46.水竜誘導作戦

 燃え盛る油田のプラットフォーム内にある管制室に閉じ込められていた作業員たちは、ここからどうにか油田のメイン電力を繋ぎ直せないかとあらゆる方法を試していた。


 しかし、もはや発電所も完全に炎に飲まれてしまい、消火装置も作動しない。作業員たちが背負っている酸素ボンベの酸素量も残り少なく、これ以上ここに留まれば、酸欠で死ぬか、炎に焼かれて死ぬかのどちらかしかない。


 もはやこれまでなのか? 作業員たちの間に絶望的な空気が漂い始めた……その時だった。


 ――ゴンゴンゴン


 唐突に、管制室出入口の扉が叩かれる音がした。


「こんちは――! どなたかいらっしゃいますか〜?」


 作業員たちは皆目を丸くした。まさか、他にも生存者が? しかし、この扉の向こうは既に炎に包まれており、あの業火を突破してここまで来ることなど不可能なはずである。


「いらっしゃるんでしたら、離れてくださ〜い! ちょっと荒技使うんで……」


 作業員たちは訳も分からぬまま、向こう側から聞こえてくる声に従い、扉の前から離れる。


「ふんぬっ!」


 ガンッ‼︎


 次の瞬間、鉄製の扉が思い切り蹴り飛ばされ、中から深色とクロムが颯爽と登場する。


「もう深色ったら、乱暴して相手を怪我させたらどうするのさ?」


「だって時間も無いんだし、手っ取り早く済ませないと、何時ここが崩れるかも分からないんだよ」


「そりゃそうだけど……」


 燃え盛る炎をものともせずに入ってくる二人を見て、作業員たちは呆然としている。それもそのはず、何せ炎の中から現れた二人とも、防護服すら着ておらず、一人は素肌剥き出しの水着姿で、もう一人は衣服すら着ていないシャチ人間だったのだから。


「き、君たちは一体……」


 作業員の一人が声を上げる。深色は「ふぇ?」と間の抜けた声を漏らして周りを見ると、その場に居る全員の目が深色の衣装に向けられていて、込み上げる恥ずかしさに思わず頬を赤く染めた。


「あ、あのっ、あんまりそんな目で見ないでくださいぃ……」


「良かったね深色、人気者じゃん」


「う、うっさい!……さぁみんな! ここが崩れ落ちる前に、とっとと逃げましょう! クロム、手伝って!」


 深色は羞恥心を紛らわすように声を張り上げ、クロムに向かって指示を飛ばした。


「ま、待ってくれ! 君たちがどうやってここまで来れたのかは分からんが、ここ以外の場所は既に火の海になっている。あの中を進んで外まで出るのは不可能だ!」


 作業員の一人がそう意見するが、深色はまな板の胸を張って「ちっちっち」と人差し指を振る。


「このアクアランサーである私にかかれば、あなた方をこの火の海から脱出させることなど容易いこと! だから、大船に乗った気持ちで任せてください!」


「もう、深色ったら気取っちゃってさ」


 呆れているクロムを横目に、深色は持っていた三叉槍を掲げ、声高々に唱えた。


「出でよ、水竜っ!」


 その声と共に、開かれた扉から、槍の力によって具現化された巨大な水柱が、螺旋状の渦を巻きながらぬっと顔を出したのである。その水柱の先端はみるみるうちに竜の頭へと変形し、海水でかたどられた透明な眼で生存者たちをじっと睨み付ける。


「この水竜は海水でできているから、この中を通って行けば、ヘリポートまで炎の影響を受けずに安全に抜けられます! ――クロちゃん、私と一緒に彼らを連れて安全にヘリポートまで送り届けるわよ」


「らじゃー!」


 深色の指示を聞いてビシッと敬礼を返すクロム。


 二人は早速行動にかかった。幸い、ここにいる人たちは立ち込める有毒ガスを吸い込まないよう、全員スキューバダイビング用の酸素ボンベを背負っていた。あれがあれば、水竜の中を通り抜ける際も呼吸に困ることはない。


 しかし、深色が連れて行こうとした作業員の一人が「待ってくれ」と声を上げた。


「生存者はここに居る奴らで全員じゃない。リグの様子を見に行った奴が一人、まだ戻って来てないんだ」


「あいつはもうダメだろう、あの区画はドリルの真上なんだぞ。この様子じゃ噴出防止装置B O Pも役に立たないだろうし、パイプから石油が噴き上げてとっくに炎に飲まれちまってるだろうさ」


