暗視鏡を通して見るように周囲がくっきりと鮮明に映っている。背中の焼けるような痛みも消え、体の奥から溢れんばかりの力がみなぎってくるのが、深色自身にも分かった。


「み、深色っ!? そ、その姿……それにその格好は……」


「うん? 格好?」


 驚きのあまり漏らしたクロムの言葉に、深色は首を傾げて、ふと自分の体に目を落とす。


「はぁ⁉︎ 何よこの格好⁉」


 途端に彼女は、素っ頓狂とんきょうな声を上げた。


 深色が驚くのも当然だった。それまで着ていたはずの学校の制服は跡形も無く消え、その代わりに、まるで競泳水着のような、肌にピッタリと密着するタイトな衣装が彼女の腰から胴までを覆っていた。両腕にはロンググローブ、脚には膝上まで丈のあるハイブーツ。衣装の全ては純白に統一され、腰に巻かれた蛍光グリーンの太いベルトが、サイリウムのような淡い緑の光を周囲に投げて、彼女の衣装を際立たせている。そして胸元には、何故かセーラー服を連想させるスリーラインの入ったV字型の襟に、赤いスカーフが通されているという風変わりな仕様。


 深色は女子高生であるが、ノースリーブやミニスカートなど、肌の露出が多い衣服を着ることにあまり抵抗を持たないタイプだった。だから、例え少々際どい服を着て人前を歩くことになったとしても、大して気ならなかったのだが……そんな深色でも、流石にこの格好は恥ずかしいと思ったようで、顔を真っ赤にして体を隠すように両腕を前にやった。


「ちょっと誰なの? 私をこんな格好にさせたのは! こんなの見た目からしてアウトでしょ!」


 槍の力によって新たに装着された衣服の見た目の酷さに嘆いてしまう深色。その横で、目をパチクリさせているクロムが、彼女の衣装をまじまじと見つめながら驚きの声を上げた。


「その服って……アクアランサーしか着ることのできない伝説の戦闘衣装だよ! 凄い……ボク、生まれて初めて見た……」


「はぁ⁉︎ この格好が伝統? しかも戦闘服なの? こんなのどっからどう見たってただのエロいコスプレじゃない! これって明らかにスク水だよね? そうだよね? おかしいでしょ、しかも白って! こんな変な襟まで付いてさぁ……あぁもう最悪、マジで勘弁してよぉ……」


 一人でツッコミ続けることに疲れてしまい、引き抜いたばかりの槍をその場に取り落としてしまう深色。


 しかし驚いていたのは深色だけではない。深色の覚醒をその場で目撃した海賊三人組も、本人以上に驚きの態度を露わにしていた。


「なんてことだ……くそっ、迂闊うかつだったな。まさかあの女が、次世代のアクアランサー選抜者だったとは……」


 状況は最悪だと言わんばかりに、海賊たちは固唾を飲み、その場を退きながら震えを堪えるように携えていたライフルを握りしめる。


「オルト、怯むな! 撃て! あの槍は何としても奪取しなければ!」


 一人の叫び声を合図に、海賊たちの持っていた短針銃のトリガーが引かれ、ライフルの銃口から泡と共に鋭利な短針が連続して撃ち出され、銃弾と変わらぬ速度で深色に命中する。続けざまに撃ち続け、無数の短針が針の雨となって彼女の体に降り注いだ。


 やがて短針銃の弾が尽き、針の雨が止む。これだけ食らえば、いくらアクアランサーであっても骨まで砕け散っているだろう。海賊たちがそう思った、次の瞬間――


「………ぷっ、くひひっ……ちょっ、くすぐったいって」


 細かな気泡の立ち登る中から、笑い声が聞こえた。撃たれたはずの深色は、自らの体に両腕を回し、肩を上下させて笑っていたのだ。体には傷一つ無く、周りの地面には、ぐにゃりといびつに折れ曲がってしまった短針が散乱している。


 そして、放たれた短針を口でも受け止めたのか、深色の口元には、ひしゃげた短針が数本ほど咥えられていたのである。


 海賊の一人が、襲い来る恐怖のあまり弾切れのライフルを取り落としてしまう。


「こ、こいつ……短針銃を一発残らず弾きやがった……」


 本来ならば厚い鉄板すら易々やすやすと貫く程の威力を持つ高圧短針銃をほぼゼロ距離から二人同時で射撃したにも関わらず、肌をくすぐる程度の打撃しか与えられなかった。これではもはや豆鉄砲以下である。


「……だからさぁ、いきなり攻撃してくるのは卑怯だって言ったじゃん」


 深色は口で受け止めた短針をぺっと地面に吐き捨て、足下に落ちた槍を拾い上げると、慣れた手付きでくるくると振り回す。そして相手に鋭い視線を投げると、視線と平行するように真っ直ぐ槍を構え、金色に輝く三叉みつまたの矛先を、海賊たちへと向けた。


「さ〜てとっ、――言うこと聞かない悪い子たちに、ちょいとばかりおきゅうをすえてやりますか」


 まるで近所の悪ガキたちを叱りにいくお姉さんのような態度で敵と向かい合う深色。彼女の発した何気ないその一言が、新たなる海底王国の守護神誕生の瞬間と、幾世代にも渡り受け継がれたアクアランサーによる戦いの歴史に新たな一ページを刻む、高らかな宣言となってしまったのだった。

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