10.邪神クラーケン

「凄いね深色! 王国の国民全員が志願したとしても、たった一人しか選ばれないアクアランサーに、君は選ばれたんだってさ!」


『うむ、おめでとう。勇敢なる戦士ミイロよ。そなたのことは、我らアテルリア王国全土の民から敬愛され、大いなる祝福を受けることになるだろう!』


 国王とクロムから祝いの言葉が雨あられと贈られる中、深色は急展開する話に付いて行けず、完全に置いてけぼりを食らってしまっていた。


「……ちょ、ちょい待て待て待てぇ〜〜〜い‼︎」


 深色は割り込むようにして二人の言葉を断ち切った。


「どうしたのさ深色? アクアランサーに選ばれたんだから、もっと喜んだらいいじゃないか」


 そうまくし立てるクロムを、深色はジッとにらみ付ける。


「だから! 勝手に話を進めないでくれるかな? 私まだそのアクアになるって言ってもいないし、言った覚えも無いっての!」


 そう主張する深色に、アメル国王は困ったように唸った。


『うむ……しかしこの三叉槍がそなたを選んだのは紛れもない事実だ。槍の選択は絶対。その決定をくつがえすことは我にも不可能なのだ』


「槍の選抜って……私が何時この槍に選ばれたってのよ?」


 そう問い掛けると、国王はきょとんとした顔で答える。


『おや、言わなかったかな? そなたはこの部屋に入る前、「選別の目」を通ってきたはずだが……』


 「あ、あのスケベな目のことだ!」とクロムが叫んだ。


 深色はこの部屋に入る前、扉に掘られた巨大な目から発せられる変な光線によって身体中をスキャンされていたことを思い出す。


『あの選別に通らなければ、そもそもこの部屋に入れるはずが無いのだよ。この部屋にそなたが居る。そのこと自体が、其方そなたが槍に選ばれた立派な証明になるという訳なのだ!』


 そう言われて、深色は困り果ててしまった。これまで地上で平凡な学生生活を送ってきた彼女にとって、これ程までに大きな大役を背負わされたことはあっただろうか?


 ――いや、大体こんな国家規模の重大な役回りを、自分のような極々平凡の女子高生に任せること自体がそもそも間違っているだろうと深色は思った。王国の国民全員が志願しても、たった一人しか選ばれない伝説の戦士アクアランサー。選ばれたことは、確かに喜ばしいことなのかもしれないけれど……


「……でも、私は地上の世界に帰らないといけないし、私の家族も心配して待ってるだろうし、とてもそんな役を引き受けるわけには……」


 決まりが悪そうに曖昧な返答をする深色。その様子を見ていた国王は、顎髭あごひげをしゃくりながら眉間に深いしわを寄せて頷いた。


『そうか……我もついうっかりしていた。そなたは地上の人間。であれば当然、そなたの親類や仲間とて地上に居るであろうし、海底にある我が王国と地上とを股に掛けてまで任務をこなすのは、流石に一人だけでは難しいかもしれぬ』


 ここでようやく、国王は深色の気持ちを理解してくれたらしく、深色に対して同情の意思を露わにする。


『……だが、例え種族や住む場所が違えど、わが王国の民は喜んでそなたをアクアランサーとして迎えるだろう。……というのも、実を言うと建国して四千年の歴史を迎えようとしている我が王国も今、過去に例の無い未曾有みぞうの危機にひんしてしまっている状態なのだ』


「未曾有の危機? 王国で何かあったの?」


 クロムがそう尋ねると、アメル国王は深刻な表情のまま、槍の刺さっている部屋の壁を指差した。


 頑丈な岩壁でできたその壁面には、まるで絵巻物を広げたように、周囲一面に渡って壁画が刻み付けられていた。


 部屋の中央に刺さった槍の放つきらびやかな灯りによって照らし出された壁画の数々。


 そこには、悠々と泳ぐ魚の群れや、その魚を追って泳ぐ海底人らしき人物の姿が写されている。


 更には、巨大な珊瑚礁さんごしょうの中を見たこともない潜水艇のような乗り物が行き交っていたり、SF映画に登場する近未来都市を想起させるような、奇妙な形をした建物が並んでいる様子も描かれていた。街並みの周りをオブジェのように漂うクラゲや、海流にあおられ、風になびく草原のように揺蕩たゆたう海藻、崖下がけしたの影に潜む巨大な生き物が目を光らせている様子までが細部に渡って描写され、まるで今にも動き出しそうな迫力がある。


『この壁画は、我々アテルリア人の先祖たちによって描かれたもので、王国建国までの長い歴史を詳細に記している壁画だ。――だが、その方の壁を見てみたまえ』


 そう言ってアメル国王が指差した壁には、これまでの絵とは全く違う画風で、一匹の巨大な生き物が描かれていた。それまで美しい海底を描いていた流線調の描き方は崩され、絵のタッチもより力強く荒々しいものへと変わり、壁画の中で最も巨大でおぞましい怪物の姿が壁一面に渡ってうごめいていた。


「何これ、タコ? ……にしては足の数が多過ぎるよね」


 壁画を睨みながら顔をしかめる深色に、アメル国王は言う。


『これが、この海全ての諸悪の権化ごんげであり、王国の平穏を脅かす厄災の元凶にして最強の魔物、クラーケン! 奴が居る限り、この海に真の平和が訪れることはない。その禍々しい力と底無しの執念により、奴は百年に一度、必ず封印から目を覚まし、幾度もこの海底世界を恐怖のどん底に陥れようと画策してきた。非常に厄介で邪悪極まりない海の疫病神だ』


 ゲームでいうラスボス的な怪物を紹介され、深色はこの先の展開を易々と察することができた。


「ふ〜ん、なるほどねぇ。――で、私がそのアクアとかになって、邪悪な海の怪物を倒してほしいと」


 深色が簡潔に話をまとめたので、アメル国王は感服したように大きく頷いた。


「おぉ、話が早くて助かるぞ。では、そなたは我らの申し出を受けてくださる――」


「お断りします」


 考える素振りすら見せずにキッパリとそう即答されてしまい、国王はショックのあまりがくりと肩を落としてしまった。

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