第2話

 ハーフマークは常に様々なトラブルに見舞われている。迷宮、呪詛、魔物、犯罪者、違法薬物、合法だが有害極まりない薬物、汚職、〈潜界存在〉……破綻が最初から組み込まれ運命づけられた四次元的なオブジェ、その内部を。おれたちはナメクジよろしく這いずり回る、しかも塩湖。実際の所、朔月騎士団といえど……害虫駆除業者。いったいどちらが害虫なのだろう? 呪詛や魔物とおれたち。ありもしない偽の名前をおれたちは名乗り……その身を呪いにひたす、そいつが昔ながらのライフワーク……魔術灯が緑色に滲む〈第六迷宮〉の関門でエメリーはモンロー審問官と話している。


「じっさい拙僧は」とうてい言い訳とは思えぬほどの自信を満ち溢れさせて彼は言った。「よくやったと思いますよ。よくやり続けてると。今後もずっとね。泥水野郎が石段の上から飛び掛かって来て拙僧のか細い首をへし折ってしまわぬ限り」


 だが奴の首は馬鹿げた太さだ……たちの悪いことにこいつは脳味噌までは筋肉でできていない。


「フレイムは十分にくれてやったと思う、昨日の始発列車が忘れられない。あたしの物語を無駄に浪費してコインをかすめとるあんたのツラが……」


常にそうだ・・・・・、送り物が正義。この国ではね。知っているはずですよ。むしろ他所の地が我らの理解の外だ。最初から袖の下を文化に組み込んでおかぬ手落ちを誰も咎めないのが……そう、冒涜的だ」


 まったく知った口を利くソラーリオ人だ。「我ら」? 昨晩、騎士団の詰め所近くで左目にハサミを突っ込んで自害したおやじがいた。顔はもう分からない。死んでまだ四分しか経ってないのに白骨化して……それもまた呪詛。脅迫の結果だ。豪胆であるってことは悲劇だ、時として。おれはどちらを選ぶべきか……


 交差点は肉片まみれだ、幸い始末するのはおれではない……配置係が呪詛で発狂したために起こった。〈第五十二番〉で処理……グリモの情勢もどうにもきな臭いもんだ。親方衆はなんだか「こちら側」に染まっちゃいないか? 朝っぱらから不明瞭でもう次の場面は迷宮の外だ。まぜっかえさせてもらうなら都市全体がそうなんだけど。おれはまずケーキひと切れと中和剤一瓶で昼食を済ませ……おれは〈回想〉したいと望んだ。ところが、そいつは一筋縄ではいかず、回想するとその中でもう一度回想が始まり、この現在のおれが潜界存在と化すことがしばしばあった。それは駅の薄汚い便所で中和剤が尽き蓋の裏とかを舐めている場合に発生する。おれはずっと昔から騎士だったので回想の中でも騎士で……いつだって空には二つ目の太陽が浮かんでいて、その日は朔月だ――おれが叙せられた日なのだ。気が付いたときには両手がチョコレートまみれで銀紙が散乱しており、惨殺された死体が足の下にあったりする、奴は既に呪縛体になってたから。


「ラッド。蓄積塔に行って発注した武具を受け取って来てよ」


 〈蒼穹睨みのガラテアガラテア・アズールゲイザー〉――おれの上司はいつも通り純然たる・清廉な身だ――もちろんそう見えているだけなのだが。魂魄のどこにも呪詛なんて存在しないようにしか見えない。いつこの廃墟でしかない詰め所から引っ越せるのだろう。「〈壊れ針〉を二本と……」


 結果的にそうなったが刺客はもともと生かしておこうとおれは思っていた。誰にも言っていないけどそう思っていたのを誰もがきっと知っている、そのはずだ。そうだろう?


「いや知らないけど」エメリーが恰幅の良い屍から血を啜り言う。「とても美しいものを見た話していい? していいの?」


「しなくていい、何か手がかりはないか? これってやっぱ審問長を暗殺しようとしたから報復しに来たんだろうか? そんなことってあるか?」


「露見するはずないよ、だってあたしとあんたしか知らないはずだし、あたしは喋ってない。天地神明に誓って……」


 天地神明? じゃああれだ、神々の内の誰かがチクったんじゃねえか? クソ、いつだって裏切りは午後のにわか雨のごとく……いやまずは班長からの依頼を遂行するのが先決だ。またぞろはらわた・・・・に薄荷の香りを感じるし。隣の芝生は青いとは言うが。ウジ虫の巣食ったチーズみたいに贅沢な香りのする通りでおれたちは死闘を演じた、誰かに褒めて欲しいってわけじゃないけど、「衛生兵はいつもカミソリを持っている」、そうだ違和感に気づけたぞ。ガラテア班長はどうしてあれほど抱いた名に相応しい形態をとることができたのだろうか? 〈ラッド〉は英雄の名前だ。それは旧帝国崩壊後すぐの戦乱の時代、イーグロンにいた王の名だ。それをおれに付けるということは……呪詛への防衛策となり得る。朔月の騎士はすべて、本名を名乗ることはない――差異がそのまま、おれたちの第一の盾となるのだ。おれも割合英雄的とは思うけど。


 しかしガラテア班長はとても美しい青い目をしている……千年間蒼穹を睨み続けたように……身の毛がよだつ。あの人だけは、最初からそういう名前だったのではないだろうか。それはしかし危険な……本名で活動する朔月の騎士など聞いたことがない。そんなことをしたら……呪詛が魂魄に染み入り、主軸はたちどころに……触手のある猫が天頂を見上げた、サイズ的には……第一級害因? 夕日が沈む前には帰れそうにない。後から今を思い出すなら込み上げる吐き気を堪えるはめになるんだろうな。


「満足かモンロー? ご希望のフレイムだよ」エメリーが差し出したのは豚の貯金箱だ――金を入れるならもちろんこいつ。奴は石畳にそいつを即刻叩きつけようとしてやめた。


「密室で進化した系統の壊竜のように――真に結ばれる相手を待つという呪詛だが――麗しい。拙僧は本当にあなた方を愛しているんだ」


「奴隷に対する愛ってんじゃないだろうな、審問官殿? それかやっぱあんたの差し金か? この前の刺客ゲストは……あんたにタダ働きってのをさせてみたいもんだね、憎悪をこめて」


「何やら誤解があるようだ」


 しかし一言の釈明もなく奴は帰った。習慣性のある毒を長期にわたってもっとも愛する相手に摂取させるのを、この国の王侯貴族が「たしなみ」としていた時代があった……愛するって言葉の意味にもよるが……もちろん単なる謀殺もあったし。蓄積塔に到着したとき、密造酒職人ムーンシャイナーの徒党が六人ばかり出てくるところだった……呪詛を醸造するのだった。それはきっと夜のように暗い。そいつらは一瞬前まで間違いなくそうだったが、まばたきひとつした後にはもう殺し屋……変装していたのではない。実際にその一瞬で変性したのだ。おれは〈冥界片ネザーシャード〉を抜き、まともな意識の間隙の朦朧とした脳裏に、何か重大な約束事を忘却したのではないかという強い不安を覚え……刺客どもと一緒にそれが襲ってくるのを予感し……そして現れた二十六名の怒れる市民を、五秒で抹殺した。

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