第10話 人気声優とコラボしよう
世の中に期待するだけ無駄だ。
空いてると思っていた電車の空席は世間体と言うの名の暗黒物質によって占拠されており、目の前に来たところで吊革を掴む事になる。
バスの停車ボタンを押そうとしたら、周りからの視線が怖くて誰かが押すまで待っている。
交差点なんかも押しのけて進む勇気などありはしないのだから、結局最後の方に駆け足になってしまう。
コンビニで最後の肉まんが食べたくても、後ろに並ぶ人が決まって肉まんの話をし始める。
しかも譲ったところでそいつは買わない。
人生なんかそんなもんで、大人は妥協と折衷案で生きていると言っても過言ではない。
だから、
「アッアアアアアアアアアアア!」
庭先でドラム缶から立ち上がる火の粉と煙を前に泣き崩れても、特に何かが変わるわけではないのだ。
「お兄ちゃんうるさい」
ベランダでケータイをいじりながらゴミでも見るかのように視線を向ける妹に対して、そんなものはどうでもいいとばかりに叫ぶアオイ。
「俺の、俺の…………あれが!」
「そんなに言うならせめて名前くらいつけてあげなよ」
ドラム缶の中で燃え上がっているのはアオイの室内に転がっている手足が四本ある犬のような何あのぬいぐるみだった。
■
「マジでなんなの」
学生生活にて、というよりむしろ社会人の方が渇望しているであろう休日。
特にこれといった理由がなくとも逝か……行かなければならない学校や会社。
最近のトレンドだとパワハラだとかモラハラなどが主流で、労基さんは一体何をやっているのか。
ともあれ、そんな大人の汚い世の中の話を8、9割しか知らないアオイにはあまり関係のない話。
ただせっかくこじつけた休日が、こんなにもどうでもいい理由で潰されてしまってはため息の1つや2つ、10や100くらいは許して欲しいと思いながら、人様の目を一切無視したあったもので固めた私服で電車に揺られていた。
「休日くらいゆっくりさせてくれよ」
ことの顛末はお家にゴキブリがやって来た事に起因する。
ゴッキーちゃん、通称『黒い巨星』は夏目家の台所へと出没。
リスポーンしたヤツを倒すために、最も現場に近かった母親がスプレー式の撃退液を吹きかけるも回避され、高速で地面を這うヤツはリビングで寝転がっていた妹へと飛びかかった。
けれどヤツの接近を感知した妹は手元にあった、ちょうどアオイが洗濯に使うために置いてあったぬいぐるみを掴んでインパクト。
犬のようなぬいぐるみはゴッキーちゃんの謎の液体をシミにして息絶えた。
だから殺した。
そしてアオイが寝起きでリビングに訪れる頃には黒い巨星の排出する液体にやられ、汚物を消毒している妹の姿だけだった。
「ってかあのぬいぐるみまだあるんかな」
通販で買ったものでもなく、店頭に並んで運命的な出会いをしたわけでもない。
ただ暇つぶし感覚でやってみたクレーンゲームで偶然取れてしまい、羞恥心に耐えながら帰ってきた時のお土産である。
今に思えばあの犬の顔はなんだか可愛くなかった。
むしろ世の中のゴミというゴミを見て闇落ちした新卒3ヶ月目の顔をしていた気がする。
そうして適当なことを考えているうちにぬいぐるみをとったゲームセンター近くの駅につき、そのまま電車を降りて駅の改札口を通り抜ける。
いつもより人が多い気もするが、どうせ休日出勤を強いられた悲しい社会人たちなのだろう。
どこを見ても下を向いているあたりそういうことだ。
駅から出て寄るところもないため、一直線にゲームセンターへと足を向けてオタクの巣窟へと踏み出すと。
「みんな今日はイベントに集まってくれてありがと〜!」
アニメのイベントがやっていたらしい。
そして、
「今日は新作のお披露目か……」
マイクを持って今も観客に愛想を振りまいている声優はよく知っている人物だった。
■
「なんでこんなところに来てるのって聞いてんですけども、ちゃんと納得のいく説明もらえます……かっ!」
目があった時は一瞬戸惑ったのか色々とセリフが吹っ飛んで硬直していたが、周りが混乱するよりも先に自ら立ち直っていつも通りのファンサービスを行った。
この辺がプロ声優、水野優香の実力なのだろうが、ひと段落がついて休憩に向かう瞬間、遠目からでもわかる「今すぐこっちに来い」という殺気に今までの女神のような仮面は一切感じられず、恐怖に従って舞台裏へとこっそり向かう事になって、
壁に追いやられたまま問い詰められていた。
今にも頭突きを喰らいそうなほど近い距離で睨まれながもなんとか弁解を、悪い理由が一切見当たらないのに言い訳をしなくちゃならない現状に疑問を抱こうにも目の前の瞳孔が開いたものには逆らえなかった。
「ぬいぐるみ取りに来たんだよ、ここでとったやつ捨てられてさ」
「……ぬいぐるみなんて持ってたんですね」
事実しか言っていない。
言ってないのはゴキブリを潰したから、だけだ。
「とにかく! 私の恥ずかしい姿を見に来たわけじゃないってことは本当なんですよね?」
「ああ、本当にマジ。俺はただぬいぐるみ取りに来ただけで、とったらすぐ帰る」
「……………………ちっ」
少し鳴っていいのか疑問に思う音が聞こえたような気がするが、おそらく気のせいだろう。
「とりあえずイベントがんばっ──」
「優香さん! マスコットのスーツアクターが来れなくなって……」
舞台裏にいる優香を探してきたスタッフは息を切らしながらそう伝えると手元にあるスケジュール表に視線を落として頭を掻きむしる。
「どうすればいい。一応要らなくても、全く必要じゃなくても、マジで要らなくて画面のゴミだとしてもゲームのイベントだ。製作側が妙に気合入れてたマスコットを出さないってのは無理がある」
スタッフサイドの本音が垣間見えた瞬間を「私は他人です」オーラを出して通り過ぎようとするアオイだったが、首根っこ掴まれる。
「ちょっと君、着ぐるみと同じくらいの身長だな!」
「…………そんな事ないんじゃないですかね。俺割とありますよ、萌えキャラできませんよ」
「いいんだ、萌えじゃないから」
肩に手を置いて気味の悪い笑顔をするスタッフの手を払い除けようとするが、無駄に強い力で引き剥がせない。
なんとか両手でひっぺがそうと奮闘していると、後ろから優香が腕を掴んで力を込める。
「そうですね。彼にやってもらいましょう。ファンを待たせるわけにはいきませんから」
営業スマイルでこれ以上無駄なことすんなと言わんばかりの圧力で引っ張る彼女へと、
「まって、俺の意見。それに俺部外者よ」
一旦冷静になれ、変なよく分からない人いれていいのか?
と、何度も抗議しようとあの手この手で責めるも全く揺れない。
そうして馬鹿力のスタッフに引きずられて舞台裏の深く暗い場所へと消えていった。
■
「はーい。それではキャストトーク始まります!」
司会進行の女性が前座を終えるとゲームに出演しているキャストの面々が登場。
中には大御所と呼ばれる人間もいる中で現在話題沸騰中の若き天才、水野優香が手を振りながら出てくる後ろで、
全身黄色タイツに、焦点の定まっていない目をしたライオンのような格好をしたアオイが人生に疲れ切ったサラリーマンのような猫背で入場を果たした。
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