4.喋るシャチ

「――でもボクさぁ、前から君みたいな人間の友達を持つのが夢だったんだよね」


「へぇ〜、そうなんだ」


 深色は浮かんでいる飛行機の金属片の上に寝転がり、ぼーっと青い空を眺めながら、隣で一人喋り続けているクロムの話を聞いていた。


 ついさっきまで、シャチが言葉を話したことに驚きを隠せなかった深色。しかし、身の回りの急激な変化や異変にも適応しやすい性格が功をそうしたのか、たった数分の間に、喋るシャチと普通に会話していることに対して何の違和感も感じないほどにまで、互いの距離を縮めてしまっていた。


「だってボク、地上の世界にすっごく興味があるんだもん。ねぇ、君たちが住んでる地上ってどんなところなの? 詳しく聞かせてよ!」


 そう問いかけられ、深色は少し考える。まるで少年のように旺盛な好奇心を持ったこのクロムという子に、地上の様子を簡潔に言い表せるような言葉はあるだろうか? 彼女はしばらく考え込んでいる様子だったが、やがて諦めたように首を横に振って答えた。


「……それはちょっと難しいかなぁ。だって私も地上に住んでるとはいえ、世界から見ればほんの砂粒くらいの小さな場所でしか暮らしてないからさ〜。――あ! でも修学旅行で初めて国境を超えてハワイまで行ったのは私の中で一番の大冒険だったなぁ。普通国内だけでも旅行する機会なんてあまりないのに、日本飛び出して一気に海外まで行っちゃったんだからね! まぁでも、ハワイも世界から見れば砂粒みたいに小さい所なんだけど……」


「へぇ、地上の世界にもちゃんと国があるんだ! 幾つくらいの国があるの?」


「そりゃまぁ、ざっと数えても優に百は超えるんじゃないかなぁ……ってかさ、逆にクロちゃんたちの住んでる海にも国があるの?」


 深色がそう尋ねると、「もちろんあるよ!」とクロムは背中から潮を吹いて肯定した。


「ボクらの住んでる国はアテルリアって言って、七つの海の中でも一番大きな国なんだ。ボクらの居るこの海域も、アテルリアの領海なんだよ」


「へぇ……じゃあ海の中でも旅行する際はわざわざパスポート取って来なきゃいけないわけだ」


 ふと、失くしてしまったパスポートのことが脳裏を過ぎって、何とはなしにそう答える深色。


「ぱすぽーと? なにそれ? 乗り物の名前か何か?」


「いやいや違うよ~、パスポートってのは乗り物なんかじゃなくてだね――」


 と、そこまで言いかけた時、深色はふと言葉を止める。


「ん? 乗り物? 乗り物……う~~ん……」


「……ちょっと、何でボクの方をジロジロ見てくるのさ。気持ち悪いな」


 じっと睨み付けてくる深色の態度にクロムが気味悪がっていると、彼女は何か閃(ひらめ)いたようにニヤリと笑ってみせた。


「んふふふ……ねぇクロちゃん、私気付いたんだけどさ、君の背中、すっごく乗り心地良さそうだよね? 良かったら、私を乗せて陸地まで運んでもらえないかなぁ?」


「え~~っ! そんなこといきなり言われても、ボク、深色の住んでる場所なんて分からないし、どっちの方角に陸地があるのかすら分からないんだよ」


「適当に方角決めて一直線に突き進んでれば、そのうち何処か陸地には着くでしょ」


「そんなの無茶苦茶だよっ! ボクだって何時間も泳いでればそれなりに疲れるんだからね」

 

 「そっかぁ……」と深色は腰を上げて、再び周囲をぐるりと見渡したが、相変わらず何処までも続く水平線しか見えず、飽き飽きしたように溜め息を漏らして言った。


「あ~もう、せめて日本のある方角さえ分かればなぁ……」


 すると、考え込んでいる深色の横で、クロムが代替案を提示するように言葉を返してきた。


「じゃあさ、ボクの隠れ家に来る? 丁度この海域の下にあるんだ」


「隠れ家? そんなもの持ってるんだ」


「うん、近くに面白い遊び場もあるから、案内してあげるよ。さぁ乗って」


 そう言ってクロムは深色に背中を向け、上に乗るように促してくる。


「乗っていいの!? あ……でも、その隠れ家って海の中にあるんでしょ? 私人間だから、君と違って水の中で息ができなんだよなぁ……」


 クロムに誘われて、人間は水中で呼吸できないということも忘れて思わず背中に乗ってしまいそうになった深色。乗ろうとしたところで気付き、かっかりして不満を漏らす。


 けれどもクロムは、心配無用とでもいうようにこう切り出してきた。


「ああ、それならとっておきのものがあるよ、探して来るからちょっと待ってて」


 そう言い残して、クロムは再び海に潜ってしまう。


 再びその場に一人残されてしまった深色は、クロムの言う「とっておきのもの」とは一体何のことだろうと考えてみる。


(まさか、ホースみたいにめちゃくちゃ長い管とか持って来るんじゃないでしょうね……)


