DUNGEONERS:HALFMARK
澁谷晴
第1話
天使が飛んでいた。そいつは陽炎でできている。
おれだけが奴らの存在に気付いている、あるいはそいつが存在しないという事実をおれだけが知らないのだ。おれは迷宮病と呪詛ともう一つの理由の無い問題を内包している立場だが、イーグロンの住民の中ではマシなほうだ。例えばそこいらの迷宮で当たり前のように化け物に飛び込んで数分後には肉塊になり果てる自殺志願野郎……しかしそのほうがいいのではないだろうか? あと何十年月神エルズがよこす中和剤で呪詛をごまかしながら生きていかなきゃいけないっていうんだ?
見晴らしのいい市場はいかにも不安で、空中に張り出した土台が今にもへし折れこの区画に住む何千人かと心中するのではないかと思わせる。頭痛がひどいが最悪には程遠い、それは中和剤と
喫茶店の店員は頭が妙なことになっていてそれはおれや他の住民たちのように正気をやや失している――おれは日時とかいろんな条件がつくからほんのちょっとしか失してないけど――ってわけじゃなくて見るたびに別人のそれになっている。だが法則性ってやつがあるもので、彼は四人の顔を持っているだけなのだ。これがハリネズミとかウミウシとかだったら大変だけど、人間に変わりはない四人だから別に問題はない。そう思っていたら今しがたそいつが手に銃を持った状態でこっちに走って来て、不吉な笑みを浮かべ目の前にいたエルフの頭を撃ちぬいた。その犠牲者はたぶん迷宮守りだったと思う、すごく疲れたツラをしていたからな、通り魔は別にいいが、休憩を台無しにされるのは困る。
おれは〈
「やあ兄さんご機嫌いかがかな。さっきのは誤射だよな? そうに違いないんだ。もしそうだとしたらあんたは無罪だよ。いくつも判例が出ている。過失ってのは無罪と一緒だからね。円満に解決ってわけだ。さあ銃を置いて、このおれと輝かしい未来について語り合――」
野郎はもう一発撃とうとした。っていうか撃った。銃弾は見事におれの頭部に命中した後貫通し後ろのマダムの左肩に当たった。しかし、無論既に暴漢はおれが真っ二つにしてあったので銃弾は発射されることはなく、おれは無事に奴の臓物を店内にぶちまけた。悲鳴は上がらなかった、ただ、溜め息だけがいくつか聞こえた。おれは別の店員にいくらかの気持ちを手渡して、グラスの中の希釈した海水を飲みほすと店を出た。
「ラッド」滑り込んで来た影がおれの名を呼んだ。「審問長がまた横槍を入れてきたよ、〈第三十六番〉は非人道的だとか異端な恐れがあるとかなんとか。聖カルラの兜にかけて、馬鹿な若造があっちでくたばってるから見に行くってのはどう、きっと
「エメリー、死体ならさっき見たんだ、惨殺されたやつを、おれがやったんだけど。それよか代替手段を考えねばいけないんじゃねえのか? 三十六がだめならなんだ、十五番? 材料を調達すんのにまた〈黒猫窟〉に潜るはめになる……あとさ天使を見たんだよ、陽炎でできた天使だ、夏だって実感するよ」
「天使なんていない、太陽が二つないのとおんなじで……モンローにまた鼻薬を嗅がせて対処してもらう? あの便利屋はだけどどんどん図々しくなってんのが気に入らないね、お袋の彼氏みたいだ……そういうのがいたってんじゃなくあくまで比喩……」
「ルーのとっつぁんは本当は分かってやってんじゃないのか? 司教とぐるで〈いい警官・ワルの警官〉を演出しようとしてんじゃないのかな? どだい、烏の羽の中のこの国でなんか神聖なスタイルの正統派行動しようってのが無理あるわけだよ、ああ、また薄荷の匂いが通ってくんだ」
「呪詛が絶好調? うん。審問長はなんかそういう雰囲気あるけどあれは真性、脳味噌が常に高次元でダグローラとよろしくやってるタイプの。本当に我が国の真理を知らずにやってると思う、ブラニア様からの試練かもしれないむしろ。ガラテア班長には報告済みなのでまずは十五番を検討しよう。検討するための準備に着手するかどうかを考慮し始めよう。ラッド、あたしはまだ三つの物語を知ってるから欲しければ言ってね」
