第53話 暗雲

 それから数日が経ち、風妖人の治療もあってか傷も痛く無くなり退院する事になった。

 入院費や医療費までキムが出してくれたようで、着の身着のまま病院から出る。外へと出ると久々の新鮮な風に清々しく感じ、目を瞑って大きく深呼吸した。


「さて……先ずは鍛え直し、か」


 ここ数日はずっと寝たばかりの生活を送った。筋肉は数日経つだけでも衰えると言う。

 ただ、筋肉が衰えたとしても、今回の事件では恐らく目標に向かって大きく前進する事が出来た。


 仲間ではないが、自身が金を成す木だと……稼ぐ為に利用出来ると思わせる事が出来ればーー。


「日本でもトップクラスの会社が、手助けする」


 自然と握った拳に、じんわりと汗が滲み出る。


 やり遂げた。

 相手に自分を認めさせる事が出来た。

『平凡者』である自分が。


 0から1へ。この違いは颯太にとって大きな違いだった。


「手を貸してくれるなら遠慮なく……あのアジト近くまでタクシーを頼むか。いずれキムも知る事になるだろうし……」


 考えながら病院前で考え込んでいると、病院前の柱裏からある1人の男が躍り出た。


 颯太はそれを見て止めていた足を動かし、その男のーー横を通り過ぎた。


「な、七瀬さん……」


 花見だった。

 刑務所からそのまま此処に直行したのだろうか、見窄らしくボロボロな作業服の様な格好だった。


 そんな格好で花見は、深く頭を下げた。


「あの! ありがとうございます!! 助けてくれて!! 本当に感謝しています!!」


 これは本心なのかもしれない。

 だが、一度裏切った者の言葉はどうも薄っぺらい。


「………お前は俺の事を騙した。騙した奴の言葉は聞いた所で俺は何とも思わないし、感謝されてどうする事もない」


 颯太は冷たく告げる。


「うっ……そ、それでも!」

「黙れ。何を言っても、お前の言葉は信用出来ない…………お前は『平凡者』だった。だから助けた。それだけだ」


 仲間は必要ないと学んだ。


 あの時の感情は必要無いものだ。


「お前には世話になったからな。これで貸し借りは無しだ」


 切り捨てろ。


 いつでも切り捨てられる様な、そんな関係性でだけで居続けろ。


 颯太は歩く。背後から刺さる視線を気にする事無く。ただ1人で。


 ◇


「多くの企業が闇賭博に参加……大元は逃げたな」


 APNのカウンター、翔は新聞紙を広げながら呟いた。

 翔が新聞を広がるのは珍しい事で、優理も驚いた。しかし、依頼でこんな事があったのも初めてだっただけに、こうなるのも仕方がないと優理はバーの掃除をしながら思っていた。


「翔、そろそろ良いんじゃない?」

「良いって何がだよ?」

「アレ、そろそろやっても良いんじゃない?」


 優理が言うと、翔は少し眉間に皺を寄せた。


「颯太君も無事らしいし、依頼を終わらせた。吹に関しても、力の調節も出来るようになってきた。それに資金も溜まったでしょ? 丁度良いんじゃないかしら?」


 アレを実行するのに、充分機は熟した。


「あぁ……そうか。そうだよな」


 煮え切らない返事が返ってくるのは、やはり颯太が心配なのだろう。


「うん。じゃあ、翔はあの人にも話を通しておいてよ」

「ふぅ……分かった。任せておけ!」

「何よ急に大きい声出して……それじゃあお願いしたからね」


 優理は箒を片手に、奥の部屋へと入って行った。そんな優理を見て翔は大きく息を吐き、窓の外の空を見上げた。


 そこには、ドス黒い暗雲が立ち込めて来ていた。


 雨は降らない。

 いつ降るか分からない。


 この先どうなるか分からないという、そんな怖さが伝わって来る。

 良い方向にはならないという、確信めいた未来と共に。

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