 そんなことを考えていると、深色の座っていた傍の海面からブクブクと泡が立ち、クロムの大きな顔が浮上する。


「ほら、これ使いなよ」


 そう言って、クロムは口をあんぐりと開く。


 口の中には、ギザギザな鋭い歯の並ぶ顎に挟まれて、何やら半透明のゼリーのような物体が引っ掛かっていた。


「……何これ?」


「オキシクラゲ。この辺りの深海にしか住んでいないクラゲで、これを頭から被れば、水中でも普通に息をしていられるはずだよ」


 深色は怪訝な顔をして手を伸ばし、クロムの咥えているクラゲをそっと手に取ってみる。半透明の丸い傘を持ったそのクラゲは、ぐにゅぐにゅとした触り心地で、少しぬめっていた。おまけに、傘の内側には大量の細い触手が伸びていて、持っている深色の腕にしつこく絡み付いてくる。


「……これを頭に被れと?」


「そう」


「いやいや! どう見ても被るようなものじゃないでしょ! それに、クラゲって確か毒があるって聞いたことがあるんだけど……」


「大丈夫だよ。そのクラゲに毒はないから。被ってみれば分かるよ」


 深色は仕方なしにそのクラゲを頭の上に乗せてみる。途端にクラゲの触手が顔にまとわり付いてきて、深色の顔全体が透明な傘の中にすっぽり包まれてしまう。


「ちょっ……いやっ、触手が鼻の奥に入ってくるんだけどっ……」


「気持ち悪いのは最初だけだよ。そのうち慣れてくるって」


 クロムはそう言うけれど、クラゲは深色の鼻奥へ容赦なく細い触手をねじ込んでくる。しかし、鼻を塞がれて息苦しくなるかと思いきや、なぜか苦しくならない。普通に息ができる。


「ほら、それで潜ってみて」


 クロムに言われるがまま、深色は水の中に頭を入れてみた。


「ホントだ! 苦しくない!」


 どうやら、頭を覆っているクラゲがヘルメットのような役割をしてくれているらしい。しかも、鼻に捻じ込まれた触手から空気が送り込まれてくるおかげで、全く苦しくない。奇妙な生き物も居るものだと、深色は頭を覆うクラゲを指でつつきながら感心していた。


「それなら水中でも平気で居られるよ。ほら、隠れ家に案内してあげるから、乗って乗って」


 そう言って反対を向き、こちらに背中を見せてくるクロム。深色は気乗りしない様子を見せていたが、それでも覚悟を決めたようで、恐る恐るクロムに近付くと、ぴょんと跳んで彼の背中に思い切り抱き付いた。


「うひゃぁあ‼︎ ちょっと! 乱暴に乗らないでよ! びっくりしたじゃんか!」


「だって乗り方よく分かんないんだもん!」


 まるで暴れ馬にしがみ付くように、深色は大の字になってクロムの背中にべったりと張り付く。


「普通に背びれの根本に掴まって体を伸ばして、脚で挟んで体をしっかり固定すればいいだけだよ。ただし、あんまり強く掴まないでね。……あと、変なとこ触ったりしたら振り落とすから」


「はぁい。安全運転でお願いしま〜す」


 深色はクロムの言う通りのやり方で背中に乗り、ぐっと全身に力を入れて体を固定した。


「じゃあ、行くよっ」


 その一声と同時に、巨大な尾ビレが水面を叩き、派手に水飛沫を飛ばして、むち打たれた馬の如くクロムは大海原へと繰り出した。


 そして一気に加速して海中に潜り、背中に乗っていた深色はしかかる水圧に危うく振り落とされそうになる。


(ちょっ……いきなり水の中はキツイって……)


 細かな泡の粒が散弾のように体に打ち付け、全身の血が頭から足元へと一斉に流れていく感覚が走る。


 すると、クロムは尾ビレを震わせ、今度は急上昇を始めた。千切れるほどに強く腕を引っ張られながらも、絶対に離すものかと深色は必死に背中に食らい付き、殴り付けてくる水圧に耐えて重い目蓋まぶたを開く。


 ゆらゆらと揺れる海面が一気に目の前まで迫る。


 そして、一筋の光が差し込んだ次の瞬間――


 ザパァッ‼


 それまで耳栓をしたようにくぐもっていた聴覚が、はっきりと波の音を捉えた。冷たい風を体一杯に受けて、深色の体は一瞬重力を失う。


 クロムは海の上で大きくジャンプし、その巨体を空高く翻していた。その僅か一瞬の間に、彼女は眼前がんぜんに開けた広大な海原を、その目に焼き付ける。


 ――そして、再び押し寄せてくる重力と共に落下し、次の瞬間には弾ける泡と共に海の中へ舞い戻っていた。


「どう? 今のジャンプ、凄かったでしょ?」


 自慢げにそう問いかけてくるクロムに対して、深色は何も答えられない。どうやらしがみ付くことだけで精一杯のようだ。


「あれ? 今のじゃ物足りなかった? じゃあ今度はもっと凄いのをいくよっ!」


「ちょ、ちょっと待って! もう跳ぶのだけは勘弁して――いやあぁ~~~っ!!」


 まるでトビウオのように何度も海の上をハイジャンプするものだから、背中にしがみ付いていた深色は、危うく水平線の果てまで意識を吹っ飛ばしてしまう寸前だった。

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