第7話 さよなら

 それから、わたしは花屋へ行けなくなった。小夏は種もつけないまま、すっかり枯れてしまった。それでも未練がましく小夏を捨てられずにいた。

 ある日友だちと遊んで帰ってくると、机のうえが閑散としていた。

「あれ?」

 わたしはキッチンへ走り、母を問いつめた。

「わたしのひまわり、知らない?」

 母ははっとしたようにわたしの顔を見て「捨てた。だって、枯れてたから」と驚いたような顔をして答えた。

「なんで」

「捨てちゃ、ダメだったの? ごめん」

 母を責めても、仕方なかった。それはそうなるべきものだったから。

 だけど、どうしてだろう。いっきに下のまぶたが重くなり、たちまち涙があふれだした。こんなに涙が、止まらないなんて。


 新学期もはじまって何日が過ぎたろう。わたしは久しぶりに花屋を覗いてみた。

 花屋の店の中で、トンボおばさんが背中を曲げて、椅子に腰かけていた。

「こんにちは」

 わたしはおばさんに話しかけた。

「こんにちは」

 おばさんは静かに返した。よく見ると、どことなくお姉さんに表情が似ていた。あのお姉さんのお母さんなのだと、なんとなくわかった。そう思うと、もう、怖くなかった。

「お姉さんは、いないですか?」

 トンボおばさんはほんの少し目を見開いて、ああ、とわたしの顔を見た。

「冬美の言ってた小学生って、あなたのことね」

 おばさんはまた、静かに笑った。

 店に入ると、胸がどきんとした。

 針金に巻きついたような花はもうなかった。アレンジされた花たちの集団もなく、花屋はふつうの花屋のように、花々たちがそこここのバケツに無造作においてあるだけだった。ガラスの保冷庫に数束ずつささっているだけだった。

 おばさんはどこか、哀しげだった。

「冬美は、結婚しちゃったのよ」

「結婚?」

「そう、遠くに、行っちゃったの。もともと、あの子も遠くに勤めに行っててね、やっと家に帰ってきてくれたと思ったら、また遠くに行っちゃった」

 それからおばさんは、まだ数本残っていた小夏をわたしに分けてくれた。

 それらを受けとり、嬉しいというよりは、わたしはどこか穴が抜けたような気持ちになった。

 帰るまでの記憶がなかった。

 家に帰ると「なんだ、またもらってきたのか」と、 父がくだらないものを見るように言った。

「別に欲しかったわけじゃないよ。くれるっていうからもらったんだよ」

 わたしは小夏を、今度はリビングの食卓の上に飾った。これは、どうしたって、あのときの小夏ではなかった。

 夕食時、こんなときでも腹は空くものだ。わたしは母のつくった肉団子スープを啜りながら「結婚って、哀しいものなのかなぁ…」とぼやいた。

「何言ってんの。お母さんは、幸せよ」

 間髪入れずに母がさっと返し、「何言ってんだ、おまえらは」と父が言う。けれども父は顔を赤らめ嬉しそうだった。

 わたしは、少しだけ笑い、少しだけ元気になった。


 けれどもわたしは、あの男に奪われる前に、せめてもう一度だけ、ひとめお姉さんに会いたかった。


<おわり>

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夏こい あおやまい @MaiKawa

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