第36話 尊敬

「じゃあ、また来ますね」

「うん。気をつけてね〜」


 日下さんがバーテンダーの格好で俺を見送る。


 今日は中々充実した1日だった。


 訓練を思う存分する事ができたし、依頼書も見る事が出来た。日下さんのスープを飲まなければもっと充実してただろうけど…。


 颯太は夕日が暮れる中、大股で帰る。その姿はどこか少し楽しそうな雰囲気を醸し出している。


 帰ってもうなされる事も、料理を作らなくても良い。それ以外の時間ではスキルの訓練を、思う存分行う事が出来る。今の颯太にとって花形食堂はとても都合の良い家だった。


 今日は何が出るかな…。


 颯太は静かに心を弾ませた。




「は?」


 それも束の間だった。


 花形食堂には3台のパトカーが止まっており、周りには人集りが出来ていた。


 颯太は急いで駆け寄り、人集りを掻き分けて進んでいく。


「いてっ」

「っつ、なんだよ」

「うっ」


 掻き分けている途中、周りから苦悶な声が上がるがそれが気にならない程、颯太は焦っていた。


 昨日の今日だ。もしかしたら取り立てが今日で、それを断った花見が闇組織の奴らにボコボコにされたのではないか、そんな出来事が容易く頭の中で想像できた。


「は、花見!」


 人集りを抜け、大声を挙げて花見の名前を呼ぶ。店から出てきたのは数人の警官と、何の怪我もしていない花見。


「花見…!」


 俺は思わず安堵の息を大きく吐いた。


 しかし、


「コイツの知り合いですか?」

「は、はい」


 警官がぶっきらぼうな態度で此方に話しかける。


 あまりの態度に少し驚いたが、何とか返事を返す颯太。


「…そうなんですね。じゃあ少しお話とか聞かせてもらっても?」

「え?」


 颯太はその質問に困惑し、棒立ちになる。


 署まで同行? 何を言ってるんだ? 花見に暴力を振るわれている様子はない。何かしら事件があった様に見えないんだが…


「あ、あの、何があったんですか?」


 俺は混乱する頭の中、警官に質問をする。


「実は…コイツ…」


 警官が横目で花見を一瞬チラッと見る。それに釣られて颯太も花見を見る。


 あ? 待てよ。何でそこにそれが…


 颯太は花見の一部分を凝視し、目を丸くさせる。


「危険ドラッグの所持で現行犯逮捕したんですよ」


 警官は淡々と述べていく。


「此処に来られたお客様が変な店員が居ると通報されまして店内を確認したら注射器や危険ドラッグを発見。詳しく調べないといけませんが…恐らくこの様子だと使用もしてるでしょう。これから1ヶ月は拘束す…


 警官の声がドンドン遠くなっていくのを感じた。


 あの会話から想像出来た事じゃないか…あの注射器から分かったかもしれない…俺はバカか…。


「…という事なんですが…夜分申し訳ないんですが、早速お話を聞かせて貰っても?」


 警官は言う事を言ったのか、此方に聞いてきた。


「はい…」

「では

「でも、その前に…」


 俺は返事をした後、警官の話を遮って花見へと近づく。


 花見は下を向いていた顔を上げ、颯太が近づいてきてる事に気づく。


「七瀬さん…」


 花見は背中を丸め、目尻を下げ、申し訳なさそうに此方を見つめる。


「…」


 ドカッ!


「うっ!」

「ちょっと困りますよ、平凡者だとは言え手を上げて貰っちゃ…」

「あぁ〜、ほっとけほっとけ。何かこの平凡者に恨みでもあったんじゃねぇか?」


 花見が俺の拳を顔面で受け、地面に倒れる。


 それを警官が呑気に花見が倒れた後に言ってくる。本来警官なら、殴る前に間に入って来るべきだ。しかし、敢えて平凡者だからと入って来なかった。国を取り締まる者がこれだ…たかが知れる。


 でも…それよりも…


 俺は倒れている花見の胸ぐらを掴み、引き寄せる。


「何でだ…」

「え、」


 花見から間の抜けた声が出る。


「何で、そんなもんに手出した」


 俺が少し怒気を含めながら言うと、花見は少し驚いたがゆっくりと口を開いた。


「……しょうがなかったんです」

「あぁ!?」

「小さな頃から平凡者と虐められて…頑張って耐えて、耐えて、耐え続けた先に出来た店が、平凡者というだけでお客さんが離れて行ったんです…それに加えて取り立てもされて…1人だけじゃどうにも…」


 花見の口から告げられたのは簡潔ながらも壮絶な人生だった。


 言われてみればそうだ。俺だってこの前まで学校であんな生活が送っていた。昔なら尚更酷かっただろう。その上での、一大決心をしての店の経営。それが平凡者という理由だけで客が来なくなったのだ。その上に取り立て。


 俺だったら…考えてみても嫌な気持ちになる。


 だが…


「これに手出す程落ちぶれんのかよ…!」


 最初に出会った時、平凡者だと聞いた時、俺は素直に凄いと思った。


 平凡者の男がここまで生きて、しかも店まで経営してる。


 尊敬した。


 でも、


「見損なったわ…」

「な、七瀬さ」

「もう連れてってくれ…」


 俺は花見の胸ぐらから手を離し、立ち上がった後警官にそう言った。


「あの…お話を」

「明日、自分が署に伺いますよ」

「そ、そうですか。分かりました」


 俺は警官にそう言うと、店を見る。中には何人か警官が入り浸っている。そして店の入り口にはテープが貼られていて中に入る事は出来ない。


 颯太はそこで立ち尽くした。


 そこに残ったのは残り香の様な喧騒、そして謎の虚しさだけだった。

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