「きっと永遠に求めないさ」
エメリーの話ってのはもちろん呪詛を帯びてるし周囲に拡散する。おれたちは当然それを収める側だが。歯医者が間違った歯を抜いたところでそれは容認されるのか? この街ではされる。ケチなギフトでそれは正当化される。
〈人肉展〉の一階をぶち抜いてるトンネルが封鎖されている、警備隊が拘束して薬物で溶かそうとしているのはキチンの殻を持った魔物だ。いやあれは迷宮病で変異した市民だ、
吸血鬼に対して〈夜明け〉はまずいか? と一瞬後に思った――モーンガルドじゃこの程度の配慮もできないと生きていけないとギリー・ドゥが四日前に言っていた。おれはモーンガルドに入国できない無礼な豚野郎なのか? そんなはずがないじゃないか、と言いたいがそこの花屋のお嬢さん、同意してくれないだろうか。
「いや、それは、豚野郎ですね、ラッドさん。ほら、天使が見ていますよ」
本当だ。仄暗い目で天使と第二の太陽と真っ二つにしたはずの四つの顔を持つ店員がおれを恨めしく凝視している……
「掃除ならここの人がやるよ。しかるにこの場所に来たのは良くなかったかもしんない。〈砂丘屋〉に行くのが面倒だからって横着をしたのがよくなかったんだ。だけどさぁなにせ〈砂丘屋〉に行くには……」
三つのなかなか開かない踏切と、二つのあまりいい匂いのしない迷宮を抜け、五人の無辜の民を殺害しなければならない。先日なぞその五人の中に不死が混じっていたぜ。もちろんおれの呪剣があれば不死といえど死にかなり近づくので問題はないと言えたが……そう近づく、こちらをカモと確信した詐欺師ばりにね。
そうだ。ルー審問長を暗殺・謀殺するってのはどうかな?
「ええええ」エメリーが影の覆いの向こうで絶叫した。おい馬鹿、そんな態度をとれば審問官にバレてしまうじゃないか。あくまで善意の第三者の顔をし続けるんだ……火あぶりにされたいのか?
「さすがにそれは過激すぎるというかラディカルが過ぎるわ」
しかしあの年嵩のエルフなんてこっちに派遣されてからずっと横槍横槍横槍と邪魔をし続けてもうおれたちの脳味噌がクロカンブッシュになり果てるのも時間の問題だぞ、ミラベル・ラファンの左耳にかけて。
「確かにとっつぁんは目の上の瘤という概念の擬人化って状態は否定できないかな。あ、コオロギが三匹」
泥水野郎に食わせとけ。とりあえずは〈外典者〉討伐作戦と暗殺計画をダブルで進めるって形でいこう。目下のところはどちらにも使えるムクロノシトネの果汁と瓦解液を二瓶ずつ買って……おっとなんだ? この涼しい風は……この換気設備が二百年以上ぶっ壊れていることで有名な町に突如飛来した……
「共有幻影だね今週に入って六回目か……色とりどりの断片が二つ目の太陽を切り刻むようなものはもう飽きた。あたしはもっと冷徹な創造を見たいと、心から願った。そう、蟻の巣に煮えたぎる油を流し込むかのように……」
その時目撃したものをおれは生涯、忘れないだろう。ここに記すことはできないが。とにかくびっくりした。そんでおれたちは何か円満で後味がよく、きちんとした努力が介在したんだっていう言い訳が自他ともにできる解決法を求めていたんだけど結局は第三十六番でやった。モンロー審問官にいくらか金を渡して……
肝心なのはそこではない。過程、ではないのだ。結果が問題だ。騎士というやつはとかく過程を重視したがる。だけど社会で大事なのは、結果じゃあないか。〈外典者〉の青い血を浴びながら二十一本目の銀の剣を突き刺し、おれは思った、血流を祝福しなければいけないことを。おれの肉体もまた、迷宮なのだから。そしておれが纏う鎧もまた迷宮だ。おれの目が迷宮を通るたびに、様々な糧をこの身に取り込んで英雄になる未来を幻視する。〈外典者〉の、黒く苦い骨を齧りながらおれは坂を下った。
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