 作業員の話によれば、まだもう一人、ここから更に奥の区画に取り残されているらしい。しかもそこは石油を採掘する最も危険な場所で、既に火の手が回ってしまっているという。


「……どうする? 深色」


 不安げな声で問いかけてくるクロム。深色は残された一人が居るというリグと呼ばれる場所が何処にあるのかを作業員たちから聞き出した。


 ひょっとすると、もう既に手遅れかもしれない。そんな絶望の思いがふと脳裏を過るが、深色はそんな悲観的考えを振り払い、リグへと繋がる通路の扉を思い切り蹴飛ばした。


「深色、ボクも一緒に行くよ!」


 クロムがそう言って彼女の後から付いて行こうとするが、「駄目!」と深色はきつく言い放つ。


「クロちゃんは先にここに居る人たちをヘリポートまで誘導してあげて。私は残る一人を探しに行くから」


「で、でも……」


 まるで家で留守番しておいてと言い付けられた子どものようにシュンとしてしまうクロム。そんな彼に、深色は言い聞かせるようにこう付け加えた。


「大丈夫、残った一人もすぐに連れて戻るから。必ず戻るって約束する。ほら、小指出して!」


「? 何で小指なんか出さなきゃいけないのさ?」


 そう言われて、深色はクロムが「指切り」を知らないことに気付き、「あぁ、そうだった……」と額に手を当てる。よく考えれば、それまでシャチの体だった彼が指切りを知るはずもないのである。


 しかし、今は緊急時ということもあり、呑気に指切りについて教えている暇もない。


「約束を交わす時にやるおまじないがあるの! ほら、手を出して小指を絡めて、『指切りげんまん、嘘ついたら針千本~ます、指きった』!」


「針を千本も飲むなんてボクできないよっ!」


「いいから! 急いでこの人たちを早くヘリポートまで連れて行くの! さぁ動いた動いた!」


 深色はクロムを作業員たちの居るところへ押しとどめると、踵を返して炎と煙の立ち込める扉の奥へと飛び込んでゆく。


「水竜ちゃん、付いて来て!」


 主人の声に応え、海水でできた水竜が蛇のように体を伸ばし、深色の後を付いて行った。



 深色とクロムが行ってしまってから五分が経過し、潜水艦カシャロットの艦上では不穏な空気が漂い始めていた。油田のプラットフォームは既に所々が焼け落ちてしまい、瞬く間に海の藻屑となって消えてゆく。このままでは土台が完全に崩壊し、プラットフォーム全体が海の底に沈んでしまうだろう。


 双眼鏡を覗いて油田上のヘリポートを監視していた如月は、時間が経つとともに脳裏で膨らんでゆく最悪な事態への予感に苛まれ、双眼鏡を握る手をこわばらせていた。


 しかし少しして、ヘリポート上に数人の人影が登ってくる姿を捉えた。そのうちの一人が、こちらに向かって両腕を大きく振って合図している。その人影がクロムであることを確かめると、それまで険悪だった如月の表情がフッと緩んだ。


「どうやら作戦は成功のようだね。――よし、これより生存者を救出する。シーホークの離陸準備!」


 如月が指示を飛ばすと、浮上した潜水艦カシャロットの上部船体がパッカリと左右に開き、中からローターブレードを折り畳んだ救助ヘリが姿を表した。如月は白衣を翻して艦橋から降り、駆け足でヘリに乗り込んで、パイロットに離陸するよう伝えた。ヘリは鳥が羽を広げるように四本のブレードを素早く展開させてエンジンをかけ、海上に浮かぶヘリ発着所と化した潜水艦カシャロットの甲板上から、瞬く間に飛び立ってゆく。


 開け放たれたスライドドアから吹き込む風が、白衣の下にパレオしか着ていない如月には刺さるように冷たく感じた。いくら暑がりであるとはいえ、上着の一着くらい着て来るべきだったかな? と如月は反省しながら、持っていた双眼鏡をヘリポートへと向ける。


 大きく「H」と描かれたヘリポート上に、生存者の作業員数名とクロムの姿を確認する。……しかし、肝心な人物の姿が一人欠けていることに如月は気付いた。


「……おや、深色君の姿が見えないね」

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